「勇者フルートの冒険」シリーズのタイトルロゴ

第2巻「風の犬の戦い」

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12.形勢逆転

 「む?」

 黒ひげの男が、いぶかしそうな顔をしました。

「なんだ……どうして死なん」

 力をこめて首を締め上げているのに、フルートはまだ息をしていました。もう抵抗する力もなくして、ぐったりとなっているのに、それでも息の根を止めてしまうことができないのです。

 男はフルートの右腕を押さえていた手を放すと、両手に満身の力をこめて首を絞めました。華奢な子どもの首です。首の骨もろともへし折って、即死させられるはずでした。

 が、やはり、フルートはかすかに息を続けていました。どうしても完全に息の根を止めることができないのです。まるで、ぎりぎりのところで、なにかが男の力に抵抗を続けているようでした。

 すると、フルートの胸からふいに淡い金の光が立ち上りました。かげろうのように空へ立ち上り、金のきらめきを放って、あっという間に消えていきます。

 目を見張った男は、たちまち合点のいった顔になりました。

「それか……! そこにある魔法の石が、おまえを守っているんだな!」

 男はフルートの首にかかった鎖をつかむと、鎧の中から金の石のペンダントを引き出しました。そのまま鎖を引きちぎって取り上げようとします。フルートはまったく動けません。

 

 その時、ひょぉぉ……と遠い風のような音が上空から聞こえてきました。男はふいに嫌な予感に襲われて振り返りました。その背中に一本の矢が深々と突き刺さります。

 男は大きな悲鳴を上げて飛びのきました。矢は分厚い皮の胸当てを貫通し、矢尻が胸の前まで飛び出しています。白い矢羽根のエルフの矢です。ゼンが金の石の光めがけて放ったものでした。

 フルートは、ようやく息ができるようになって、倒れたまま浅く呼吸をしました。たちまち呼吸が楽になって、もうろうとしていた意識がはっきりしてきます。魔法の金の石がフルートを癒しているのでした。

 フルートはよろめきながら立ち上がりました。締め上げられた首がずきずきと痛んでいましたが、それもじきに薄れて消えていきました。

「ふぅ……」

 フルートは大きく息をすると、目の前に倒れている男を見ました。急所は外れたようですが、深く突き刺さった矢を抜くことができなくて、のたうち回っています。

 と、その目が怒りを込めてフルートを見上げました。

「形勢逆転か……くそ、まさか矢が飛んでくるとは思わなかったぞ」

 そう言って、激痛にまた大きくうなります。

 黒ひげの男にはもう武器はありませんでした。襲ってくる力も残っていません。フルートはロングソードを背中の鞘に収めると、転がっていた兜を拾い上げて、その場を離れていこうとしました。

「ま、待て!」

 男が呼び止めました。

「と、とどめを刺していかないのか……。見逃せば、俺はまたいつかおまえを襲うぞ。つまらん情けはかけるな……」

 脂汗を流しながら、男が言います。フルートは小さなため息をついて答えました。

「やりたくないことは、やりたくないんだよ。例え甘いって言われてもね」

 そして、フルートは身をひるがえすと、男をその場に残し、森に向かって草原を走り始めました――。

 

「ゼーン! ゼン、どこだい!?」

 フルートが呼び続けていると、やがて、行く手の草の中からゼンの声が聞こえました。

「おーう、フルート。ここだぞ、ここだぁ……」

 声を頼りに進んでいくと、ふいに草が踏みにじられた場所に出ました。真ん中にゼンが座りこんで、片手を背中に回し、自分の体を抱きかかえるような格好をしています。その背中が血で真っ赤に染まっているのを見て、フルートは息を呑みました。

「ゼン! 大丈夫!?」

「あんまり大丈夫じゃないかもな。ちぃと出血が多い……。頭がぼんやりしてきていたところだ。ちょうど良かった」

 そう言いながらも、ゼンはにやりと笑い、すぐに、あ、いてて、とうめきました。フルートは大あわてで首からペンダントを外して金の石をゼンの体に押し当てました。あっという間に出血が止まり、傷が消えていきます。

「治った治った! 相変わらずすごい効き目だなぁ!」

 とゼンは笑顔で跳ね起きました。腕をぐるぐる回してみて、痛みが残っていないのを確かめます。

 すると、すぐ近くの草の中から、情けなさそうな馬の声が聞こえてきました。見ると、馬が横倒しになっていて、剣を持った男が下敷きになって気を失っていました。

 ふん、とゼンは鼻を鳴らしました。

「俺のここに傷をつけたヤツさ。腹が立ったから、馬ごと持ち上げてぶん投げてやったんだ」

「その傷で?」

 とフルートは血に染まったゼンの背中を見ながら、あきれて聞き返しました。ドワーフというのは、本当に怪力で頑丈な種族なのです。

 

「さてと、ポポロが心配だな」

 とゼンが森の方を眺めながら言いました。

「先にポチと一緒に行かせたんだが、あのお嬢ちゃんじゃ、馬から振り落とされてるかもしれないからな」

「追っ手はみんな倒したんだね? ぼくの方は男を二人やっつけたけど」

 とフルートが言うと、ゼンは急に顔色を変えました。

「ひとり足りないぞ。……あの女占者だ!」

「ポポロを追ったんだ!」

 とフルートも青ざめます。

 ゼンは草原に向かってピーッと口笛を吹きました。たちまち蹄の音を立てて黒馬が駆けつけてきます。ゼンとフルートはその背中に飛び乗ると、森に向かって駆け出しました。

 すると、行く手の森で突然不思議なことが起こり始めました。

 風もないのにふいに森の木がざわざわと鳴りだしたと思うと、枝が大揺れに揺れ、幹が大きく傾いで、横倒しになっていったのです。それも一本二本ではありません。巨大な木が、まるで見えない巨人に押し倒されていくように、根こそぎ抜けて、ばたばたと倒れていくのです。あたりにはすさまじい地響きが鳴り渡ります。

「お、おい……なんだこりゃ」

 ゼンが思わず馬の手綱を引きながら言いました。フルートもあっけにとられてその光景を眺めていました。森の木々は、自分からどんどん倒れ続けていきます。けたたましい悲鳴を上げながら、鳥や獣たちが木の梢から飛び出していくのが見えます。

 けれども、数分後、森はまた静かになりました。森は土埃と飛び散った木の葉や草でけむっています。フルートはふいに我に返って言いました。

「ポチとポポロを探そう!」

「おう!」

 ゼンはすぐさま馬を駆ると、森に向かってまっしぐらに走っていきました。

 

 森に入ってみると、異様な光景が目に飛び込んできました。森の中の木という木、植物という植物が、十メートルほどの幅で左右に倒れているのです。本当に、まるで透明な巨人が木を両脇に押し倒しながら森の奥へ進んでいったようです。掘り返された土とちぎれた草の湿った匂いが、森中に充満しています。

「ポチ! ポポロ!」

 フルートたちは声に出して呼びながら、木が倒れてできた道を、慎重に進んでいきました。

 すると、間もなく白い子犬がよろめきながら姿を現しました。

「ワン……フルート、ぼく、ここです……」

 子犬は傷だらけで、全身血で真っ赤に染まっていました。フルートはまだ動いている馬から飛び降りると、子犬に駆け寄りました。

「ひどい怪我だ! 待ってて、すぐに治してあげるよ!」

 フルートが金の石をポチの体に押し当てている間に、ゼンも駆けつけて尋ねました。

「いったい何があったんだ? なんでこんなに木が倒れているんだよ? ポポロはどうした?」

「ワン、わからないんです」

 とポチが答えました。困ったような顔をしていますが、石の力のおかげで傷が治り、また元気を取り戻していました。

「あの黄色い服の女占者が追いかけてきたんです。剣がついた杖を持ってました。ぼくはポポロを逃がそうとしたんだけど、占者はぼくを刺してポポロを追いかけていって……そしたら、いきなり森の木が音を立てて倒れ始めたんです」

 フルートたちは思わずまた、あたりを見回しました。大人が二、三人がかりでやっと手を回せるような巨木が無造作に倒れています。本当に、何があったというのでしょう。

 

 すると、ポチが耳をぴくりと動かして聞き耳を立てました。

「馬の声です。フルートの馬が助けを呼んでます!」

 ポチの後について、声を頼りに駆けていくと、ほどなく、馬とポポロが倒れた木の下敷きになっているところに出ました。太い木の枝が上にのしかかっていて、身動きできなくなっています。馬が長い首をもたげて、必死でいななき続けていました。

「よしよし、今助けるよ!」

 フルートは馬に呼びかけると、すぐにポポロに駆けつけました。

「ポポロ! ポポロ、大丈夫……!?」

 すると、少女がすぐに目を開けました。緑の目を見張ってフルートを見上げ、こんな状況なのに、ふいに泣きそうな顔でほほえみました。

「よかった……! あの女の人が、フルートとゼンはもうすぐ死ぬ、なんて言ったから、あたしてっきり……。ゼンは?」

「ここにいるぜ」

 とゼンはポポロの視界に姿を現すと、上にのしかかっている大枝に手をかけました。そのまま気合いを入れて、ぐっと木を持ち上げます。

「せぇいっ!!」

 大木は地響きを立ててわきに転がりました。

 自由になった馬が、すぐに立ち上がりました。ワンワン、とポチが駆け寄って怪我の具合を聞きます。ポポロはまだ倒れたままでしたが、フルートが金の石を押し当てると、すぐに動けるようになりました。

 ポポロはびっくりしたように自分の体を見回しながら立ち上がりました。

「もう全然痛くないわ……怪我が治ってる。フルート、あなた、魔法使いだったの……?」

「違うよ」

 フルートは笑うと、今度は馬に金の石を押し当てました。

「これの力だよ。これは癒しの石なんだ」

 目の前で馬の体の傷が治っていくのを見て、ポポロも金の石の魔力に納得したようでした。

 

 その時、少し離れた場所から短いうめき声が聞こえてきました。

 行ってみると、倒れた栗の大木の下で女占者が気を失っていました。そばではぶち馬が息絶えています。まともに木の下敷きになったのですが、その馬の体のおかげで、占者の方は木に押しつぶされずにすんだようでした。

「おい、こいつまで助けようとするなよ」

 とゼンが釘を刺したので、フルートは思わず苦笑しました。

「いくらぼくでも、そこまでお人好しじゃないよ。この人を治したら、それこそ、すぐにまた追いかけてくるじゃないか。このまま、ここに残していこう。きっと仲間が探しに来るよ」

「おう。それにしても――」

 ゼンは改めて目を上げると、めちゃくちゃになった森の中を見回して首をひねりました。

「これはこの女がやったのか? 自分で倒した木に下敷きになるなんて、えらくドジな話じゃないか」

「とにかく、この跡を通って行こう。追っ手が来る前に逃げなくちゃ」

 そこで、フルートとポポロは茶毛の馬に、ゼンとポチは黒毛の馬にそれぞれ乗ると、木が倒れてできた道を通って、森の奥へと入り込んでいきました。

 

 その日遅く、荷車を引いた馬が荒野を走っていました。荷車の中には、男が三人と女がひとり、全身に包帯を巻かれ、うめき声を上げて横たわっていました。エスタからの刺客と占者です。

 肩に包帯を巻いて腕をつるした男がひとり、馬に乗って荷馬車に並んでいましたが、やがて、御者席の男に話しかけました。

「いいのかよ、頭? 奴らの跡を追わなくて……。森の奥に入っていく足跡がはっきり残っていたじゃねえか。追いかけてとどめを刺さねえと、エラード公からなんてどやされるか」

「片腕が動かなくて剣も使えないヤツが何をぬかす」

 と御者席から黒ひげの男が鋭い目を向けました。そう言っている黒ひげ自身も、胸に分厚い包帯を巻いていて、ときどき襲ってくる痛みに顔をしかめています。

「こっちはシナをやられたんだ。占者なしで闇の森に入って行くなんざ、自殺行為もいいところだぞ」

 とたんに、片腕の男が意味ありげに笑い出しました。

「へへへ、そうか……確かにそうだな。あのガキどもは闇の森に入っていったんだ」

 黒ひげはうなずき返しました。

「俺たちが手を下すまでもなく、森がヤツらを始末してくれるだろう」

 すると、片腕の男が森の方角を振り返りながら言いました。心なしか、薄ら寒そうな顔をしています。

「なあ、頭……森の木が根こそぎぶっ倒れていたアレも、森のしわざかな?」

「さあな。何しろ相手は闇の森だ。何が起こったって不思議はないだろう」

「そうだな……」

 それきり、片腕の男は黙り込みました。

 黒ひげは行く手に目を向け直すと、馬の歩みを見つめながら、ごく低い声でつぶやきました。

「もしも闇の森を抜けてきたら、それこそ本物の勇者と言うことになるんだろうが……さて、そんな見物にお目にかかれるかどうか」

 どこか期待をしているような響きもある声でしたが、つぶやきは馬の蹄の音にかき消されて、かたわらの手下の耳には届きませんでした。

 荷車は、街道を経てエスタの国へ戻るために、まっすぐ荒野を進み続けていました。

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