「わしはエスタ王国の近衛隊長だ。名をシオンと言う」
旅の男は、フルートの家の居間の椅子に座ると、そう名乗りました。静かな昼下がり、窓の外からは小鳥のさえずりと、木の梢を吹き抜けていく風の音だけが聞こえてきます。
フルートは客人の前の席に座ると、黙って話に耳を傾けました。
「わしの家は代々国王のおそばに仕えてきた家系だ。それ故、こうして剣に王家のご家紋をいただくことが許されておる。陛下の信頼も厚いと自負しておる」
とシオン隊長は言うと、ちょっと自慢そうに鼻をうごめかせました。が、フルートに感心したようなそぶりが見えなかったので、咳払いをすると、また話を続けました。
「今からふた月ほど前のことだ。陛下はわしを呼びつけて、ひそかに命令を出された。ロムドの国へ行き、金の石の勇者を見つけ出して王の御前に連れてくるように、というご命令だ」
それを聞いて、フルートはびっくりしました。
「王の御前って……エスタ国王のところへ来い、ってことですか!? 何のために!?」
エスタはフルートたちが住むロムドの国のすぐ東隣にある国ですが、もう二百年以上も前から仲が悪くて、大きな戦争を何度も繰り返しているのです。今のロムド国王の代になってから和平が結ばれたので戦争はなくなりましたが、国境の近くでは今でも両国の警備隊がしょっちゅう小競り合いを起こしています。その敵国の王がロムドの勇者を招くというのは、とても不思議なことのように思えました。
すると、シオン隊長は少し口ごもってから、これは口外無用に願いたいのだが、と前置きして、こんな話を始めました。
「エスタの王都カルティーナは、白亜の都と言われるそれは美しいところだ。我ら近衛隊が昼も夜も守り続けていて、世界で一番安全な都市とまで言われておった。ところが、三月ほど前から、その美しい都や近辺の町や村に、夜な夜な正体不明の殺人鬼が現れるようになったのだ。その犯人の姿を見たものは誰もおらぬ。そいつに出くわしたものは、全身をずたずたに切り裂かれて死んでおるのでな。男も女も、老いも若きも小さな子どもも、まったく区別なく殺されておる。エスタの中央は、今、得体の知れない悪党のために恐怖のどん底に陥っておるのだ」
「殺人鬼……ですか。姿も見られずに人を殺せるんですか?」
とフルートが聞き返すと、シオン隊長はうなずきました。
「むろん、わしら近衛隊は総力を挙げて犯人検挙に当たっておる。被害にあう町や村が広がるにつれて、陛下直属の大部隊も共に警備に当たるようになった。だが、卑怯な敵は、常に我らの裏をかいてくるのだ……!」
ドン! と隊長は拳をテーブルに叩きつけました。隊長の前に置かれたお茶のカップが飛び跳ねて、ガチャンと音を立てます。
「そこで、わしらは罠をはらせてもらいたい、と陛下に願い申した。えり抜きの近衛隊員数人に私服を着せ、武器を隠し持たせて、夜の通りを行かせたのだ。むろん、近くには近衛隊の本隊が待機して、合図があればいつでも駆けつけて犯人を取り押さえられるよう、万端の構えでおった。ところが、だ……! 彼らはその晩のうちに全滅したのだ。刀を抜いたものもあった。だが、ほとんどの者は、刀どころか合図の呼び子を取り出す暇もないうちに、全身をバラバラに切り刻まれて死んでいた。彼らの悲鳴が聞こえたので、本隊が駆けつけたときには、すでに通りは血の海で、犯人の姿はどこにも見あたらなかった。まるで魔法で姿をくらましたように、どこにも、痕跡ひとつ残っていなかったのだ」
そこまで話すと、ぎりっと音を立てて、隊長は歯ぎしりをしました。
フルートはじっと話に耳を傾けていましたが、足下に座っていたポチを見て尋ねました。
「どう思う?」
「ワン。魔物のしわざのような気がしますね。強い兵隊さんたちが、そんなにあっさりやられちゃうなんて、それしか考えられないでしょう」
とポチが答えました。近衛隊と言えば、ことさら腕に自慢のある戦士たちです。それが剣を抜く間も与えられないほど、あっさり殺されたというのは、常識で考えれば、まずありえないことなのでした。
隊長はうなずきました。
「陛下もそうお考えになられた。それで、魔法の力で犯人の正体を知ろうとされた。城にある星の間と呼ばれる部屋に、実力揃いの占者と魔法使い十数名を集め、力を合わせて敵を見極めさせようとしたのだ。そして……全員が、死んだのだ」
フルートとポチは思わず目を見張りました。
「全員?」
と聞き返すと、隊長は青ざめた顔でうなずきました。
「ああ。わしはその現場を見たが、ひとり残らず、まるで見えない巨大なハンマーででも叩きつぶされたように、ぺしゃんこになって死んでおった。ただ、ひとりだけ即死をまぬがれたものがいた。一番年若い占者で、ほとんど死にかけていたが、苦しい息の下から一言こう言い残していったのだ。『この敵と渡り合えるのは、ロムドの金の石の勇者』と……」
そう言うと、隊長はむっつりと口を閉じてしまいました。
フルートは目を丸くしたまま聞き返しました。
「ぼく……ですか? ぼくがその魔物と戦えるはずだと?」
隊長はむっつりした顔のまま、またうなずきました。
フルートとポチは顔を見合わせました。エスタ国王が招集するくらいの占者や魔法使いなら、その魔法の力も相当のもののはずです。その人たちが束になってもかなわなかった相手というのは、いったいどんな敵なのでしょう。何故、金の石の勇者なら、その敵と戦えると言うのでしょう。
開け放した窓の外から、荒野が見えていました。やわらかな緑におおわれた景色の向こうに、青くかすむ山脈が見えています。ドワーフたちが住む北の山脈です。
フルートはそれを遠く眺めながら、心の中で思わず仲間に呼びかけていました。ゼン、どうしたらいいと思う……? と。
けれども、頼りになるドワーフの少年は、はるか彼方の峰にいて、相談したくてもここにはいないのでした。
シオン隊長は、ますます重い声になって話し続けました。
「これを見て、陛下はこれがただごとではないことに気がつかれた。下手をすれば、エスタ王国の存在そのものまで脅かす事態になりかねない。そこで、陛下はひそかにわしをロムドに遣わし、金の石の勇者を捜させたのだ。……金の石の勇者の噂は、我々も聞いておった。黒い魔の霧は、我が国にまでいくらか流れ込んできていたからな。それがある日突然、強い風と共に吹きちぎられ、青空と太陽が戻ってきた。ほどなく、それを成し遂げたのが魔法の金の石を持つ勇者だという話が、我々の元にも伝わってきた。だが……その勇者がこんな小さな子どもだとは、誰も、想像もしなかったのだ」
そして、隊長は苦笑いをしながらフルートをつくづく見つめました。フルートは隊長の正面に静かに座っています。本当に、女の子のように優しい顔をした少年です。この子どもが、魔の霧を打ち払い、ロムドの国を闇の手から救った勇者だとは、隊長にはやっぱり信じにくいのでした。
すると、フルートが小首をかしげて聞きました。
「金の石の勇者が少年だと伝わっていなかったのなら、どんな人物だと思われていたんですか?」
隊長はまた苦笑いの顔になりました。
「見上げるような大男だと聞いておった。魔法の鎧を身につけ、炎の魔力を持つ剣と、地を揺るがす巨大なハンマーを持ち、魔法の石の魔力で敵を打ち倒すのだ、と。その勇者には地に潜るのが得意なこびとたちが大勢仕えていて、勇者の命令を受けては魔法の技を使って戦う。また、勇者には巨大な白いライオンが従っていて、勇者のために勇敢に戦うのだと、もっぱらの噂だった」
フルートとポチは、さすがにあきれ果てて、また顔を見合わせてしまいました。
「見上げるような大男、って……このぼくが?」
「ワン。巨大な白いライオンって、ぼくのことでしょうか? ぼくはただの子犬なのに。それに、地に潜るのが得意なこびとたちっていうのは――」
「ゼンのことだろうね。これを聞いたら、ゼン、きっとすごく怒ると思うな」
フルートたちの世界では、情報は人の口伝えに広まっていきます。魔法の石を持つ不思議な勇者とその仲間たちの話は、いつの間にか人々の想像が入り込んで、エスタの国に届く頃には、当人たちとは似ても似つかない英雄像に変わってしまっていたのでした。
「エスタだけではないぞ。ロムドの国に入ってからも、わしはしばらく金の石の勇者の噂を集めておったが、だいたいがそんなような話だった。勇者は怪力の大男で、従っているのはライオンか巨大なオオカミ。住んでいる場所もまちまちだったが、ようやくのことでシルの町にいるという確かな話を聞くことができて、ここまでたどり着いたのだ」
それを聞いて、フルートは思わず肩をすくめてしまいました。
「そんな噂が広まっているなら、ぼくがエスタ国王のところへ行ったって、きっと誰もぼくを金の石の勇者だなんて信じませんよ。すぐに追い返されてしまうでしょう」
現に、フルートはロムド国王に会いに行って、危なく城から追い出されそうになったことがあります。そのあたりは容易に想像がつきました。
「しかし、おまえは――いや、あなたは本当に金の石の勇者なのだろう!? 我々に謎の殺人鬼を捉えるすべはない! エスタに平和を取り戻せるのは、あなたしかいないのだ、フルート殿!」
シオン隊長は必死になって言っていました。なんとしても、フルートに一緒にエスタまで来てもらいたいのです。
フルートがそれに何かを答えようとしたときです。
突然、家の入り口の戸が開いて、こんな声が飛び込んできました。
「調子いいよなぁ、まったく! ついさっきまでフルートが金の石の勇者だなんて信じられない、って言ってたくせに、急に態度を変えて『平和を取り戻せるのはあなたしかいない!』かよ。気をつけろよ、フルート。こういう調子のいいヤツの話は信用できないんだぜ」
部屋の中の人々は驚いて入り口を振り向きました。特に、フルートとポチは息が止まるほどびっくりして、戸口に現れた人物をまじまじと見つめてしまいました。
小柄でがっしりした体格の少年が、茶色い革の服に鋼の胸当てを身につけ、弓矢を背負って立っていました。明るい茶色の瞳が、フルートとポチに向かっていたずらっぽく笑いかけています……。
「ゼン!!」
「ワンワン! ゼン……ゼン!!」
フルートとポチは歓声を上げると、椅子を蹴倒し、飛び跳ねて、入り口に立つドワーフの少年に飛びついていきました――。