「ふう、やっと全部片付いた」
そう言いながら、ロムド城の一室に突然姿を現したのは、長い黒髪に黒い服の青年でした。整った甘い顔立ちをしていますが、頭にはねじれた二本の角が、背中には大きな黒い翼があります。瞳は血の色、口の端には鋭い牙――闇の国の第十九王子のキースです。
キースは翼や服についた霜を払い落とそうとしましたが、堅く凍りついてなかなか落ちないので、舌打ちして手を振りました。とたんに、角も翼も牙も消え、服は黒から白い色に変わりました。黒い髪は相変わらずですが、瞳も鮮やかな青になります。人間の姿になったのと同時に、全身にこびりついた霜もすっかり消えてしまいました。
そこへ、見上げるような大男と、黒い羽根の鷹も姿を現しました。鷹が、ピィィ、と鳴いて部屋の止まり木に飛んでいきます。
大男は青い長衣を着て、胸には武神カイタの象徴を下げていました。ロムド城を守る四大魔法使いの一人の、青の魔法使いです。たくましいひげ面に、ほっとした表情を浮かべて言います。
「ようやく終わりましたな。次から次と怪物が現れて本当に大変でしたが、キース殿とグーリーが協力してくれたので助かりましたぞ」
「闇の怪物だったからね」
とキースは言いながら、テーブルの上でまた手を振りました。たちまちお茶のカップが二つ現れて湯気を立て始めます。
「青さんもどうぞ――。ぼくたちがここに来た頃には、闇の怪物もこんなに多くなかった気がするんだけれどね。最近どうしてこんなに増えたんだろう? ロムドは冬になると怪物が増えるのかい?」
「いや、この冬は近年になく怪物の数が多いですな。ただ、季節のせいというのはあるかもしれません。今年の冬は本当に寒さが厳しい。今まで雪がめったに降らなかったような地域まで大雪になっているし、降った雪は寒さで凍りついてなかなか溶けない。ディーラの南にあるリーリス湖も、湖面が完全に凍りついてしまいました。あれは大きな湖なので、真冬でもめったに凍結しなかったのですが。一面雪で閉ざされたために、闇の怪物も餌が獲れなくなって、人里近い場所に出現するようになったのかもしれませんな」
大男の魔法使いは、そんな話をしながら、立ったままお茶を飲みました。
キースのほうは鷹のグーリーに魔法で肉を出してやってから、長椅子に座って、ゆっくりカップを傾けました。
「まあ、別にいいんだけれどね。ぼくたちは闇の民や闇のグリフィンだから、闇の怪物を退治するのは簡単だし、寒空を飛んでも人間のように凍えたりはしない。それに、今はオリバンとセシルが西部へ視察旅行に出ていることになっているから、ぼくはオリバンの代理をしないですんでいる。皇太子の公務がないから、怪物退治くらいはおやすい御用さ。ただ、闇の怪物の数が増えているようなのが気になってね。まさか、ぼくたちを闇の国に連れ戻そうとして、闇王が送り込んでいるんじゃないとは思うんだけれど……」
そう言って、キースは少し心配そうな顔をしました。彼は闇の国を嫌って友人たちと地上へ逃れ、ロムド国王に保護されているのです。
青の魔法使いは飲み終えたカップをテーブルに戻すと、ふむ、と太い腕を組みました。
「連中にはそこまでの意図はないように思えますぞ。てんでに好き勝手な場所に現れては、家畜や人を襲っていますからな。特に、北の街道と西の街道沿いでの被害がひどい。北の街道にはワルラ将軍が軍を率いて討伐に向かっていますが、西は被害が起きている場所が遠いので、報告が入った時点でずいぶん時間がたってしまっている。それで、私とキース殿とグーリーとで駆けつけることになるわけです。毎回遠征させてしまって、申しわけないと思っておりますよ」
「グーリーは闇の怪物の中でも抜群の飛翔力を持っているから、どこへ行くにもひとっ飛びだ。距離なんて関係ないさ。なあ、グーリー?」
キースに言われて、鷹に化けた闇のグリフィンが、キェェェ、と得意そうに鳴きます。
そこへ、扉をたたいて一人の男がやってきました。ひょろりと細い長身を、赤と青の派手な衣装で包んだ道化です。顔には、一度見たら忘れられない奇抜な化粧をしています。
彼は部屋の中にキースたちを見つけると、両手を振って大げさなお辞儀をしました。
「これはこれは、こんなところにいらっしゃいましたか、異国からのお客様。城中探し回ってもお姿を見つけることができず、このトウガリめは塔の上から地下室まで探し回ってしまいました。見つかってみればなんのことはない、ご自分のお部屋に戻っておいでとは、灯台もと暗しはまさしくこのこと、トウガリめは骨折り損のくたびれもうけ――」
道化の話はとうとうと続いていました。これだけの内容をものすごい早口でまくしたてているのですが、不思議と聞きづらくはありません。
「ぼくになんの用だい、トウガリ?」
とキースが尋ねると、道化は部屋に入ってきました。
「お客さまの大切な忘れ物をお届けに上がりました。これ、こちらに」
そう言った道化の背中から、二匹の小猿が駆け上がってきました。道化の左右の肩にちょこんと座って、手にしていた木の実を食べ始めます。
「ゾ、ヨ!」
キースが目を丸くすると、道化は扉を閉めながら言いました。
「哀れで忠実な猿くんたちは、ご主人の姿を求めて城中を走り回っておりました。なんとせつない忠誠心でございましょう。トウガリの胸は感動にうち震え、これはなんとしてもお客さまの元へ送り届ねばならないと考えました――。ゾとヨが中庭の温室で何かを見つけたらしいぞ、キース。報告しようとして、おまえを捜し回っていたんだ」
扉が閉まって、外の通路と部屋が隔てられたとたん、道化はがらりと口調を変えました。ぶっきらぼうなほどの調子です。王妃付きの道化というのは表向きの姿で、彼の本当の役目は、王妃を敵から守り城の内外の情報を集める間者でした。キースとも少なからず親交があります。
キースはますます驚いて立ち上がりました。
「何を見つけたんだ、ゾ、ヨ? 温室って、どこの温室のことだ。城にはたくさんあるだろう?」
小猿に化けたゴブリンたちは、トウガリからキースの肩へ飛び移ってきました。ゾが長い黒髪を引っぱりながら訴え始めます。
「すごくあったかい温室のことだゾ! 冬でも花がいっぱい咲いているところだゾ!」
「この実がなる木が生えているところだヨ! オレたち、そこでこれを食べていたんだヨ!」
とヨが食べ終えた実の皮を差し出すと、青の魔法使いが身を乗り出しました。
「ほう、これは実芭蕉(みばしょう)ですな。南大陸から取り寄せた植物です。とすると温室の場所はわかりました。いったい何事でしょうな?」
すると、二匹の小猿はいっそう興奮して言い続けました。
「虫! 虫がいたんだゾ! 外から温室に入ってきたんだゾ!」
「背中に目玉のついた虫だヨ! 一匹が二匹になったんだヨ!」
とたんにキースは顔色を変えました。
「背中に目がある虫!? それは闇虫じゃないか! 分裂して増えていく闇の生き物だぞ!」
「城内に闇が入り込んでいたと言うのか? そんな馬鹿な!」
とトウガリも驚きます。ロムド城は常に魔法の障壁で守られている上に、優秀な魔法使いたちによって二十四時間見張られています。キースたちのような招かれたものは別ですが、外から城に闇が入り込むなどということは、まず考えられなかったのです。
「確かめましょう」
と青の魔法使いは手を上げ、空中に現れた杖を握りしめると、どん、と部屋の床を突きました。
とたんに、彼らは中庭の温室に移動していました。青の魔法使い、キース、トウガリ、ゾとヨ、鷹のグーリーも一緒にいます。
濃い緑が生い茂り花が咲く中に、小猿のゾとヨは飛び下りました。入口のほうへ走っていって、そこに転がっていた虫の死骸を指さします。
「ほら、ほら、これだゾ!」
「オレたちが殺したんだヨ! 二匹になったから、ゾと一匹ずつやっつけたんだヨ!」
キースはその頭をなでてやりました。
「よしよし、良くやったな。確かにこいつらは闇虫だ。放っておいたら、どんどん増えて、駆除に手間取るところだった」
すると、青の魔法使いが渋い顔で言いました。
「この虫には私も見覚えがあります。毒に倒れたゼン殿を守ってゴーラントス卿の屋敷の庭で戦っていたときに、護具に群れをなして取りついて、魔法の障壁を消してしまったのです。これが城内で大量に増えたら、本当に大ごとになるところでした」
「どこから侵入したのか調べなくちゃならんな。どこかにもっといたら、それこそ大変だぞ」
とトウガリは入口の戸を開けて外の雪を眺めました。その上に虫が這った痕はないかと目を細めます。
「応援を呼びましょう」
と武僧の魔法使いは言うと、杖を掲げて温室の天井へ呼びかけました。
「白、深緑! すぐに来てください! 一大事ですぞ――!」