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第1巻「黒い霧の沼の戦い」

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29.廃村

 翌朝、フルートたちは迷子の子犬を連れてまた出発しました。

 子犬はたっぷり食事をもらってかなり元気になっていましたが、どんなに元気でも、馬より速い走り鳥と一緒に走るのは無理でした。そこで、フルートがマントの中に子犬を抱え込み、鳥が揺れても落ちないようにマントの裾を前で結びました。子犬はフルートの鎧にぴったり寄り添うと、じっと動かなくなりました。

「おっ、聞き分けのいい犬だな」

 とゼンは感心しました。

 マントの隙間から、子犬の鼻先と前足がちらりとのぞいています。全身真っ白な子犬ですが、左足の先にぽちりと小さな茶色の斑点があったので、フルートが言いました。

「ねえ、この子をポチって呼ぼうか」

「いいんじゃないか? 名前がないと不便だしな」

 とゼンも賛成したので、子犬はポチという名前になりました。

 ポチはおとなしくフルートに抱かれたまま、走り鳥に乗って一緒に旅をしました。

 旅路は順調でしたが、その日一日、荒野に町や村は見あたりませんでした。

 夕方になって、また野宿のために立ち止まると、フルートはマントの中からポチを放してやりました。子犬はすっかり元気になっていて、ワンワン吠えながらあたりを駆け回りました。

「もう大丈夫そうだな」

 とゼンは笑いましたが、フルートはため息まじりに言いました。

「明日は人の住むところが見つかるといいんだけど……。だんだん霧の源が近くなってきている。嫌な感じがすごく強くなってくるのがわかるんだ。これ以上危ない方向にポチを連れて行きたくないよ」

「そうだな」

 ゼンも暗くなってきた霧の荒野を眺めました。

「おまえも、もう地図がなくても、やばい方角がわかるだろう? 霧はあっちから湧き起こっている。走り鳥もだんだんスピードが落ちてきた。怖がってるんだ」

 それを聞いて、ふとフルートはゼンを見ました。

「君も怖いかい?」

 と尋ねると、とたんにゼンは表情を変えました。

「馬鹿言え、俺をなめるな! そりゃ、この気配は全然気に入らないけどな! だからこそ、それをやっつけに行くんだろうが!」

「ごめんごめん……馬鹿にしたわけじゃないんだよ」

 フルートがあわてて謝っていると、ポチが駆け戻ってきて心配そうに二人を見上げました。大きな瞳で見比べるようにフルートとゼンを見ます。

「なんだ、ポチ。俺たちがケンカしてると思ったのか?」

 とゼンは吹き出しました。子犬が本当に心配そうにしているので、フルートも思わず笑ってしまいました。

「違うよ、ポチ。大丈夫だよ」

 すると、ポチはぱたぱたと尻尾を振って、また向こうに走っていきました。

 ゼンがまた笑いました。

「頭のいいヤツだな。まるで俺たちのことばがわかってるみたいじゃないか」

「ほんとだね」

 とフルートは答えると、荒野を元気に駆け回る子犬を見ながらつぶやきました。

「明日は町か村が見つかるといいなぁ……」

「きっと見つかるさ」

 とゼンが答えました。

 

 すると、翌日の昼過ぎ、本当に行く手に集落が見えてきました。荒野の中に踏み固められたような道があり、その先に数件の家が寄り合うように建っています。

 ゼンは得意そうに声を上げました。

「そぉらな! やっぱり村があった!」

「わけを話して早くポチを預かってもらおう」

 とフルートは言って、大急ぎで村へ走りました。

 ところが、彼らが足を踏み入れてみると、村は異様に静まりかえっていました。

 村人が家の中に隠れて息を潜めているのではありません。どの家も入り口が大きく開け放たれていて、中には誰もいないのです。フルートとゼンは次々に家を回ってみましたが、人の姿は見つかりませんでした。

 ただ、家にはつい最近まで人が住んでいた気配が残っていました。人がいなくなって間もないのです。

「霧から逃げて村を出ていったのかな……?」

 とフルートが首をひねっていると、ゼンが一軒の家をのぞいて声を上げました。

「フルート、見ろ!」

 ゼンが指さす床の上には、赤黒い大きな染みが広がっていました。

「これは血の痕だぞ! すごい量だ!」

「こっちもだ!」

 とフルートが別の家をのぞいて言いました。床の上に血だまりがあったのです。血は乾いて黒っぽい色になっていますが、壁にまで飛び散っていました。

「この村で何かあったんだ!」

 とフルートは外に飛び出し、通りに面した家々を見回しました。黒い霧の底で、村は死んだように静まりかえっています。ビスクの町のように荒らされた痕さえありません。それが逆にフルートたちを落ち着かない気持ちにしました。

「おい、今すぐここを離れよう」

 とゼンが首の後ろを撫でながら言いました。

「嫌な予感がする。俺のこの手の勘(かん)は当たるんだ」

「うん」

 とフルートもうなずき、足下にいたポチを急いで抱き上げました。

 

 すると、突然ポチがウーッ……とうなり出しました。フルートに抱かれたまま、背後をにらんでいます。

 フルートとゼンがはっと振り向くと、薄黒い霧の中から誰かが飛びかかってくるところでした。人影から伸びた細い二本の棒が霧の中で鈍く光ります。剣です。

「危ないっ!」

 フルートとゼンは叫んで、あわてて左右に飛びのきました。剣がその間を切り裂きます。彼らは敵に向き直りました――。

 それは、ぼろぼろの服を着た男でした。ひどく痩せていて、若いのか年をとっているのか、それさえ見当がつきません。二本のロングソードを両手に構え、血走った目でフルートたちを見て笑っています。

「へへへ……獲物だ獲物だ。自分から俺に殺されに来たな。嬉しいなぁ」

 調子の外れた声に、フルートとゼンは思わずぞっとしました。

「やばいぞ。こいつ正気じゃねえ」

 とゼンが言います。

 フルートは片腕にポチを抱えたままロングソードを抜きました。

 すると、ぼろぼろの男がまた言いました。

「ほーぉ、おまえも剣を使うのか。いいねいいね。そうでなくちゃ面白くない。村の奴らは弱すぎて、ちっとも面白くなかった」

 フルートたちはまた、はっとしました。

「村人を殺したのはおまえか!」

 すると、男はにやぁっと大きく口をゆがめて笑いました。

「狩りだよ狩り。俺は狩りをしてるのさ。獲物は人間。それに牛や馬や動物たち。へへへ。元気なヤツほど楽しくて好きだねぇ」

「……狂ってやがる」

 とゼンは吐き出すようにつぶやきました。その手にはすでに弓矢が握られています。

「そぉら、行くよ! 逃げろ逃げろ! 俺が追いかけて、しとめてやるからさ!」

 男が甲高い声で叫びながら、また切りかかってきました。フルートの剣とぶつかり合って火花を散らします。

 とたんにフルートの体が吹っ飛びました。男は見かけによらず力があったのです。

「うわっ!」

「キャン!」

 フルートとポチは通りの上に転がりました。そこへ男が飛びかかって剣で突き刺そうとします。

 ところが、その手元に矢が刺さりました。ゼンです。

 男は手に矢を突き立てたまま、ぎろりとドワーフの少年をにらみました。

「邪魔をするのかい。面白くない面白くない。獲物は素直に逃げていりゃいいんだよ」

「へっ、ごめんだね。逃げるなんて性に合わないぜ!」

 とゼンは言い返して次の矢を放ちました。今度は男の肩に刺さります。

 ところが、男はうるさそうに頭を振ると、二本の矢を引き抜いてまた剣を構えました。少しも痛そうな顔をしません。

 ゼンは顔をしかめました。

「おい、なんだよ。こいつも痛みを感じないのか?」

 男がゼンに切りかかってきました。ゼンはあわてて飛びのきましたが、そこにもまた剣が突き出されます。かなりの素早さです。

「ゼン!」

 フルートは男に背後から切りつけました。男が振り向きざまフルートの剣を受け止めます。

 その間にゼンは剣の届かないところまで逃げて、鋼の矢を弓につがえました。

「離れろ、フルート! こいつをお見舞いしてやる!」

 けれどもフルートは離れるどころではありませんでした。次から次と繰り出されてくる二本の剣を、受け止めてかわすのが精一杯です。

「ワンワンワンワン……!」

 ポチが吠えていましたが、二人の戦いがあまりに激しいので、近づくことができませんでした。

 やがて、男の剣がフルートの胸をまともに突きました。とたんに、ガキン! と男の剣が折れます。フルートの魔法の鎧のほうが強力だったのです。

 男が驚いている隙に、フルートは思い切り男の腹を突き刺しました。やらなければ、こちらがやられてしまうので、手加減する余裕などありませんでした。さすがの男も悲鳴を上げてよろめきます。

 フルートは大きく飛びのきながら呼びました。

「ゼン!」

「おう!」

 鋼の矢が飛んで、男の胸板を貫きました。

 男はまた悲鳴を上げると、ばったりその場に倒れました。ゼンの矢は見事に急所を貫いたのです。

 

「ふう……」

 フルートとゼンは冷や汗をぬぐって敵に近寄りました。ポチも二人の足下に駆け寄ってきます。

「この人、誰だったんだろうね? どうしてこんなことをしたんだろう?」

 とフルートは男を見下ろしました。本当に、まったく見知らぬ顔の男です。

 ゼンは肩をすくめました。

「霧の影響を受けて頭が変になったんだろうよ。このあたりは霧が本当に濃くなってるからな。もろに影響を受けたんだろう」

 ゼンは話しながら男の胸から鋼の矢を引き抜き、地面に落ちていた木の矢も拾い集めました。矢がだんだん少なくなってきたので、一本でも無駄にできなかったのです。男は完全に息絶えていて、地面に倒れたまま身動きもしませんでした。

「このままにしていくしかないね」

 とフルートは言いました。後味の悪い想いは残りますが、男を埋葬したりしていては、時間がかかってしまいます。フルートたちは先を急がなくてはなりませんでした。

「このへんの町や村がどこもこんな感じだとすると、この先、ポチを預けられる場所は見つからないかもしれないぞ」

とゼンが言ったので、フルートはまた考え込んでしまいました。

 ところが、フルートたちが廃村を後にしようとすると、足下を歩いていたポチが背後へまたうなり出しました。

 フルートとゼンは、どきりとして振り向き、目を見張りました。

 通りに倒れて死んでいたはずの男が、また立ち上がってくるところだったのです――。

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