「勇者フルートの冒険」シリーズのタイトルロゴ

第2巻「風の犬の戦い」

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8.出発

 翌朝、子どもたちが目を覚ましてみると、家の中にエルフはいませんでした。ただ、昨日食事をした居間に朝食が準備され、壁際に修理のすんだゼンの弓が立てかけてありました。

「やった。これでまた戦えるぞ!」

 ゼンは喜んで弓に駆け寄ると、張り直された弦を何度も指先ではじいてみました。

 そこへ、薄い布のカーテンをくぐり抜けて、奥の部屋からポポロが出てきました。今日は灰色のズボンの上に丈の短めな赤茶色のスカートをはいて、動きやすそうな格好をしています。長い赤い髪は昨日と同じように三つ編みのおさげにしていました。

「あ、お、おはよう」

 とフルートたちはあわてて挨拶をしましたが、ポポロは青ざめた顔で黙ってうなずき返しただけでした。なんだか泣き明かした後のような、はれぼったい目をしています。

 フルートは心の中で困惑しながら聞きました。

「ええと……エルフはどこかな?」

 ポポロは今度は首を横に振りました。わからない、と言うのでしょう。しかたないので、子どもたちはとにかく、朝食を食べることにしました。食事の間中、子どもたちはまた一言も口をききませんでした。ぎくしゃくした堅い空気が部屋を漂っています。

 

 食事がすんでも、エルフは戻ってきませんでした。

 外に様子を見にいったゼンとポチが駆け戻ってきて言いました。

「おい、フルート、家の外に俺たちの馬が準備されてるぞ!」

「ワン! 食料も水も、もうすっかり積み込んであります! ポポロの毛布とかも。エルフが準備してくれたんですよ」

「エルフはいないの?」

 フルートは、はっきりと困った顔つきになると、そばに立っているポポロを見ました。少女は、食事の時よりももっと青い顔をして、今にも泣き出しそうな様子でうつむいていました。

「追っ手が迫ってきてる。もう出発しなくちゃならないぞ」

 とゼンが厳しい声でまた言いました。

 フルートはうなずくと、思い切ってポポロに話しかけました。

「ポポロ、エルフは昨夜ああ言っていたけど、ぼくたちは、君が一緒に来ない方がいいと思うんだ。ぼくたちは悪い奴らに後を追われてる。無事にカルティーナまで着いても、今度は魔物と戦わなくちゃならない。君をどこまで連れて行ってあげなくちゃならないのかわからないんだけど、ぼくたちと来るのは、あまりにも危険だと思うんだ。君はここに残った方がいいよ」

 後ろでゼンとポチが、まったくそのとおり、とうなずいていました。

 ポポロはしばらくの間、何も言わずにうつむき続けていました。けれども、やがて真っ青な顔を上げると、目に涙を浮かべながら、こう答えました。

「あたしは……行かなくちゃいけないんです。おじさんにそう言われたから……」

 後ろでゼンが大きなうめき声を上げました。ポチも心配そうな顔で少女を見つめます。けれども、フルートは、なんだかはっとする思いでいました。エルフに言われたから行かなくちゃいけない、と言っているポポロの姿が、金の石に呼ばれている自分自身に似ているように思えたからです。

 ぐずぐずしている時間はありませんでした。ゼンの言うとおり、危険な追っ手が迫ってきています。

 フルートはポポロと仲間たちに言いました。

「よし、それじゃ出発しよう。みんな、荷物を持って外に出るんだ」

「おい、フルート……!」

 ゼンが最後まで抗議するような声を上げましたが、フルートは首を横に振って見せました。

「小さいものが役にたたないとは限らない。小さくても役目を負うものはいるんだ、って、前にエルフが言っていただろう。ポポロにも、何か役目があるのかもしれないよ」

 そして、フルートはみんなの先に立って岩屋の外に出ました。

 

 丘の上に出ると、白い石の柱の下にフルートとゼンの馬が待っていました。全身きれいにブラシをかけられ、鞍も荷物もすっかり積まれて、すぐにでも出発できるように支度されていました。

「ポポロの馬はないんだ」

 とゼンが言いました。

 フルートはすぐに言いました。

「ポポロはぼくの馬に乗せるよ。ポチの籠をゼンの方に移してくれ」

「おう! ……って、もう移してあるぞ。エルフがやったんだな」

 とゼンが鞍の前に取り付けられた籠を見て感心しました。ポチは、籠に入れられると、すぐに前足を籠の縁にかけてあたりを眺めました。

「ワン。まだ追っ手はそばまで来ていません。風が追い風だから、匂いでわかります。今のうちに先へ急ぎましょう」

「言われなくてもそうするぜ」

 と言いながら、ゼンも自分の黒馬に飛び乗りました。ドワーフのゼンにとって馬は大きな生き物なのですが、猟師の少年はまったく苦にせずその背中にまたがります。

 ポポロは大きな荷物のバッグを肩から下げていましたが、その格好で馬に乗ろうとして、なかなか鞍に上がれなくて苦労していました。

「荷物を持ってあげるよ」

 優しいフルートがそう言ってポポロに荷物を下ろさせましたが、それでも彼女は馬に乗れません。鞍に手をかけ、あぶみに片足をかけたまま、悪戦苦闘しています。フルートは目を丸くしました。

「きみ……もしかして、馬に乗れないの?」

 ポポロは情けなさそうな顔で振り返ると、小さくうなずきました。

「うん……」

 馬の上で、ゼンがまた大きくうめきました。

 フルートも正直また困惑しそうになりましたが、いつまでも困っているわけにはいかないので、すぐに言いました。

「ぼくが手を組むから、それを踏み台にして上がって。ぼくも小さい頃はそうやってお父さんに馬に乗せてもらったんだ」

 ポポロは、フルートに手伝ってもらってようやく馬上の人になりました。けれども、明らかに怖がっています。フルートはポポロの座った鞍の後ろに飛び乗ると、手綱と自分の両腕でポポロの体を両脇から支えました。

「あぶみに両足をかけて。……そう。そして、鞍の前のでっぱりをつかむんだ。大丈夫、落ちたりしないから」

 フルート自身は牧場の子なので、本当に小さい頃から馬に乗りつけてきています。裸馬でも自在に走らせることができるくらいなので、鞍やあぶみなしで馬に乗るのも平気でした。

「さあ、行こう!」

 フルートはそう言うと、馬の横腹を蹴りました。馬が歩き出します。

 下り道にさしかかるとき、ポポロが白い石の丘を振り返りました。とうとう最後までエルフは姿を現しませんでした。

 ポポロが悲しそうにまた前に向き直ったとき、その赤い髪からふわりと甘い匂いが立ち上りました。野に咲く花の香りです。ポポロの後ろに乗っていたフルートは、急にどぎまぎしてきて、そんな自分にひそかにうろたえてしまいました。

 

 丘を下りて花野に馬を進めていると、先を行くゼンが突然歓声を上げました。

「フルート、エルフだぞ!」

 行く手の花の群れの中に、銀の馬にまたがったエルフが立っていました。じっとこちらを見ています。

 子どもたちが喜んで駆け寄ると、エルフが出し抜けに言いました。

「ゼン、その弓で矢を上空に撃つのだ」

「は? なんで?」

ゼンは意味がわからなくて目を丸くしました。上空には青空が広がっているだけで、鳥の姿も見あたりません。けれども、エルフがもう一度繰り返して言うので、ゼンは言われたとおり頭上に矢を射ました。弦を張り直した弓は、今までよりずっと遠くまで矢を撃ち上げたようでした。

「みんな、よく見てろよ。落ちてきた矢に当たって怪我したら、しゃれにならないぞ」

 とゼンが心配そうに言っているところへ、空から矢が落ちてきました。エルフがすっと手を伸ばして、まるで木の枝から果実でも採るように、なんなくその矢を受け止めました。矢には、なにか細い紐のようなものが絡みついています。

 子どもたちは驚いて、改めて上空を見上げました。はるか彼方に、本当にかすかに、白い鳥のようなものがちらりと見えた気がしました。どうやら、矢はその鳥がくわえていたものを絡め取ってきたようでした。

 エルフは矢から紐のようなものを外しながら言いました。

「ようやく間に合った。これをポチにつけてやりなさい」

 そう言って手渡されてきたのは、細い銀色の首輪でした。金具で止められるようになっていて、中央にきれいな緑色の石がついています。

「お、新しいお守りか?」

 ゼンが嬉しそうな声を上げました。半年前、闇の神殿で敵と戦ったときに、エルフがくれたお守りがゼンとポチの命を救ってくれたことを思い出したのです。

「これはポチ専用だ。きっと大きな力になるだろう」

 とエルフは言って首輪をゼンに渡すと、今度はポポロに包みを差し出して言いました。

「これはおまえの忘れ物だ。持って行きなさい」

 包みを開いたとたん、ポポロがはっと息を呑みました。フルートが肩越しにのぞき込んでみると、青い草模様の布の中に、黒い服がきちんとたたまれて入っていました。昨日、フルートが初めてポポロに会ったときに着ていた服です。よく見ると、それはただの黒一色ではなく、日の光を浴びて布地の奥からきらきらと星のようなきらめきを返しているのでした。

「きれいな服だね」

 とフルートは思わず言いました。ポポロは驚いたように振り返ると、あわてて服を布の中にくるんで、自分の荷物の中に押し込んでしまいました。

 その様子をじっと見ていたエルフが、静かに言いました。

「ポポロよ、わたしがおまえに助言できることは、たったひとつだ。逃げずに向き合いなさい。すべてはそこから始まる」

 ポポロはそれを聞くと、いっそう下を向いて、堅く口を閉ざしてしまいました。

「ワン! フルート、見てください!」

 ポチの嬉しそうな声がしました。見ると、ポチはゼンに新しい首輪を巻いてもらって、得意そうに籠から伸び上がっていました。

「よく似合うよ」

 とフルートは笑うと、改めてエルフを見つめ直して言いました。

「それじゃ、行ってまいります」

 それ以上、言うべきことはありませんでした。

「石の守りよ、堅くあれ」

 とエルフが短く旅路を祈ってくれました。

 子どもたちはエルフに別れを告げると、朝の光の中を、東をめざして再び進み始めました。

 エルフは花野に立つ銀の馬の背中から、いつまでも子どもたちの後ろ姿を見送っていました――。

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