「勇者フルートの冒険」シリーズのタイトルロゴ

第2巻「風の犬の戦い」

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9.草原

 その日一日、子どもたちは東をめざして進み続けました。

 追っ手が後ろから迫っていますが、ポポロが馬に慣れていないので、馬を早駆けさせることができません。少年たちは背後を気にしながら、できるだけ馬を急がせていました。

 ときどき、ゼンが自分の馬を走らせて行く手や背後の様子を偵察に行きました。花野が終わった後は、背の高い草が一面に生い茂る草原になりました。追っ手は姿を見せませんでしたが、その代わり、めざす国境の森もなかなか見えてきませんでした。

 ポポロはフルートに支えてもらいながら、なんとか馬に乗り続けていました。けれども、乗馬は慣れていない人間にはとても疲れるものです。一日中揺られ続けているうちに、ポポロの顔色はどんどん悪くなっていき、日が大きく西に回った頃、とうとう鞍からすべり落ちそうになりました。

「危ない!」

 フルートはとっさに後ろからポポロの体を抱き止めると、前を行くゼンに呼びかけました。

「ゼン、もうこれ以上は無理だ! 今日はもう進めないよ!」

 ゼンが舌打ちしながら駆け戻ってきました。

「冗談じゃないぞ。まだ予定の半分も来てないじゃないか。こんなことじゃ、あっという間に刺客に追いつかれちまうぞ」

「でも、無理なものは無理だよ。これ以上進んだら、ポポロが倒れちゃう……。今日はここで野宿しよう」

 ゼンは大きなため息をついて天を仰ぐと、すぐに馬で走っていきました。今夜キャンプするのに良さそうな場所を探しに行ったのです。

 ポポロは疲れで意識がもうろうとしているようで、フルートにぐったりと寄りかかったまま、一言も口をききませんでした。フルートは片腕でポポロの体を抱いたまま、慎重に馬を進めて行きました。

 

 やがて、子どもたちは草原の中に小さな川を見つけて、そのほとりで夜を過ごすことにしました。ゼンが草を切り倒して空き地を作り、ついでに刈った草を敷き詰めてベッドを作りました。ポポロは、草の上にかけた毛布の上に横になると、もうそれっきり起きあがることもできませんでした。ほとんど食事もとらず、ただ、うとうとと眠り込んでいます。試しにフルートは癒しの金の石をポポロに押し当ててみましたが、石の魔力はただの疲れには効かないようで、少しも元気になりませんでした。

 その様子に、少年たちはまたため息をつきました。

「なあ、フルート。やっぱり無理だぞ」

 とゼンが言いました。

「エルフの予言通りなら、明日には刺客が追いついてくる。馬にも乗れないヤツと一緒じゃ、とても逃げ切れないぞ。かといって、あのお嬢ちゃんが戦えるわけもない。誰かを守りながら戦うってのは、相当きついぞ」

「うん……でも、おいていくわけにもいかないよね」

 とフルートは答えましたが、内心ではゼンに負けないくらいポポロの心配をしていました。追っ手に見つかる前に、国境の闇の森に逃げ込めればいいのですが、その時間があるかどうかがわかりませんでした。

「ワン。いざとなったら、ぼくがポポロを守って戦います」

 とポチが勇敢に言いました。ゼンは苦笑いの顔になると、ぽんぽんとポチの頭をなでました。ポチは小さな子犬です。どんなにがんばっても、力のほどは知れているのでした。

 フルートはたき火の火を見ながら、じっと考え込みました。敵に追いつかれたらどうしたらよいか、頭の中で必死に考えをめぐらします。

 

 すると、火の向こう側で横になっていたポポロが、ふいに身動きをして、くぐもった声を出しました。

「……お母さん……」

 少年たちは思わず顔を見合わせました。

 すすり泣くような声が聞こえてきます。ポポロは夢を見ながら泣いているのでした。埃だらけの頬の上を、涙が二筋流れていきます。

 それを見て、ゼンは突然自分の頭をかきむしりました。

「ああ、もう、どうしていいかわかんねえ! 俺はもう寝るぞ!」

 そうわめくと、火のそばにごろりと転がって寝てしまいます。

 ポポロが夢を見ながら泣いている声はまだ続いていました。ポチは立ち上がると、ポポロのかたわらに行って、すぐそばに横になりました。眠っているポポロの顔を、そっとなめてやります。やがて、すすり泣きの声は低くなっていって、ポポロはまた静かに眠り始めました。

 フルートは、ほっとすると、またたき火の炎を見つめました。本当に、どうしたらいいのでしょう……。巨大で強い魔物と戦うよりも、今のこの状況の方が、ずっと困難で大変なように感じられます。

 フルートは、鎧の内側から金の石のペンダントを引き出して眺めました。石はたき火の光を返して柔らかく光り輝いています。

「お願いだ、金の石。みんなを守ってよ」

 フルートは、そっと石に呼びかけました──。

 

 翌朝になると、ポポロはまた少し元気を取り戻しました。

 相変わらずほとんどしゃべりませんが、それでもゼンが作った朝食を食べ、フルートに手伝ってもらって、また馬にまたがりました。前の日一日中馬に揺られていたので、おそらく体中が痛んでいたはずですが、ポポロは一言も弱音を吐かずにまた馬に乗っていきました。

 フルートはポポロの後ろに乗りながら、ときどき手綱をポポロに渡して、馬の操り方を教えました。

「右に行かせたかったら、手綱の右側を開けてこう……左に行かせたかったら、こう左側へ……進ませたかったら、腹を足で軽く蹴るんだ。強くやる必要はないよ。この子はおとなしい馬だから、焦らなくてもちゃんということを聞いてくれるからね」

「そう。手綱につかまるんじゃなくて、両足でしっかり馬の腹をはさむ感じで……。手綱は馬に合図を伝えるものなんだよ。手綱を引けば、馬は止まる。でも、強く引きすぎないで。馬がびっくりして、危ないからね」

 フルートが優しく、根気強く教え続けたので、やがてポポロも少し乗馬が様になってきました。馬の上に背筋を伸ばして座れるようになったのを見て、ゼンが言いました。

「ふん、ちょっとはそれらしくなってきたな。あとは早駆けができるようになれば上出来だ」

 フルートは思わず苦笑しました。

「一度にそこまでは無理だよ。まずは馬を歩かせられるようにならなくちゃ」

 

 追っ手のことも忘れて、のんびりと会話しながら歩みを進めているように見えますが、内心、少年たちは本当に焦っていました。今日になって、風向きが変わり、風は向かい風になっていました。ポチの鼻も、追っ手の匂いをかぎつけることができません。フルートがポポロに手綱さばきを教えているのも、考えがあってのことでした。

 ゼンがポチと一緒に、何度となく前へ後ろへ斥候に走りました。行く手に森が見えてこないか、後ろから追っ手が現れないか、目をこらして眺めます。

 午後になって、行く手からゼンが歓声を上げて駆け戻ってきました。

「やったぞ、フルート! 森だ! 森が見えてきたぞ!」

「本当!?」

 フルートも目を輝かせました。

「ああ。三キロくらい先のところに森が広がってる。えらくでかくて暗い森だ。国境の闇の森に間違いない」

 ゼンがそう答えたときです。ふいに、風向きが変わりました。ざぁっと音を立てて、背の高い草がいっせいに行く手に向かってなびきます。

 とたんに、ポチが全身をびりっと震わせました。

「ワンワン! 追っ手です! 後ろから馬に乗って近づいてきます! 一、二、……大勢いますよ!」

 風が背後の追っ手の匂いを運んできたのでした。

 少年たちは一気に緊張しました。ポポロは悲鳴を上げると、思わず馬の手綱を取り落としました。

 フルートは手綱をつかむと、ぎゅっとポポロの体を後ろから挟み込むようにして言いました。

「鞍にしっかりつかまっていて! ゼン、走るぞ!」

「おう!」

 ゼンも声を上げると、馬の横腹を強く蹴りました。二頭の馬が草原の中を蹄の音を立てながら走り始めます。

「……!」

 ポポロは真っ青な顔で鞍にしがみついていました。振り落とされないように、それだけに必死になっています。

 先を行くゼンの馬から、ポチが振り向いてまた言いました。

「ワン! まっすぐ近づいてきます! ぼくたちのいる場所がわかっているみたいです!」

 ちっ、とゼンが舌打ちしました。

「占者が一緒にいるって言ってたっけな。草の中に隠れて行こうとしても無駄か」

「とにかく走るんだ! 森に逃げ込もう!」

 とフルートは言い、背後の気配に神経をとぎすましました。

 間もなく、行く手にゼンが言っていた森が見え始めました。ロムドの北にある黒森を思わせる、巨大で暗い森です。しかも、こちらの森の方が緑が濃く、うっそうとしているように見えました。

 近づいてくる森を見ながら、ゼンが眉をひそめました。

「やばいな……あの森は馬では入れないかもしれないぞ」

 その時、フルートは背後に蹄の音を聞きました。

「ゼン、来たぞ!」

「ワン、敵が来ました!」

 フルートとポチが同時に叫びました。

 草原の中を駆けてくる馬の群れが見えました。その背中には大人たちが乗っています。フルートは後ろを振り向いて素早く数え、追っ手が六人なのを確かめました。追っ手は、フルートたちよりはるかに速いスピードで、どんどん追いついてきています。とても逃げ切れません。

 フルートはふいに馬を立ち止まらせると、頭をめぐらせて追っ手に向き直りました。手綱を左手に握り、右手で背中のロングソードをすらりと抜きます。

「フ、フルート……」

 ポポロは震えていました。

「大丈夫だよ。しっかりつかまっていて」

 そう言うと、フルートは剣を構えて敵を待ち受けました――

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