夏の神ソルを讃える夏至祭りが終わって間もなく、テリーは急に通りに姿を現さなくなりました。また外出禁止令を食らったんだろうか? とリーンズは考えましたが、何日過ぎても何週間たってもテリーがやって来ないので、次第に心配になってきました。病気にでもなったんだろうか、とも考えますが、それを確かめる手段がありません。リーンズは、相変わらずテリーの居場所を知らなかったのです。それとなく周囲に聞いてみても、やはりテリーを知っている人はいませんでした。
テリーが再びリーンズの所に現れたのは、八月になってからでした。いつもの石段に座っていて、リーンズと目が合うと、やあ、と言います。
麦の収穫時期を迎えて、裏通りは大勢の人で賑わっていました。客引きには絶好の稼ぎ時でしたが、リーンズは客を放り出して友人に駆け寄りました。
「テリー、ずっとどうしていたんだよ!?」
銀髪の青年は少し痩せたようでしたが、その表情はしっかりしていました。顔が日焼けしているのが、かがり火の灯りでも見て取れます。
「旅行をしていたんだよ。西のほうへね。ほら、お土産さ」
そう言って放ってきたものを、リーンズはあわてて受け止めました。いやに軽い小さな袋です。首をひねりながら開けてみると、中から羊毛の塊が出てきました。色は白いのですが、なんとなくごわごわした手触りがします。
すると、テリーが言いました。
「西部の羊毛だ。どう思う?」
ああ、とリーンズは言いました。
「だからか。せっかく買ってきてくれたのに悪いけど、西部の羊毛は使い物にならないぞ。質が悪くて二束三文でしか取引されないんだ。俺の母さんたちも、西部の羊毛ではいい糸が紡げないって言って、手を出さないのさ」
「それを確かめてほしくて持ってきたんだよ。西部は水のない痩せた土地だから、草が足りなくて羊が痩せこけている。そんなところからいい羊毛が穫れるわけがない。いい草が必要なんだよ」
リーンズは肩をすくめてしまいました。しばらくぶりで会っても、友人は相変わらずです。
「とにかくそこで待ってろよ。仕事が終わったら話を聞かせてもらうから」
と言って羊毛の袋を返し、また客引きに戻ろうとします。
すると、つぶやくようなテリーの声が聞こえてきました。
「いい草を育てるには水がいる。川を――水路を造る必要があるんだ――」
その真剣な声に、リーンズは思わず振り向いてしまいました。テリーは手の中の羊毛を見つめたまま、じっと考え込んでいます。
その時、賑やかな集団が通りかかりました。身なりの良い若い貴族たちですが、すでにどこかで一杯ひっかけてきたようで、ほろ酔い加減で話し合っています。
「来週のヒールドムの祭りに、やっぱり陛下は出席されないんだってさ。これでもう何度目だろうな? ずっと公式行事を欠席されてるぞ」
「また寝込んでらっしゃるんだろうよ。いつものことさ」
「そうそう。でも、オーギュ宰相がいるから心配はいらないさ」
そんなやりとりをしている一行に、リーンズは急いで近寄っていきました。帽子を脱ぎ、丁寧にお辞儀をしてから話しかけます。
「こんにちは、旦那様方。ワインはいかがでしょうか?」
貴族たちは足を止めてリーンズを見ました。
「なんだ。ワイン売りか?」
「はい。あっちの店のワインを皆様にお勧めしています。いかがです、試飲してみませんか?」
とリーンズは、籠の中から瓶を取りだして、中身をコップに注いでみせました。例の最高級品のワインです。
「面白いな。我々は庶民の酒というものを確かめに来たんだ。試してやろう」
と貴族の一人が鷹揚に言ってコップを受けとり、一口飲んだとたん、おっ、これは、と言いました。他の貴族たちもたちまち身を乗り出します。
「なんだ、うまいのか?」
「どれ、私にも呑ませてくれ」
「私にもだ」
リーンズに次々に試飲させてもらって、全員は満足そうな顔になりました。
「おまえの店はどこにある?」
と尋ねてきます。
「はい、その角を曲がったところにある、ケイルーという店です。今なら特別料金でご奉仕中です――」
一行が店のほうへ歩き出したので、リーンズは大声で言いました。
「まいどありがとうございまぁす!」
ところが、貴族たちを見送って振り向くと、石段からテリーの姿が消えていました。驚いて探し回ると、テリーは小さな路地に入り込んで、そこから裏通りを見ていました。
「どうしたんだよ、こんなところで」
「別に」
とテリーはぶっきらぼうに答えると、貴族たちが立ち去ったほうを見て聞き返しました。
「今の連中は誰だったんだ? 君は知っているんだろう?」
「もちろん。ユア子爵とランネ男爵のご子息たちだ。どちらもけっこう借金がかさんでいる家さ。表通りの高級居酒屋では金が続かなくなったんで、裏通りに繰り出してきたんだろう。こっちでなら、ずっと安く呑めるからな」
そう笑ってから、リーンズは、ふと真顔になりました。貴族たちが話していた内容を思い出したのです。
「陛下はまたご病気か――」
「それがどうかしたのか?」
とテリーがまた尋ねてきます。
「いや、本当に病弱な方だな、と思っただけさ。俺たちより少し年上のはずだけど、いつだって病気、病気で市民の前にちっとも姿を見せないからな。こんなんでロムドは大丈夫なんだろうか、本当に」
「ロムドには優秀な宰相がいる」
とテリーは答えました。何故か冷ややかな声です。
まあな、とリーンズは言いました。オーギュ宰相は先王のロムド十三世の側近だった人物で、ロムド十四世が十二歳で王位に就いてからは、幼い王に代わって、ずっと政権を取ってきました。世間では、ロムドの本当の王はオーギュ宰相だ、とさえ言われています。
「でも、陛下が亡くなれば王室は断絶してしまうからなぁ。陛下はまだ結婚されていないんだから。せめてお世継ぎは残していってほしいよな。いくら役に立たない王様でも、そのくらいのことはしてもらわないと――いてっ! 何するんだよ、いきなり!?」
友人に思いきり足を踏まれて、リーンズは飛び上がりました。テリーが、つん、と顔をそむけます。
「おや、踏んだか? そりゃ失礼」
「わざとやったな!? なんだよ、急に!?」
「わざとじゃない。ほら、リーンズ、客が来たんじゃないのか?」
とテリーは通りを指さしました。本当に客になりそうな男たちがやってきたので、リーンズは舌打ちしました。喧嘩は後回しです。
「なんなんだよ、ほんとに……」
とぶつぶつ言いながら駆け出しましたが、テリーは知らん顔でそっぽを向いていました――。