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第1巻「黒い霧の沼の戦い」

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30.銀狼

 ぼろぼろの男は、剣を杖にしてゆっくり立ち上がってくると、顔を上げて、にやぁっと笑いました。

「そんな馬鹿な!」

 とゼンが叫びました。鋼の矢は確かに男の心臓を貫いたのです。

 フルートが、はっとして言いました。

「闇のものだ! 殺しても死なない怪物なんだ!」

「当たり当たりぃ」

 男がにやにや笑いながら答えました。

「いいねぇ、強いヤツ。好きだよ好きだよ。おまえたちは子どもだけれど、結構やるじゃないか。どれ、俺の方も本気で行くとするか」

 そう言うと、男はいきなり剣を投げ捨てました。驚く子どもたちの前で両手を地面につくと、オォーッと太い声でうなり始めます。

「お、おい……」

 ゼンがまた声を上げました。男の体が変化し始めたのです。痩せた体がぐんと大きくなり、ぼろぼろの服が、みるみるうちに銀色の毛に変わっていきます。ものの三十秒とたたないうちに男の姿はすっかり消え、代わりに一頭のオオカミが現れました。普通のオオカミよりふた回りも大きくて、鈍く輝く銀色の毛並みをしています──。

「人狼だ!!」

 とフルートは叫びました。

「人狼? なんだそれ!?」

 とゼンは聞き返しました。故郷の北の峰にはそんなものはいなかったのです。

「人間とオオカミの両方に変身できる怪物だよ! 人狼には普通の武器は効かない! こいつを倒すには、聖なる銀の矢を使うか、首を切って体を燃やしてしまうしかないんだ!」

 話しながらフルートは炎の剣を抜きました。

「聖なる銀の矢? ちぇっ、そんなもの持ってねえぞ」

 ゼンはぶつぶつ言いながら、それでも人狼の目を狙って鋼の矢を放ちました。殺せなくとも、目をつぶせば戦いに有利になると考えたのです。

 ところが、オオカミはひらりと矢をかわすと、フルートたちの背後に降り立ちました。子どもたちの頭上を飛び越えたのです。すごい跳躍力でした。

「食ってやる食ってやるよ、おまえたち」

 とオオカミが男の声で言いました。口からよだれをしたたらせています。

「村人たちと同じように、骨のひとかけらも残さないで、綺麗さっぱり食べてあげるよ。いいねいいね。ぞくぞくするね」

 フルートとゼンは思わず顔をしかめました。

「おかしいと思ったんだよな。あれだけ血が流れているのに、どこにも村人の死体が見あたらないから」

 とゼンがつぶやきます。

「はぁっ!」

 フルートが剣を振りました。ゴウッと音を立てて、炎の弾が人狼へ飛んでいきます。

 ところが、人狼はまたひらりと身をかわすと、今度は村の外の森の中に飛び込みました。背の高い草や茂みのどこかから声がします。

「面白い武器を持っているね、鎧の子ども。ふんふぅん、おまえから片づけた方がよさそうだ」

 ガサガサガサ……茂みの中をオオカミが走る音が聞こえてきます。

 フルートは緊張して剣を構えました。

「気をつけろ、フルート!」

 とゼンが言った瞬間、茂みの中から人狼が飛び出してきました。フルートめがけて飛びかかってきます。

「うわっ!」

 フルートは体当たりをまともに食らって地面に倒れました。その拍子に兜が脱げて転がっていきます。

「しまった!」

 フルートが兜に手を伸ばそうとすると、人狼がまた飛びかかってきました。フルートの頭をかみ砕こうとします。

 そのときです。

「ワンワンワンワン!!」

 白い子犬が銀オオカミの鼻面にかみついていきました。ポチです。

 オオカミは思わずたじろぎ、その間にフルートは跳ね起きて剣を構え直しました。兜を拾い上げる余裕はありません。

「ええい、チビ犬! 邪魔邪魔!」

 オオカミが大きく頭を振ると、ポチの小さな体は何メートルも飛んで地面にたたきつけられました。キャン! と悲鳴を上げて動かなくなってしまいます。

「ポチ!」

 フルートたちが叫ぶと、人狼がまた笑いました。

「犬の心配をしている場合じゃないよねぇ。さあ、俺は隠れるよ。俺はどこから来るだろうねぇ。探せ探せ、子どもたち。俺の牙はおまえたちの頭をかみ砕きたくて、うずうずしてるよ」

 人狼はひらりと森に飛び込んで姿を消しました。ガサガサ……とまた茂みが鳴り出します。オオカミが茂みの中を走り始めたのです。

 フルートは剣を、ゼンは弓矢を構えたまま、周囲の茂みを見回しました。音はものすごい速さで移動していくので、オオカミがどこにいるのか見当がつきません。銀の姿もまるで見えません。フルートたちは人狼が飛び出してきた瞬間を狙おうと、武器を握りしめました。

 茂みの音が突然ぴたりと停まります。

 すると、子どもの声が響きました。

「フルート! 上です!」

 フルートは、はっと上を見ました。

 銀色のオオカミが頭上から音もなく襲いかかってくるところでした。

 人狼は茂みから木の梢に飛び上がり、上からフルートに襲いかかってきたのです。大きな口を開けて、フルートの頭にかみつこうとしています。

 フルートはとっさに炎の剣を突き出しました。剣の切っ先がオオカミの口の中に突き刺さり、首の後ろから飛び出します。

 フルートは、そのまま、力一杯剣を横に払いました。オオカミの頭が切り裂かれて、ぼっと火を噴きます。

「ゲヒャァァアアア……!!!!」

 すさまじい叫び声が響きます。

 フルートは剣を構え直すと、燃え上がる人狼の頭を切り落としました。

 頭は大きく飛んで地面に転がり、いっそう激しく燃え出しました。オオカミの体も音をたてて炎に包まれます……。

 

「フ、フルート、怪我はないか?」

 ゼンが真っ青な顔で飛んできました。ゼンは、人狼が上からフルートに襲いかかった瞬間、もうだめだ、と思わず目をつぶってしまったのです。

 フルートは、汗びっしょりになって、ふぅっと大きなため息をつきました。

「うん、大丈夫。それより今の声は……?」

 フルートはあたりを見回しました。上です! と危険を教えてくれたのは、ゼンの声ではありませんでした。聞き覚えのない小さな子どもの声です。声の主を捜してきょろきょろと見回していると、地面の上でうずくまっているポチと目が合いました。おびえたように体を丸めています。

 フルートは目を丸くしました。まさか、と思うより先に、思わずことばが口から出ました。

「ポチ、君かい……?」

 ゼンも目をまん丸にしました。子どもの声はゼンも聞いていました。それは確かにポチがいるあたりから聞こえてきたのです。

 ポチはおびえて小さくなっていましたが、フルートたちが見つめ続けると、ふっと目つきを変えました。賢そうな光が瞳に宿ります。

 ポチは静かに立ち上がると、人のことばで話し出しました。

「はい、ぼくです……。お二人が助かって、本当に良かった。これでご恩返しできましたね……」

 黒い瞳が、ほほえむような表情を浮かべました。なんだか今にも泣き出しそうに見える目でした。

 フルートたちが何も言えずにいると、ポチは二人に向かって頭を下げました。

「飢え死にしそうだったところを助けて下さって、本当にありがとうございました。お二人のことは、いつまでも忘れません……。それじゃ」

 そう言うと、子犬は背中を向けて二人の前から立ち去ろうとしました。

「おい。ちょっと待てよ、ポチ」

 とゼンがあきれて呼び止めました。

 フルートも言いました。

「どうしてそんなこと言うのさ? どこに行こうっていうの?」

 ポチは驚いて振り返り、たちまちまたおびえた様子になりました。

「だって、だって……だって……ぼくは、人のことばをしゃべる犬ですよ……。怖くないんですか……?」

「ちぇっ。怖がってるのはおまえのほうだろ。俺たちが何をするって言うんだ。そりゃ今までワンとしか鳴かなかったヤツが突然しゃべったんだから、ちょっと驚いたけどな。別に怖くも気味悪くもないぞ」

 とゼンは口をとがらせました。

 フルートも優しく言いました。

「ぼくはものを言う馬と会ってるよ。馬がしゃべるんだもの、犬がしゃべったって全然不思議じゃないよね」

「だいたい、人間のことばをしゃべるオオカミだっていただろうが」

 とゼンが燃え尽きようとしている人狼を指さします。

「フルート……ゼン……」

 ポチは呆然としてつぶやくと、ふいに、ぺたりと座りこみました。そのまま力なく倒れてしまいます。

「ポチ!?」

 フルートたちは驚いて駆け寄りました。子犬は横たわったまま苦しそうな息をしていました。

「さっきたたきつけられたときに怪我をしたんだ!」

 とゼンがポチの体にさわって言いました。

「あちこち骨が折れてるぞ。ったく、こんな体でどこに行こうとしてたんだよ!」

「大丈夫。今すぐ治してあげるからね」

 とフルートがペンダントをポチに押し当てると、ポチはたちまち元気を取り戻しました。

「うん、今度は金の石もちゃんと効いたね」

 とフルートはにっこりします。

 

「フルート、ゼン……」

 ポチは立ち上がると、二人を見上げておずおずと言いました。

「本当に、ぼくが怖くないんですか? 気味が悪くないんですか……?」

「おい、しつこいぞ」

 とゼンはむっとした顔になりましたが、フルートはピンときて聞き返しました。

「もしかして、人のことばをしゃべって、人間からいじめられたことがあるの?」

 とたんに、ポチはびくりと身をすくませました。また、おびえたように小さく体を丸めてしまいます。その様子だけで、フルートたちには子犬が今までどんなふうに扱われてきたかがわかりました。

「かわいそうに……」

 フルートはポチにかがみ込むと、そっと背中をなでてやりました。

 ゼンがあきれたように言いました。

「犬が人のことばをしゃべって何が悪いってんだよ? 話が通じて便利じゃないか」

「世の中には、ことばをしゃべる動物は闇の生き物だと思い込んでる人たちがいるんだよ。お父さんがそう言ってた」

「さっきの人狼みたいにか? でも、ポチは違うだろうが」

「うん、全然違う。ぼくが会ったもの言う馬だって、聖なる炎の馬だったよ」

 そんなやりとりをするフルートとゼンを、ポチはまた見上げました。おびえていた瞳が次第に輝き始めます。

 やがて、ポチはこんなことを言い出しました。

「フルート、ゼン、ぼく一緒について行ってもいいですか? ぼくは人のことばをしゃべれる他にはなんの力もないんですが……でも、お二人がいいと言ってくれたら、ぼくも一緒に行きたいんです。この黒い霧の源まで」

 フルートとゼンは、はっとしました。もの言う子犬は、出会ったときからずっとフルートたちの話に耳を傾けていて、彼らがどこへ何をしに行くのか、ちゃんと理解していたのです。

「ポチ、ぼくは――」

 とフルートが困ったように言いかけると、ゼンが、どん! とその横腹にひじ鉄を食らわせました。

「いいじゃないか! 金の石の勇者とドワーフともの言う犬の一行。黒い霧の中の敵と戦うには、なかなかのメンツだぞ」

「ゼン!」

 フルートが抗議しようとすると、ゼンはポチを指さしてみせました。

「無駄だぜ、フルート。遠慮しながら言ってるように聞こえるが、どんなに反対したって、こいつはおまえについてくる。俺と同じさ。そういう目をしてる」

 ワンワン! とポチは飛び跳ねて、尻尾をちぎれそうなほど振りました。

「ぼく、一生懸命ついていきます! もしもお役に立てることがあったら、ぼくはなんでもします! だから、ぼくを一緒に連れていって下さい!」

「だけど……」

 フルートは困惑しました。ポチが慕ってくれるのは嬉しかったのですが、この先の危険を思うと、とても連れていく気にはなれなかったのです。

 けれども、ゼンは子犬に言いました。

「がんばれよ、ポチ。体は小さくたって、きっとできることはあるからな。一緒に敵を倒して、この霧を追い払おうぜ」

「ワンワン、わかりました!」

 ポチが元気いっぱい答えます。

 フルートは反論できなくなって、立ちつくしてしまいました――。

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