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第1巻「黒い霧の沼の戦い」

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10.黒森

 フルートが国王の城を出て一週間が過ぎました。

 北の街道をたどっていくつもの丘を越え、小さな山を越えると、行く手に大きな森が現れました。黒森と呼ばれる大森林です。ロムド国はここで終わりで、ここから先は、獣や怪物やドワーフといった人間以外のものたちが住む未開の地とされていました。そして、霧はこのあたりにも黒々と横たわっているのでした。

 フルートは森の入り口の家に立ち寄って食料を買おうとしました。こんな場所にも木こりや炭焼きといった、森を生業(なりわい)の場にする人たちは住んでいます。道は森の先まで続いているので、通りかかる旅人に食料を分けてくれたりもするのです。

 家は石造りで、まわりにも石を積んだ高い塀が巡らしてありました。外から敵が侵入するのを防ぐために、頑丈にしてあるのです。

 フルートが黒森を抜けて北の峰に行くつもりだと話すと、太って赤ら顔のおかみさんは、とても心配してくれました。

「黒森はあんたみたいな小さな子が入っていくところじゃないよ。オオカミや熊なんてのは、ましなほうさ。森には怪物がたくさん棲みついているんだからね。しかも、この霧が出るようになってから、獣も怪物も妙に凶暴になってきたって話さ。うちの人も森の奥には行かずに、明るいうちに帰ってくるよ。最近じゃドワーフのところに石や細工物を買いつけに行く者もいなくなったし。みんな、黒森を通るのを怖がっているのさ。悪いことは言わないから、森に入るのはおよし。生きて出てこれなくなるよ」

 けれども、フルートには引き返す気などありませんでした。

「ありがとうございます。だけど、ぼくはどうしても北の峰まで行かなくちゃいけないんです。道はこのまま、まっすぐでいいんですよね?」

「森に入ると、もう街道はなくなるよ」

 とおかみさんはため息をつきながら言いました。

「ただ、北の峰まで馬や馬車がずいぶん行き来してるから、道ははっきりしているはずさ。でもねぇ、あんたみたいな子どもにこんな危険なことをさせるなんて、あんたのご主人はとんでもない人だよ。あんたがもしあたしの子どもだったら、ひっぱたいてでも『森には行くな』と言うところさ」

 フルートはそれを聞いて思わずほほえみました。宿屋の主人と同じように、おかみさんも、フルートが誰かに仕えていて、その命令でここに来たと考えています。もしもここにぼくのお母さんがいたら、やっぱり同じように止めるかな、と考えます。

 だけど、フルートは金の石の勇者でした。たとえ何があっても、行くべきところには行かなくてはならないのです──。

 フルートはおかみさんからパンやチーズ、薫製肉といった食料を買い込むと、馬の背に積み込みました。人のよいおかみさんは、ワインを作るときに一緒に仕込んだというぶどうジュースも、一瓶おまけにくれました。

「森の中で野宿するときには、必ず火をたくんだよ!」

 とおかみさんは門の前で見送りながら言いました。

「森の怪物や獣は火が苦手だからね! いいかい、忘れるんじゃないよ!」

 フルートは、おかみさんに向かってぺこりと頭を下げると、黒森の中へ馬を進ませました。

 

 黒森では、黒杉や黒モミといった針葉樹が、大きな枝をうっそうと広げていました。冬でも葉の落ちない黒い梢です。普段から暗い森なのですが、黒い霧に包まれている今は、なおさら暗くて見通しがききません。

 けれども、おかみさんが言っていたとおり、森の中にも道は続いていました。街道の石畳は終わっていましたが、馬車が通るせいか、意外に広い道になっています。

 フルートが周囲に注意しながら進んでいくと、ほどなく、近くを何かが走る気配に気がつきました。道に沿って何かが追いかけてきます。ガサッ……ガササッ……と道ばたの藪(やぶ)を駆け抜けていく音がします。

 フルートは馬を停めました。同時に音も停まったので、背中から剣を抜こうとします。

 すると、藪からオオカミが一頭飛び出してきました。牙をむいてフルートの馬に襲いかかります。

 ヒヒヒーン!!

 馬はいなないて一目散に駆け出しました。オオカミが次々藪から飛び出し、四頭の群れになって追いかけてきました。みるみる背後に迫ってきます。馬は必死に走るのですが、フルートを乗せているので、その分速度が落ちているのです。このままでは追いつかれてしまいます。

 行く手の道の上に、太いモミの木が枝を低く張り出していました。フルートはとっさに手綱を放すと、身を乗り出して枝に飛びつきました。馬は背中が軽くなったので、速度を増して走り去りました。道の彼方に見えなくなります。

 そこへオオカミがやってきました。

 フルートはオオカミたちの目の前に飛び降りました。

 ウゥー……ウゥゥゥー……

 四頭のオオカミがフルートを取り囲んでうなります。

 フルートは背中から剣を抜きましたが、構えるより早く一頭が飛びかかってきました。とっさに身をかわして剣を振ると、切っ先がオオカミの脇腹を切り裂きます。

 ギャウン!

 オオカミは悲鳴を上げて地面に転がりました。

 とたんに他の三頭が飛びかかってきました。同時にフルートにのしかかり、腕や足に食いついて地面に引き倒します。鋭い牙が手当たり次第フルートの体にかみついてきます。

 ――が。

 キャウン! キャンキャーン……!

 犬のような悲声を上げて、オオカミたちは飛びのきました。口の中の牙が折れています。 フルートの鎧にかみついたとたん、牙のほうが砕けてしまったのです。

 フルートは跳ね起きてオオカミの中に切り込んでいきました。

 ギャン!

 また一頭が悲鳴を上げました。背中を切られたのです。

 返す刀でフルートは別の一頭の体も貫きました。またオオカミの悲鳴が上がります。残りはあと一頭です。

 フルートが迫ると、オオカミは、ばっと飛びのきました。そのまま低くうなっていましたが、ふいに背中を向けると藪の中に飛び込んでしまいました。ガサガサと走る音が遠ざかっていきます。

 怪我を負った他の三頭も、よろめきながら次々と藪に飛び込むと、そのまま走り去りました。逃げていったのです。

 

 ところが、ほっとしたのも束の間。行く手の森から、今度は馬のいななきが聞こえてきました。

 イヒヒヒーーン……!

 ただごとではない声です。

「コリン!」

 フルートは馬の名前を呼んでそちらへ走りました。

 すると、二百メートルほど先へ行ったところで、二頭の動物が向き合っていました。フルートの馬と、身の丈三メートルもある大熊です。熊は後足で立ち上がっていました。

 馬が向きを変えて逃げ出そうとすると、大熊が飛びかかりました。鮮血が飛び散って、馬が地面に倒れます。

「やめろ!」

 フルートは駆けつけながら叫びました。

 大熊がフルートを見ます。

 とたんに目の前に熊が飛んできてフルートの頭を横殴りにしました。フルートは吹っ飛んで、近くの木にたたきつけられました。

「ったぁ……」

 フルートは思わずうめきました。魔法の銀の鎧を着ていなければ、頭をそっくり飛ばされて即死していたところです。

 グゥウウ……

 熊がうなりながらまた飛びかかってきました。熊というのは大きな体の割にとても素早いのです。

 フルートはとっさに両腕を上げました。熊ががっぷり腕にかみつきます。

 が、熊も悲鳴を上げて、すぐにフルートから離れました。銀の鎧に牙を折られたのです。鎧のほうは傷ひとつついていません。

 フルートは跳ね起きて熊に切りかかりました。

 熊は身をかわすと、また前足を振り下ろしました。フルートは横に飛びのいて剣を突き出します。

 グオォォーッ!!!

 熊の悲鳴が響き渡りました。剣が脇腹を貫いたのです。

 痛みに怒り狂った熊がめちゃくちゃに襲いかかってきました。フルートに殴りかかり、地面に打ち倒し、かみついてきます。

 けれども、やっぱり鎧を着たフルートを傷つけることはできませんでした。牙がまた砕け、爪が折れましたが、それでも熊はフルートを襲い続けます。

 フルートは左腕で顔をかばい続けました。盗賊に襲われたときもそうでしたが、兜におおわれていない顔の部分だけは、敵の攻撃を食らってしまうのです。傷は金の石の力ですぐに治りますが、顔をまともにやられたら命を落とす危険がありました。

 フルートは攻撃を防ぎながら、もう一方の手で剣を力一杯突き出しました。手応えと共にすさまじい悲鳴が上がり、熊がばったり倒れます。剣は熊の心臓を貫いたのでした。

 

「ふぅ」

 フルートは立ち上がりました。

 熊は体を痙攣(けいれん)させながら息絶えていきます。

 フルートは、ちょっと唇をかみました。しかたのないこととはいえ、熊を殺してしまったことに胸が痛んだのです。

 すると、弱々しい馬の声が聞こえました。フルートの馬が地面に倒れていました。

「あっ、ごめん」

 フルートはあわてて馬に駆け寄りました。

 馬は熊の爪に深く胴をえぐられて大量の血を流していました。このままではじきに死んでしまいます。

 フルートは急いで首からペンダントを外して馬に押し当てました。すると、みるみる傷がふさがり、怪我が治っていきました。あっという間に元通りになって、また元気に立ち上がります。

 ぶるる、と鼻を鳴らした馬の首を、フルートはそっと抱き寄せました。

「ごめんね、コリン。痛い思いをさせちゃって……。でも、ごめんよ。ぼくは進まなくちゃならないんだ」

 何度も謝ってからフルートがまたがると、馬はまた前へ進み始めました。主人に忠実な、我慢強い馬なのです。

 行く手の森は暗くどこまでも続いています。恐ろしい獣や怪物が潜む森です。フルートと馬は、その中を先へ進み続けました……。

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