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第2巻「風の犬の戦い」

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7.エルフ

 白い石の丘の頂上まで登ると、ポチが、ワン! と嬉しそうに吠えました。

「よかった! エルフはまだいますよ! 匂いがします」

 そして、フルートとゼンの先になって走り出し、白い石の柱の間を駆け抜け、丘の反対側に出ました。

 すると、彼らが来るのを待ち受けていたように、そこにエルフがいました。背の高い体に裾の長い緑の服をまとい、長い銀の髪を風になびかせて、半年前とまったく変わらない姿で立っています。

 子どもたちは思わず立ちすくみ、初めて会ったときと同じようにおごそかな思いに打たれて、黙って頭を下げました。

「よく来た、フルート、ゼン、ポチ。もう着く頃だと思っていたぞ」

 とエルフが言いました。このエルフは賢者です。人が考えるのとは別の方法で、今なにが起きているのかを知ることができるのでした。

 そこで、フルートは余計なことは言わずに、そっとゼンの背中を押してやりました。ゼンは弓弦の切れたエルフの弓を下ろして差し出しました。

「二週間前にこれが突然切れたんだ。……直してもらえるかな?」

 エルフはゼンから弓を受け取りました。

「むろん直せる。この弓の弦は、切れるべき時にしか切れないのだ」

 それを聞いてゼンは、やっぱり、という顔をしました。

「じゃ、そいつが切れたのは偶然じゃなかったんだな。直してもらうのに旅に出て、途中でフルートのところに寄ったら、フルートもちょうど旅立つところだった。なんか、偶然にしちゃできすぎだと思ったんだ」

 すると、エルフはほほえみました。

「これは魔法の武器だ。フルートの炎の剣や金の石と同じように、すべてを心得て、自らの意志でおまえに従っている。弓がおまえに知らせたのだろう」

「この弓が……自分で?」

 ゼンは驚きました。

「俺、てっきり、あんたが呼んでるんだと思ったんだけど」

 エルフはまたほほえみました。

「私は自ら呼ぶことはない。私はここにいるだけなのだ。私を求める者だけが、ここにたどり着くことができる。この弓は、おまえの想いを知っているから、『動き』を感じて、おまえを導いたのだろう。おまえを主人と思っているからな」

 ゼンは思わず弓を見つめると、照れたように笑い出しました。

「へへ、なんか嬉しいな。俺、この弓がすごく気に入ってるんだ。弓の方でも俺を気に入ってくれてるのか。そうかぁ」

 すると、エルフが身をかがめ、かたわらの石の柱の陰から細い籠のようなものを取り出しました。矢を入れるための矢筒で、中には矢がたくさん入っています。

 エルフが言いました。

「弓には矢と矢筒がつきものだが、これはその弓と共に作られたものだ。すこし遅れたが、ようやく弓に追いついてここにたどり着いた」

 ゼンは、とまどいながらその矢筒を受け取りました。矢筒には紐が付いていて、背負えるようになっています。中には白い鳥の矢羽根と銀色の矢尻がついた細い矢が三十本ほど入っていました。

「エルフの矢だ。この弓と矢は、この組み合わせで最強の力を発揮する。エルフの弓でエルフの矢を射たとき、狙ったものは決して外すことがないぞ」

 ゼンはたちまち目を輝かせました。

「狙ったものを外さない……? そりゃすげえや!」

「弓は明朝までには直しておいてやろう」

 とエルフは言うと、子どもたちに手招きをしました。

「来なさい。間もなく夕方だ。今宵は私の家に泊まっていくがいい」

 確かに空の太陽は大きく西に傾いていました。フルートたちはまだ他にもエルフに聞きたいことがあったので、喜んでエルフの後についていきました。

 

 エルフの家は、白い石の丘の地下にありました。

 岩の間に隠された階段を下りていくと、岩の壁にぶつかります。その岩壁の中を通り抜けると、エルフの住まいに出るのです。

 岩をくぐり抜けた後、ゼンは振り返って首をひねりました。

「何度通っても不思議だよな、これ。どうして岩の中を通れるんだ? 絶対ぶつかって、頭にたんこぶこしらえるような気がするのに」

 子どもたちは半年前に一度、エルフに招かれてこの家に来ているのです。

「疑うと通れなくなるんじゃないかな」

 とフルートが言って、通ってきた岩に手を当てました。

「ほら、そうだ。通れないかも? って考えると、とたんにただの岩になっちゃう」

「ワンワン。魔法の扉なんですね」

 魔法の家に感心している子どもたちに、エルフが話しかけました。

「さあ、席に着きなさい。料理はまだ温かい。食事にしよう」

 岩に囲まれた白い部屋は、壁際に何枚も薄い布が下げられ、部屋の中央のテーブルにはおいしそうなごちそうが湯気を立てて並んでいました。賢者のエルフは、フルートたちが来ることを見越して、すっかり準備を整えていたのでした。

 フルートは、テーブルの周りに椅子が五つ並び、食器が五人分準備されているのに気がつきました。ここにいるのは、ポチを入れても四人です。

「この家には他にも誰かいらっしゃるんですか?」

 と尋ねると、エルフはフルートを見つめながら、謎めいたことを言いました。

「来るべきものは来るべき時に来たる……そら、やって来た」

 

 とたんに、壁際の布の一枚が揺れて、その後ろから声がしました。

「おじさん、遅くなってごめんなさい。お花を摘んできました。ちょっと思いがけないことがあって――」

 と言いながら布の陰から現れたのは、ひとりの少女でした。手にあふれんばかりの花を抱えています。その顔を見て、フルートは、あっと驚きました。今は薄緑色の服を着て、髪を三つ編みのおさげにしていますが、それは確かにさっき花野で出会った黒い服の少女だったのです。

 少女の方でも、フルートを見ると、きゃあっと声を上げました。花を放り出してエルフの後ろに逃げ込むと、その背中にしがみついて叫びます。

「さっきの悪い人……! どうしてこんなところにいるの!?」

「悪い人ぉ?」

 ゼンとポチがびっくり仰天して、フルートと少女を見比べました。フルートがあわてふためいて説明しようとすると、エルフが静かに言いました。

「案ずるな、ポポロ。この子たちは危険な者ではない。私の客人だ。世界を闇の手から救う使命を持った、金の石の勇者の一行なのだよ」

「金の石の勇者……?」

 少女が目を見張りました。よく見ると、宝石のように美しい緑の目をした、とてもかわいらしい少女です。おっかなびっくり、という感じでフルートの顔を見つめています。

 フルートは急いで兜を脱いでみせました。すると、少女がいっそう目を大きく見張りました。いかつい兜の下から女の子のように優しい顔が現れたので驚いたのです。

 エルフが穏やかな声で続けました。

「彼は金の石の勇者フルート。そして、その仲間のゼンとポチ。ゼンはドワーフの猟師だ。話すことはいろいろあるが、まずは食事を始めることにしよう。ポポロ、花を生けたら給仕を手伝っておくれ」

 ポポロと呼ばれた少女は、床にばらまいてしまった花をあわてて拾い集め始めました。野で摘んできた花です。ところが、フルートがわきにかがんで一緒に拾い始めると、ポポロはたちまちおびえた顔になって、エルフの後ろに逃げ込んでしまいました。

 フルートは思わず苦笑すると、それでも花を全部拾い集め、少女に手渡しながら言いました。

「さっきはびっくりさせて、本当にごめんね。追っ手が来るかもしれないと思っていたから、気が立っていたんだよ」

 追っ手、と聞いて、少女がまた驚いたような顔をしました。

 

「問題はその追っ手だ」

 とエルフが、草の香りのするスープを器に分けながら言いました。

「確かに、おまえたちの後を追って、数人の者たちがこちらに向かっている。明後日にはおまえたちに追いついてしまうだろう。エスタの国の王弟が放った刺客たちだ。中に優秀な占者がまじっている。おまえたちが彼らを振り切るのは難しいだろう」

 フルートとゼンとポチは、たちまち厳しい顔になりました。

「占者か。だが、エスタにはもうまともな占者が残っていないって話だったんじゃないか? わけの分からない魔物につぶされたはずだろう」

 とゼンが言うと、フルートは首を横に振りました。

「それは国王付きの占者だよ。王様に反発しているような人だったら、絶対に自分の占者を出すわけないもの。エラード公の占者や魔法使いは健在なんだ」

「ちぇっ、なるほどな。もしかして、魔物を送り込んでいる張本人ってのが、実はそのエラード公なんじゃないのか?」

 それは十分あるうることでしたが、エルフが言いました。

「敵の正体はそんなものではない……。確かに、王弟のエラード公は、魔物を利用して自分が王位につこうとしている。だが、敵は彼の思うままにできるような、そんな生やさしい相手ではないのだ」

 それを聞いて、フルートとゼンとポチはいっせいに尋ねました。

「敵の正体は何なんですか!?」

 けれども、森羅万象から真実を読みとると言われる賢者は、重々しい声でこう答えただけでした。

「それはいずれわかることだ――」

 

 食事はほとんど会話のないままに進みました。料理はどれもとびきりおいしかったのですが、ゼンでさえ、一言も口をきかずに食べ続けていました。

 食事が終わりに近づき、甘い飲み物が子どもたちに配られると、エルフがまた口を開きました。

「子どもたちよ。おまえたちにひとつ、頼みたいことがあるのだ」

「はい、なんでしょう?」

 とフルートはすぐに居ずまいを正して答えました。ゼンとポチも、何を頼まれるのかと緊張して聞いています。

 すると、エルフがかたわらの少女を示しながら言いました。

「このポポロを、おまえたちと一緒に連れて行ってほしいのだ」

 これには子どもたちもびっくりして、すぐにはことばが出ませんでした。フルートも、ゼンも、ポチも──そして、ポポロ自身も、驚いて真っ青になっていました。

「おじさん!!」

 とポポロが叫びました。今にも泣き出しそうな顔をしています。

 すると、エルフがポポロを見つめました。ポポロの瞳はエメラルドのような明るい緑ですが、エルフの瞳は森の奥を思わせる深い緑色です。

「ポポロよ、私の元に来るものは、人でも物でも、必ず何かしらの役目を負っている。おまえもその中のひとつなのだ。時が来れば、そのものは旅立つ。おまえの時は今だ。ここにいる金の石の勇者の一行が、おまえの仲間になるのだよ」

「な、仲間って……!」

 あわてふためいたのは少年たちでした。まさか、こんな女の子を仲間に加えることになるとは、夢にも思いませんでした。

「エルフ! 刺客が追ってきているんですよ!」

 とフルートが言えば、ゼンもわめきました。

「俺たちだけでも逃げ切れるかどうか怪しいってのに、女なんか連れていけるかよ!」

「ワンワン! 危険すぎます!」

 ポチも必死で言いました。

 けれども、エルフは子どもたちに宣言するように、おごそかな声で言いました。

「旅立ちは明朝だ。まっすぐ東へ向かい、国境の闇の森を越えてゆけ。森に入り込めば、もう敵は追っては来られない。そして、エスタの王都カルティーナをめざすのだ。――わかったな、ポポロ」

「……はい……」

 少女は蚊の鳴くような声でそう答えると、それきりうつむいてしまいました。スカートの膝を握りしめる手に、ぽとりと涙のしずくが落ちました。

 少年たちはうろたえ、けれども、エルフに反論することもできず、ただただ呆然としていました。

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