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第1巻「黒い霧の沼の戦い」

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27.雪猿

「ゼポンだ!」

「ゼポンが来たぞ!」

 フルートたちに怪我を負わされた男たちが、巨大な生き物を見て歓声を上げました。フルートたちへ勝ち誇ったように笑う男もいます。

「へへへ、これでおまえらも一巻の終わりだ! ゼポンに挽肉(ひきにく)にされて食われろ!」

 フルートはゼンのそばに駆け寄ると、剣を構えながら言いました。

「なんだろう、あの怪物?」

 見た目は猿なのですが、身の丈は二メートル半ほどもあって、真っ白な長い毛におおわれていたのです。腕は地面につくほど長くて太く、馬鹿でかい手がついています。

 ゼンが肩をすくめました。

「ただの雪猿だ。北の山脈にはいっぱいいるぜ。このへんじゃ珍しいのか?」

「初めて見たよ」

「あんまり頭のいいヤツじゃない。でも、力だけはやたらと強いから気をつけろよ。あの手につかまったら、あっという間に引きちぎられるぜ」

「そうそう。こいつは血を見るのが大好きなのさ」

 と痩せた男が笑いました。

「ドワーフを殺すのは初めてだねぇ。ドワーフの血の色は何色なのか、見るのが楽しみだよ。そらゼポン、あいつらがおまえの獲物だ。好きなように遊べ」

 痩せた男が手にしていた鎖を振ると、太い鎖が首輪から外れて落ちました。雪猿が両腕を振り上げてほえます。

 ギャオーオーオー……!!!

「うるせえ、黙れ」

 とゼンは矢を放ちました。木の矢が雪猿の胸に突き刺さりましたが、猿は少しもひるみませんでした。突進してつかみかかってきます。

 ゼンは驚いて飛び退きました。

「なんだ? 矢が効かないのか?」

「危ない!」

 フルートがゼンの前に飛び出して切りつけました。白い毛がちぎれ赤い血しぶきが散りますが、雪猿はそれでも気にせず二人に襲いかかってきます。

 ゼンとフルートはまた飛び退いて、雪猿と距離を置きました。

 雪猿が傷をまったくかばおうとしないので、フルートが言いました。

「痛みを感じてないんだ! いくらやられても、傷のダメージを受けないんだよ!」

「その通り!」

 と痩せた男がキンキン声で答えました。

「デポンは俺のペットさ。しばらく前から急に強くなってきてねぇ。今じゃ力は普通の雪猿の数倍はあるし、痛みもまったく感じなくなっている。だから、いくら攻撃されても全然ひるまないんだ。無敵だよ、俺のゼポンは」

 手下の男たちは雪猿とフルートたちを取り囲んで、口々にはやし立てていました。行け行け! そいつらを引き裂け! と叫んでいます。

「黒い霧の影響で凶暴化してるんだ」

 とフルートはゼンに言いました。

「猿だけじゃなく、飼い主まで影響を受けて、頭が変になってるようだな」

 とゼンが聞こえよがしに言ったので、痩せた男の目が凶悪な色を深めました。

「ゼポン! あのチビのドワーフからちぎってやれ!」

 とゼンを指さします。

 雪猿がゼンに突進してきました。

 ゼンは矢筒から鋼の矢を抜いて放ちました。金属の矢は狙い違わず猿の咽に命中して、矢羽根の根元まで深々と刺さりました。雪猿の巨体が地響きをたてて倒れます。

 へっ、とゼンは笑いました。

「こちとら、あのグラージゾを倒してきたんだぞ。雪猿なんかにやられてたまるか。いくら痛みを感じなくても、急所をやられれば動けなくなるに決まってるだろう」

「ゼポン!」

 痩せた男が顔色を変えて猿に駆け寄っていきました。

 ゼンは肩をすくめて背中を向けます。

 そのとたん。

「ゼン、危ない!」

 フルートがゼンのすぐ後ろに飛び出してきました。

 ガシャン! と派手な音がしてフルートの体が吹っ飛び、石畳にたたきつけられます。

 振り向いたゼンの視界に飛び込んできたのは、目をらんらんと輝かせて立つ雪猿の姿でした。咽に受けた矢は抜け落ちて、傷跡まで消えてしまっています。

「なんだ!?」

 驚くゼンに、痩せた男はにやにや笑いながら両手を広げて見せました。

「悪いねぇ。実は俺は魔法医でね。ゼポンがどんなに怪我をしても、この手を当ててやれば、たちどころに治してやれるのさ」

 このシャーキッドという男は、手下や痛みを感じない雪猿を使ってビスクの町を荒らし回り、仲間や猿が怪我をすれば、魔法の力で治していたのでした。怪我を恐れない悪党どもは、文字通り怖いもの知らずだったのです。

「ちっきしょう……」

 ゼンは歯ぎしりして、じりじりと雪猿の前から後ずさりました。

 

 すると、フルートが立ち上がりました。

「癒しの力で人を傷つけたり困らせたりするなんて、どういうことだ! おまえは医者の風上にも置けない奴だ!」

 シャーキッドは笑いながらフルートを振り向きました。

「自分の力を自分のために使って何が悪い? 人生は楽しむものだぜ。みんな、俺の前にひれふせばいいのさ!」

 甲高い笑いがきんきんと響き渡ります。

「違う!」

 とフルートは叫びました。

「力は、そんなことのために使っちゃいけないんだ! 絶対に!」

 胸当ての中の金の石が、焼けるように熱く感じられていました。握っていた剣を頭上へ高く構えます。

 ゼンはあわてて雪猿から遠ざかりました。フルートが炎の剣を構えていることに気づいたのです。

 ゴウッ!!

 激しい風と共に、剣から炎の弾が飛び出して、雪猿に命中しました。

 雪猿はあっという間に炎に包まれます。

 グァァ……ギャアァァァ……!!!

「ゼ、ゼポン!!」

 真っ青になったシャーキッドに、フルートが切りかかっていきました。

「うわぁっ!」

 身をかばって突き出したシャーキッドの両手を、一刀で切り落とします。

 とたんにゼンがつぶやきました。

「ちぇっ。そんな悪党、燃やしちまえばいいのに」

 フルートはシャーキッドに切りつける直前に、炎の剣を普通のロングソードに持ち替えていたのです。

 血まみれで転げ回る男に、フルートは厳しい口調で言いました。

「もう癒しの魔法は使えないよ。手がなくなっちゃったからね。おまえを治してくれる人は誰もいないんだ」

 それから、立ちすくんでいる子分たちに命じます。

「こいつを連れて早く町を出て行け! 今度ビスクの町に来たら、その時にはもう手加減はしないぞ!」

 普段のフルートからは想像もつかないような強い声でした。

 男たちは雷に打たれたように飛び上がると、一目散に逃げ出しました。シャーキッドも子分たちに抱えられて町から逃げていきます。

 通りでは雪猿を包む炎が燃え尽きていくところでした。黒い炭になった猿の体が崩れ落ちていきます。

 フルートは剣を鞘に戻すと、ゼンを見ました。いつもの優しい少年の顔に戻って、ちょっと苦笑いをして見せます。

 ゼンは、にやりと笑い返しました。

「お見事。さすがは金の石の勇者だぜ」

 

 とたんに、うわぁぁぁ!! という声が通りに湧き起こりました。家々から興奮した住人が次々飛び出してきます。

「やった! ゼポンもシャーキッドもいなくなった!」

「これで安心して外に出られる!」

「店ももう襲われないぞ!」

「万歳!」

 男も女も老人も子どもも大喜びで通りに出てきます。フルートたちは、たちまち大勢に取り囲まれてしまいました。

「ドワーフの勇者たち! ありがとう、ありがとう!」

「あんたたちは町の恩人だ!」

「ドワーフさんたち。ぜひ、お名前を……!」

 それを聞いて、ゼンがあきれた顔をしました。

「あのなぁ。いくらドワーフが珍しいからって、フルートまでドワーフにするなよ。こいつは人間だぜ。金の石の勇者だ」

「金の石の勇者」

 大勢が、はっとしました。皆、数週間前に国王が出したおふれを覚えていたのです。

「では、この黒い霧を消すために……?」

 人々の顔が期待で輝き出しました。目の前にいるのは声変わりもしていない少年たちですが、凶暴な雪猿や悪党どもを退治したので、ひょっとしたら本当に、と考えたのです。

 フルートはうなずきました。

「ぼくとゼンは、この霧を打ち払うために、霧の源に向かっているんです。ゼン、先を急ごう。こんなにあちこちで霧の影響が出ていては、ぐずぐずしていちゃいけない気がするよ」

「ああ。ろくでもない奴らがどんどん増えてるようだからな。元をたたかない限り、いなくならないんだろう」

 ゼンはまわりを囲む人たちに道をあけてもらうと、ぴゅうっと口笛を吹きました。たちまちどこからか走り鳥がやってきて、二人の前で立ち止まりました。

「国王様に伝えてください。金の石の勇者と仲間は霧の源に向かいました、って――」

 フルートは町の人たちにそう言い残すと、ゼンと一緒に走り鳥に乗って、まっしぐらに走りだしました。ビスクの町を西から抜け、街道からまた荒野に戻って、南南東の方角を目ざします。

 

 その後、フルートの伝言を伝えるために、ビスクの町から国王の元へ伝令が走りました。金の石の勇者が仲間のドワーフと協力してビスクの町を悪党から救い、黒い霧を打ち払いに南に向かったという噂は、周囲の町や村にも広がっていきます。

 それは、暗い霧に気持ちまで沈み込んでしまった人々に、希望の光をともしました。人が集まるところは、どこも金の石の勇者の噂で持ちきりになります。

 やがて、その噂はシルの町にいるフルートの両親にも伝わっていきました。

「フルート……」

 両親だけは心配そうな表情になると、息子の無事をただ神に祈りました。

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