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第2巻「風の犬の戦い」

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16.谷

 翌日も、子どもたちは朝早くから闇の森を進み続けました。

 ゼンが先頭に立って道を切り開き、ポチ、ポポロ、フルートの順で後に続きます。ゼンは行く手に、ポチは両脇に、フルートは背後にそれぞれ神経を尖らせていましたが、明るくなってからはグールが近づいてくる気配はありませんでした。

 森の中は相変わらず静かすぎるくらい静かです。ゼンが頭上の枝天井を見上げながら言いました。

「鳥や獣がいないからだ。森の奥に入り込んでから動物の気配がまったくしない。こんな森、見たことがないぜ。まるで死んでいるみたいだ」

「ワン。でも、ときどき梢を何かが渡っていきますよ。リスみたいな、小さなヤツ」

 とポチが言いました。

「あれは獣じゃない」

 とゼンが憮然として答えたところへ、ちょうど本当に頭上の枝を小さな生き物が飛び渡っていきました。ゼンはエルフの弓矢を下ろすと、あっというまにそれを射落としました。矢と一緒に落ちてきたそれを見て、子どもたちは思わず息をのみました。全身に緑の毛を生やした蛇のような生き物だったのです。しかも、背中にはコウモリのような翼があり、頭は一つ目の豚そっくりです。ポポロが小さな悲鳴を上げてフルートにしがみつきました。

「気がついていたか? こいつら、朝から何匹も周りを飛び回って、俺たちの隙をうかがっていたんだぞ。まあ、俺たちは獲物にするには大きすぎたみたいだけど、ポチだけだったら、こいつらに襲いかかられていたかもしれないな」

「闇の森か」

 フルートがため息まじりにつぶやきました。

「その名の通り、闇の生き物やたくさんの怪物が棲んでいる森なんだね……。だから、普通の鳥や獣がいないんだ」

「ああ。こんなところで道に迷ったら、あっという間に餌食にされておだぶつだな」

 それを聞いてポポロが不安そうにあたりを見回しました。ゼンが切り開いた道は両脇も行く手も背丈より高い茂みや木におおわれていて、まったく見通しがききません。これが正しい方向かどうか、ポポロにはわからなかったのでした。

 すると、フルートが笑いました。

「心配いらないよ。ゼンとポチがいるんだもの、絶対迷いっこないよ」

「おう。それなら任せとけ。俺たちドワーフは、そもそも真っ暗な地面の中で鉱脈を探して掘り続ける種族だからな。どんなことをしたって方向は見失わないようにできてるんだ」

「ワンワン。ぼくも方角ならちゃんとわかりますよ。だって、犬だもの」

 とゼンとポチが口を揃えて言いました。

 何でもないことのように話す少年たちに、ポポロはつくづく感心してしまいました。

「みんなすごいわ、本当に……」

 

 やがて、昼近くになって、突然森がとぎれました。茂みだけでなく、木も草も一本も生えていない場所に出ます。

「うん?」

 ゼンが警戒するようにあたりを見回しました。様子があまりにも違います。

「谷がある」

 とフルートが行く手を指さしました。土がむき出しになった地面が三十メートルほど先で大きく落ち込んでいました。その谷の向こう側もやはり草さえ生えていない地肌ですが、しばらく先にいくと、突然また森が始まっていました。向こう側は、谷のこちら側よりは少し森が薄いように見えました。

 頭上から初夏の日差しが降り注いできます。暗い森から出てきた目には、しみるようにまぶしい光です。ゼンがまた首をひねりました。

「絶対おかしいな。こんなに明るい場所なのに、どうして草も生えてないんだ? 別に崖崩れがあったわけでもないようなのに」

 疑問の答えを探すように、ゼンはあたりを見回し続けていました。

 フルートは用心しながらむき出しの場所を進んでいきました。谷は左右にずっとのびていて、彼らの行く手をさえぎっています。ポチが一緒についてきたので、ふたりはそっと谷をのぞき込んでみました。

 岩がむき出しになった崖が、十メートルほど下まで続いていました。意外に浅い谷です。底には大小の岩がごろごろ転がっていましたが、想像していたような谷川の流れはありませんでした。そして、谷の中は、崖も底も、やっぱり草木一本生えていないのでした。

 ゼンがやってきて、眉を大きくひそめました。

「川もないのか。何なんだ、この谷」

「水が流れていった跡はあるよ。枯れ川かな」

 とフルートが言うと、ゼンは警戒する顔のまま首を振りました。

「俺たち猟師には、不自然なものには近づくな、ってことわざがあるんだ。ここを離れようぜ。なんだか嫌な予感がする」

 そこへ、おそるおそるポポロがやって来て、少年たちと一緒に、そっと谷間をのぞきこみました。ポチが呼びかけました。

「ワンワン、行きましょう。ゼンが別の道を通ろうって言ってますよ」

「あ、うん……」

 ポポロがあわてて向きを変えたとき、足下から、からりと小石が落ちました。小石は崖の上を転がりながら、谷底へと落ちていきました――。

 

「……!」

 谷から離れて森に戻ろうとした少年たちは、突然、全身が総毛立つような感覚に襲われて足を止めました。

 音ではありません。なにか、空気の中に泡立つような気配がして、それが肌に直接伝わってくるのです。ひどく不愉快な感触です。

 ポチが振り返って目をこらし、たちまち背中の毛を逆立てました。

「ワン! 何かが谷から出てきますよ!」

 少年たちは、即座に身構えました。フルートは剣に手を伸ばし、ゼンは弓を背中から下ろします。

 谷の縁から、何かがせり上がってきました。透き通って光るものが、こちらに向かって音もなく動き始めます。まるで枯れ谷が突然水でいっぱいになり、何十メートルにも渡って、谷から地面に流れ出てきたように見えます。

「なんだ……?」

 目を丸くして驚いているゼンに、フルートが叫びました。

「スライムだ! あれ全部、みんなスライムなんだよ!!」

「ワン、逃げないと! つかまると取り込まれて消化されちゃいますよ!」

 とポチも叫びました。フルートとポチだけは、以前にスライムを見たことがあったのです。

「これがスライムなのか。まるで生きてる水みたいじゃないか」

 と言いながら、ゼンがエルフの矢を続けざまに撃ち込みました。ところが、矢はスライムの中に突き刺さると、そのままあっという間に溶かされてしまいました。スライムにはまったく影響がありません。

「スライムには炎以外は効かないんだよ! 切れば分裂して増えるだけなんだ! 早く逃げて!」

 フルートが仲間たちを背後にかばいながら言いました。炎の剣を振りかざし、迫ってくるスライムに向かって炎の弾を撃ち出します。

 ゴウッ!

 炎の塊が飛び出して炸裂すると、スライムの一部が蒸発し、大きく後退しました。

 ところが、次の瞬間、スライムは大きく地面から離れると、巨大な波のように、高々と持ち上がったのです。ポポロが思わず悲鳴を上げます。フルートは愕然としました。

「ひとつにつながっている! これで一匹なんだ!」

「で、でかすぎるぞ!」

 とゼンも青ざめました。幅数十メートルのスライムは、その体のほとんどがまだ谷の中にあります。フルートの炎の剣でも、とても燃やしきれない大きさです。

 スライムが津波のように迫ってきました。子どもたちはまわれ右をすると、今来た森に向かって全速力で逃げ出しました。

 すると、突然キイキイと甲高い鳴き声が響き渡りました。土の中に隠れていた小さな生き物が、スライムにつかまったのです。ウサギに似ていますが、頭が二つあります。それがみるみるうちにスライムの中で消化されていきます。

「ち。だからこのへんには何もなかったのか。みんなヤツに根こそぎ食われていたんだ」

 とゼンが舌打ちをしました。

 

 フルートは常に仲間たちの最後を走っていきました。ときどき立ち止まって振り返っては、炎の弾を撃ち出します。燃やし尽くすことはできませんが、炎を食らうたびにスライムのスピードが少しゆるみます。その間に子どもたちは走り続け、とうとうゼンとポポロとポチが森にたどり着きました。

「フルート、もういいぞ! 急げ!」

 とゼンが大声で呼びかけます。

 ところが、フルートが前に向き直って、全速力で走り出そうとしたとき、音もなく迫っていたスライムが、突然フルートの足首にとりつきました。

「うわっ!!」

 フルートは勢いよく引き倒されて地面に叩きつけられました。その拍子に、炎の剣を手放してしまいます。あわてて剣をつかみ直そうとした瞬間、フルートの体はスライムに勢いよく引っぱられ、高々と持ち上げられました。

「フルート!!!」

 子どもたちは叫びました。

「くそ! フルートを放せ!」

 ゼンが飛び出して次々に矢を放ちます。が、矢はスライムの体に突き刺さると、あっという間にぼろぼろになって溶けてしまいました。

「ワンワン! フルート! フルート!!」

 ポチも飛び出していきましたが、スライムが襲いかかってきたので、あわてて下がりました。近づくことができません。

「みんな、離れていて!」

 フルートが逆さづりのまま叫びました。スライムはじわじわとフルートの体を飲み込んでいますが、魔法の鎧に防がれて、溶かすことができずにいます。フルートは背中からロングソードを抜くと、足の先からスライムを断ち切りました。フルートがスライムごと下に落ちます。

 ゼンがまっすぐ駆けつけてきて、落ちていた炎の剣を投げ渡しました。フルートはすばやく起きあがると、剣を受け取り、そのまま、体を這い上がってくるスライムに切りつけます。ボッとスライムが燃え上がり、フルートの体は炎に包まれました。

 思わず悲鳴を上げたポポロに、ポチが言いました。

「ワンワン。大丈夫です。あれは魔法の鎧だから絶対に燃えないんです」

「走れ、ゼン! 早く森の中へ!」

 フルートが燃えるスライムをふるい落としながら叫びました。少年たちのすぐ後ろに、巨大なスライムの本体が迫っていました。高々と持ち上げられた体がのしかかるように近づいてきます。一撃で少年たちを押しつぶし、取り込んでしまおうというのです。

 フルートは、また途中で振り返って炎の弾を撃ち出しました。

 けれども、波の壁のようになったスライムは、もう炎を食らったくらいでは止まりません。手前にいるフルートめがけて襲いかかってきます。

「ワン、フルート!!」

 ポチが叫びました。全身をスライムに取り込まれてしまったら、いくら魔法の鎧でも防ぎ切れません。

 フルートの頭上で太陽が歪みました。スライムが頭の真上まで迫ってきて、太陽をさえぎったのです。大きく波打った体が、フルートを一気に飲み込もうとなだれかかってきます。

「フルート――!!!」

 ゼンが絶望的に叫びました。

 

 その時です。

 突然、鋭い声があたりに響き渡りました。

「レオコー!!」

 とたんに、すべてが動きを止めました。崩れる波のように襲いかかるスライムも、その下で押しつぶされそうになっていたフルートも、思わず駆け寄ろうとしていたゼンとポチも……。

 けれども、次の瞬間、ゼンとポチは身を引いて立ちつくしました。

「な、なんだ、こりゃ……」

 スライムとフルートは、彼らの目の前で動かなくなっていました。一瞬のうちに凍り付いて、固い氷に閉じこめられたのです。

 ゼンたちは後ろを振り返りました。

 そこでは、ポポロがスライムを見据え、右手をまっすぐ前につきだして立っていました。その手の指先は、淡い星のような光に包まれていました――。

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