「ふう……」
フルートは、裏口から家を抜け出すと、中庭の草の上にごろりと寝転がりました。張りつめていた気持ちが一気にゆるんで、体中から力が抜けていきます。その右手の中には金の石のペンダントがありました。
家の窓からは板戸ごしに光がもれていました。お母さんの泣き笑いの声と、医者の興奮した声が聞こえてきます。医者は何度も「奇跡だ!」と繰り返していました。
すると、家の中から誰かが出てきました。ゴーリスです。
ゴーリスはフルートの隣に腰を下ろすと、静かに言いました。
「お父さんが助かって良かったな」
フルートは黙ってうなずきました。何度も、もうだめかと思いましたが、結果が良ければ何もかも良かったような気がします。
中庭を夜風が吹き抜けていきました。ひんやりと心地よい風です。草の陰から虫の声がかすかに聞こえてきます。頭上には満天の星が広がっています。
フルートとゴーリスは、その中に横たわったり座ったりしていました。
やがて、ゴーリスがまた言いました。
「フルート、おまえ、魔法の金の石を持っているんだろう?」
フルートは思わずゴーリスを見ました。魔の森からずっとゴーリスは素面(しらふ)で、見たこともないほどしっかりした顔つきをしていましたが、このときの彼はいっそう真剣な表情をしているように見えました。
「うん」
とフルートは正直に答えると、起き上がってペンダントを見せました。
「これ。泉の長老にもらったんだ」
ゴーリスはしばらく黙って金の石のペンダントを見つめていましたが、やがて夜空を見上げると、ふぅっと長いため息をつきました。
フルートがとまどっていると、ゴーリスは言いました。
「まったく。金の石の勇者が、こんな子どもだったとはな……。想像もしていなかったぞ」
苦笑いするような声でした。
フルートがますますとまどうと、ゴーリスは立ち上がって自分の腰の剣を抜き、それをフルートの目の前に置いてひざまずきました。騎士が自分の主君に忠誠を誓うときのやり方です。
フルートがびっくりしていると、ゴーリスは深く一礼してから、真面目(まじめ)な顔で言いました。
「占い通り勇者が現れたら、こうしようと思っていたんだ。俺のけじめだ。気にするな」
「占い?」
フルートが聞き返すと、ゴーリスは今までとまるで違った口調で話し出しました。
「フルート、よく聞け。大事な話だ……。今から十年も前のことになる。俺は、今でこそ酔いどれのゴーリスなんて呼ばれているが、本当はある偉い方にお仕えする騎士だった。ところが、あるとき城の占い師がこんな占いをした。ロムドを含む世界中の国々に危険が迫ってくる。それはこの世界を破滅に導く大きな闇で、誰もそれに対抗することはできない。しかし、世界が絶望に包まれたとき、魔の森から金の石の勇者が現れて仲間と共に闇に立ち向かい、世界を危険から救うだろう……とな。俺のご主君はその占いを信じて、金の石の勇者を迎えるために、俺を魔の森に一番近いこのシルの町に遣わしたんだ」
そして、ゴーリスは遠い目になりました。
「十年は長かったぞ……。いくら待っても森から金の石の勇者は現れない。何度足を運んでも、森は俺を追い払うばかりだ。しまいには、あれは俺を城から追い出すための陰謀だったんじゃないかと思うようになった。ご主君の命令に背くわけにはいかないから、城には戻れない。酒でも飲まなければ、とてもやっていられなかった……」
フルートは、金の石のペンダントとゴーリスを交互に見比べました。何かを言わなければいけないような気がしましたが、なんと言っていいのかわかりませんでした。
すると、そんなフルートの表情を見て、ゴーリスは急に笑い出しました。
「だが、まあ、おまえは勇者と呼ばれるにはまだまだだな! 剣の使い方も知らない、ひよっこだ。今、俺はやっと自分の使命を知ったぞ。その剣を取れ、フルート。俺がおまえに剣術を教えてやる。それが、俺の役目だ」
「剣を?」
フルートはびっくりして聞き返しました。自分が剣を持って戦う人間になるとは、想像もしていなかったからです。
すると、ゴーリスがにやりと笑いました。
「人に怪我をさせるから戦うのは嫌だ――か? 金の石の勇者は、とんだ平和主義者らしいな」
フルートはゴーリスを見つめ返しました。すると、町でゴーリスが言っていたことばが頭の中によみがえってきました。
「本当の戦いってのは、人を倒したり殺したりすることじゃない。戦いってのは、自分の命や大切な人たちを守るためにするものなんだ」
と──。
フルートは黙って考え込み、やがて口を開きました。
「ぼくはずっと不思議だったんだ。癒しの魔法が使える金の石が、どうして勇者の証になるんだろう、って。癒しの力と戦う勇者では、全然正反対の役目のはずなのにって……。でも、なんだかわかったような気がする」
ゴーリスが、それは? と目で尋ねてきました。
「泉の長老が言っていたんだ。金の石は守りの石なんだ、って。金の石の勇者もそれと同じなんじゃないかな。きっと、みんなを守るために戦う人間なんだ。守ることと癒すことは、見た目は違っていても、同じことなのかもしれない……」
「おお、これはまたずいぶん難しいことを考えたな」
とゴーリスは笑い、手を伸ばしてフルートの頭を撫でました。
「だが、俺もその通りだと思うぞ。勇者というのは、敵をばたばた切り倒して賞賛される人間のことじゃない。弱い者たちを守るために戦うのが、本物の勇者なんだ。そして、そのためには、やっぱり勇者は戦い方を学ばなければならないのさ」
フルートはうなずくと、金のペンダントを首に下げて立ち上がりました。ゴーリスは片膝をついたまま、黙ってフルートを見上げています。
フルートは地面から剣を取り上げると、ずしりと重いそれを、ゴーリスに向かって差し出しました。
「ぼくに剣を教えてください。ぼくは強くなりたい……。みんなを守れるくらいに、強く」
「よし、よく言った。それでこそ金の石の勇者だ!」
とゴーリスは顔を崩して笑うと、フルートから剣を受け取って言いました。
「明日からさっそく特訓だ。言っておくが、俺の授業は厳しいぞ。金の石の勇者だからといって手加減はせんから、覚悟しておけよ」
「よろしくお願いします」
とフルートは頭を下げます。
夜空には一面に星がまたたいていました。
それを見ながら、フルートは泉の長老のことばを思い出しました。
『時期が来れば、必ずおまえは呼ばれる。それまでは、おまえができることをするのじゃ』
はい、とフルートは心の中で答えました。
そのときがいつ来るのかはわからないけれど、とにかく、自分にできる限りのことをしていよう。それがきっと何かにつながっていくに違いないから――。
そんなことを考えながら、フルートは星空を見上げていました。
すると、星が二つ、続けざまに流れていきました。
大きな星と小さな星が、長い光の尾を引きながら、北の山脈のほうへと消えていきます。
そのあとには、ただ静けさだけが残りました。
虫の声が夜の中にいつまでも続いていました……。
The End
(2004年11月12日初稿/2023年11月22日最終修正)