「そうか。南大陸でそんな出来事が――」
突然中庭に姿を現した赤の魔法使いから、南大陸の火の山での一件を聞かされて、白の魔法使いが言いました。そのまま真剣な表情で考え込んでしまいます。
「フルートたちはその後、天空の国に向かったのか。本当にどこにでも行く連中だな。とうとう空にまで行ってしまうなんて」
と言ったのはキースでした。温室の屋根越しに残念そうに空を見上げます。闇の民の彼は、聖なる光があふれる天空の国へ行くことができません。
「空へ行くのに馬が邪魔になるから、赤の魔法使い殿に預けてよこしたんだな。よしよし、おまえたちはまた留守番だな」
とトウガリはフルートの馬たちをなでてやりました。勇者の一行が海へ出て行ったときにも、馬たちはロムド城に預けられていたのです。雪の積もる庭から温室に引き入れられた馬たちは、魔法で出してもらった飼い葉をおとなしく食べています。
すると、青の魔法使いが小さなアマニにかがみ込みました。
「それにしても、思いがけませんでしたなぁ。妹御が実は赤の婚約者だったとは。ずっと妹だと聞かされていたので、我々もそう思い込んでおりましたよ。しかも、こんなに綺麗に成長されていたとは。いやぁ、赤は実に幸せ者ですな」
満面の笑顔でそう言うと、体を起こして、はっはっは、と陽気に笑います。
深緑の魔法使いが首をひねりました。
「なんじゃ、ずいぶん上機嫌じゃな、青。自分のことのように喜んで。赤が婚約者を連れてきたのが、そんなに嬉しいのか?」
「むろんですとも! なにしろ、赤は白に惚れているのだとばかり思っておりましたからな。こんなかわいい婚約者がいたのならば、本当に安心――」
青の魔法使いの話に、ずっと笑顔だったアマニが急に顔色を変えました。赤の魔法使いを振り向き、彼が、ぎくりとしたのを見ると、さらに険しい顔になって、その場の人々を見回します。すぐに彼女が目を留めたのは、白い長衣を着た女神官でした。すさまじい顔でにらみつけてから、赤の魔法使いをまた振り向きます。
「モージャ! あたしから離れてる間に、この人と何があったのさ!? まさか、あたしのことをずっと忘れていたわけ!? あたしはムパスコでモージャをずっと待っていたってのに!!」
「ヤ――ナ、ナ――」
猫の目の魔法使いは珍しくしどろもどろになりました。黒い顔に大粒の汗をかいて弁解しようとしますが、うまくことばになりません。
「馬鹿もん、余計なことを言いおって」
と老人から叱られて、武僧は首をすくめました。キースとトウガリは、おやおや、とあきれます。
異大陸の女性の怒りはまだ収まりませんでした。今度は女神官へ駆け寄ると、小さな体をいっぱいにそらして、金切り声を上げます。
「モージャはあたしの旦那様なんだよ! あたしが生まれたときから、結婚するって決まっていたんだから! あんたは背は高いし偉そうだけど、絶対にモージャは渡さないからね! 絶対に、ぜぇったいに、あんたになんか渡さないんだから!」
「アマニ! シロ、ワ、ノ、マダ!」
と赤の魔法使いがたまりかねたように言いました。白の魔法使いも面食らいながら言います。
「そう、私はただの仲間だ、アマニ。赤のことなど、別になんとも思っては――」
「など、って何さ!? 赤のことなど、って! モージャをつまらないものみたいに言ってさ! モージャは素敵な男なんだよ! 魔法は強いし、頼もしいし賢いし! そんなモージャの魅力も理解できないなんて、あんたの目って節穴!?」
とアマニはわめき続けました。興奮しすぎて、自分が何を言っているのかよくわからなくなっています。魔法使いたちはすっかり閉口しました。
「と、とにかく、この一件を陛下にご報告しなくては――。行くぞ」
と白の魔法使いは温室からそそくさと姿を消していきました。青の魔法使いもすぐにその後を追いかけていきます。
赤の魔法使いは後に残ってアマニをなだめようとしましたが、怒った彼女が殴りかかってきたので、これまたほうほうの体(てい)で逃げていきました。
モージャ!! とアマニが地団駄を踏みます。
ゾとヨは、目の前の騒動にびっくりしていましたが、残されたアマニが、わっと泣き出したのを見ると、顔を見合わせました。どちらからともなくうなずき合うと、おそるおそる出ていって、アマニのコートの袖をひっぱります。
「泣いちゃダメだゾ、アマニ」
「そうだヨ。泣くともっと悲しくなるから泣いちゃダメだ、ってアリアンがいつも言ってるヨ」
二匹が人間のことばで話しかけたので、キースとトウガリはあわてました。アマニも泣くのをやめ、驚いたように二匹の小猿を眺めて、すぐに言いました。
「あんたたち、話せるんだ。コーなんだね。へぇぇ」
アマニは、こちらの人々がもの言う獣に出会ったときのように、悲鳴を上げたり怖がったりはしませんでした。それを見て、キースも進み出ました。アマニへ身をかがめてお辞儀をしてから話しかけます。
「初めまして、南大陸のかわいいお嬢さん。猿が話しても驚かないなんて、さすがは赤さんの婚約者ですね。南大陸では、こういう猿をコーと呼ぶんですか?」
相手が誰でも、女性に対してはとても礼儀正しくなるキースです。
アマニはまだ瞳に涙をためていましたが、そう言われて首を振りました。
「猿だけじゃなく、人のことばを話す動物はみんなコーだよ。あんまり数は多くないけど、ムパスコの近くにもいたんだ。あんたは誰? やっぱり兄さんの友だち?」
「ぼくはキース。ロムド城の客人で、赤さんにもお世話になっています。ところで、あなたの話は興味深いですね。ぼくは世界中を旅してきたけれど、南大陸にはまだ一度も行ったことがなかったんです。あそこは魔法で閉ざされた大陸だったから、入ることができなかったんですよ。どうでしょう、アマニ。ここではお茶も出せないし、ぼくの部屋に行って、ゆっくりお茶を飲みながら、あなたの故郷の話を聞かせてもらえませんか?」
丁寧な口調で、ちゃっかりとアマニをデートに誘います。おいおい、とトウガリが声をかけましたが、キースは知らん顔です。
ところが、キースがアマニの黒い手を取ろうとすると、空中にいきなりまた赤の魔法使いが現れました。
「ラ、キース、ナ!」
とキースをどなりつけ、ハシバミの杖を振ります。
とたんに、キースの目の前からアマニの姿が消えました。次の瞬間には、赤の魔法使いの腕の中に現れます。
「モ、モージャ……?」
面食らうアマニに、赤の魔法使いはまたどなりました。
「ツ、シダ! ナ!」
アマニを抱いたまま、どこかへ姿を消してしまいます。
キースは身を起こすと、人差し指の先で頬をかきながら言いました。
「ちぇ、あいつは女たらしだから油断するな、だなんて、ひどいなぁ、赤さんったら」
いかにも心外そうな顔をするので、トウガリは肩をすくめました。
「全然間違っていないだろう。彼女は赤殿の婚約者なんだ。あんまり節操のないことをすると、アリアンに言いつけるぞ」
今度はキースが、かっと顔を赤くしました。
「ど、どうしてそこに彼女が出てくるんだ!? 全然関係ないだろう!?」
「あっ、そうだゾ、そうだゾ! アリアンに教えるゾ!」
「若い女の人を見るとすぐデートに誘うのは、キースの悪い癖だヨ! アリアンに叱ってもらった方がいいヨ!」
と小猿たちが騒ぎたて、鷹のグーリーまでがピーピーと鳴き出したので、温室の中はひどく賑やかになります。
キースは猿たちの首根っこをつかんで持ち上げました。
「そんなことしようとしてみろ! おまえたちを本当に猿のことばしか話せないようにしてやるからな!」
「そんなのひどいゾ、キース! そんなことしたら、絶対アリアンが変だと思うゾ!」
「そうだヨ! 絶対にまた話せるようにしてくれ、ってアリアンはキースに頼むヨ! そしたらキースがしたことがアリアンにばれるヨ!」
「まったくもう、ああ言えばこう言う! いつの間にかすっかり図々しくなってるぞ、おまえら!」
「図々しくなんかないゾ! オレたち、いつもいい子だゾ!」
「そうだヨ、そうだヨ! いつもアリアンを悲しませるキースが悪いんだヨ!」
ピイピイピイ、とグーリーも彼らの前で羽ばたきながら抗議します。
とうとうキースも魔法で姿を消していきました。小猿のゾとヨと、鷹のグーリーも一緒です。彼らがいなくなったとたん、温室の中は一気に静かになりました。
後に残された深緑の魔法使いとトウガリは、やれやれ、と顔を見合わせました。
「なかなか自分に正直になろうとせんのう、キースは」
と老人が言ったので、トウガリは思わず苦笑しました。
「そうですね。あれだけ女性には無差別に声をかけるくせに、肝心の彼女にはそっけないくらいですから……。ああ見えて、本当の恋愛にはかなり不器用な男なのかもしれません」
「ま、若い連中というのはそんなもんだと大昔から決まっておるがな。さて、わしも陛下の前に行かねば。白たちが呼んでおるわい」
「その前に、私と馬たちを、ここから厩(うまや)へ移動させていただけますか? この雪の中、私一人で五頭も連れていくのは難儀ですからね」
トウガリにそう言われて、深緑の魔法使いはすぐに杖を振りました。道化の姿の間者と五頭の馬たちも温室の中から消えていきます。
たった一人になると、老人は鋭い目を上げました。城の一室で言い合っている赤の魔法使いとアマニの姿を見つけて、ふぅむ、とうなります。
「あっちも、もうしばらくかかりそうじゃな……。まあ、赤も六年間も彼女を放っておいたんだから、あれくらい叱られるのはしょうがないかもしれん。どれ、わしだけで行くとするか」
そうつぶやくと老人も姿を消し、温室の中には誰もいなくなりました――。