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外伝19「闇の灰」

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6.猛犬

 魔法使いたちが城内の闇の灰の除去に動き出した頃、赤の魔法使いに部屋に置いて行かれたアマニは、退屈して部屋を抜け出していました。分厚いコートを着たままの恰好で、城の通路をとことこと歩いていきます。

「どこもかしこも石だらけだよねぇ。石切場の通路を歩いてるみたいだ。外の人たちって、いつも石切場に住んでるのかなぁ?」

 石造りの城の壁や床や天井を眺めながら、そんなひとりごとを言っています。いつもなら侍女や下男たちが往来する通路ですが、この時には人影はありませんでした。リーンズ宰相から連絡を受けたレイーヌ侍女長が、城内の召使いを緊急に集めて、闇の灰について注意していたからです。

 誰に止められることもなく、アマニは城内のあちこちの部屋をのぞいていきました。どの部屋も、分厚い絨毯を敷き詰め、見事なタペストリーや家具で飾られていますが、彼女はそんなものには心動かされません。

「お城って、なんでこんなに物がいっぱいあるんだろ? お掃除するのが大変だろうにねぇ」

 などと言いながら、いつの間にか中庭に面した出口までやってきます。

 中庭は相変わらず一面の雪でおおわれ、その間に雪をかいて作った道が伸びていました。アマニは雪がとても珍しかったので、喜んでそこに飛び出していきました。道の両脇にそびえる雪の壁を触ってみて、きゃあきゃあと声を上げます。

「冷たぁい! 最初見たとき、白い石なのかと思ったけど、これって細かい氷なんだ! なんでこんなに氷があるんだろ? 魔法かなぁ」

 暑い南大陸には雪が降らないので、アマニは大はしゃぎでした。踏みしめられた雪の道を、小走りで進んでいきます。道は中庭の散歩道に沿って作られていたので、迷路のように続いていました。アマニは、曲がり角や十字路に出るたびにきょろきょろと見回しては、適当な道を選んでまた先へ進みます。

 

 すると、突然雪の壁の向こうから女たちの悲鳴が聞こえてきました。続いて、男の叫び声とたくさんの犬の声が響きます。

「なに!? 何事!?」

 アマニは飛び上がって驚きましたが、彼女は背が低いうえに、積もった雪に視界をさえぎられているので、見通しがまったく効きませんでした。声はすぐ近くからするようなのに、どこから聞こえてくるのかわかりません。

 よしっ、とアマニは道の脇の雪の壁に飛びつきました。よじ登ろうとしますが、はいていたブーツの底がつるつる滑ります。アマニはブーツを脱ぎ捨てました。ついでに手袋も外すと、素手と素足で雪の壁に取りつき、今度はぐんぐん登っていきます。

 壁を登りきると、アマニの目の前に中庭が広がりました。いたるところが雪におおわれて、まるで白い綿でくるみ込まているようです。アマニはまたあたりを見回し、少し離れた場所に雪のない四角い広場を見つけました。広場の真ん中が柵で囲まれ、その手前で数人の女性が悲鳴を上げ続けています。

「王女様! 王女様――!」

 女性たちは柵の内側に向かって叫んでいました。恐怖で泣き出している女性もいます。

 素足に雪はとても冷たかったのですが、アマニはすぐにそちらへ走りました。寒さで雪が凍りついているので、小柄なアマニがその上を通っても、体が沈むことはありません。最短コースで広場へたどり着くと、雪の壁の上からためらうことなく飛び下ります。

 

 とたんに、柵の内側に飛び散った血が目に入りました。ワンワンワン、と激しくほえたてる犬の声も耳に飛び込んできます。

 高さ二メートルほどの鉄製の柵の中に、二人の男性が倒れていました。どちらも全身血まみれで、ほとんど身動きをしていません。

 柵の一角にはピンク色のドレスを着た少女が追い詰められていて、その前で数頭の犬がほえていました。白、黒、茶、ぶち――さまざまな色と大きさの犬たちです。けれども、犬は少女へほえているのではありませんでした。少女の前に立って、迫ってくる敵から少女を守ろうとしていたのです。

 少女と犬たちに、別の犬がうなりながら近づいていました。ひときわ大きな灰色の犬で、牙をむき出しにした口は血で紅く染まっています――。

 アマニは柵の前で悲鳴を上げ続ける女性たちに駆け寄りました。

「どうしたの!? どうしてあの子を助けてあげないのさ!?」

 肌の黒い小さな女性が突然現れたので、女性たちは驚きました。か、鍵が……と言いかけますが、すぐにまた大きな悲鳴を上げます。少女を守ろうと飛び出したぶち犬が、灰色犬にかまれて柵にたたきつけられたからです。血が飛び散り、ぶち犬は動かなくなりました。パピー! と少女が叫びます。

 アマニは顔をしかめながら、女性の一人に尋ね続けました。

「何があったっていうの!? どうしてあの子はあそこにいるのさ!?」

「あ、あの子ではありません。この国の王女のメーレーン様です! 犬たちと遊ぶためにここにいらっしゃったのですが、一番大きな犬が急に狂ったように暴れ出して、護衛と飼育係を――!」

 柵の外で悲鳴を上げて震えているのは、メーレーン王女の侍女たちでした。助けに行きたいのですが、柵の入口を開ける鍵は飼育係が持っていたので、中に入ることができずにいました。もっとも、飛び込んだところで、彼女たちにはどうすることもできなかったでしょう。大の男の護衛と飼育係でさえ、猛犬にはまったく歯が立たなかったのです。彼らは瀕死の重症を負って柵の中に倒れています――。

 パピー! パピー! とメーレーン王女は叫び続けていました。目の前にいる狂った犬より、血を流して倒れているぶち犬のほうを心配して、駆けつけようとしています。それを守ろうとまた別の犬が飛び出して、灰色犬にかまれてしまいます。

 

 アマニはきゅっと唇を一文字にすると、ものも言わずに柵に飛びつきました。分厚いコートを着たままで、するすると鉄の棒をよじ登り、柵を乗り越えて内側に飛び下ります。侍女たちはまた悲鳴を上げました。アマニは自分から狂った犬の檻(おり)に飛び込んでいったのです。

 メーレーン王女はぶち犬に駆け寄っていました。ピンクのドレスが血で汚れるのもかまわずに、犬を抱き上げて呼びかけます。

「パピー、パピー! 死んではだめよ! メーレーンと一緒にお散歩する約束でしょう? しっかりして――!」

 クゥ、とぶち犬は低く鳴きました。まだ息はあるのですが、動くことができません。王女はぶち犬を抱いて逃げようとしました。その背中に灰色の犬が襲いかかっていきます。

 とたんに、猛犬の頭に、ばさりと布がかぶさりました。王女と犬の間に割って入ったアマニが、着ていたコートを犬に投げつけたのです。何も見えなくなって犬がたじろいだ隙に、王女は柵の隅へ逃げ、アマニを振り向いて大きな目をまん丸にしました。

「まあ、あなたはどなたですの、黒い小さい方!? なんだか赤の魔法使いによく似てるみたいですわねぇ!」

 コートを脱いだアマニは、膝丈の布の服に素足の、南大陸の恰好に戻っていました。ドレスを着たメーレーンたちとは、はなはだしく違っていますが、その恰好で得意そうに胸を張って見せます。

「あたしはアマニ。モージャの妹で未来の奥さんだよ! あっと、モージャっていうのは、あんたたちが赤の魔法使いって呼んでる人のことさ!」

「まあ、赤の魔法使いの? 妹で奥さん? いったいどちらですの?」

 とメーレーン王女は聞き返しました。

「どっちって聞かれたら、もちろん奥さんのほうだよ! モージャのお嫁さんになりに、はるばる南大陸から来たんだから!」

 とアマニは小さな体でいっそう胸を張り、次の瞬間、コートを振り払った猛犬へ何かを投げつけました。とたんに、ギャン、と犬が飛びのき、地面に転がります。

 メーレーン王女は驚きました。

「何をなさいましたの、アマニ? 犬が苦しがってますけれど」

「クシャミの木の実をぶつけてやったんだよ。コショウみたいな辛い粉がいっぱい詰まった実なんだ。ムパスコの外でハイエナやライオンに出会ったときには、これを使うのが一番いいんだよ」

 刺激のある実をぶつけられ、粉状の種子を吸い込んで、猛犬は地面を転げ回っていました。ブション、ブション、とくしゃみを繰り返します。

「さ、今のうちだよ。早く外に出よう」

 とアマニはまた柵を登り始めましたが、メーレーン王女は首を振りました。

「メーレーンは木登りは少しできますが、こんなまっすぐな棒は登れません。それに、犬や飼育係を残してはいけませんわ」

 自分のことをメーレーンと名前で言うのが、この王女様の癖です。

 えぇ!? とアマニは声を上げて、また飛び下りてきました。

「なんでこれくらいの高さを登れないのさ。そんなに背が高いのに。外の人たちって、ほんとに変だよねぇ」

 

 すると、柵の外でまた悲鳴が上がりました。侍女たちが猛犬を指さして真っ青になっています。クシャミの実の効果が切れたのか、犬が頭を振って立ち上がってきたのです。先よりももっと怒り狂って、ウゥゥーッと、うなり声を上げています。

 メーレーン王女とアマニはまた片隅に追い詰められてしまいました。猛犬の迫力に犬たちも尻尾を巻いて後ずさっています。

「ア、アマニ、クシャミの実をまた使えませんの?」

 と王女に聞かれて、アマニは首を振りました。

「あれ一個しか持ってなかったんだよ。このへんにはクシャミの木はないみたいだしさ――」

 猛犬が迫ってきました。牙を大きくむきだし、よだれを垂らして近づいてきます。

 怪我した犬を抱いて立ちすくむメーレーン王女。それを守るように小さな体で前に立つアマニ。けれども、彼女たちには犬に抵抗する力はありません。

 ついに、一声ほえて猛犬が飛びかかってきました。足元ですくんでいた犬たちが、キャン、と悲鳴を上げます。

 アマニとメーレーン王女も思わず目をつぶってしまいました。それでも猛犬の息づかいが迫ってくるのはわかります。

「モージャ!」

 とアマニは思わず叫びました――。

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