「闇の生き物が侵入していただと!? なんという失態だ! 温室を見張っていたのは、いったい誰だ!?」
青の魔法使いに呼ばれて飛んできた白の魔法使いは、全身を震わせて怒りました。白い長衣に淡い金髪の女神官です。厳しい表情をいっそう厳しくして、青の魔法使いをどなりつけています。
「担当は私の部下でした、白。だが、非常に真面目な男だから、職務を怠るようなことはありえません。能力だって決して低くはない。それなのに闇の侵入を許してしまったものだから、ショックで半狂乱になって、他の部下に介抱されていますよ……。今、魔法軍団の全員に確認しましたが、闇が入り込んでいたことに気づいた者は誰もいませんでした。ですが、それを責めることはできんでしょう。現に、我々だって気がつかなかったのですからな」
武僧の魔法使いにそんなふうに言われて、女神官はことばに詰まりました。彼女自身も守りの塔で城の警備についていたからです。
温室の外へ出ていたトウガリが、雪の中を漕(こ)ぐようにして戻ってきました。真っ白になった道化の服から雪を落としながら言います。
「雪は表面が凍りついていて、虫の足跡は見つけられなかった。こいつはこれで全部なんだろうか? 他にもまだいたら、本当に大変なことだぞ」
「この温室の中にはもうおらん。付近にも闇の気配はせんが、念のために魔法軍団に調べさせているところじゃ」
と言ったのは深緑の魔法使いでした。痩せた長身を深緑色の長衣で包んだ、目つきの鋭い老人です。
キースがそれに答えました。
「おそらく外にはいないだろう。闇虫は闇の生き物にしては珍しく、寒さにとても弱いんだ。寒さに遭うと動けなくなるから、暖かいほうへと移動する習性がある。このあたりではこの温室が一番暖かいようだから、ここにいなければ他の場所にもいないはずだよ」
「だが、こいつは何故ここに侵入したのだ!? この城は魔法の障壁と魔法軍団で幾重にも守られている! 外から魔法でここへ虫を送り込むことも、隠して運び込むことも、不可能なはずだぞ!」
と白の魔法使いがまたどなりました。城を守る魔法軍団の責任者なので、尋常でない腹立ちぶりです。
それをなだめるように、深緑の魔法使いが言いました。
「まあ待て、白。わしがこの虫を見てみよう。何かわかるかもしれんからの」
魔法使いの老人は、いにしえのエルフの遺跡で、ものの真の姿を見抜く魔法を会得(えとく)しているのです。頭を食い切られた闇虫の死骸に目を向けて、じっと凝視します。
すると、一同の目の前で虫の輪郭がぼやけました。カブトムシのような体がみるみる崩れ、灰色の粉になって、小さな山を作ります。
「砂――?」
一同が驚くと、深緑の魔法使いは言いました。
「いいや、灰じゃな。しかも、噴火した山から飛び出した、火山灰じゃ」
「火山灰? それがこの闇虫の正体だったと言うのですか?」
「灰が闇の生き物になったと言うのか!?」
と青と白の魔法使いはいっそう驚きました。これまで聞いたこともなかった話です。
ゾとヨは小さな灰の山に顔を近づけると、くんくん、と匂いをかぎました。とたんに細かい灰が鼻の穴に飛び込み、二匹は、はっくしょん! と同時にくしゃみをしました。灰が吹き飛ばされて舞い上がり、薄い煙のように一面に広がってしまいます――。
「ごごご、ごめんだゾ!」
「オオオ、オレたち、わざとじゃなかったんだヨ!」
二匹の小猿はあわてて弁解しました。両手を振り回し飛び跳ねて大騒ぎするので、なおさら灰が広がります。
「これはもう、元の虫に戻すのは不可能じゃな」
と深緑の魔法使いは頭を抱えました。貴重な証拠が失われてしまったことになります。
すると、驚いたように周囲を見回していたキースが、厳しい表情に変わって言いました。
「闇の匂いがする――。この灰には闇が含まれているぞ」
闇の匂い? と一同はいっせいに聞き返しました。
ピィ、と鷹のグーリーが木の枝から鳴き、ゾとヨも騒ぐのをやめて言いました。
「そう言えば、そうだゾ。この灰、なんか懐かしい匂いがしたゾ」
「闇の国でいつもしていた匂いだヨ。これって闇の匂いだったのかヨ」
「闇が含まれた灰だと? 何故そんなものが」
とまどい続ける白や青の魔法使いの横で、深緑の魔法使いは深刻な表情になっていきました。
「この灰は、どうも例の火の山から出たもののようじゃな。わしもアリアンの鏡で一緒に見張っていたんじゃが、まさかそんなものが含まれておったとは……」
「天下の四大魔法使いが気がつかなかったと言うのですか? 何故です!?」
とトウガリは驚きました。聞きようによっては、四大魔法使いを批難するような言い方になっていましたが、誰もそれを気にする余裕はありませんでした。青の魔法使いが急に思い当たったように言います。
「そうか! 最近、ロムド全土で闇の怪物が増えているのも、闇の灰のしわざだったのですな! なんということだ!」
「闇の灰が国中に降っていたというのか!? どうして気がつけなかったのだ――何故!?」
白の魔法使いは真っ青になっていました。厳しく責めているのは自分自身です。城やロムドを守る魔法軍団の長として、これほどの異常に気づかずにいたことを悔やんでいるのでした。
キースが考えながら言いました。
「今、この城には一番占者のユギル殿がいない。オリバンたちと一緒にユラサイを訪問しているからな。しかも、赤の魔法使いもフルートたちと一緒に南大陸へ行ってしまって、四大魔法使いの一人が欠けている。手薄になった守りの隙を突かれたんだ」
「ということは、またしてもサータマンの攻撃か!」
「陛下にお知らせしなければ!」
一同はいっせいに動き出そうとしました。魔法の力で王の執務室や守りの塔へ飛ぼうとします――。
が、次の瞬間、三人の魔法使いは立ち止まりました。頭上を見上げて叫びます。
「赤!?」
はるか彼方の場所から、城に向かって飛んでくる仲間に気がついたのです。女神官が叫びます。
「深緑、城の障壁を消せ! 青、急げ! 赤は一人じゃないぞ!」
「一人じゃない!? もしかしてフルートたちも一緒なのか!?」
とトウガリが驚くと、キースが別空間を透視しながら言いました。
「いいや、彼らじゃない。彼らの馬だ。それと、知らない女性も一緒にいる」
女性!? とトウガリはまた驚きましたが、魔法使いたちとキースが温室の外へ飛び出していったので、あわてて追いかけました。小猿のゾとヨと鷹のグーリーも後についていきます。
一面雪におおわれた中庭で、魔法使いたちは立ち止まりました。消えよ! と老人が長い杖を空に掲げ、女神官が武僧に言います。
「来る! 受け止めるぞ!」
「承知!」
「ぼくも手伝おう!」
魔法使いたちが杖と腕を振り上げ、キースが両手をかざすと、彼らの腕が作る円の上空に人と馬が現れました。赤い長衣を着た黒い肌の小男と、同じような黒い肌をした小柄な女性、それに五頭の馬たちです。黒い男女は一頭の馬に一緒にまたがっていました。
「リ、ロ!」
と小男が細い杖を振ると、馬たちの落ちる速度がゆるみ、腕が作る円の中へゆっくりと降りてきました。馬の細い脚が白い庭に着地して、そのまま雪に埋まっていきます。
「シロ、アオ、シンリョク!」
馬の上から小男が言いました。猫のような金の瞳をした、赤の魔法使いです。フードを脱いで嬉しそうな表情を見せます。
「赤!」
「ようまあ、このタイミングで戻ってきたの!」
「これは勇者殿たちの馬ですか!? 勇者殿たちはどうなさったのです!?」
集まって口々に尋ねる魔法使いたちに、赤の魔法使いが答えようとすると、その背中の後ろから、ひょっこり黒い顔がのぞきました。縮れた長い黒髪に大きな黒い瞳、明るい表情をした女性です。赤の魔法使いを見上げて言います。
「ここがロムドなの、モージャ? ものすごく寒いところなんだね」
彼女は分厚い毛皮のコートを着て、長いブーツをはいていましたが、それでも寒さに震えて、赤の魔法使いにしがみついていました。
それを見て武僧は声を上げました。
「これはこれは、赤の妹御ではないですか! すっかり大人になられましたな!」
「どういうことだ、赤? 彼女は南大陸に戻ったはずだろう」
と女神官も尋ねます。彼らは六年前に赤の魔法使いと協力して彼女を人買いから救出したのです。
すると、赤の魔法使いの妹が言いました。
「こんにちは、兄さんのお友だちの皆さん。あたしの名前はアマニだよ。兄さんのお嫁さんになりにロムドに来たんだ。よろしくね」
屈託のない彼女のことばに、はぁ!? と思わず目を丸くしてしまったロムド城の人々でした――。