その夜遅く、フルートはたき火のそばに座って不寝番をしていました。食事をしている最中に日が暮れてきたので、彼らは川のほとりで一晩過ごすことにしたのです。
森の中は静かです。たき火の光の輪のなかに、ゼンとポチ、そしてポポロが横になって寝ています。水辺の湿っぽい場所ですが、ゼンが刈り取ったシダを地面に厚く敷き詰めたので、寝心地は悪くなさそうでした。ポポロも、今夜は夢も見ないでぐっすり眠っています。夜の中に子どもたちの規則正しい寝息が続いていました。
それにしても……とフルートは考えました。
ポポロが迷子だったというのは、意外な話でした。ある日いつもより遠出をして帰り道がわからなくなり、気がついたら白い石の丘にたどり着いていたと言うのです。距離や方向を考えれば、ロムドかエスタの国のはずれの方から来たような気がしますが、もの言う犬が住んでいるような不思議な場所の話は聞いたことがありません。ゼンの言う通り、ポポロはエルフの隠れ里から来たのかもしれない、とフルートは考え始めていました。
エルフはこの世界に大昔から住んでいる種族で、今では世界の各地にちりぢりになって、人目につかない場所でひっそりと暮らしています。白い石の丘のエルフは、そうやって隠れ住んでいるエルフのひとりです。白い石の丘の近くには、やはりそんなエルフたちが住む場所があって、魔法で人の目から隠されているのかもしれませんでした。
たき火の炎が揺らめくたびに、子どもたちの寝顔の上で赤い光が踊ります。ポポロの頬の上では、長いまつげの影が揺れています。赤い髪が顔の周りで輝くように光っていて、とてもきれいです。
フルートがそれを眺めるともなく見ていると、ふいにポポロが身じろぎをして目を覚ましました。フルートは、のぞき見をしていた現場を見つけらたように、どぎまぎして思わず真っ赤になってしまいました。炎の赤い光があたりを染めていたのが幸いでした。
ポポロの方はそんなフルートの様子には気がつかず、あたりを見回すと小さなため息をつきました。
「まだ朝じゃないのね……」
不安そうな声でした。
フルートはできるだけ普通の口調を作って答えました。
「今は夜中だよ。……寒いかい?」
ううん、とポポロは首を振り、掛けていた毛布を引き寄せて体に絡めました。
「寒くはないんだけど……夜がこんなに暗いなんて知らなかったから……」
「野宿したことがなかったんだね。ぼくも、初めてお父さんと牧場で夜の番をしたとき、夜ってこんなに暗いんだと思ってびっくりしたよ。でも、あのときは空に星が見えていたな。ここでは星も見えないもんね」
フルートは珍しくちょっとおしゃべりになっていました。ポポロを相手に何をどう話していいのかわからなくなって、でも、沈黙になるのも気まずくて、とにかく思いつくことを話していたのです。
すると、ポポロがまたフルートを見上げてきました。
「フルートにはお父さんがいるのね。お母さんは?」
「いるよ。でも、きょうだいはいない。お母さんは体が弱かったから、これ以上子どもを生むのは無理だったんだって。ポチがぼくの弟みたいなものなんだ。半年前、黒い霧の中の敵を倒しに行くときに出会って、それからずっと一緒に暮らしているんだよ」
「そう。……ご両親は優しい方たち?」
とたんにフルートはほほえみました。大好きな両親のことを聞かれて、初めて気持ちが楽になって、自然にことばが口から出てきました。
「優しいよ。それに、お父さんはすごく物知りなんだ。仲間のおじさんたちと一緒に牧場をやってる。お母さんはいつも家の中にいるよ。パイやケーキを作るのがとても上手なんだ。……ポポロの家族は?」
「あたしも、お父さんとお母さんと三人家族。それから犬もいるわ」
「やっぱりもの言う犬?」
「うん。ルルって言うの。あたしより年上だから、お姉さんみたいな感じね」
遠いふるさとの家族を思い出して、ポポロの瞳がうるんでいました。
フルートは優しいまなざしになりました。
「きっとみんな心配しているね……。でも大丈夫、きっと帰れるよ。ぼくたちはカルティーナに魔物退治に行かなくちゃいけないけど、それがすんだら、一緒にポポロの家を探してあげるからね」
ポポロのふるさとがどこにあるのかはわからなかったのですが、本当にそうしてあげようとフルートは考えていました。
すると、ポポロが急に顔つきを変えて、くるりと後ろを向いてしまいました。体にかけている毛布を顔まで引っぱり上げます。
「ポポロ?」
フルートが不思議に思って声をかけると、思いがけず、固い声が返ってきました。
「あたし……あたし、帰れないの……」
帰れないの、ということばが、帰ってはいけないの、と聞こえた気がして、フルートは驚きました。ただ道がわからなくて帰れないというのとは、ニュアンスが違う響きでした。
ポポロは毛布にくるまったまま、身じろぎもしません。フルートはとまどいながら、訳を聞こうとしました。
そのときです。
そばを流れる川の下手から、パシャンと水を跳ね上げる音が聞こえてきました。
フルートは、はっと耳をそばだてました。
しばらく沈黙があって、また川下から水音が上がります。さっきの音より近づいてきています。
とたんに、眠っていたポチが目を覚まして吠え出しました。
「ワンワンワン! 何かが来ます! 敵です!」
寝ていたゼンが即座に跳ね起きて、かたわらのエルフの弓矢に飛びつきました。フルートも脱いであった兜を取ってかぶると、剣を抜きながら叫びました。
「ポポロ、起きて! 敵が来るよ!」
皆をかばうように川岸に飛び出していくと、ポチが足下に走り寄ってきました。背中の毛を逆立ててうなり声を上げています。
「ウゥゥ……いやな匂いが近づいてきます。この匂いは昔かいだことがある気がする……」
パシャパシャと川に沿って何かが迫ってきていました。一つや二つではありません。
ポポロが毛布から這いだしてきて、青ざめた顔であたりを見回しました。
「なに……? 何が近づいているの……?」
とたんに、ワン! とポチが吠えました。
「思い出した! この匂いはグールだ! 呪われた墓場で出くわしたことがあるんです!」
「グール!」
フルートとゼンは同時に声を上げました。
「グ、グー……?」
「グールだ。死肉食いだ!」
とゼンがポポロに答えました。グールは夜中に墓場から死体を掘り返し、死肉と骨を食らう魔物です。好物は死体ですが、時には生きている人間や家畜も襲うことがあると言われていました。
「ポチ、ポポロについて! ゼン、来るぞ!」
とフルートは炎の剣を構えて叫びました。ゼンも弓にエルフの矢をつがえて待ち受けます。
すると、大きな水音を上げて、川の中から人のようなものが飛び出してきました。ぬらぬらした手を伸ばしてフルートにつかみかかってきます。フルートはあわてて身をかわし、剣でなぎ払いました。すさまじい悲鳴が響き渡り、怪物が火に包まれます。フルートの炎の剣には、切ったものを燃やす力があるのです。
燃え上がる怪物が、周りの川面を照らし出しました。とたんに、フルートたちは思わずを息をのみました。
グールは、川筋をたどって、何十匹という大群でこちらへ押し寄せてきているのでした――