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第2巻「風の犬の戦い」

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17.魔法使い

 「レオコー!」と叫んだのはポポロでした。

 伸ばした指先を包んでいた淡い光が、ゆっくりと消えていきます。

 少女は大きなため息をつくと、その手を下ろし、次の瞬間、真っ青になりました。スライムと一緒に凍り付いているフルートを見て口を押さえ、そのまま後ずさります。

 

 すると、フルートの体が金の光を放ち、全身をおおっていた氷が音を立てて砕け落ちていきました。魔法の金の石の力です。

「ふぅ……びっくりした」

 フルートは自分の体を見回しました。ゼンとポチが駆け寄ります。

「お、おい、大丈夫か?」

「ワンワン! 今のは……」

 少年たちの目がポポロに集まりました。

 ポポロは今にも泣き出しそうな顔のまま後ろへ下がり続けていましたが、小石につまづいてその場にしりもちをつきました。

「危ない!」

 フルートたちがあわてて駆け寄ると、ポポロはおびえた顔でなおも後ずさろうとして、突然わっと泣き出しました。

「ごめんなさい、ごめんなさい……! こんなつもりじゃなかったの! フルートまで巻き込むつもりじゃ……ごめんなさい……!!」

 ポポロの泣き方があまりに激しいので、少年たちはびっくりしました。

 フルートがとまどいながら言いました。

「落ち着いて、ポポロ。ぼくは大丈夫だよ……。魔法の鎧を着ているから、寒いのは全然平気なんだ。金の石だって守ってくれたし……」

 けれども、ポポロは頭を振りながら、ごめんなさい、と繰り返して泣くばかりです。

 少年たちは困り果て、すぐ近くで凍り付いているスライムを振り返りました。波打っている先端も、谷の中に残っている半身も、すっかり凍ってしまって、まるで途方もなく大きな氷の彫刻のようです。

「これって……魔法だよなぁ」

 とゼンが言いました。こんなに巨大なものを一瞬で凍らせる力は、魔法以外に考えられません。フルートはうなずきました。

「すごいよね。ポポロこそ魔法使いだったんだ」

 とたんに、びくりとポポロが身をすくませました。泣き声が止まります。

 フルートはポポロにかがみ込んで言いました。

「泣かなくていいんだよ、ポポロ。助けてくれて、ありがとう」

 ポポロが、驚いたようにフルートを見ました。

 その様子にゼンが笑いました。

「なんだか昔のポチみたいだな。人のことばを話せるのも、魔法が使えるのも、どっちも便利でいいじゃないか。なんでそんなに悪いことみたいに気にするんだよ?」

 すると、ポチが反論しました。

「ワン、ぼくはもう気にしてませんよ! ぼく、今では人のことばが話せることがすごく自慢なんです。だって、そのおかげでフルートやゼンと一緒に戦えるんだもの!」

「そういうことだ」

 とゼンはまた笑いました。

 

 ポポロは涙のたまった目でフルートたちを見渡しました。少年たちはみんな笑顔になっています。ポチでさえ、優しくポポロを見つめています。

 ポポロは目をしばたたかせ、それからふいにまた顔色を変えて、少年たちの後ろを指さしました。

「あ、あの……あたしの魔法、二、三分しか効かないのよ……。だから……」

「え?」

 少年たちは振り返りました。すぐ後ろで氷の彫刻になっていたスライムが、ゆっくりと溶け出していました。固く凍り付いていた体に、ふるふるとさざ波がはしり、うねりながら動き始めます――

「に、逃げろぉっ!!」

 子どもたちはあわてふためいて、いっせいに駆け出しました。フルートは座りこんでいたポポロの手を引いて走ります。全速力で走りに走って、きわどいところで森の中に飛び込みます。

 ベキベキ、バキバキバキ……

 木をへし折るすさまじい音を立てながら、後ろからスライムが襲いかかってきました。茂みも蔦も草も木も、あっという間にスライムに押し倒されます。スライムはゆっくりとその体を広げると、森の植物の上におおいかぶさって、食事を始めました。森は巨大な餌場です。餌にありついたスライムは、それきり、逃げていった子どもたちを忘れてしまいました。

「うひゃぁ、危機一髪!」

 ゼンが冷や汗をかいて言いました。

 

「あたしの国の人たちは、みんな魔法が使えるの……」

 再び森の中を進みながら、ポポロは問われるままに自分のことを話していました。

「あたしのお父さんもお母さんも魔法使いよ。お父さんは、特に魔法が上手なの。近所の人たちもみんな魔法を使うし、子どもはひとり残らず学校で魔法を習うわ……」

「魔法の国かぁ!」

 と少年たちは驚きました。魔法使いだらけの国というのは、おとぎ話にはよく出てきますが、本物の魔法使いは数がとても少ないので、まさか本当にそんな国があるとは思ってもいませんでした。

「ワン、そうか。もの言う犬っていうのは、魔法の国の生き物だったんですね」

 とポチが妙に納得したようにうなずきました。

 ポポロは、少し歯切れの悪い口調で話し続けていました。

「みんな、いろいろな魔法を知っているわ。何をするにも、魔法を使うのよ……。お掃除だって、お料理だって、お洗濯だって、みんな魔法で片づけちゃうの。だから、みんな一日に何十回だって魔法が使えるんだけど……どうしてだか、あたしは一日に一回だけしか使えないの。一度使ってしまったら、次の日の朝日が昇るまで、いくらがんばってももう全然だし、時間も二、三分しか効かないし……」

 ポポロはため息をつきました。

「でも、一番困るのは、あたしが魔法をしっかり使いこなせないことなの……。学校でも家でもよく叱られるわ。もっと魔法をコントロールすることを覚えなさい、って。いつだって、自分で考えていた以上の力を出しちゃうのよ。授業で火を起こす魔法の練習をしていたときには、学校全部と周りの家まで燃やしちゃったこともあるわ……」

「そりゃまたすごいな」

 とゼンが驚くと、ポポロはあわてて言いました。

「あ、も、もちろん、すぐに先生たちが消し止めてくれたし、学校も家も魔法で元通りになったのよ……。でも、さっきだって、スライムと一緒にフルートを凍らせちゃったし……。こんなにむちゃくちゃな魔法を使うのは、あたしの他には誰もいないのよ……」

「力の加減がうまくいかないんだね。一日に一回しか使えないから、そこに力が集中し過ぎちゃうのかな?」

 とフルートは言い、ふと思い当たって、そうか、と声を上げました。

「昨日、森の入り口で木がひとりでに倒れたあれも、君の魔法だったんだね?」

 ポポロは情けない顔でうなずきました。

「あの女の人に追いつめられて、逃げ道がなくなって……森に『通して』って頼んだの……そしたら……」

「通せって言って、あれか!」

 とゼンがまたあきれた声を上げました。森の木は大小を問わず根こそぎ倒れて、二キロ以上も奥まで道を作っていたのです。

 とたんにポポロは体を硬くしてうつむきました。その目にまた涙が浮かんできます。

 ポチが足下から言いました。

「ワン、泣かないで。叱っているわけじゃないんですよ」

「おっと、そうそう。泣くなよ。ただ、すごい力だなぁ、と驚いただけなんだから」

 とゼンもあわてて言いました。

 すると、ポポロは自分のスカートをギュッと握りしめました。

「……あたし……自分が怖いのよ……。あたしの魔法は強すぎて、あたしの手には負えないの。このままじゃ、きっと、たくさんの人たちを巻き込んでしまう気がして……それが怖くて怖くて……」

 スカートを握りしめた手が震えていました。

「……あたし、家出してきたの……」

 ぽつり、とポチの上に涙の粒が落ちました。

 

 少年たちはため息をついて立ちつくしてしまいました。ポポロが強力で下手くそな魔法使いでも、彼らはいっこうにかまわなかったのですが、ポポロに泣かれてしまうのだけは苦手でした。どうしていいのかわからなくなってしまいます。

 泣きながら、ポポロは話し続けていました。

「花野をたくさん歩いたわ……それまで全然行ったことがないところまで、ずっと歩いていったら……花野の果てに森があったの。薄緑色の不思議な森。霧がかかっていて……そんな場所あたし今まで全然知らなかったから、思い切って入ってみたの……そしたら、霧がどんどん濃くなっていって……気がついたら、全然知らない花野に出ていたの……」

「それが白い石の丘の花野だったんだ」

 とフルートは言いました。相づちを打って話を聞くしか、やれることがありませんでした。

 ポポロがしゃくりをあげながらうなずきました。

「違う場所なのは、すぐにわかったわ。見たこともない花ばかり咲いていたから。でも、怖くなって、帰ろうと思って後ろを見たら、森はもうなくなっていたの……。びっくりして、お母さんを呼んで、お父さんを呼んで、みんなを呼んで……でも、誰も来てくれなかった……途方に暮れて泣いていたら、おじさんが来てくれたの……」

 おじさんというのは、白い石の丘のエルフのことです。エルフは、迷子になって花野に現れたポポロを家に連れて行き、そのまましばらく面倒を見てくれていたのでした。

 ポポロの国への帰り道は、エルフにもわかりませんでした。ただ、エルフはよく、ポポロにこう言ったというのです。

「道は時が来ればおのずと開かれる。旅立ちのしるしが現れたら、そのときには迷わず出発するのだ」

 だから、ポポロはエルフにフルートたちと行くように言われたとき、反論することもなく一緒に旅立ってきたのでした。

 ポポロはその場にしゃがみ込み、声を上げて泣きじゃくっていました。不安も悲しみも寂しさも、みんな一緒くたになった涙です。

 ゼンが弱り切った顔で、どん、とフルートをこづきました。なんとかなぐさめろよ、と言うのです。けれども、フルートにも何と言っていいのかわかりませんでした。

 

 すると、ポチが伸び上がって、顔をおおっているポポロの手をなめました。

「大丈夫ですよ、ポポロ。エルフが言っていたとおり、ぼくたちは役目を負って出会ったんですから。人のことばを話せるぼくが、役にたっているみたいに、ポポロの魔法だって、きっと役にたつんですよ」

 ポポロが顔を上げました。

「役に……?」

 ポチはその顔をぺろぺろとなめ続けました。

「そう、きっと役にたつんですよ。だから、泣くことなんてないんです」

「っていうか、もう役にたってるよな」

 とゼンがフルートに言ったので、フルートは大きくうなずきました。

「追っ手は振り切れたし、ぼくはスライムから助けられた。ポポロの魔法のおかげだよ」

 ポポロはフルートとゼンを見上げました。涙はポチがすっかりなめてしまっていました。

 フルートはにっこり笑って言いました。

「一緒に行こう、ポポロ。ぼくたちが立ち向かわなくちゃならないのは謎の魔物だ。きっと、君の魔法の手助けが必要だよ」

 すると、ゼンも言いました。

「花を摘むときには花が相手、熊を組み倒すときには熊が相手。俺たちドワーフ猟師のことわざだ。俺たちは実際の力が強い種族だけどな、いろんな相手と実際に取り組みながら、力の加減を覚えていくんだぜ。魔法だって、きっと同じさ」

 ポポロは呆然と少年たちを見つめ続けていました。暴れ馬のような魔力を持つ自分に、力を貸してくれ、と言われているのが信じられませんでした。

 すると、その目の前にフルートが手を差し出しました。

「さあ、行こうよ。早くみんなを魔物から助けなくちゃ」

 ポポロはためらい、自分の右手を見つめました。一日に一度だけですが、大きな魔法を発してしまう手です。おそるおそる、それを伸ばすと、フルートは、力をこめてその手を握り、ぐっとポポロを引き起こしました。

「さあ、出発しよう。めざすはエスタ王国の首都、カルティーナだよ!」

「おう! こんな怪物だらけの森、とっとと抜けちまおうぜ!」

 とゼンも声を上げると、前にも勝る勢いで、行く手の藪をどんどん切り開き始めました。

 そうして、一行は東へ東へ進み続け――

 二日後、無事に闇の森を抜け出したのでした。

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