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外伝27「王の樹」

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3.王の樹

 メールは入り組んだ深い森の中を獣のように通り抜け、やがてなだらかな斜面に出ました。そこも雪と木々におおわれていましたが、巨大な木が一本、森から頭を出していました。真冬にもたくさんの葉を茂らせているので、ひときわ黒い影のように見えます。

 木の下に入ると森の中はいっそう暗くなって、足元がまったく見えなくなってしまいました。さすがのメールもそれ以上進めなくなって、立ち往生してしまいます。

 すると、あたりがぽうっと明るくなって、雪がまたきらきらと輝き始めました。メールは振り向き、ゼンが白く光る石を掲げているのを見て笑顔になりました。夜目の利くゼンにこの程度の暗さはなんでもありません。彼女のために灯り石を出してくれたのです。

 メールは行く手にぼんやり見える巨木を指さして言いました。

「あたいたちを呼んでるのって、あの木だよね? なんなのさ、あの木。ものすごい迫力だよ。周りの木がみんなあの木に敬意を払ってるんだ」

 ゼンは面白そうに、にやにやしました。

「んなことまでわかるのか──。あれは王様の樹だ。俺たちはそう呼んでる。俺たちには王様なんかいねえけどよ、あの木の近くを通ると、なんでだか無視できねえ気がして、必ず挨拶に立ち寄るんだ。狩りの途中や狩りの後、山の中を見て回るとき、何か大きな出来事があったときにも報告に行く。そんな気持ちにさせる木だから、王様の樹と呼ばれてるんだ」

 ふぅん、とメールは言うと、両手を後ろに組んで王様の樹を眺めました。ゼンが掲げる灯りはあまり強くありませんが、光が雪に反射するので、奥まで届いて木を照らしていました。信じられないほど太い幹が大地から伸び上がって、空一面に枝を広げています。

「それってすごく正しいよ。あの木は山の他のどの木より年を取ってて大きいんだ。だから、あの木は山のもの全部を見守ってるし、他の木もみんなあの木を敬ってる。この山の上のことならなんでも知っている、って木が言ってるよ。ゼンたちにもそれがわかってるんだね。王様の樹かぁ。ぴったりの呼び名だね」

「来い。俺たちも王様の樹に挨拶しようぜ」

 とゼンは片手に灯り石を掲げ、もう一方の手でメールの手を引きながら、巨木の根元まで行きました。雪の中からもつれた大蛇のようにのぞいている根の間に立って、メールと木を見上げます。

「俺たちはこの木にいろんなことを報告するぜ。天気のこと、季節のこと、その日の獲物のこと、地下の洞窟であったこと……。特に大事なことが起きたら、必ず報告に来る。親父も俺が生まれたときに報告に来て、俺が元気に育つように見守ってくれ、って頼んだらしい」

「その通りになったじゃん」

 とメールはくすくす笑いましたが、急に真顔になって木を見上げました。

「え──なに?」

「王様の樹がなんか言ったのか?」

 とゼンは聞き返しました。

「うん。急にさ、おめでとう、って……なんでそんなこと言うんだろ? 今夜は何か特別な日なのかい?」

 それを聞いて、ゼンはちょっと苦笑しました。自分も王様の樹を見上げて言います。

「本当に、この木にはなんでもわかっちまうんだよな。俺がなんのためにおまえをここに連れてきたのか、ちゃんと知ってるんだ」

 メールはますます意味がわからなくなって、きょとんとしました。王様の樹を見上げますが、木はその時には何も言おうとしませんでした。

 

 すると、ゼンがまったく関係なさそうな話を始めました。

「メール、おまえ、いくつになった?」

「え、あたいの歳? そんなの、ゼンもよく知ってるじゃないか。十七だよ。ついこないだ誕生日が来たんだからさ」

「だよな。で、俺も十七だ。俺は一月が誕生日だった」

 やっぱりゼンが何を言おうとしているのかわからなくて、メールはゼンを見つめてしまいました。彼が何かをためらっていることに気がついて、急にじれったくなってきます。

「なにさ!? 言いたいことがあるなら、うじうじしてないではっきり言いなよ!」

 どなるように言うと、ゼンもたちまちどなり返してきました。

「馬鹿言え、誰がうじうじしてる! 俺はただ、ドワーフのしきたりの話をしようとしてたんだよ!」

「しきたりって、どんなしきたりさ!?」

「ドワーフは十八から結婚できるが、婚約は一年前の十七でできるってことだ!」

 あれ、とメールは目を見張って顔を赤らめました。ちょっとうろたえながら言い返します。

「な、なんで今さらそんなこと言い出すのさ? あたいたち、もうとっくに婚約してるじゃないか。あたいたち海の民は十四で結婚できるけど、ドワーフは十八にならないと結婚できないから、それまで待てって言っただろ……」

「婚約式はやってねえだろうが。できなかったんだよ。俺もおまえもまだ十七になってなかったからな」

 灯り石に照らされたゼンの顔が意外なくらい真面目だったので、メールはますます赤くなりました。冗談まじりの憎まれ口で返そうと思ったのですが、ことばが出てきませんでした。急に胸がどきどきしてきて、ゼンと向き合ったまま立ち尽くしてしまいます。まるで初めてゼンから結婚の話を切り出されたときのようです──。

「洞窟のドワーフたちは鍛冶の神の祠(ほこら)で婚約式をするんだが、俺たち猟師は鍛冶の神は信じてねえ。だから、この王様の樹に婚約を報告に来るんだ。俺の親父とおふくろも、結婚を決めたときにこの木の前に来て結婚を約束したんだとよ。それが婚約式なんだ。俺たちはどっちも十七になった。ちょうどいい機会だから、王様の樹に報告に来たんだよ」

 そこまで話して、ゼンも急に照れくさそうな表情に変わりました。顔を赤くしながら聞き返します。

「やっぱり今さらか? 実際には二年も前から婚約してたわけだもんな。おまえら海の民なら、とっくに結婚して子どもも生まれてるような歳なのに、ここまで引き延ばして待たせてるわけだしよ……」

 メールは急いで首を振りました。

「ううん、いいよ。素敵だよ。二人で王様の樹に報告しよう。それが正式だもんね」

「おう」

 ゼンが嬉しそうに笑ったので、メールも嬉しくなって笑顔になります──。

 

 二人は王様の樹の前に立つと、手をつないだまま梢を見上げました。

 先にゼンが口を開きます。

「王様、こいつが俺の婚約者のメールだ。俺たちはこれから闇の竜や闇の軍勢と戦う。たぶんこれが最終決戦だ。どのくらい時間がかかるか、今はわかんねえけど、戦いが全部終わって十八の歳になったら、俺たちは結婚するぜ。必ずだ」

 それを聞いてメールは吹き出してしまいました。驚くゼンに言います。

「やだなぁ、その言い方。そんなふうに言って最終決戦に向かったヤツって、結婚できずに死んじゃうのが定石なんだよ。縁起でもないじゃないか」

 ゼンはむっとした顔になりました。

「なんだよ、定石って。こっちは真面目に報告してんのに、縁起でもねえのはそっちだろうが」

「そんなに構えることないって言ってるんだよ。相手は木なんだからさ。もっと素直に言えばいいんだ。ほら──」

 メールはつないでいたゼンの手を引いて、大木の幹に一緒に掌を押し当てました。あの優しい声で話しかけます。

「王様、あたいたちは十八になったら結婚するからね。だから祝っておくれよね」

 ゼンは肩をすくめると、メールに続いて言いました。

「ってことだ。戦いが終わったら絶対に結婚するから、見ててくれよな」

「もう! 戦いのことなんか、今は言わなくていいんだってばさ!」

 とメールがまた叱ります。

 

 すると、そんな二人の目の前に、小さな何かが落ちてきました。木に押し当てていた手の上にちょうど載って止まります。

 それは薄緑色の細い枝を編んだ二つの指輪でした。とても小さな指輪と、ひとまわり大きな指輪があります。

「こんなもん、どっから来たんだよ?」

 とゼンは驚きました。指輪が落ちてきたあたりには、太い枝や重なり合った葉が見えるだけです。

 すると、黙って木を見上げていたメールが言いました。

「あたいたちの婚約指輪だよ。王様からの贈り物だってさ。こんなことは滅多にやらないんだけど、あたいたちには特別だって」

 ゼンは目を丸くすると、赤くなって頭を掻きました。

「そういや、婚約には指輪が欲しいんだったな。すっかり忘れてたぜ……ありがとうな、王様」

 そこで二人は木の枝を編んだ指輪を取り上げました。ゼンはメールの左の薬指に、メールはゼンの左の薬指に、それぞれ指輪をはめます。

 すると、二人の指の上で指輪が見えなくなっていきました。確かにそこにある感触はするのですが、目には何も映らなくなってしまいます。

「魔法の指輪か」

 とゼンがまた驚いていると、メールが聞き耳を立ててから言いました。

「この指輪の枝は生きてて聖なる力を持ってるから、闇の敵からあたいたちを守ってくれるってさ。あたいたちが結婚指輪をかわしたときに、役目を終えて枯れていくんだって」

「そうか」

 ゼンはメールの左手に自分の左手を重ねて、また木の幹に押し当てました。黒々と広がる夜空のような梢を見上げて言います。

「約束する。俺たちは必ず勝って結婚する。そしてまた王様に報告に来るからな」

「うん、あたいも約束するよ。またここに来るからね。それまで見守ってておくれよね」

 とメールも言います。それが二人の婚約の誓いでした。

 そっとかわされた口づけに、王様の樹がきらめく夜露を散らしました──。

2021年3月17日
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