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第1巻「黒い霧の沼の戦い」

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28.迷い犬

 ビスクの町で悪党たちを撃退した後、フルートとゼンは二日間全速力で進み続けました。休憩は食事をとるときと夜休むときだけ。食事もごく短時間ですませ、朝は空がうっすら明るくなってくると、すぐにまた出発しました。馬でこんな強行軍をすれば、すぐに馬がつぶれてしまいますが、走り鳥はいつまでも同じ速度で走り続けました。

 そうして、二日目の夕方。ゼンがフルートに言いました。

「今日はここらで休もうぜ。真っ暗になると薪が集められなくなるからな」

 そこで、彼らは荒野の真ん中で走り鳥を止めました。疲れを知らない鳥は、荷物を下ろすと、すぐに餌を探しに走って行ってしまいました。

「フルート、大丈夫か? つい俺のペースで走ってきちまったけど、おまえは人間だもんな。くたびれたんじゃないか?」

 とゼンが心配して尋ねると、フルートはほほえみました。

「大丈夫だよ。確かに、普通だったら、こんなに走ったらへとへとになっちゃう気がするけど、今は全然なんでもないんだ。足下さえ見えれば、夜通しでも走れそうなくらいだよ。たぶん金の石から力が送られてきているんだろうな」

「ふぅん。頼りになるな、その石は」

 とゼンは素直に感心しました。

 その後、彼らが近くの林で薪を集めていると、ウサギがひょっこり顔を出したので、ゼンは素早く弓矢でしとめました。

「いいぞ。今夜のメニューはこいつに決まりだ」

 あたりが暗くなる頃には、パチパチと火の粉をたてて燃える焚き火の上で、ウサギの肉がこんがりと焼けていました。

「ビスクの町で材料を仕入れていたら、ウサギ肉のパイが作れたんだけどなぁ」

 とゼンが残念がるので、フルートは笑いました。

「ウサギの丸焼きだって充分ごちそうだよ。ぼくはさっきからお腹が鳴りっぱなしさ」

「もうちょっとだ。あと五分くらいで完全に火が通るからな」

 とゼンは答えて、木の枝に刺した肉をくるりと火の上で回しました。

 フルートは目を上げてあたりを眺めました。霧の向こうで日が暮れたようで、荒野はどんどん暗くなっていきます。これから後、夜は星さえ見えない暗闇に包まれてしまうのです。

 すると、荒野の向こうのほうで何かがちらりと動いた気がしました。

 フルートが目をこらしていると、また動きます。小さな生き物のようです。

 フルートは外していた剣を握って立ち上がりました。

「なんだ?」

 とゼンが尋ねます。

「生き物が近づいてくるよ。ちょっと見てくる」

「気をつけろよ。やばかったら大声で俺を呼べ。それと、肉が冷めないうちに戻ってこいよ」

 あまり深刻でもない調子でゼンは言うと、ほとんど焼き上がった肉の、最後の仕上げに取りかかりました。香草が入った塩をふりかけたり、小瓶から何かいい香りのするたれをかけたりしています。

 フルートは剣を背負い直すと、静かに歩き出しました。

 

 生き物は時々荒野のくぼみに姿を隠しながら、次第にこちらに近づいていました。フルートは厳しい顔になりました。霧の中にいる獣は油断できません。小さくても危険な敵かもしれないのです。フルートは炎の剣を抜くと、いっそう慎重に近づいていきました。

 すると、突然生き物が地面に伏せました。しばらくじっとしてから、おもむろに立ち上がって、また歩き出します。妙にふらふらとした動き方でした。何メートルか進むと、いきなりまた地面に伏せてしまいます。

 フルートは目を丸くしました。生き物はフルートたちに忍び寄っているのではありませんでした。今にも力尽きそうになっていて、何度も倒れながらこちらに向かっていたのです。

 急いで駆け寄ってみると、それは一匹の白い子犬でした。まだ生まれて半年くらいでしょうか。がりがりに痩せていて、薄汚れた毛並みをしています。

「どうしてこんなところに?」

 とフルートが思わず言うと、子犬はよろよろと立ち上がりました。大きな黒い瞳でフルートを見上げて弱々しい声を上げます。

「キューン……」

 子犬はまたばったり地面に倒れると、そのまま動かなくなってしまいました。

 

「ゼン!」

 フルートが大あわてで駆け戻ってきたので、ゼンはとっさに弓矢に手を伸ばしました。

「どうした! 敵か!?」

「違うよ、ほら……! 金の石を使っても元気にならないんだよ! 息はあるのに!」

 とフルートは抱きかかえてきた子犬を見せました。子犬はフルートの腕の中でぐったり目を閉じていました。

 ゼンは子犬の体にあちこち触ってみました。

「こいつ、腹が減りすぎて飢え死にしかけてるんだ。金の石じゃ治せない。なにか食わせてやらないと」

「肉を食べさせよう」

 とフルートがウサギの丸焼きを見ると、ゼンは首を振りました。

「だめだ。この感じだと、かなり長いこと何も食ってなさそうだからな。まだ子犬だし、消化のいいものを食わせないと、消化不良を起こしてくたばっちまうぞ」

 そう言いながらゼンは焼き肉を火の上から外し、代わりに小さな鍋をかけて、てきぱきと何かを作り始めました。やがて、薄いおかゆのようなスープができあがります。

「冷ましてから少しずつ食わせよう。これに慣れたら、だんだん肉も食えるようになるはずだ……。ほら、食えよ」

 ゼンは器に入れたスープのそばに子犬を置きましたが、子犬は地面にうずくまったまま身動きしませんでした。顔を上げて食べる力さえ、もう残っていなかったのです。

 そこで、彼らは子犬の口にスプーンでスープを流し込んでやりました。子犬は初め呑み込むことさえできないでいましたが、あきらめずに流し込んでいると、突然ごくりと咽を鳴らして呑みました。さらに二さじ、三さじと流し込んでやると、子犬はそれも呑み込んで目を開けけ、スープの器に頭を突っ込みました。カフカフ、ピチャピチャ音を立てながら、ものすごい勢いで呑み始めます。

「よぉし、落ちつけ落ちつけ。ゆっくりだぞ」

 とゼンは子犬に声をかけながら、少しずつ少しずつ、器にスープを足してやりました。やがて子犬は元気を取り戻して、自分の足で立って食べられるようになりました。

 その様子にフルートは、ほっとしました。

「良かった。金の石を当てても全然元気にならないから、焦っちゃったよ」

「フルートだって金の石を持っていても腹が減るじゃないか。金の石は空腹は癒せないんだよな。どれ、俺たちも夕飯にしようぜ。俺ももう腹ぺこだ」

 とゼンは言うと、ウサギの丸焼きをフルートと自分に切り分けました。元気が出てきた子犬も、小さな肉の切れ端を分けてもらいました。

 夢中で肉をかむ子犬を見ながら、フルートは言いました。

「どうしてこんなところにいたんだろうね? 親犬は見あたらなかったんだよ」

「迷い犬だろうなぁ」

 とゼンが肉にかぶりつきながら言いました。

「でなきゃ捨て犬だ。霧の中で迷って、こんなところまで来たんだろう。フルートが見つけなきゃ間違いなく死んでたぞ」

 子犬はようやくお腹がいっぱいになったようで、フルートの隣にころんと横になると、そのまま眠ってしまいました。すぅすぅと規則正しい寝息が聞こえ始めます。

「どうしようね、この子犬……」

 とフルートが考え込むように言ったので、ゼンは驚いた顔になりました。

「今、こいつをここに置いていったら、すぐにまた飢え死にしちまうぞ。元気になるまで面倒見てやらないと」

「うん。助けてあげたいのは山々なんだけど、ぼくたちは霧の源に向かうところなんだよ。そんな危険な場所までは連れていけないよね」

 フルートが言うことはもっともだったので、ゼンも考え込んでしまいました。

「それじゃ、町か村を通りかかったら、そこの人間にこいつを頼もうぜ。飼ってもらえるかもしれないからな」

「そうか、そうだね。飼ってもらえなくても、ぼくたちが戻ってくるまでなら預かっていてもらえるかもしれないよね」

 フルートもやっと安心した顔になると、おもむろに焼き肉にかじりつきました。

「おいしい! 君って本当に料理が上手だな、ゼン!」

「へへへっ。それじゃ、将来は猟師じゃなく料理人になることにするかぁ?」

 ゼンが軽口をたたいて笑います。

 黒より暗い闇に包まれた荒野の中、焚き火の炎は二人の子どもと一匹の子犬を暖かく照らし続けていました。

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