「ゼポンだ!」
「ゼポンが来たぞ!」
フルートたちに怪我を負わされた男たちが、巨大な生き物を見て歓声を上げました。フルートたちへ勝ち誇ったように笑う男もいます。
「へへへ、これでおまえらも一巻の終わりだ! ゼポンに挽肉(ひきにく)にされて食われろ!」
フルートはゼンのそばに駆け寄ると、剣を構えながら言いました。
「なんだろう、あの怪物?」
見た目は猿なのですが、身の丈は二メートル半ほどもあって、真っ白な長い毛におおわれていたのです。腕は地面につくほど長くて太く、馬鹿でかい手がついています。
ゼンが肩をすくめました。
「ただの雪猿だ。北の山脈にはいっぱいいるぜ。このへんじゃ珍しいのか?」
「初めて見たよ」
「あんまり頭のいいヤツじゃない。でも、力だけはやたらと強いから気をつけろよ。あの手につかまったら、あっという間に引きちぎられるぜ」
「そうそう。こいつは血を見るのが大好きなのさ」
と痩せた男が笑いました。
「ドワーフを殺すのは初めてだねぇ。ドワーフの血の色は何色なのか、見るのが楽しみだよ。そらゼポン、あいつらがおまえの獲物だ。好きなように遊べ」
痩せた男が手にしていた鎖を振ると、太い鎖が首輪から外れて落ちました。雪猿が両腕を振り上げてほえます。
ギャオーオーオー……!!!
「うるせえ、黙れ」
とゼンは矢を放ちました。木の矢が雪猿の胸に突き刺さりましたが、猿は少しもひるみませんでした。突進してつかみかかってきます。
ゼンは驚いて飛び退きました。
「なんだ? 矢が効かないのか?」
「危ない!」
フルートがゼンの前に飛び出して切りつけました。白い毛がちぎれ赤い血しぶきが散りますが、雪猿はそれでも気にせず二人に襲いかかってきます。
ゼンとフルートはまた飛び退いて、雪猿と距離を置きました。
雪猿が傷をまったくかばおうとしないので、フルートが言いました。
「痛みを感じてないんだ! いくらやられても、傷のダメージを受けないんだよ!」
「その通り!」
と痩せた男がキンキン声で答えました。
「デポンは俺のペットさ。しばらく前から急に強くなってきてねぇ。今じゃ力は普通の雪猿の数倍はあるし、痛みもまったく感じなくなっている。だから、いくら攻撃されても全然ひるまないんだ。無敵だよ、俺のゼポンは」
手下の男たちは雪猿とフルートたちを取り囲んで、口々にはやし立てていました。行け行け! そいつらを引き裂け! と叫んでいます。
「黒い霧の影響で凶暴化してるんだ」
とフルートはゼンに言いました。
「猿だけじゃなく、飼い主まで影響を受けて、頭が変になってるようだな」
とゼンが聞こえよがしに言ったので、痩せた男の目が凶悪な色を深めました。
「ゼポン! あのチビのドワーフからちぎってやれ!」
とゼンを指さします。
雪猿がゼンに突進してきました。
ゼンは矢筒から鋼の矢を抜いて放ちました。金属の矢は狙い違わず猿の咽に命中して、矢羽根の根元まで深々と刺さりました。雪猿の巨体が地響きをたてて倒れます。
へっ、とゼンは笑いました。
「こちとら、あのグラージゾを倒してきたんだぞ。雪猿なんかにやられてたまるか。いくら痛みを感じなくても、急所をやられれば動けなくなるに決まってるだろう」
「ゼポン!」
痩せた男が顔色を変えて猿に駆け寄っていきました。
ゼンは肩をすくめて背中を向けます。
そのとたん。
「ゼン、危ない!」
フルートがゼンのすぐ後ろに飛び出してきました。
ガシャン! と派手な音がしてフルートの体が吹っ飛び、石畳にたたきつけられます。
振り向いたゼンの視界に飛び込んできたのは、目をらんらんと輝かせて立つ雪猿の姿でした。咽に受けた矢は抜け落ちて、傷跡まで消えてしまっています。
「なんだ!?」
驚くゼンに、痩せた男はにやにや笑いながら両手を広げて見せました。
「悪いねぇ。実は俺は魔法医でね。ゼポンがどんなに怪我をしても、この手を当ててやれば、たちどころに治してやれるのさ」
このシャーキッドという男は、手下や痛みを感じない雪猿を使ってビスクの町を荒らし回り、仲間や猿が怪我をすれば、魔法の力で治していたのでした。怪我を恐れない悪党どもは、文字通り怖いもの知らずだったのです。
「ちっきしょう……」
ゼンは歯ぎしりして、じりじりと雪猿の前から後ずさりました。
すると、フルートが立ち上がりました。
「癒しの力で人を傷つけたり困らせたりするなんて、どういうことだ! おまえは医者の風上にも置けない奴だ!」
シャーキッドは笑いながらフルートを振り向きました。
「自分の力を自分のために使って何が悪い? 人生は楽しむものだぜ。みんな、俺の前にひれふせばいいのさ!」
甲高い笑いがきんきんと響き渡ります。
「違う!」
とフルートは叫びました。
「力は、そんなことのために使っちゃいけないんだ! 絶対に!」
胸当ての中の金の石が、焼けるように熱く感じられていました。握っていた剣を頭上へ高く構えます。
ゼンはあわてて雪猿から遠ざかりました。フルートが炎の剣を構えていることに気づいたのです。
ゴウッ!!
激しい風と共に、剣から炎の弾が飛び出して、雪猿に命中しました。
雪猿はあっという間に炎に包まれます。
グァァ……ギャアァァァ……!!!
「ゼ、ゼポン!!」
真っ青になったシャーキッドに、フルートが切りかかっていきました。
「うわぁっ!」
身をかばって突き出したシャーキッドの両手を、一刀で切り落とします。
とたんにゼンがつぶやきました。
「ちぇっ。そんな悪党、燃やしちまえばいいのに」
フルートはシャーキッドに切りつける直前に、炎の剣を普通のロングソードに持ち替えていたのです。
血まみれで転げ回る男に、フルートは厳しい口調で言いました。
「もう癒しの魔法は使えないよ。手がなくなっちゃったからね。おまえを治してくれる人は誰もいないんだ」
それから、立ちすくんでいる子分たちに命じます。
「こいつを連れて早く町を出て行け! 今度ビスクの町に来たら、その時にはもう手加減はしないぞ!」
普段のフルートからは想像もつかないような強い声でした。
男たちは雷に打たれたように飛び上がると、一目散に逃げ出しました。シャーキッドも子分たちに抱えられて町から逃げていきます。
通りでは雪猿を包む炎が燃え尽きていくところでした。黒い炭になった猿の体が崩れ落ちていきます。
フルートは剣を鞘に戻すと、ゼンを見ました。いつもの優しい少年の顔に戻って、ちょっと苦笑いをして見せます。
ゼンは、にやりと笑い返しました。
「お見事。さすがは金の石の勇者だぜ」
とたんに、うわぁぁぁ!! という声が通りに湧き起こりました。家々から興奮した住人が次々飛び出してきます。
「やった! ゼポンもシャーキッドもいなくなった!」
「これで安心して外に出られる!」
「店ももう襲われないぞ!」
「万歳!」
男も女も老人も子どもも大喜びで通りに出てきます。フルートたちは、たちまち大勢に取り囲まれてしまいました。
「ドワーフの勇者たち! ありがとう、ありがとう!」
「あんたたちは町の恩人だ!」
「ドワーフさんたち。ぜひ、お名前を……!」
それを聞いて、ゼンがあきれた顔をしました。
「あのなぁ。いくらドワーフが珍しいからって、フルートまでドワーフにするなよ。こいつは人間だぜ。金の石の勇者だ」
「金の石の勇者」
大勢が、はっとしました。皆、数週間前に国王が出したおふれを覚えていたのです。
「では、この黒い霧を消すために……?」
人々の顔が期待で輝き出しました。目の前にいるのは声変わりもしていない少年たちですが、凶暴な雪猿や悪党どもを退治したので、ひょっとしたら本当に、と考えたのです。
フルートはうなずきました。
「ぼくとゼンは、この霧を打ち払うために、霧の源に向かっているんです。ゼン、先を急ごう。こんなにあちこちで霧の影響が出ていては、ぐずぐずしていちゃいけない気がするよ」
「ああ。ろくでもない奴らがどんどん増えてるようだからな。元をたたかない限り、いなくならないんだろう」
ゼンはまわりを囲む人たちに道をあけてもらうと、ぴゅうっと口笛を吹きました。たちまちどこからか走り鳥がやってきて、二人の前で立ち止まりました。
「国王様に伝えてください。金の石の勇者と仲間は霧の源に向かいました、って――」
フルートは町の人たちにそう言い残すと、ゼンと一緒に走り鳥に乗って、まっしぐらに走りだしました。ビスクの町を西から抜け、街道からまた荒野に戻って、南南東の方角を目ざします。
その後、フルートの伝言を伝えるために、ビスクの町から国王の元へ伝令が走りました。金の石の勇者が仲間のドワーフと協力してビスクの町を悪党から救い、黒い霧を打ち払いに南に向かったという噂は、周囲の町や村にも広がっていきます。
それは、暗い霧に気持ちまで沈み込んでしまった人々に、希望の光をともしました。人が集まるところは、どこも金の石の勇者の噂で持ちきりになります。
やがて、その噂はシルの町にいるフルートの両親にも伝わっていきました。
「フルート……」
両親だけは心配そうな表情になると、息子の無事をただ神に祈りました。