国境の闇の森を抜けてエスタ王国に入ったフルートたちは、さらに荒野を歩き続け、翌日小さな町にたどりつきました。細い街道に面して、宿屋が一軒だけあります。ちょうど日も暮れてきたので、子どもたちはそこに泊まることにしました。
宿の一階は居酒屋になっていて、数人の男たちが宿の亭主を相手に酒を飲んでいました。奥の台所からは料理を作るいい匂いが漂ってきます。フルートは仲間たちと一緒に入っていって、宿の主人に話しかけました。
「あの、今夜泊まりたいんですが」
主人は子どもたちが入ってきたときから、うさんくさそうな目でじろじろと眺めていましたが、そう言われて答えました。
「ひとり一泊五十メリ、犬は別料金だ。金は持っているのか?」
子どもたちは闇の森を抜けてくる間に、すっかり泥や埃にまみれて汚れていたので、宿なしの浮浪児のように見られたのでした。
「お金はあります」
とフルートが答えると、宿の主人はさらに疑うような顔つきになりました。
「見せてみな。きっちり百八十メリだ。一メリだってまけられないぞ」
とたんに、ゼンがムッとした表情になりましたが、フルートはそれを押さえて財布を出しました。言われた金額に間に合う分だけ、金貨を取り出します。
すると、主人が目をむきました。
「き、金貨だと!? 小僧ども、どこで盗んで来た! ここに出せ!」
主人がカウンター越しに手を伸ばして、フルートから無理やり財布をひったくろうとします。
「やめてください!」
フルートが抵抗していると、ゼンが主人の腕をつかみました。
「なにすんだよ。これは俺たちの金だぞ。それを取り上げようなんて、そっちこそ泥棒だろうが」
ゼンが少し力をこめると、たちまち主人は悲鳴を上げて財布から手を放しました。
「や、やめろ! 骨が折れる!」
ゼンが手を引くと、主人は青あざのできた腕をさすりながらゼンをにらみつけました。
「おまえはドワーフか。こんな場所で何をしている」
「それこそ、そっちには関係のないことだろう。いくら子どもでも俺たちは客だぞ。こんな客扱いの悪い宿、泊まってられるかよ」
とゼンが不機嫌そのもので答えます。
すると、主人は意地の悪い顔になって、ほう、と声を上げました。
「どこに泊まるんだね。このあたりには、ここ以外宿屋はないぞ。まあ、野宿して通り魔に切り刻まれたいんなら止めはせんが」
それを聞いて、子どもたちは、はっとしました。
フルートが眉をひそめて尋ねます。
「通り魔はカルティーナだけに現れるんじゃなかったんですか? このあたりにまで出てくるようになったんですか?」
とたんに、宿の主人だけでなく、その場に居合わせた大人たち全員が、怪しいものでも見るような目で子どもたちを見ました。
「……坊主ども、どこから来た? 今、国中を恐怖に陥れている殺人鬼を知らんとは、いったいどういうわけだ?」
酒を飲んでいた赤ら顔の男が、眉間にしわを寄せて尋ねてきました。フルートは肩をすくめました。
「噂が聞けるようなところを通ってこなかったんです。闇の森を抜けてきたものですから」
とたんに、大人たちは大声を上げました。あきれかえって子どもたちを非難する声です。
「馬鹿を言っちゃいかん! 闇の森など越えてこられるもんか!」
「あそこは獣さえ通り抜けられん魔物の森だぞ! 大人をからかうんじゃない!」
子どもたちは顔を見合わせました。今さらながら、自分たちが越えてきた場所の大変さを知った気がしました。
ゼンはさらにそれに言い返そうとしていましたが、フルートはゼンを押さえると、宿の主人に言いました。
「とにかく、今夜泊めてください。部屋は空いてますか?」
「一階の奥の七号室だ」
と主人が部屋の鍵を投げてよこしました。フルートは足下のポチにかがみ込んで一言二言なにか話しかけると、仲間たちを連れて部屋へ向かいました。
「気に入らねえ! 絶対に気に入らねえ! 何だ、この宿!?」
部屋に入るなり、ゼンがぷんぷんしながらわめき出しました。
「こっちが子どもだからって、なめやがって! ここの主人の目を見たか? 絶対になにか良くないことを考えてやがったぞ!」
「ここのほうが普通の反応なんだよ」
とフルートが苦笑いしながら答えました。
「父さんが言ってた。大きな街道沿いの町なら、いろんな種族の人たちが通っていくから、不思議なものや常識に合わないものでもけっこう見慣れていているけど、それ以外の場所の人たちはみんな頭がすごく固いんだ、って。ぼくも、北の街道を通ってゼンのところへ初めて行ったとき、子どもがひとり旅しているって言うんで、ずいぶん変な目で見られたよ」
「にしてもよぉ……!」
ゼンはまだ怒り収まらない様子でした。
ポポロが言いました。
「ここでポチがしゃべったりしたら、きっとすごい騒ぎになるんでしょうね……あ、そういえばポチは?」
部屋にポチの姿はありませんでした。すると、フルートがいたずらっぽく笑いました。
「ちょっとね。偵察を頼んだんだ」
「偵察?」
「うん。きっと大人たちが通り魔の話をするだろうと思ったから、あそこに残って聞いてもらってるんだ」
ゼンは目を丸くしました。
「やるなぁ。頭いいぞ、おまえ」
「でも、ポチがもの言う犬だってばれたら大変じゃない?」
とポポロが心配しました。
「大丈夫だよ。ポチは今まで、こういう場所ばかり旅してきたんだもの。しゃべっていい場所と悪い場所の区別はちゃんとわかっているよ」
「うぅん。むしろ、しゃべって悪い場所ばかりだよなぁ」
とゼンが、さっきの大人たちの様子を思い出してうなりました。改めて、もの言う子犬が過ごしてきたつらい日々が理解できる気がしました。
それから三十分ほどたって、ポチが部屋に来ました。夕食を運んできた宿の主人の後について、まるで食事を待っていたような様子でやってきたので、大人たちは誰もポチを疑わなかったようでした。
主人はテーブルの上に食事を置くと、部屋の中の子どもたちをじろじろと見渡して、一言も口をきかずに部屋を出て行きました。その足音が遠ざかり、部屋の近くに誰もいなくなったことを確かめると、ポチが口を開きました。
「ワン、なんだかすごいことになってるみたいですよ」
「例の殺人鬼かい?」
とフルートが尋ねると、ポチはうなずきました。
「宿のお客さんたちが話していたんですが、最初、事件が起こるのはカルティーナ市内だけだったのに、そのうちにだんだん周りの村や町でも被害者が出るようになって……最近ではこのエスタの国中で、毎晩のように人が殺されているんだそうですよ」
「エスタの国中って言ったら、すごく広いじゃないか。場所は別々なの?」
「ワン。まるで脈絡なく、あっちこっちで事件が起こっているそうです。一晩のうちに、立てつづけに起こることもあるらしいし。それが百キロ以上も離れた町や村だったりするから、警備隊もすごく苦労しているみたいです。もう百人以上殺されてるって。そして、やっぱり、誰もその犯人の姿を見た人がいないんです」
「となると、やっぱり魔物のしわざか。でも、一晩で百キロ以上も移動できるっていうことは――」
とフルートは考え込みました。
すると、ゼンがとんとん、とフルートの肩を叩いて、食事ののったテーブルを指さしました。
「なあ、気になるのはわかるが、とりあえず夕飯にしないか? 『まずは食え』だ。腹が減ってちゃ、いい知恵も出ないからな」
そう言われて、フルートも他の子どもたちも思わず笑いました。自分たちがとても空腹だったのに気がついたのです。
夕食は山盛りの茹でジャガイモと豚の内臓の煮込み料理でした。ゼンが顔をしかめて「俺が作った方がうまい」と言ったとおり、大した味ではありませんでしたが、それでも子どもたちは勢いよく平らげていきました。
子どもたちが食べている間も、ポチは話し続けていました。
「ワン。この町はゼイールっていう名前です。王都カルティーナから馬で五日くらいの場所にあって、カルティーナの殺人事件も遠い場所のできごとみたいに思っていたみたいですね。ところが、先々週の土曜日、隣町で初めて犠牲者が出て、その翌日の日曜日には、このゼイールの町中でも二人がやられたんだそうです。被害者は全身が鋭い刃物で切られたみたいに……その……ばらばらになっていたって……」
とたんに、ポポロが真っ青になってスプーンを取り落としました。ポチはすまなそうな目になって続けました。
「事件の起こり方はどのときにもまったく同じです。夜、外を出歩いていたところを襲われるんです。悲鳴を聞きつけて人が駆けつけると、被害者は血の海に倒れていて、犯人の姿はどこにも見あたりません。まるで、鋭い剣を持った透明人間がうろついているみたいだ、って……。事実、そういう噂もかなり広まっているみたいです。つまり、これは昔死んだ剣士の幽霊のしわざで、今でも人を切りたくて、国中あちこちに現れては人間を襲っているんだ、って言われているそうです」
「幽霊ねぇ」
ゼンがスプーンをくわえながら言いました。
「あり得ない話じゃないが、実際の幽霊どもには、普通そこまでの力はないぞ。せいぜい気の弱い人間にとりついて呪い殺す程度だ。むしろ、何かの怪物か魔物という気がするな」
「夜、外を出歩いていると襲われるのか……」
とフルートが考え込んだので、ゼンがじろりと目を向けました。
「おまえ、夜になったら自分が外に出て、おとりになるつもりでいるだろう?」
「え……」
図星を指されて面食らったフルートに、ゼンが渋い顔で言いました。
「おまえの考えそうなことくらい、すぐわかるんだよ。ったく、すぐ矢面に立ちたがるんだからな。たまには俺にもやらせろ」
とたんに、フルートは強く頭を振りました。
「絶対にダメだ! 敵はえり抜きの近衛隊員に剣も抜かせなかったような奴だよ。きっと、突然襲いかかってくるんだ。ぼくには魔法の鎧があるし、金の石の守りもある。これはぼくの役目だよ」
「役目って……おい」
ゼンはますます渋い顔になりましたが、フルートはきっぱりと言いました。
「今夜十二時になったら、ぼくは窓から外に抜け出すよ。そして、そこで通り魔を待ち受けてみる。ゼンとポポロは部屋の中から見張っていて、何かあったら援護してくれ」
「援護」
ポポロが不安そうな顔をして自分の右手を見つめたので、フルートはにっこり笑って見せました。
「なんでもいいよ。その時にできそうな魔法を適当にやってみて」
「しょうがねえな。でも、ホントに気をつけろよ」
とゼンがため息まじりに言いました。
ところが――
その夜、事件は思いがけない形で起こったのでした。