ポポロは呪文を唱えました。
華奢な体つきにふさわしい細い声ですが、意外なくらい高くはっきり響きます。
同時に緑の星と光が飛んでいきました。海上へ向かって遠ざかって、見えなくなっていきます。
一同は息を詰めて待ちました。静かになった海底に、金属をひっかくような食魔の笑い声だけが充満しています。
すると、そのはるか向こう、頭上の方向から、地響きのような音が聞こえ始めました。ずずずず……と振動が伝わってきて、周囲の海水が地震のように揺れ出します。
やがて、耳が痛くなるほど音が大きくなり、振動がますます激しくなってきたので、フルートはペンダントに呼びかけました。
「もっと強くみんなを守れ、金の石!」
魔石はいっそう明るくなって、金の輝きで全員を包みました。とたんに振動を感じなくなります。
けれども、実際には海は激しく震え続けていました。彼らの周囲で、食魔の赤い目がめちゃくちゃに揺れています。
「な、なんだ!?」
「何が起きているの……!?」
青ざめて周囲を見回す三つ子たちへ、フルートは言いました。
「このままここでじっとしてるんだ! 大丈夫、金の石が守ってくれている!」
「だ、だって……!」
轟音(ごうおん)は本当に耳をふさぎたくなるほど大きくなっていました。まるで海中に嵐が吹き荒れているようです。音に負けないようにするには、どなり声で会話するしかありません。
すると、いきなり海が割れました。頭上から深い裂け目がやってきて、水がその左右へ引いてしまったのです。
周囲から海水がなくなったので、フルートたちは水のない場所に取り残されました。宙に放り出された一同の下で、海水はどんどん左右に引いていきます。やがて水のない谷間は海底にたどりつき、岩だらけの地面がむき出しになります――。
宙に取り残された体が墜落を始めたので、全員は悲鳴を上げました。このまま落ちれば、海底にたたきつけられて即死です。
けれども、すぐにポチとルルが風の犬に変身しました。落ちていく少年少女たちを、つぎつぎ風の背中に拾い上げていきます。
「シードッグは犬になれ!」
とフルートが叫んだので、カイ、マーレ、シィの三匹は犬の姿になり、やはりポチとルルに拾い上げてもらいました。
そこへ、頭上からまぶしい光が降りそそいできました。見上げると、遠い彼方に青空と輝く太陽があります。海は彼らのいる場所を中心に大きく割れて、長い水の谷間を作っていました。谷間に水はありません。はるか高い空から海の谷の底へ、日光がまっすぐに差し込んできます。
彼らの周囲では、日の光を浴びた食魔が次々に消滅していました。つんざくような悲鳴を上げながら、崩れて消えていくのです。やった! とゼンやメールが歓声を上げました。ポポロは二つの魔法を一度に使って海を割り、海上から海底まで日の光を呼び込んだのです。
「こんなことって……」
クリスとザフは呆然としました。信じられないほど強力な魔法です。ひょっとすると、海王や渦王の魔力にも匹敵するかもしれません。これが天空の国の魔法使いの実力なのか、と考えます。
ペルラは青ざめたまま、ことばもなくポポロを見つめました。ポポロはフルートと一緒にルルに乗って、海を眺めていました。水着はいつの間にか黒い星空の衣に戻り、赤いお下げ髪と一緒に風にはためいています――。
すると、ポポロが急に海底を指さしました。
「あれを見て!」
と声を上げます。
そこには巨大な遺跡がありました。海底で黒い泥に埋もれていたものが、海が割れたために海水と共に泥が運び出されて、日の光の下に姿を現したのです。石の建物、柱、神殿のような巨大な建造物、道の跡――遺跡は驚くほど完全に昔の姿を残していました。石を積んで造った長い壁もあります。
「ワン、ユラサイの西の長壁(ちょうへき)みたいだ!」
とポチが言いました。二千年の昔、西から攻めてきた闇の怪物を防ぐために築かれた、全長二千キロにも渡る巨大な防壁のことです。
「ここもやっぱり闇の敵に襲われたってことだね。ここには城があったのかも」
とメールが言います。
勇者の一行は誰もが同じことを心の中で思っていました。やっぱり、ここが闇大陸だった。二千年前、ここで最後の戦いが起きたんだ、と――。
フルートはポチとルルに言いました。
「あの遺跡に向かうんだ! 調べよう!」
竜の宝について調べよう、とフルートが言いたかったことは、仲間たちにはよくわかっていました。宝はきっと、この場所のどこかに隠されたのでしょう。それを奪い返しにやってきたデビルドラゴンと激しい戦いになり、デビルドラゴンを捕らえることはできたものの、闇大陸は海の底へ沈んでしまったのです。そこに住む大勢の人々と共に。
遺跡のいたるところで、日の光を浴びた食魔が消滅していました。光を避けようと影に飛び込んだ食魔にも、水の壁に乱反射した日光が届いて、霧散させています。
ポチとルルは遺跡へ向かって飛びました。竜の宝を、そのどこかに見つけようとします――。
ところが、ポポロがまた叫びました。
「だめ、戻って! あたしの魔法が切れるわ!」
全員は、ぎょっと顔を上げました。
二つに割れた海は、遺跡の両側にありました。それがゆっくりと遺跡のほうへ動き始めていたのです。高さ三千メートルもある水の絶壁が、彼らに向かって迫ってきます。
「あんな水、ぼくの魔法でも防げないぞ!」
とクリスが叫びました。
「逃げろ! 押しつぶされる!」
とザフが叫び、ペルラが頭を抱えて悲鳴を上げます。
ポポロは真っ青になって震えていました。やはり彼女の魔法は予想外の事態を引き起こしてしまいます。今日の魔法は使い切ってしまったので、彼女にもこれを止めることはできません。
フルートはポチとルルへ叫びました。
「脱出だ! 上へ逃げろ!」
二匹が急上昇を始めます。
けれども、ポチは背中にゼンとメールとペルラとザフとシィを、ルルはフルートとポポロとクリスとカイとマーレを乗せていて、どちらも定員オーバーになっていました。全力で飛ぶのですが、重くて思うように上昇することができません。まだ海底からいくらも離れないうちに、みるみる両側から海が迫ってきます。
「見なよ、遺跡が!」
とメールが振り向いて叫びました。両脇から押し寄せてきた水が、津波のように古い街並みの跡に襲いかかっていったのです。あっという間に建物や長壁が水に呑まれていきます。石でできた建造物ですが、水の勢いにはまるでかないませんでした。積み木のように崩れて、押し流されていきます――。
渦巻く海を見ながら、フルートは叫び続けました。
「急げ! 上へ、早く!」
いくら彼らが水中で息ができても、こんな水に巻き込まれたら、とても無事ではすみません。しかも、渦には遺跡の岩が巻き込まれています。水に潰されるか、岩に激突するか。いずれにしても、水に追いつかれたら、彼らは全滅してしまいます。
ポチたちは必死で飛び続けました。上へ、上へ……。
けれども、割れた海は、それより早く元に戻っていきました。水の壁は彼らの下で次々にひとつになり、渦巻き泡立ち、大きな波しぶきを立てます。その飛沫が尾に届いて、ポチはギャン、と声を上げました。風の尾を散らされてしまったのです。がくんと速度が落ち、背中に乗っていたゼンやメールやペルラたちが悲鳴を上げます。
すると、フルートを乗せて飛ぶルルのすぐ横に、黄金の髪と瞳の少年が現れました。金の石の精霊が姿を現したのです。フルートを振り向き、別の相手の名を呼びます。
「力を貸せ、願いの! このままじゃフルートたちが海に呑み込まれる!」
たちまち空中に燃えるような髪とドレスの女性も現れました。冷ややかに聞こえる声で言います。
「そなたから助けを求めるとは珍しいな、守護の」
「とやかく言っているような状況じゃない! フルートたちを死なせるわけにはいかないからな!」
「それはまったくその通りだ」
願い石の精霊はあくまでも冷静な声で言うと、音もなく空中を近づいてきました。手を伸ばしてフルートの肩をつかみます。
とたんに、どっと大量の力がフルートの中に流れこんできて、胸のペンダントが爆発するように輝きました。全員を乗せたポチとルルを金の光が包み込み、そのまま猛スピードで上昇を始めます。
あまりの速さに、全員は思わず声を上げました。空へ向かって飛ぶ彼らの下で、割れた海はどんどん合わさり、荒れ狂いながらひとつになっていきます。ものすごい勢いですが、一行が上昇する速度のほうが、それを上回っています。
やがて、彼らは海の上に飛び出しました。水深三千メートルの海底から一気に水面まで戻ってきたのです。
舞い上がった一同の下で、どどどどーん、と海がぶつかり合って大波を立てました。彼らはさらにその上空へと飛び上がります。高く立ち上ったしぶきは、金の光にさえぎられて届きません。
「助かった!!」
彼らは歓声を上げました――。