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第2巻「風の犬の戦い」

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20.風の怪物

 「な、なんだありゃ……」

 ゼンが窓の外へ目をこらしました。夜の闇の中を、幻のように白いものが飛びすぎていくのが見えます。

 フルートが飛び起きて窓辺に走りました。魔法の鎧のおかげで、壁に叩きつけられても怪我ひとつしていません。

 すると、壊れた窓から白いものが突然飛び込んできました。風のような勢いで部屋中をめまぐるしく飛び回ります。それを目で追いながら、フルートが叫びました。

「犬……犬だ!」

 飛び回る白いものは、確かに犬のような姿をしていました。まるで霧か靄(もや)が寄り集まって、犬を形作ったように見えます。頭には耳や尖った鼻面があり、牙の生えた口があります。牙の間からは、だらりと垂れた舌ものぞいています。二本の前足が、地面を走っているように空を蹴ります。ところが、その後ろ半分はと言うと、蛇か竜のように長い胴体が伸びていて、後足も尾も見えず、透き通るように薄くなって闇に紛れてしまっているのでした。

「ワン……犬の幽霊!?」

 とポチが言いました。

 半分透き通った白い犬は飛び回り、部屋の真ん中に立っていたサイクロップスに突然目を向けました。

 ガゥン!

 風の音とも犬のうなり声ともつかない鳴き声を上げて、白い犬が巨人に飛びかかっていきます。巨人も吠えるような声を上げて犬につかみかかります。が、次の瞬間、その手は犬の体を突き抜けて空振りしてしまいました。

 そのとき、鮮血が飛び散って、ずしん、と何かが床に落ちました。それを見たフルートは、愕然として、あわててポポロに飛びつきました。ポポロを抱えるようにしてベッドの陰に飛び込みます。

「な、なに……?」

 驚くポポロにフルートが言いました。

「見ちゃダメだ……! サイクロップスが犬の怪物に腕を食い切られた!」

 ポポロは真っ青になって、危なく気絶しそうになりました。

 それを体でかばうようにしながら、フルートは部屋の中の戦いを見守りました。一方、別のベッドの陰では、ゼンとポチが怪物同士の戦いを見ていました。

 白い犬は風のような勢いで飛んでくると、牙をひらめかせて巨人のそばを通り抜けます。すると、噛みついているようにも見えないのに、血が飛び散り、巨人の体の一部がすっぱりと切り落とされるのです。まるで、犬の体そのものが、鋭利な刃物になっているようでした。両腕が落ち、両足が膝の下から断ち切られ、最後に首が落ちて、サイクロップスは絶命しました。地響きを立てながら、巨体が血の海の中に倒れ込んでいきます。

 

 すると、突然、巨人の体が淡い光に包まれ、みるみるうちに薄くなって消えていきました。切り落とされた体の一部も、流れた血も、何もかもが見えなくなってしまいます。……ポポロの魔法の時間が切れたのでした。

 後に残った犬の怪物は、驚いたようにぐるぐると部屋の中を飛び回り、ベッドの後ろに隠れていたゼンとポチに気がつきました。ごうっと風の音を立て、ふたりめがけて飛びかかろうとします。

「やめろ!!」

 フルートは叫びながらベッドの陰から飛び出しました。炎の剣を抜き、鏡の盾を構えて犬の怪物に切りかかっていきます。

 ところが、切ったものを何でも燃やす魔法の剣は、サイクロップスの手と同じように犬の体をすり抜けてしまって、何のダメージも与えることができません。

 犬が向きを変えて、フルートに飛びかかってきました。白い大きな犬の顔が、牙をむきながら迫ってきます。フルートはとっさに鏡の盾を上げて、それを受け止めようとしました。

 ガキン!

 鋭い音がして、鏡の盾に刀で切られたような長い傷が走りました。フルートは歯を食いしばり、剣を構え直しました。犬が部屋の端で向きを変えます。そこを狙って、ゼンが次々に矢を射かけましたが、やはり矢も犬の体を突き抜けてしまいました。

「くそっ、攻撃できないのかよ!?」

 ゼンはいまいましく舌打ちをすると、弓を捨てて腰のショートソードを抜きました。

 犬がフルートめがけて真っ正面から突進していきます。フルートは思わず両腕を上げて顔を守りました。魔法の鎧の、たった一カ所の弱点です。 その腕をかすめるようにしながら犬が飛び抜けていきました。とたんにものすごい衝撃が伝わってきて、フルートの鎧の脇腹が切り裂かれました。フルートは、思わず目を見張りました。

 犬がまた向きを変えて、フルートに襲いかかろうとします。

「フルート!」

 ゼンが声を上げながら、かたわらを飛びすぎていく犬にショートソードを突き出しました。とたんに、ちっ、と剣にかすかな手応えを感じました。

 すると、犬は突然大きく向きを変えました。部屋の中で狂ったようにつむじを巻くと、そのまま勢いよく窓から外に飛び出していきます。

 アォーォォーーーン……

 フルートたちが後を追って外へ飛び出したとき、犬の怪物は遠い吠え声を残しながら、空の彼方に飛び去っていくところでした。

 フルートとゼンは驚いてそれを見送りました。

「ど、どうして急に逃げていったんだろう?」

「わからん。なんか手応えがあった気はするんだが、どこに当たったのか見当がつかないな」

 それから、二人は傷ついたフルートの鎧を見て、思わず大きなため息をつきました。今までどんな攻撃にもびくともしなかった魔法の鎧が、まるで布のように切られて、ぱっくり口を開けています。あとほんの数ミリ傷が深ければ、フルートの体まで切り裂かれていたところでした。

「危なかったな」

 とゼンが自分のことのように冷や汗をかきながら言いました。

 

 暗い通りの真ん中に人間が倒れていました。部屋から逃げ出していった二人の泥棒です。フルートたちは、そっと、そちらに近づいていって、すぐに部屋に戻ってきました。

「ワン。フルート、ゼン、大丈夫ですか?」

 二人が真っ青な顔をしていたので、ポチが心配して尋ねました。ゼンが大きく顔をしかめました。

「ひどいもんだぜ。泥棒どもがバラバラになってる。サイクロップスのやられ方とまったく同じだ。間違いない、連続殺人の犯人は、あの犬の怪物だぞ」

 フルートは少しの間、胸を押さえて深呼吸をしていました。むごたらしい遺体の様子に吐きそうになっていたのです。

「あちこちの家に……灯りがついてた。きっと、警備隊が駆けつけてくると思うけど……」

 そう言って、フルートは部屋の隅に倒れている宿の主人を見ました。主人はサイクロップスに部屋の壁に叩きつけられて、そのまま動けなくなっていたのです。土気色の顔で横たわったまま、幽霊でも見るような目で子どもたちを見ています。フルートが近づいていくと、主人はひっと声を上げて身を引き、すぐに激痛にうめきました。

 フルートは主人にかがみ込みました。

「怪我をしたんですね……ちょっと待ってて」

 フルートが魔法の金の石を取りだしたので、ゼンが腹をたてました。

「よせよ。こいつは泥棒を手引きしてきたんだぞ! なんでそんなヤツまで助けようとするんだよ?」

「放ってはおけないよ」

 とフルートは金の石を主人の体に押し当てました。とたんに、主人は顔に赤みが差してきて、すぐに起きあがれるようになりました。

「人がよすぎるぞ、フルート! こんな悪党にはとどめを刺すもんだ!」

 とゼンが飛んできました。その手は腰のショートソードの柄を握っています。フルートは答えました。

「同じことを刺客のボスにも言われたよ。でも、ぼくたちまで悪党と同じことをしなくたっていいじゃないか」

「なにぃ?」

 ゼンはうなり声を上げると、頭をかきむしってフルートをにらみました。

「おまえ、優しい顔してるくせに、こういうところは変に頑固だぞ」

「ごめんね」

 とフルートが笑って肩をすくめます。

 ゼンは目一杯渋い顔になると、剣に手をかけたまま宿の主人にかがみ込みました。

「おい、俺は言っておくぞ。今度あんな真似をしてみやがれ、今度こそおまえを切り刻んで怪物の餌にしてやる。フルートがなんて言おうと、俺は絶対に許さないからな」

 主人は真っ青になると、首を激しく横や縦に振り動かしました。もう絶対に金や命を狙ったりしません、言うとおりにします、と言おうとして、声が出ない様子でした。

 

 壊れた窓の外から人の声が聞こえてきました。通りで灯りがちらちらと動くのが見えます。

「警備隊が駆けつけたみたいだね」

 とフルートは言って、宿の主人に話しかけました。

「おじさん、ぼくたちの部屋はこんなに壊れてしまったから、別の部屋に替えてもらいたいんですけど?」

 とたんに、主人は機械仕掛けの人形のように飛び起き、ぎくしゃくと先に立って歩き出しました。

「へ、へい、へい……ど、ど、どうぞこちらへ……」

 主人は子どもたちをその宿で一番良い部屋に案内すると、じりじりとあとずさり、急にドアのところで立ちつくしました。困惑して、ひどく情けない顔をしています。

「あの……間もなく憲兵がうちにも来て、何があったのか聞くでしょう。わしはなんて言ったらよろしいんで? あの一つ目の巨人はどこにいっちまったんでしょう?」

「さあ、ぼくにもわからないよ」

 とフルートはすまして答えました。

「宿に外から泥棒が忍び込んできたけれど、そこへ窓から犬の怪物が飛び込んできた。そして、外に逃げた泥棒たちは通りで殺されてしまった……それでいいんじゃない?」

 実は、フルートはポポロが魔法使いだと言うことを知られたくなかったのでした。宿の主人は、ポポロがサイクロップスを魔法で召喚した場面を見ていません。サイクロップスも今は消えてしまって、どこにも痕跡がありません。主人と子どもたちさえ何も言わずにいれば、ポポロの正体を知られる心配はまずないのでした。

 こういう話になれば宿の主人も泥棒と関係していたとは思われずにすむので、主人としても願ったりのことでした。承知したしるしにひとつうなずいて部屋を出て行こうとしましたが、最後の最後に、こう尋ねてきました。

「あの……ぼっちゃんがた。あんたがたは、いったい何者なんですか……?」

「金の石の勇者と、その一行だよ」

 とフルートはあっさり答えました。

「金の石の勇者……?」

 エスタのはずれで宿を営む主人は、やはり金の石の勇者の噂を聞いたことがないようでした。わけの分からない顔をしながらも、あとはもう何も言わずに、頭を下げて部屋を出て行きました。

 やがて、壊れた宿の建物を見て憲兵がやって来ましたが、主人はフルートが言ったとおりのことを話したようで、子どもたちが問いただされることはありませんでした。

 翌朝には見たこともないような豪華な朝食が部屋に届きました。そして、

「お代はけっこうです。どうぞ道中お気をつけて」

 と主人に丁重に見送られて、子どもたちは宿を旅立ったのでした。

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