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外伝21「集合」

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5.雪解け

 翌朝、フルートはまだ夜が明けないうちに部屋を抜け出して、ロムド城の屋上に行きました。鎧兜や武器は部屋に置いてきたので、布の服の上に直接緑のマントをはおっています。もう三月ですが、夜明け前の空気は肌に突き刺さるように冷え切っていました。石の階段や屋上の縁を囲む胸壁には、真っ白な霜の花が咲いています。

 フルートが、次第に明るくなる街並みを眺めながら、見張り兵とことばを交わしていると、階段を駆け上がって仲間たちがやってきました。ゼン、メール、ポポロ、ポチとルル――全員がここまで全速力で走ってきたようで、フルートを見たとたん、いたぁ! と叫ぶと、そのままぜえぜえとあえいでしまいます。

「ど、どうしたのさ、みんな。そんなに急いで」

 とフルートが驚くと、とたんにゼンとポチにどなられました。

「この馬鹿野郎――! 黙って出ていくなと、何度言ったらわかる――!?」

「ワン、目が覚めたら部屋にいなかったから、あわててポポロに探してもらったんですよ!」

「え? テーブルの上に書き置きしたじゃないか。屋上に行ってるから、起きたら来てくれ、って」

 とフルートが言ったので、今度はルルとメールが目を丸くしました。

「あら、ゼンやポチがあんまり急ぐから、私たち、フルートたちの部屋は確かめなかったわ」

「もう、ゼンったら! 騒ぐ前にちゃんと調べてから来なよ!」

 ポポロだけは何も言わずに、涙が溜まった目をしきりに拭っていました。なにしろフルートは前科がありすぎるので、姿が見えなくなると、仲間たちはひどく心配になってしまうのです。

「勇者殿は仲間の皆さんから大切にされていますね」

 と、フルートと話していた衛兵が笑って声をかけてきました。

 

 ゼンは頭をかきながらフルートに尋ねました。

「で――こんなところで何をしていたんだよ? なんのために俺たちを呼んだんだ?」

「兵隊さんからディーラの様子を教えてもらっていたんだ。ここもかなり冷え込んでいるようだからさ」

 とフルートは言って、眼下に広がる街並みと、さらにその向こうに見える平野を示してみせました。それは白一色の景色でした。家々の屋根も庭も通りも、外壁の外の耕作地も、降り積もった雪で真っ白になっていたのです。明るくなってきた空は、鉛色の雲でおおわれていました。雪こそ降っていませんが、かなり寒々しい色合いです。

「ワン、ここにも上空に闇の灰が飛んできているんですね。灰が雲を呼び寄せるから、太陽の光や熱が地上に届かなくなってるんだ」

「どこもかしこもこんな感じだから、本当に嫌になるわよね」

 と犬たちが言うと、フルートは話し続けました。

「兵隊さんの話によると、ディーラでもあちこちに闇の怪物が出没しているらしい。雲から降った闇の灰が寄り集まって、怪物に変わっているんだ。毎日、怪物退治に衛兵が出動しない日はないって」

「結局、ザカラスからユラサイの長壁まで、ずぅっとこういう状況になってるってことだよね。闇の灰が飛んで地上に降ったからさ」

 とメールは周囲の景色を見渡しました。雪におおわれた街や大地は白く凍りついていて、もう三月だというのに春の気配がまったく感じられません。彼らはザカラスの西で闇の灰の雲を消滅させてきましたが、それより前に東へ流れた灰までは、消すことができなかったのです。

「この灰をこのままにはしておけない。空にあれば日の光をさえぎるし、地上に落ちれば怪物になるんだからな。灰をディーラから消そう」

 とフルートが真剣な顔でいったので、仲間たちは納得しました。大人たちは皆、この世に復活したデビルドラゴンや、これから始まるだろう戦いの相談で頭がいっぱいになっていますが、フルートは、闇の被害が続いているディーラの様子を見て、一刻も早く灰をなんとかしなくては、と考えたのです。いかにもフルートらしいことでした。

 

 すると、話を聞いていた見張り兵が、また話しかけてきました。

「ディーラ中から闇の火山灰を消すなんてことができるのですか? 我々も城から闇の灰を撤去する作業を行いましたが、密度が濃くならないよう、細心の注意を払って集めてから、魔法使いが魔法で消し去ったんです。大変な手間と時間がかかる作業でした。都はあまりに広すぎるから、その方法はとれない、と聞いていたんですが」

 ポチは屋上の胸壁に前脚をかけて伸び上がっていましたが、外の景色を眺めながら言いました。

「ワン、できますよ。ディーラも一面雪の下だから、あの方法が使えるはずです。雪の始末もできるから一石二鳥ですよね」

「今回はどっちから降らせるんだ? 上からか? それとも、また下からか?」

 とゼンがフルートに尋ねました。

「下からだ。ここの雲はザカラスよりもっと高い場所にあるようだから、一度上に運んでから下へ降らせると、充分に灰を消さないうちに、魔法が時間切れになりそうな気がするんだ。――大丈夫だね、ポポロ?」

「ええ。もうすぐ朝日が昇るもの。そうしたらまた魔法が二つ使えるようになるわ」

 とポポロはうなずきました。自信に充ちた顔をしている彼女の後ろで、東の空が朝焼けに染まり始めています。

 メールは、ぱちんと指を鳴らしました。

「となると、また花鳥の出番だね。ポチやルルは変身できなくなっちゃうんだからさ。ルル、あたいを中庭の温室まで運んどくれよ。ちょっと花を拝借してこよう」

「ええ、いいわよ。でも温室ってどれ?」

「あの中庭の向こう建物さ――」

 メールとルルは駆け出しました。少し離れた場所の上でルルが風の犬になり、メールを乗せて中庭に舞い下りていきます。

 急に張り切り始めた勇者の一行を、見張りの兵士は驚いて眺めていました。彼らが何を始めようとしているのか、兵士には想像がつかなかったのです。

「あの……勇者殿たちは何をなさるつもりなのですか? 上からとか下からとか」

 と尋ねると、フルートは、にっこり笑いました。大人びてきても、女性のように優しい顔だちのフルートですが、青い瞳の奥には、何ものにも動かされない強い意志の光がありました。

「闇の灰は雪と一緒に地上に降り積もっています。だから、ポポロの魔法で雪を溶かして聖水に変えるんです。聖水に触れれば、闇の灰は消滅します。その後、地上の聖水を雨に変えて空に降らせれば、空にある闇の灰も消すことができるんです――」

 

 三十分後、朝が来て明るくなったディーラとその周辺で、不思議な現象が起きました。

 地面や家々の屋根に降り積もって堅く凍りついていた雪が、一瞬緑色に輝いたと思うと、いきなり溶け出して、水になってしまったのです。雪解け水は屋根を流れ、滝のように地面に落ちて行きました。その地面でも雪が一気に溶けたので、あたりは一面湖のようになってしまいます。

 早起きして朝の仕事に取りかかっていた住人は、仰天してその光景を眺めました。明け方の空気は氷のように冷え切っていて、とても雪が溶け出すような気温ではありません。何が起きているのかわからなくて、誰もが大水の中に立ちつくしてしまいます。

 すると、街のそこここで、得体の知れない音が聞こえ始めました。しゅぅっと何かが蒸発していくような音なのですが、振り向いても、そこには何も見えません。ただ雪解け水が揺れてさざ波を作っています。

 と、今度は、ギャーッとけたたましい悲鳴が上がりました。暗い路地裏から飛び出してきたのは、醜いネズミのような怪物でした。人々がぎょっとしていると、ばしゃん、と雪解け水に落ちて、みるみる溶けていってしまいます。

 その様子に、勘の良い人が気がつきました。

「闇の怪物が死んだぞ! これはきっと闇を溶かす魔法の水なんだ!」

 人々は都の中央にそびえる城を振り向きました。城には大勢の魔法使いがいます。彼らの魔法が闇を退治しているのだと思ったのです。

 別の建物の陰から、また闇の怪物が飛び出してきて、水の中で消えていきます――。

 

 城の屋上では、ゼンが階段の前で腕組みをして空を見上げていました。鈍色の雲の下では、花でできた大きな鳥が羽ばたきを繰り返しています。

 すると、階段の途中に突然キースが姿を現しました。出口まで駆け上がってきて、ゼンに言います。

「君たちは何をしているんだ!? ものすごい聖なる気配じゃないか!」

「おう、キース。おまえらは外に出るなよ。雪を全部聖水に変えたんだ」

「聖水に!? どうりで――! だが、なんのために!?」

 屋上にいた兵士たちは、全員が胸壁に集まって、雪が消えた城や街を驚いて眺めていました。遠く外壁の外側まで雪解けが進んでいくので、それを指さして驚嘆している兵士もいます。

 そこへ、四大魔法使いも姿を現しました。こちらは屋上の上に立って周囲を見渡します。

「ポポロ様がまた雪を聖水に変えられたのか」

「とすると、また雨を降らせるつもりですかな――?」

 と白や青の魔法使いが言っていると、空の上から細い声が聞こえてきました。

「レフーヨメアノイスイーセエーラソラカウヨジーチ!」

 とたんに、今度は下のほうから、ぴちぴちと水が弾ける音が響き始めました。屋上から見下ろす地上が、たちまち白い靄(もや)に包まれていきます。

「なんとまぁ。雪解け水を地上で直接雲に変えとるのか? 雨を降らせる方法はいくつかあるが、こんな降らせ方は、今まで見たことも聞いたこともないわい」

 と深緑の魔法使いがあきれていると、赤の魔法使いが小さな肩をすくめました。

「ワ、メ」

 自分たちはこれを見るのは二度目だ、と言ったのです。

 すると、分厚く溜まった地上の雲から、ついに雨が降り出しました。地面の上から空に向かって、重力に逆らって雨粒が飛び始めます。

 

 フルートたちは空の上で花鳥の翼や腹をたたく雨の音を聞いていました。雨は地上から空へ降ってきますが、たちまち土砂降りになったので、見通しがきかなってしまいます。

「ワン、うまくいっているかなぁ」

 とポチが言うと、ルルがむっとしたように答えました。

「うまくいってるに決まってるじゃない。ポポロの魔法なのよ!」

 すると、フルートも言いました。

「大丈夫、雨は闇の灰を消しているよ。ほら、あたりが明るくなってきた」

 その通り、雨が降りしきる空は、次第に明るさを増していました。聖水の雨が、闇の灰と一緒に雲を消しているのです。雲の切れ間から日の光が差し始め、空へ降る雨をきらきらと輝かせます。

 やがて、魔法切れの時間がきて雨が弱まると、地上から大きなどよめきが湧き起こりました。冬の間中ずっと厚い雲におおわれていた空が、抜けるような青い色に変わっていたのです。

 と、その空に虹が現れました。鮮やかな七色の橋が、空の端から端へくっきりとかかります。人々は呆然とそれを見上げました。家に飛び込んで、まだ寝ている家人を呼び起こす人もいます。

 花鳥の背中で、メールがポポロを抱き寄せました。

「やったね、ポポロ! ディーラから闇の灰が消えたよ!」

 うん……とポポロはうなずきました。泣き虫の彼女は、魔法がうまくいったことに安心して嬉し泣きをしています。

 フルートも虹を見上げながら言いました。

「そうだ。闇の灰は地上からも空からも全部消えていった。ディーラにやっと本当の夜明けが来たんだよ」

 虹は朝の光の中で空を美しく彩っていました──。

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