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第2巻「風の犬の戦い」

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第3章 闇の森

13.もの言う犬

 フルートとポポロ、ゼンとポチは二頭の馬に乗って、闇の森を進んでいきました。木や草が根こそぎ倒されてできた道をたどって、奥へ奥へと入っていきます。

 ところが、やがてその道が行き止まりになり、生い茂った植物の壁に行く手をふさがれてしまいました。馬上で伸び上がって森の奥を見透かそうとしても、ぎっしりと生えた木と太い蔓草にさえぎられて、まったく視界がききません。

 ゼンはため息をつきました。

「案の定か。これ以上馬では行けないな」

「ここから先は歩いていくしかないね」

 とフルートも言うと、先に馬から飛び下りてポポロが鞍から下りるのに手を貸しました。

「これからどうするの?」

 とポポロが心配そうに尋ねてきました。森は鳥の声ひとつなく、奇妙な静けさに包まれています。

 馬から荷物を下ろしながらフルートは答えました。

「エルフは森を越えてカルティーナに向かえって言ったんだ。このまま進み続けるよ。馬は白い石の丘まで帰そう。きっとエルフが面倒見てくれると思う」

「そうだな。おいポチ、通訳を頼むぞ」

 とゼンに言われて、ポチがワンワンと馬たちに話を伝え始めました。

 やがて、二頭の馬は空になった鞍だけを乗せて、今来た道を駆け戻っていきました。緑の中に馬の姿が見えなくなり、蹄の音が完全に聞こえなくなるまで、フルートたちはずっと見送っていました。

 

 それから、子どもたちは森の中を進み始めましたが、大活躍したのは先頭を行くゼンでした。荷物に入れたあった山刀で、行く手をふさぐ枝や蔓草を刈り取り、どんどん道を切り開いていくのです。そのスピードには、他の子どもたちはただ感心するばかりでした。

「夏場の山はこんな場所ばかりだぜ。慣れてるさ」

 とゼンが何でもなさそうに言いました。

 できたばかりの道を通っていくと、両側から迫ってくる木の枝や蔓草以外のものは、何も目に入りません。見上げても空も見えません。頭上には分厚く木の枝が重なり合い、それが暗い天井のようになっていました。鳥や獣の姿は見あたりませんが、時折藪の中から羽虫の群れがわっと飛び立ちます。そのたびにポポロが小さな悲鳴を上げて飛びのきました。

「ワン、その虫は刺さないから大丈夫ですよ」

 とポチがポポロに話しかけました。

「ただ、こっちのアブはイヤだな。さっきからずっとつきまとって離れないんです」

 黒い大きなアブやハエが数匹、しばらく前からずっと子どもたちの周りを飛び回っているのでした。

「俺たちのせいだな。血の匂いにひかれてきてるんだ」

 とゼンが言いました。ゼンとポチは、刺客との戦いで負傷したときの血を、服や体につけたままでいたのでした。

「血の匂いをさせてるのはまずいよね。どこかに水があるといいんだけど」

 とフルートが言って、あたりを見回しましたが、緑が濃すぎて何も見つけられませんでした。

 

 やがて、行く手に水を見つけたのはポチでした。鼻をひくひくさせて、水の匂いがする、と言い出し、そちらの方向に進むと本当に小さな川に出会いました。シダや草が生い茂る中、植物の根元を洗いながら、冷たい水が流れていました。

「ワンワン。この水は飲んでも大丈夫。とてもきれいな水ですよ!」

 とポチが太鼓判を押したので、子どもたちはそこでひと休みして、食事もすることにしました。

「あぁあ。こんなに血だらけだったのか。もう使い物にならないな」

 ゼンが脱いだシャツを見てぼやきました。シャツの背中は半分以上血で固まっていたのです。川の水で布を絞って、それで体を拭き始めます。

 ポチも水に飛び込んで体の血を洗い流そうとしましたが、なにしろ出血してから時間が経っていたので、固まってしまってなかなか落ちません。すると、ポポロが靴を脱ぎ、ズボンの裾をたくし上げて川の中に入ってきました。黙ったままポチに近づき、毛に水をかけてはこすり始めます。ポチは尻尾を振って、嬉しそうに少女を見上げました。

 ポポロはそのまましばらく一生懸命ポチを洗っていましたが、そのうちに、ふと手を止めました。腹の下の、ひときわ血の塊が濃い場所に出くわしたのです。ポポロは涙ぐみました。

「ごめんね、ポチ……あたしのせいで、こんなに怪我をさせて……」

 少年たちは、思わず振り返りました。なんだか、こんなことばをポポロの口から聞くのは初めてのような気がしました。

 ポチは、また尻尾を振って答えました。

「大丈夫ですよ。フルートが金の石で治してくれたから、もう全然何ともないんだもの。それに、これくらいの怪我なら、ぼく、しょっちゅうしているんです」

「それはそれで問題だけどな」

 とゼンが苦笑いしながら言いました。ポチは仲間の中で一番小さくて弱いので、どうしても怪我をすることが多いのでした。

 ポポロがまだ泣いているので、ポチが言いました。

「ワン。そんなことよりぼくは、ポポロがぼくを怖がらないことの方が嬉しいな。ぼくがしゃべっても、ポポロは全然びっくりしないでくれるんだもの」

 すると、ポポロは涙ぐんだ目で、え? と不思議そうな顔をしました。

「どうしてびっくりするの?」

 この答えには、少年たちが驚きました。一瞬言うべきことばが浮かびません。

 けれども、すぐにフルートが気がつきました。

「もしかして……ポポロのいたところでは、犬がしゃべるのは当たり前なの?」

 すると、ポポロはますます驚いた顔になりました。

「ここじゃ犬は全然しゃべらないの?」

 少年たちは顔を見合わせました。ものを言う犬が当たり前に住んでいる場所の話など、今まで聞いたこともありません。

「ポポロ、おまえ……どこから来たんだよ!?」

 とゼンは思わず声を上げました。

 

 川のほとりに小さなたき火をおこし、そこで食事をしながら、子どもたちはポポロの国ともの言う犬の話をしていました。

「あたしたちの国に名前はないの……。あたしたちはただ、『世界』とか『花野』って呼んでいるんだけど……」

 ポポロが少年たちに問われて、ぽつぽつと語り出していました。

「花野?」

 とフルートは聞き返しました。

「うん。野原には一年中花がたくさん咲いているの……。おじさんの白い石の丘に似ているわ」

「ふぅん。エルフの隠れ里かなんかかな」

 とゼンが言いましたが、ポポロにはわからないようでした。生まれたときからその場所に暮らしていたので、それが当たり前で、ことさら自分の世界について考えたこともなかったのです。自分がエルフなのかどうかもよくわからないようでした。

「ワン。それで、ポポロの国にはものを言う犬はたくさんいたんですか?」

 とポチが尋ねました。初めて聞く、自分以外のもの言う犬の話に、食事をすることさえ忘れて身を乗り出しています。

「たくさんいるわ……。犬の半分くらいは人間のことばを話せるの。残りの半分は犬語しか話せないけど。あたしたちは、長命種と普通種って呼んでるわ……」

「長命種――長生きするってこと?」

 とフルートがまた聞き返しました。手にはゼンが作ってくれた煮込み料理の器を持っていますが、フルートもそれを食べるのを忘れていました。

「ええ、そう。普通種は十五、六年くらいしか生きられないけど、長命種は人間と同じくらい長生きするの」

 とたんにフルートとポチが顔を見合わせました。

「なんだ?」

 とこちらはどんなときでも食べることを忘れないゼンが、干魚と乾燥野菜の煮込みをかきこみながら尋ねました。

 フルートは、そっとポチの背中に手をやりました。

「ポチさ……こう見えても、もう九才なんだよ」

「九才? 犬としちゃ、もう立派な大人じゃないか」

 とゼンは意外そうな顔をして、それから突然ぴしゃりと自分の膝を叩きました。

「だよなぁ! 黒い霧の沼で戦ってから、もう半年経っていたんだ! ポチがただの犬だったら、もうとっくに大人の犬になっているはずだったんだよな。おまえ、それこそ長命種の犬だったんだ!」

 ポチがとまどった顔をしました。

「ぼく、昔からなかなか大きくならなかったんです……。ぼくのきょうだいたちはみんな、どんどん大きくなって、一年もたったら、すっかり大人になっていたのに、ぼくだけいつまでたっても小さな子犬で……。だから、みんなから気味悪がられたり馬鹿にされたりしていたんだけど……」

「長命種は人間と同じように、ゆっくり大人になっていくのよ。九才だったら、まだまだ子どもだわ」

 とポポロがなぐさめるように言いました。

 フルートは考え込みました。

「ポチの話だと、ポチのお母さんやきょうだいはみんな短命な普通の犬だったみたいなんだ。ポチは、お父さんはわからないって言ってる。もしかしたら、それがポポロの世界の長命種の犬だったのかもしれないな」

「あるな、そういうこと。みんな母犬に似てるのに、一匹だけ父犬の毛色とそっくりだとかさ。だとしたら、ポチだけが人のことばを話せるのも納得だ」

 とゼンがうなずきました。

 ポチは尻尾を大きく振りながら、ポポロの膝に前足をかけてのぞき込みました。

「ワン! ポポロの世界っていうのは、どこにあるんですか? どうやったら、そこに行けますか!?」

 とたんにポポロは顔色を変え、ポチから目をそらしてうつむきました。

「わからないの……」

「わからない?」

 少年たちはいっせいに聞き返しました。

「うん、わからないの……。だって……あたし、迷子なんだもの……」

 そう言って、ポポロはスカートの裾を握りしめました。その手は小刻みに震えていました。

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