フルートは森の中の道を進み続けました。道は次第に急な上り坂になり、峠を越えて、下り坂になりました。山をひとつ越えたのです。
すると、それまでずっとつきまとっていた霧が、急に晴れてきました。森の中が見通せるようになり、梢の間から青空が見え始めます。黒い霧を抜け出したのでした。
「うわぁ……!」
フルートは歓声を上げて空を見上げました。久しぶりの青空です。真綿を引き延ばしたような白い雲も見えています。深呼吸をすると、澄んだ空気に胸のすく思いがしました。森の中が明るくなって道がはっきり見えるようになったので、馬の歩みも順調になります。
空が夕焼けに赤く染まる頃、フルートと馬は小さな空き地に出ました。森の中の大きな木が歳をとって倒れ、日が当たるようになった場所で、一面に草が生えていました。
まもなく日が暮れるので、フルートはここで野宿することにしました。枯れ枝を集めて火をおこし、森の入り口の家で買い込んだ食料で夕食にします。おかみさんがくれたぶどうジュースはとてもおいしくて、フルートは久しぶりに幸せな気持ちになりました。
けれども、ここは獣と怪物が棲む黒森でした。そういう生き物は夜になるとますます活発になるので油断はできません。野宿の時には必ず火をたくように、というおかみさんのことばを思い出して、フルートは暗くなる前に枝をできるだけたくさん集めておきました。
夜が更けてくると、あたりはしんしんと冷えてきました。季節は秋の終わり。冬はもうすぐそこまで来ています。
魔法の鎧は暑さ寒さを防ぐので、フルートは寒くてもまったく平気でしたが、用心のためにたき火に枝を足しました。炎が大きくなって光の輪が空き地の中に広がります。赤く揺らめく光は優しくて、その中にいれば安心という気がしました。
「火を絶やさないようにしなくちゃ」
とフルートはつぶやきました。そのためには、夜通し起きて火の番をしなくてはなりません。
空を見上げると星が出ていました。本当に久しぶりに見る星空です。ロムド国のみんなにもこの星を見せて上げたいな、とフルートは考えました。それから、太陽の明るい光も、青空も白い雲も……
ヒヒヒヒヒーーン!!
けたたましい馬の声に、フルートは、はっと目を覚ましました。火の番をしながら、いつの間にか眠り込んでしまっていたのです。何時間眠っていたのでしょう。たき火の炎は小さくなって、消えかかっていました。
馬は足を踏みならして鳴き続けていました。森の中から何かが迫っているようです。フルートは急いで火に枝を放りこみました。炎が燃え上がって空き地を照らします。
「うわっ!」
フルートは思わず声を上げました。空き地の周囲に巨大なナメクジのような生き物がいたのです。何百匹も集まって、うねうね、ぐねぐねとうごめきながら、フルートと馬を取り囲んでいます。
キーッ!
突然、空き地の端で動物の鳴き声がしました。大きなネズミが草の中から飛び出して、森へ逃げ込もうとしたのです。すると、半透明のナメクジが動いて、びしゃりとネズミの上に飛びつきました。ネズミは激しくもがきましたが、ナメクジにすっぽり包み込まれると、すぐに動かなくなりました。ネズミの体が、みるみる溶けてなくなっていきます――
「スライムだ……」
とフルートは吐きそうな顔でつぶやきました。とても原始的な怪物で、獲物をどろどろした体で溶かして消化してしまうのです。噂に聞いたことはありましたが、実物を見るのは初めてでした。
じわり、とスライムがフルートたちに迫ってきました。馬は狂ったように騒いでいます。フルートは馬のくつわをつかんでなだめました。
「どうどう、大丈夫だよ。落ち着いて……」
スライムはもうすぐそばまで来ていました。フルートは背中の剣を抜くと、一番近いスライムを切り払いました。柔らかい体のスライムです。たちまち真っ二つになって宙を飛び、びしゃりと地面に落ちると――また動き始めました。一匹のスライムが二匹になったのです。
「分裂した!?」
フルートが驚いていると、スライムが地面から跳ね上がって飛びかかってきました。フルートは必死に剣で切り払いましたが、切っても切ってもスライムは死にませんでした。それどころか、切られるたびにどんどん数が増えていきます。
ヒヒヒーン!!
馬がまた悲鳴を上げました。体にスライムがへばりついたのです。フルートはあわてて引きはがそうとしましたが、スライムはびったり馬の胴体にくっついて離れません。みるみるうちに馬の横腹の皮膚が崩れて血がにじみ始めました。馬が狂ったように跳ね回ります。
「くそっ!」
フルートはたき火から燃えている枝を取り上げました。スライムを焼き払おうと考えたのです。
ところが、火が近づいたとたん、馬の体からスライムが離れました。地面に落ちると、他のスライムと一緒にざざざーっと森のほうへ下がっていきます。
フルートは目を丸くしました。
「火を怖がっているんだ……」
おかみさんは、森の怪物たちは火が苦手だ、と言っていましたが、その通りだったのです。
そこで、フルートは急いでたき火に枯れ枝をくべました。炎が大きく燃え上がり、空き地を赤々と照らします。とたんにスライムの群れが大きくしりぞきました。炎の熱が届かない薄暗がりの中で、ふるふる、ゆるゆるとさざめきながら、フルートたちの様子をうかがっています。
フルートは、ほっと一息つくと、馬を火の近くまで引き寄せ、魔法の石で怪我を治してやりました。
スライムは、森の中に下がっても、ずっとフルートたちを取り囲み続けていました。
「火が燃え尽きるのを待つつもりだな……」
とフルートはつぶやいて、薪(たきぎ)の山に心配そうな目を向けました。集めた枝はまだありますが、この量で今夜一晩持つかどうか、微妙なところだったのです。それに、このあたりにいる怪物がスライムだけとは限りません。ここに別の怪物まで襲ってきたら、スライムを蹴散らして逃げることができなくて、窮地に立たされてしまいます。
フルートは火のそばに座ると、ロングソードを握って、油断なく森を見つめ続けました。確かにフルートは魔法の金の石を持っているし、強力な魔法の鎧も身につけています。それでも森の怪物相手には手も足も出ないのでした。力足らずの自分に唇をかんでしまいます──。
そうして、どのくらいの時間が過ぎた頃でしょう。
かすかに蹄(ひづめ)の音が聞こえたような気がして、フルートは顔を上げました。馬が早駆けしてくる音です。けれども、ここは森の中でした。馬で駆け抜けられるような道はありません。不思議に思って見回している間も、蹄の音はどんどん近づいてきます。
フルートは、はっと上を見ました。蹄の音は空から聞こえていたのです。
星がまたたく夜空を、明るい光が近づいていました。光はどんどん大きくなり、やがて光り輝く馬の姿に変わりました。全身を金の火に包まれ、赤く燃えるたてがみと尻尾をなびかせた、炎の馬です。蹄の音を響かせながら、まるで地面の上のように空を駆けてこちらに向かってきます。
フルートは跳ね起きて剣を構えました。
炎の馬が、ふわりとフルートの目の前に降り立ちます。
とたんに地面の枯れ草が燃え上がって、炎の渦が馬を包みました。フルートの馬が驚いていななきます。
ところが、フルートが飛び出して切りかかろうとすると、炎の馬が口をききました。
「およしなさい、金の石の勇者」
フルートはびっくりして立ち止まりました。馬が話したのも驚きでしたが、金の石の勇者と呼ばれたことに面食らいます。
すると、馬は賢そうな金の瞳でフルートを見つめました。
「私は味方ですよ。泉の長老から頼まれて来ました」
「泉の長老から?」
とフルートはまた驚いて、思わず胸元をみました。鎧の内側にしまってある金の石のペンダントは、泉の長老からもらったものです。
すると、炎の馬はペンダントがそこにあるのを知っているように、こう言いました。
「あなたの様子はそれを通じて泉の長老にも見えています。あなたの武器は、人間の敵と戦うことはできても、怪物と戦うのにはまったく力不足です。そこで、あなたを新しい武器のところへ案内するように、と私に言ってきたのです」
「新しい武器?」
とフルートは目を丸くしました。旅立つときにゴーリスからロングソードをもらったのに、もう新しい武器が必要なんだろうか、と考えてしまいます。
すると、フルートのそんな考えもわかっているように、馬は言いました。
「金の石の勇者は様々な敵と戦わなくてはなりません。人間の敵とも、怪物とも、闇のものとも。あなたの剣は怪物や闇のものには歯が立ちません。専用の武器が必要なのです」
それを聞いて、フルートは周囲を取り囲むスライムを見ました。確かにフルートの剣はスライムにはまるで効果がありませんでした。
「それを使えば、スライムも撃退できるの?」
とフルートが尋ねると、馬は面白いことを聞いたように笑い声を上げました。 炎の馬の声は男性のようにも女性のようにも聞こえて、なんだか不思議な感じがしました。
「スライムも倒せないようでは、他の怪物とも戦うことはできませんよ──。さあ、わたしに乗りなさい。あなたを案内します」
「ぼくだけ? ぼくがここを離れたら……」
とフルートは不安になりました。フルートがいなくなったら、焚き火はじきに消えてしまって、フルートの馬がスライムに襲われてしまいます。
すると、炎の馬は前足をあげて、ガツッと地面を蹴りました。とたんに焚き火の炎がうなりをあげて燃え上がり、巨大な火柱になって空き地を真昼のように照らしました。ざざざざーっと音を立てて、スライムたちが森の奥に下がっていきます。
「わたしたちが戻るまで、火は燃え続けます。さあ、行きましょう」
と炎の馬はまた言いました。
「う、うん……」
とまどいはまだ少しありましたが、フルートはこの不思議な生き物を信じることにしました。愛馬の首を抱いて話しかけます。
「留守番を頼むよ、コリン。火のそばから離れないでね」
言われたことがわかったように、コリンが首を振ります。
フルートは思い切って炎の馬の背に手をかけました。馬の体は全身燃える炎に包まれていましたが、フルートが魔法の鎧を着ているせいか、熱さはまったく感じませんでした。
「はっ」
フルートはかけ声と共に馬の背に飛び乗りました。
馬が赤く燃えるたてがみをゆすって空を見上げます。
「行きますよ。しっかりつかまっていてください!」
言われたとおりフルートがたてがみにつかまると、炎の馬は大地を蹴って空に駆け上がっていきました――