丘の上に城を構えるバオル族の族長は、一週間ほど前から不思議な報告を立て続けに受けとっていました。
この冬は例年より寒さが厳しく、三月になっても雪が島を厚くおおっていたのに、急に暖かい風が吹き出したと思うと、わずか二、三日で雪がすっかり溶けてしまったのです。凍りついていた城の堀も、あっという間に氷が溶けて、緑の水をたたえるようになりました。
それだけならば、いつも通りの農作業ができるので、めでたいことでしたが、海に近い集落に住むカイル族の連中が、奇妙な行動を始めていたのです。
「カイルの男どもがシャー川の近くの地面を掘り返しています! なんのためにあんな場所を掘ってるのか、さっぱりわかりません!」
「カイルの連中は、掘っている場所を南へ移動させています! 雪解けで地面が柔らかくなってるので、掘るのも楽みたいです!」
「族長、連中が何を作っているのかわかりました! 堀です! たぶん最終的にシャー川とつなぐんでしょう!」
堀を? とバオル族の族長は不思議に思いました。彼らの城の堀もシャー川から水を引いていましたが、カイル族の集落にはシャー川よりもっと近い場所に、別の川があったのです。自分たちの集落に堀を巡らそうというのであれば、そちらの川から水を引くほうが自然でした。
「怪しい。この城に何か仕掛けるつもりでいるのかもしれん。連中を捕まえろ!」
と族長は命令を下しましたが、間もなくまたこんな報告が入ってきました。
「だめです! 連中は見張りを立てていて、我々が近づいていくと、道具を抱えて逃げていきます! 我々が引きあげると、また戻ってきて作業を始めるんです!」
「作業現場のそばで待ち伏せしてみましたが、どこから見ているのか、俺たちがいる間は絶対に現れません。俺たちがいなくなると、また戻ってくるんです!」
どういうことだ? と族長はいっそう困惑しました。カイル族とは、この城が建つ丘を巡って百年あまりも戦ってきましたが、敵がこんなわけのわからない行動をとるのは初めてのことです。
すると、頭が切れることで有名な男が言いました。
「連中はこの城を守る堀と石垣を越えられなくて、いつも苦労している。ここの外堀とシャー川を堀でつないで、こちらの水を川へ流そうとしているのではないか? 堀の水がなくなれば、城を攻めやすくなるからな」
けれども、現場を見てきた男が首を振りました。
「それはありえない。堀はシャー川のほうが高い場所で掘られているんだ。川とこちらの外堀がつながっても、シャー川の水がこちらへ流れ込んでくるだけで、絶対に外堀の水がなくなるようなことは起きない」
どういうことだ……? とバオル族の族長たちは本当に困惑しました。カイル族の意図が読めません。
そのうちに、カイル族が掘る堀はますます長くなっていきました。シャー川とバオルの城の外堀をつなごうとしているのが、見ただけでわかるようになってきます。
けれども、逆にバオル族はそんなカイル族を放っておくようになりました。捕まえようと集団で近づけば、戦いもせずに逃げていってしまうし、堀を作り続ける以外は城を襲撃するような様子も見えないのです。
「ご苦労だな、カイルども! 俺たちのためにわざわざ堀を作ってくれているのか! 俺たちの奴隷(どれい)になることに決めたとは感心だぞ!」
近くの丘から若い連中がからかっても、カイル族は無視して黙々と掘り続けるだけです。
ついに族長も、連中が不審な動きを見せるまでは放っておけ、と一族に命じました。島の中にはカイル族以外にも彼らの丘と城を狙う連中がいて、カイル族の監視だけに兵力を裂くわけにはいかなかったのです。
バオルの当直兵は、交代でカイル族の様子を見張り続けました。堀はどんどん城に近づいてきますが、それ以外には、危険な兆候は本当に何もありません――。
そして、ある朝、ごうごうという水音がバオルの城を取り囲みました。ついに堀がシャー川と外堀の間でつながり、川の水が城の外堀に流れ込んできたのです。
外堀もそれにつながる内堀も、みるみる流れが急になっていきました。水かさもどんどん増していくので、バオルの人々は心配になりました。
「このままじゃ城が水没するんじゃないのか?」
「堀の水が村や畑に流れ込んできたらどうしよう……!?」
けれども、その心配は無用でした。彼らの家や畑などがある居住区は、丘の中腹に広がっているので、堀よりずっと高かったのです。族長が外堀の水門を開けるように命じると、堀の水はとうとうと流れ出し、それ以上、水かさは増えなくなりました。堀から流れ出した水は、細い水路を通ってまたシャー川へ戻っていきます。
音をたてて流れる堀の水を見て、バオルの人々は楽天的に話し合いました。
「これなら誰も堀を越えて城に侵入できないな」
「カイルの連中は、俺たちのために堀を強化してくれたようじゃないか」
「わざわざ攻めにくくするなんて、馬鹿な連中だぜ」
バオルの族長や切れ者の男だけは、意味不明なカイル族の行動にまだ頭をひねっていましたが、どんなに考えても、堀の意味はわかりませんでした。本当に、堀が強化されて、城の安全が増したようにしか見えなかったのです。
けれども、その夜、城の平穏は突然破られました。
族長も住人も皆、屋敷や自分の家で眠り、当直の兵だけが丘の上の砦や石垣の上で見張りをしていたのですが、そこへ音をたてて火矢が飛び込んできたのです。矢は干し草小屋の藁屋根(わらやね)に突き刺さり、大きな炎を上げました。
「敵襲だ!」
「火をかけられたぞ!」
見張りの大声にバオルの人々は家を飛び出しました。戦士たちは素早く防具を身につけ、武器を握って出てきます。
月のない暗闇の中、火矢は音をたてて飛んできては、家々の屋根に命中しました。家畜小屋や穀物を蓄えた小屋の屋根にも突き刺さって、炎を吹き上げます。
「火を消せ!」
「水だ!」
「早く家畜を外に出すんだ!」
「敵へ矢を撃ち返せ!」
さまざまな命令が城内に飛び交い、人々が右往左往します。多くの人が火事を消そうと外堀へ縄がついた手桶(ておけ)を投げましたが、堀の流れが急すぎて、あっという間に縄ごと手桶を流されてしまいました。
「井戸だ! 井戸の水を使え!」
「落ち着け! 確実に火を消すんだ!」
ようやく消火活動が始まりましたが、火矢は次々と飛んできて、城内のそこここへ落ちました。いたるところで火の手が上がり、井戸の水だけではとても消火が間に合いません。
「いったい何をしている!? 火矢を飛ばしてくる連中を早く倒さんか!」
と族長は守備兵へどなりました。敵は火を使っているのですから、たとえ闇夜でも、居場所は明らかなはずです。
すると、石垣の上から悲痛な答えが返ってきました。
「敵を狙って撃ち返してます! ですが、こちらの矢が届いていません――!」
なに!? と族長は驚くと、大急ぎで内堀の橋を越えて、丘の頂上の砦へ走りました。木造二階建ての砦に通常の入口はありません。立てかけられたはしごをよじ登り、二階の入口から中に飛び込んで見張り兵に尋ねます。
「どういうことだ!? こちらの矢が敵に届いていないと守備兵が言っているぞ!?」
すると、ここでも悲痛な叫びが返ってきました。
「敵は南の丘の上から火矢を射かけてくるんです! あんな距離から矢が届くなんて、とても信じられません!」
「南の丘からだと!? そんな馬鹿な!」
族長は見張り窓へ駆け寄り、南側に明々と燃えるかがり火を見ました。月のない夜ですが、星明かりと燃える炎の光が、丸い丘の形を黒々と浮かび上がらせています。丘の上からは、明るい流星が次々と飛び出していました。弧を描いて空を駆けると、城内に落ちて、ぱっと燃え上がります。
「本当に南の丘から撃っている……! 何故だ!? あんなところから届くような弓矢はないはずだぞ!?」
目を手前に向ければ、城の石垣から矢を撃ち返す守備兵が見えました。南の丘に向かって放った矢は、暗闇の中に吸い込まれていきます。とても敵まで届いているようには見えません。
そこへ族長を追って伝令が砦に駆け上がってきました。
「火の手の数が多すぎて消火しきれません! 堀の流れが激しくて、水が汲めないんです!」
族長は、ぎりりと歯ぎしりをしました。この火矢を飛ばしてくるのが誰なのか、ようやく悟ったのです。
「おのれ、カイルの連中め! このために堀とシャー川をつなげたな!? 連中をたたきのめしに行く! 跳ね橋を下ろせ!」
どなりながら砦にあった防具を身につけ、剣を握って砦から駆け下りると、そこには八十人ほどの戦士が装備を整えて集まっていました。守備兵も、矢を撃っても届かないというので、大半がこちらに来ています。とはいえ、城内はまだ燃え続けているので、消火活動に駆け回る戦士たちも大勢いて、これ以上の出撃は難しそうな状況でした。
族長は声を張り上げました。
「これはカイルの連中のしわざだ! このまま連中の好きなようにさせてはおけん! 連中をたたきのめしに行くぞ! 残った者は城内の消火を続けろ!」
おぉう、と声が上がりました。合図と同時に外堀の跳ね橋が下ろされます。
ところが、バオルの戦士たちが橋を半ばまで渡ったとき、橋の先の暗闇から声がしました。
「出てきたな。待っていたぞ」
ぎょっと二の足を踏んだ戦士たちの目の前で、黒い布がひるがえり、その下から若い男が現れました。バオルの戦士たちが掲げる松明(たいまつ)の火が、男の紫色の防具に映って光ります。
「何者だ――!?」
と先頭の戦士がどなり、次の瞬間、どうと橋の上に倒れました。橋に駆け込んできた紫の戦士に首を跳ね飛ばされたのです。
「この!」
後続の戦士が死体を飛び越えて切りつけると、紫の戦士はひらりと飛びのき、後ろの闇へ叫びました。
「いいぞ! 出てこい!」
とたんに返事があって、先と同じような黒い布が何十と空中に舞いました。現れたのは完全武装の金髪碧眼の戦士の集団です。
その顔を見て、バオルの戦士は叫びました。
「カイルだ! カイルの連中が待ち伏せしていたぞ!」
おぉぉぉ!!!
再び雄叫び(おたけび)が響き渡りました。同時にカイルの戦士が橋の上へ突進してきて、バオルの戦士と激突します。
城の外堀にかかった橋の上で、激しい戦闘が始まりました――。