翌朝、フルートたちは迷子の子犬を連れてまた出発しました。
子犬はたっぷり食事をもらってかなり元気になっていましたが、どんなに元気でも、馬より速い走り鳥と一緒に走るのは無理でした。そこで、フルートがマントの中に子犬を抱え込み、鳥が揺れても落ちないようにマントの裾を前で結びました。子犬はフルートの鎧にぴったり寄り添うと、じっと動かなくなりました。
「おっ、聞き分けのいい犬だな」
とゼンは感心しました。
マントの隙間から、子犬の鼻先と前足がちらりとのぞいています。全身真っ白な子犬ですが、左足の先にぽちりと小さな茶色の斑点があったので、フルートが言いました。
「ねえ、この子をポチって呼ぼうか」
「いいんじゃないか? 名前がないと不便だしな」
とゼンも賛成したので、子犬はポチという名前になりました。
ポチはおとなしくフルートに抱かれたまま、走り鳥に乗って一緒に旅をしました。
旅路は順調でしたが、その日一日、荒野に町や村は見あたりませんでした。
夕方になって、また野宿のために立ち止まると、フルートはマントの中からポチを放してやりました。子犬はすっかり元気になっていて、ワンワン吠えながらあたりを駆け回りました。
「もう大丈夫そうだな」
とゼンは笑いましたが、フルートはため息まじりに言いました。
「明日は人の住むところが見つかるといいんだけど……。だんだん霧の源が近くなってきている。嫌な感じがすごく強くなってくるのがわかるんだ。これ以上危ない方向にポチを連れて行きたくないよ」
「そうだな」
ゼンも暗くなってきた霧の荒野を眺めました。
「おまえも、もう地図がなくても、やばい方角がわかるだろう? 霧はあっちから湧き起こっている。走り鳥もだんだんスピードが落ちてきた。怖がってるんだ」
それを聞いて、ふとフルートはゼンを見ました。
「君も怖いかい?」
と尋ねると、とたんにゼンは表情を変えました。
「馬鹿言え、俺をなめるな! そりゃ、この気配は全然気に入らないけどな! だからこそ、それをやっつけに行くんだろうが!」
「ごめんごめん……馬鹿にしたわけじゃないんだよ」
フルートがあわてて謝っていると、ポチが駆け戻ってきて心配そうに二人を見上げました。大きな瞳で見比べるようにフルートとゼンを見ます。
「なんだ、ポチ。俺たちがケンカしてると思ったのか?」
とゼンは吹き出しました。子犬が本当に心配そうにしているので、フルートも思わず笑ってしまいました。
「違うよ、ポチ。大丈夫だよ」
すると、ポチはぱたぱたと尻尾を振って、また向こうに走っていきました。
ゼンがまた笑いました。
「頭のいいヤツだな。まるで俺たちのことばがわかってるみたいじゃないか」
「ほんとだね」
とフルートは答えると、荒野を元気に駆け回る子犬を見ながらつぶやきました。
「明日は町か村が見つかるといいなぁ……」
「きっと見つかるさ」
とゼンが答えました。
すると、翌日の昼過ぎ、本当に行く手に集落が見えてきました。荒野の中に踏み固められたような道があり、その先に数件の家が寄り合うように建っています。
ゼンは得意そうに声を上げました。
「そぉらな! やっぱり村があった!」
「わけを話して早くポチを預かってもらおう」
とフルートは言って、大急ぎで村へ走りました。
ところが、彼らが足を踏み入れてみると、村は異様に静まりかえっていました。
村人が家の中に隠れて息を潜めているのではありません。どの家も入り口が大きく開け放たれていて、中には誰もいないのです。フルートとゼンは次々に家を回ってみましたが、人の姿は見つかりませんでした。
ただ、家にはつい最近まで人が住んでいた気配が残っていました。人がいなくなって間もないのです。
「霧から逃げて村を出ていったのかな……?」
とフルートが首をひねっていると、ゼンが一軒の家をのぞいて声を上げました。
「フルート、見ろ!」
ゼンが指さす床の上には、赤黒い大きな染みが広がっていました。
「これは血の痕だぞ! すごい量だ!」
「こっちもだ!」
とフルートが別の家をのぞいて言いました。床の上に血だまりがあったのです。血は乾いて黒っぽい色になっていますが、壁にまで飛び散っていました。
「この村で何かあったんだ!」
とフルートは外に飛び出し、通りに面した家々を見回しました。黒い霧の底で、村は死んだように静まりかえっています。ビスクの町のように荒らされた痕さえありません。それが逆にフルートたちを落ち着かない気持ちにしました。
「おい、今すぐここを離れよう」
とゼンが首の後ろを撫でながら言いました。
「嫌な予感がする。俺のこの手の勘(かん)は当たるんだ」
「うん」
とフルートもうなずき、足下にいたポチを急いで抱き上げました。
すると、突然ポチがウーッ……とうなり出しました。フルートに抱かれたまま、背後をにらんでいます。
フルートとゼンがはっと振り向くと、薄黒い霧の中から誰かが飛びかかってくるところでした。人影から伸びた細い二本の棒が霧の中で鈍く光ります。剣です。
「危ないっ!」
フルートとゼンは叫んで、あわてて左右に飛びのきました。剣がその間を切り裂きます。彼らは敵に向き直りました――。
それは、ぼろぼろの服を着た男でした。ひどく痩せていて、若いのか年をとっているのか、それさえ見当がつきません。二本のロングソードを両手に構え、血走った目でフルートたちを見て笑っています。
「へへへ……獲物だ獲物だ。自分から俺に殺されに来たな。嬉しいなぁ」
調子の外れた声に、フルートとゼンは思わずぞっとしました。
「やばいぞ。こいつ正気じゃねえ」
とゼンが言います。
フルートは片腕にポチを抱えたままロングソードを抜きました。
すると、ぼろぼろの男がまた言いました。
「ほーぉ、おまえも剣を使うのか。いいねいいね。そうでなくちゃ面白くない。村の奴らは弱すぎて、ちっとも面白くなかった」
フルートたちはまた、はっとしました。
「村人を殺したのはおまえか!」
すると、男はにやぁっと大きく口をゆがめて笑いました。
「狩りだよ狩り。俺は狩りをしてるのさ。獲物は人間。それに牛や馬や動物たち。へへへ。元気なヤツほど楽しくて好きだねぇ」
「……狂ってやがる」
とゼンは吐き出すようにつぶやきました。その手にはすでに弓矢が握られています。
「そぉら、行くよ! 逃げろ逃げろ! 俺が追いかけて、しとめてやるからさ!」
男が甲高い声で叫びながら、また切りかかってきました。フルートの剣とぶつかり合って火花を散らします。
とたんにフルートの体が吹っ飛びました。男は見かけによらず力があったのです。
「うわっ!」
「キャン!」
フルートとポチは通りの上に転がりました。そこへ男が飛びかかって剣で突き刺そうとします。
ところが、その手元に矢が刺さりました。ゼンです。
男は手に矢を突き立てたまま、ぎろりとドワーフの少年をにらみました。
「邪魔をするのかい。面白くない面白くない。獲物は素直に逃げていりゃいいんだよ」
「へっ、ごめんだね。逃げるなんて性に合わないぜ!」
とゼンは言い返して次の矢を放ちました。今度は男の肩に刺さります。
ところが、男はうるさそうに頭を振ると、二本の矢を引き抜いてまた剣を構えました。少しも痛そうな顔をしません。
ゼンは顔をしかめました。
「おい、なんだよ。こいつも痛みを感じないのか?」
男がゼンに切りかかってきました。ゼンはあわてて飛びのきましたが、そこにもまた剣が突き出されます。かなりの素早さです。
「ゼン!」
フルートは男に背後から切りつけました。男が振り向きざまフルートの剣を受け止めます。
その間にゼンは剣の届かないところまで逃げて、鋼の矢を弓につがえました。
「離れろ、フルート! こいつをお見舞いしてやる!」
けれどもフルートは離れるどころではありませんでした。次から次と繰り出されてくる二本の剣を、受け止めてかわすのが精一杯です。
「ワンワンワンワン……!」
ポチが吠えていましたが、二人の戦いがあまりに激しいので、近づくことができませんでした。
やがて、男の剣がフルートの胸をまともに突きました。とたんに、ガキン! と男の剣が折れます。フルートの魔法の鎧のほうが強力だったのです。
男が驚いている隙に、フルートは思い切り男の腹を突き刺しました。やらなければ、こちらがやられてしまうので、手加減する余裕などありませんでした。さすがの男も悲鳴を上げてよろめきます。
フルートは大きく飛びのきながら呼びました。
「ゼン!」
「おう!」
鋼の矢が飛んで、男の胸板を貫きました。
男はまた悲鳴を上げると、ばったりその場に倒れました。ゼンの矢は見事に急所を貫いたのです。
「ふう……」
フルートとゼンは冷や汗をぬぐって敵に近寄りました。ポチも二人の足下に駆け寄ってきます。
「この人、誰だったんだろうね? どうしてこんなことをしたんだろう?」
とフルートは男を見下ろしました。本当に、まったく見知らぬ顔の男です。
ゼンは肩をすくめました。
「霧の影響を受けて頭が変になったんだろうよ。このあたりは霧が本当に濃くなってるからな。もろに影響を受けたんだろう」
ゼンは話しながら男の胸から鋼の矢を引き抜き、地面に落ちていた木の矢も拾い集めました。矢がだんだん少なくなってきたので、一本でも無駄にできなかったのです。男は完全に息絶えていて、地面に倒れたまま身動きもしませんでした。
「このままにしていくしかないね」
とフルートは言いました。後味の悪い想いは残りますが、男を埋葬したりしていては、時間がかかってしまいます。フルートたちは先を急がなくてはなりませんでした。
「このへんの町や村がどこもこんな感じだとすると、この先、ポチを預けられる場所は見つからないかもしれないぞ」
とゼンが言ったので、フルートはまた考え込んでしまいました。
ところが、フルートたちが廃村を後にしようとすると、足下を歩いていたポチが背後へまたうなり出しました。
フルートとゼンは、どきりとして振り向き、目を見張りました。
通りに倒れて死んでいたはずの男が、また立ち上がってくるところだったのです――。