海軍の捜索隊は、その日の午後にやってきました。
港から八番目の通りの店や家に片端から入り込み、驚く家人や店主を武器で黙らせて、徹底的に調べ上げていきます。
じきに兵士たちはイリーヌの店にもやってきました。まだ「準備中」の札が下がっている扉を蹴飛ばすようにして開けて、十数人でなだれ込み、店内を見回します。勇者の一行が隠れていれば、そのまま戦闘になると考えているので、誰もが武器を構えて、険しい表情をしています。
奥の調理場からは前掛けをつけたジズが、二階からは黒いドレス姿のイリーヌが、驚いたように飛び出してきました。
「うちに何の用だ、兵隊さん! 開店は五時だぞ!」
とジズがどなりますが、兵士たちは店内を遠慮なく調べ始めました。テーブルや椅子を押しのけ、押し倒し、隅の物陰や物入れやごみ箱の中までのぞいていきます。
軍服の上に長いマントをはおった男が、ジズたちに言いました。
「我々は人を捜している。隠せば、おまえたちもただではすまんぞ」
それは占者の店で勇者の居所を聞いていた、カルドラ海軍の隊長でした。イリーヌがいっそう驚いたように言います。
「まあ、誰を探しているんです、隊長さん? ここには兵隊さんたちに追いかけられるような人なんていませんけど」
けれども、隊長はそれには答えず、二階に続く階段を顎でしゃくって、部下に命じました。
「上にも部屋があるぞ。調べろ!」
「おいおい、隊長さん!」
と今度はジズが声を上げました。
「うちには今、偉いお客さんが泊まっているんだ! 粗相(そそう)があったら大変なんだから、あんまり乱暴なことはしないでくれ!」
「偉い客? こんな場末の店にか!?」
と隊長はたちまち怪しむ顔になりました。
「メイからのお客さまなんですよ。ほら、軍艦が出征するっていうんで、街中の宿屋はどこもいっぱいになったじゃないですか。泊まるところが見つからなくて難儀してらっしゃったから、うちの空き部屋にお泊めしたんですよ」
とイリーヌが説明しますが、隊長はますます疑う表情になりました。部下たち全員に二階へ上がるように指示したので、ジズがあわててその先頭に飛び出します。
「待った待った! まず俺が行くよ! あんたたちがいきなり部屋に入っていって、客が驚きのあまり心臓発作でも起こしたら、どう責任とるっていうんだ……」
そんなことをぶつぶつ言いながら階段を駆け上がり、奥の部屋の扉をたたいて呼びかけます。
「すいません、お客さん。海軍の宿改めなんでさぁ……。ちょっと部屋に入らせてもらってよろしいですか?」
宿改め? と中から不思議そうな返事がありました。まだ若い女性の声です。すぐに中で足音がして、部屋の扉が開きます――。
扉の向こうに立っていたのは、まだ年若い女性でした。長い金髪を結い上げ、銀糸の刺繍が施された青いドレスを着た、絶世の美女です。部屋に無理やり入り込もうとしていた兵士たちは、思わず立ちつくしてしまいました。こんなに上品で美しい女性を見るのは初めてだったので、ぽかんと見とれてしまいます。
そんな人々を見回して、女性は困惑した表情になりました。長手袋をはめた手を頬に当てて、ジズへ尋ねます。
「いったいどうしましたの? この方たちはどなたなのでしょう?」
その声も、いかにも女性らしく優しく響きます。
ジズはうやうやしく頭を下げてから言いました。
「お騒がせしてすみません、奥様。兵隊さんたちが誰かを捜しているようで、部屋を全部見ないでは帰れない、と言っているんです。ご迷惑でしょうが、ちょっとこの人たちを中に入れてはいただけませんか?」
まあ、と美女はまた驚いた顔になると、部屋の中を振り向いて言いました。
「どうなさいます、あなた? 入っていただいてもよろしいでしょうか?」
それに対する返事は外の者には聞こえませんでしたが、美女はすぐに向き直って言いました。
「主人が、いいと言ってますわ。どうぞお入りになってください」
と入口から下がります。荒くれの兵士たちは、なんともこそばゆいような、とまどう顔つきで、部屋に入っていきました。女性と目が合うと、あ、どうも、などと頭を下げる者まで出てきます。
あまり広くもない部屋には、意外なほど大勢の人間がいました。
部屋の奥に椅子があって、いかにも貴族らしい、上品な身なりの男が座っています。短い髪と口ひげは赤、瞳は思慮深そうな黒い色です。
その足元には少女が二人と少年が一人座り込んでいて、驚いたように兵隊たちを見ていました。少女たちは長い赤い髪に同じような灰色のドレスを着ていて、顔立ちもとてもよく似ていますが、片方はもう一方よりいくらか年上のように見えます。もう一人の少年は少女たちより年下で、体つきも小さく、まだ子どもなのに何故か真っ白な髪をしていました。大きな瞳は、濡れたような黒い色です。
部屋にはもう二人の人物がいました。こちらはごく普通の服装をした若い男女で、どちらも肌の色は黒、男は背が低くて焦げ茶色の髪、女は痩せて背が高く長い黒髪をしています。女はさらにエプロンもつけていて、貴族の一家を世話する使用人たちだと一目でわかる風体でした。
扉を開けた貴婦人が、海軍の兵士たちに言いました。
「ここにいるのは、わたくしの主人と子どもたちと召使いですわ。あなたたちのお探しの方ではないと思うのですけれど……」
それでも兵士たちは、隊長の命令で部屋の戸という戸を開け、ベッドの下やテーブルの下をのぞいていきました。兵士の一人が顔を確かめるように近づいてきたので、年上の少女が、いやぁね、と鼻の頭にしわを寄せました。年下の少女と白い髪の少年は、怯えたように父親の足元に身を寄せます。貴族は何も言いませんでしたが、明らかに怒った顔つきをしていたので、兵士は早々に隊長の元へ引き上げていって、違いました、と報告をしました。海上で勇者の一行と対面していた兵士だったのです。
隊長は部下たちに隣の部屋を調べるように命じてから、貴族の一家に言いました。
「大変失礼しました。実は先日港で大暴れをした金の石の勇者の一行を捜しているのです。この付近にいるという情報を聞き込んだのですが、どうやらここではなかったようですな」
「金の石の勇者?」
と美しい貴婦人は首をかしげました。そんな何気ないしぐさの一つ一つが、何とも言えず上品で優しげに映ります。
「名前は噂に聞いたことがありますけれど、実物を拝見したことはありませんわ。どんな方たちなのでしょう?」
隊長はあわてて手を振りました。
「奥様たちが興味を持つようなことではありません。連中はとんでもない悪党なのです。なにしろ、国王陛下の軍艦に多大な損害を与えたり、海神ルクァのお使いをひどい目に遇わせたり、王も神も恐れぬ悪行三昧をしでかしているんですから。奥様たちもあんな連中には出会わないようにご注意ください」
「ありがとうございます。でも、金の石の勇者たちの特長がわからなければ、用心のしようもござませんわね。わたくしたちは誰に気をつければよろしいのでしょう?」
「金の石の勇者というのはロムド人で、まだ少年なのです。金色の鎧兜を着ていて、背中には剣を背負っています。それにやたらと力が強い茶色い髪の少年と、緑色の髪の少女と赤毛の少女が仲間で、白と茶色の二匹の犬を連れています。見た目は子どもですが、強力な魔法を使うので、油断は禁物です。この組み合わせの連中を見かけたときには、すぐ屯所か海軍事務所にお知らせください」
「まあ、恐ろしいですわね……。わかりました。そういう子どもたちを見かけたら、きっとお知らせしますわ」
と貴婦人が答えたところに、別室を調べていた部下たちが引きあげてきました。やはりそちらにも誰も隠れていなかったのです。隊長は部下を引き連れて店から出ていきました。今度は隣の店へ踏み込んでいきます……。
ジズとイリーヌは戸口から頭を出してそれを確かめ、扉に鍵をかけてから二階に引き返してきました。部屋の中に集まっている貴族の一家を見回して、あきれたように言います。
「まったく、とんでもない連中だな、おまえらは。詐欺師(さぎし)の才覚まであるとは思わなかったぞ」
「海軍の荒くれたちがすっかりだまされて、手玉に取られていたじゃないの。特にあなたがすごいわ。本当に勇者の坊やなの?」
とイリーヌが言ったので、青いドレスの貴婦人は苦笑しました。あまり女性らしくない笑い方です。
「本当にぼくですよ――。以前、敵国に潜入するのに、女性のふるまいの特訓を受けたんです。でも、まさかもう一度この恰好をさせられるとは思わなかった」
「以前、メイの国で女装したときの服が荷物にしまってあったのよね。フルートの女装は天下一品だし、唯一の弱点だった声も、赤さんが魔法薬をくれたから完璧な女性の声になってるし。これなら絶対誰にもばれないわよ」
と言ったのは、長い赤毛を垂らした年上の少女でした。床から立ち上がると、灰色のドレスを着た自分の恰好をしげしげと眺めて、話し続けます。
「それにしても、人間の恰好ってやっぱり変な感じがするものね。二本足で立ち上がっているんですもの、世界が違って見えるわ。ポチったら、よく何度もこんな恰好ができたわね」
「好きでなったわけじゃないですよ。魔法で無理やり人間にされたんだから。ぼくだって、まさかまたこの恰好をすることになるとは思わなかったなぁ」
と答えたのは、雪のように白い髪の少年でした。そこに使用人風の二人が口をはさんできます。
「そうそう。黄泉の門の戦いでは、ポチはこの恰好になっていたんだよな。相変わらず人間になると美形だな、おまえ」
「ルルだって、人間になるとかなりの美人だよねぇ。ポポロによく似てるけど、ポポロが魔法でそうしたのかい?」
ううん、と年下のほうの赤毛の少女が首を振りました。
「あたしはただ、ルルとポチに人間に変わる魔法をかけて、継続の魔法で定着させただけ。ルルを人間にしたのはこれが初めてなんだけど、こんなにあたしと似てるとは思わなかったわ」
「ツワ、イノ、チノ、トニ、ル。リワ、イノ、マイ、ノ、ウ」
と椅子に座った貴族が口を開いて言いました。異大陸のことばです。
「動物は人間の姿になるときに魂の形を映す。ルルとポポロは姉妹みたいに育ってきたから、外見も似てるんだろう、って赤さんが言ってますよ」
と白い髪の少年が言います――。
それはもちろんフルートたちの一行でした。フルートは女装して貴婦人に、赤の魔法使いは自分に魔法をかけて貴族に、魔法で人間になった犬たちとポポロは貴族の子どもたちに、ゼンとメールは肌や髪の色を変えて使用人に、とそれぞれ変装をしています。
そんな一行に、ジズとイリーヌはひとしきり笑ってから、また言いました。
「明後日までずっとその恰好でいろ。船が港を出てしまえば、もう海軍の連中にはおまえたちを捕まえることはできんからな」
「乗船の申込みや旅の支度は、あたしが手伝ってあげるわよ。金の石の勇者が見つからなくて、海軍がまたやってくるかもしれないから、ここで出港までおとなしくしているのね」
「どうもありがとう、ジズ、イリーヌ」
とフルートは礼を言い、驚いた顔になりました。話し声が急に低い男の声になってしまったからです。
「リワ、サン、カ、ナイ」
と貴族に化けた赤の魔法使いが言い、白い少年のポチが訳します。
「美声の魔法薬は三十分くらいしか効かないらしいですよ。一壜しかないんだから、大事に使わなくちゃいけないですね」
「そうだな」
とフルートは言いました。姿形は美しい女性のままですが、本当に、声だけは男に戻ってしまっています。
すると、ポポロが立ち上がりました。フルートの隣へやってくると、長手袋をはめたフルートの腕に自分の腕を絡めて身を寄せます。
ひょう! とゼンが冷やかしの声を上げ、メールが笑いました。
「その恰好のフルートに平気でそういうことができるんだから、やっぱりあんたは大物だよね、ポポロ」
ポポロは真っ赤になってフルートの腕に顔を隠し、フルートのほうも顔を赤らめました。照れながらも、なんだか幸せそうな二人です。そんな二人を見て、一同はまた笑いました。
夕暮れが近づく港街。
海軍の捜索隊は、通りに沿って、ずっと遠ざかってしまったようでした――。