それからというもの、テリーは毎晩リーンズを訪ねてくるようになりました。リーンズの仕事が終わるのを道ばたの石段で待って、夜更け過ぎまで長々と話し込みます。話はいつも街の住人の噂から始まるのに、いつの間にか難しい政治の話題に移っていって、熱い議論になることもしばしばでした。
「だから! ぼくは名門からしか家臣を登用しない今の城のやり方は、根本的に間違ってると言ってるんだよ!」
とテリーは石段をたたいて言いました。
「名門の人間が有能だとは限らない! 家柄や血筋がその人間の才能を決めているわけじゃないんだからな! あのやり方はもう古いんだよ!」
「おい、テリー」
とリーンズはあきれて言いました。
「いくら夜中だからって、そんなことを大声で言ったら危険だろうが。国王陛下への反逆罪や不敬罪で逮捕されて、処罰されるぞ。しょうがないだろう。それがこの国のやり方なんだからさ。本当の貴族と言えるのは大貴族だけ。城や街の要職は全部大貴族が独占していて、俺たち小貴族が登用されるチャンスは、万のひとつもない。三百年以上もずっとそうだったんだ。これからだって、やっぱりずっとそうなのさ」
「そんなことがあるものか! きっと変えてみせる! この国はこのまままじゃいけないんだよ!」
「だから、大声を出すなって……。クーデターでも起こすつもりか? このロムドで? やめとけ、命がなくなるぞ」
「おかしいものはおかしいんだ。君だってそうだ。そんなに人を見る目があるのに、下町で酒場の客引きをしているだなんて。もったいないじゃないか」
ははは、とリーンズは思わず笑いました。
「今さらそんなことを言ってどうするんだよ。どんなに才能があったって、家柄にはかなわないんだ。貧乏貴族は貧乏貴族らしく、相応に生きていくしかないんだよ」
「だから、それが変だと言っているんだ。本当にこの国を発展させたかったら、家柄なんかにこだわっていてはいけないんだ」
テリーは大真面目です。
「それじゃ、クーデターが成功したら、俺を重臣に雇ってくれ。期待しないで待っているからさ」
とリーンズは言って、また笑いました。我ながら乾いた笑い声だと感じてしまいます――。
天気が悪くて客引きの仕事がまったくできない日には、リーンズの家の屋根裏部屋で、夜明け近くまで話し込みました。
リーンズにとっても、テリーとおしゃべりをするのは楽しい時間でした。テリーは恋愛や遊びの話はほとんどしませんでしたが、代わりに、リーンズが考えてもいないようなことを次々と思いついて言うのです。
「この国は学校をもっと増やす必要がある。で、誰でもそこにただで通えるようにするんだ。そこで習うのは読み書きと算数。誰もが読めて書けて、売り買いの時に計算ができれば、職業選択の幅が広がるからな」
真剣な顔で話すテリーに、リーンズは驚きました。
「ただでか? そりゃすごい。うちでは、母さんや姉さんたちが必死で糸つむぎや機織りをして、俺を学校に行かせてくれたんだ。学費が出せなくて学校に行けない子どもは大勢いる。それが無料になれば、助かる奴がたくさんいるぞ」
うん、とテリーはうなずき、いっそう真剣に続けました。
「この国で裕福なのは、ほんのひとにぎりの人間だけだ。貴族でも平民でも、みんな暮らしに困っていて、その日その日をやっと暮らしている。農村では、天候不順が続くとすぐに飢饉が起きて、女子どもが売られていく。他に働く手だてがないからだ。読み書きや計算ができるようになれば、そんなことはなくなる。写本屋、商店、会計士、薬屋――いろんな仕事につけるようになるし、日照りや寒さに強い作物を研究する人間も出てくるだろう。幸せに生きていくためには、教育が絶対必要なんだよ」
「日照りや寒さに強い作物かぁ。そんなものは考えたこともなかったな。でも、実際にそんなものを作ることができるのか?」
「できる。魔法使いに協力させるんだ。例えば麦の種をまいて、魔法でわざと日照りにしてみる。あるいは急に寒くしてみる。そんな中でも立派に育った麦から種を取って、増やしていくんだ。城では占い師がその年の天候を占うから、それに合わせて、日照りになりそうな年には暑さに強い麦を、寒くなりそうな年には寒さに強い麦を植えればいいのさ」
目をきらきらさせて語るテリーに、へぇぇ、とリーンズは感心しました。実に壮大な計画です。そんなことが起きるはずはないとわかっているのに、それでもつい夢見てしまいます。
誰もが飢えることのない世界。女や子どもが売られたりすることのない世界。学校で学んだ子どもたちが、大人になって、学んだことを生かして、より良い社会を作っていく世界。そんな世界が来たら、本当に、どんなすばらしいことでしょう。
そうではない現実を思い出して、ふと悲しい気持ちになってしまいます……。
雨が上がった後には、こんな話もしました。
「国にとって、道は体の血管と同じだ。血管がしっかりしていれば体が元気になるように、道がしっかり整っていれば国は活気づく。街道を整備する必要があるんだよ。道を全部石畳にして、幅も広げて、国中どこまででも行けるようにするべきなんだ」
熱心にそう話すテリーに、リーンズはうなずきました。
「まったくだ。大通りは石畳だけど、裏通りは、どこもこんな土の道だ。雨が降ればすぐにぬかるむし、そこを馬車が通っていくから、轍(わだち)の痕がどんどん深くなっていく。見ろよ、あのでっかい水溜まり。あれのせいで通りに人や馬車が入れなくなって、今日の人通りは半分以下だ。今夜の商売はあきらめるしかないな。道が石畳になれば、こんなこともなくなるのに」
話しているうちに、思わず溜息が出ました。いくら彼らがそう考えたところで、道を整備されるはずがないことはわかっていたからです。
テリーは話し続けました。
「この都の中だけじゃない。街と街、街と村を街道で結びつけることが重要なんだ。街道を整備して、王都ディーラからロムドの国境まで、どの方角にも一週間以内で移動できるのが理想だな。そうすれば人も物も楽に動けるようになって、経済が発展する」
「それはその通りだけど、誰がそんな金のかかる工事をするって言うんだよ? 街道は大勢の大貴族たちの領地を通っているんだ。借金だらけの連中が、街道の整備なんかに金を出すもんか」
すると、テリーが急に、じっとリーンズを見つめました。賢そうな瞳でリーンズの目をのぞき込んで言います。
「どんな手段でもいい。君がこの国の大臣で、各地の領主たちにそれを実行させるとしたら、どういう方法をとる?」
リーンズは思わず目を丸くしました。
「オーギュ様みたいな宰相だったら、ってことか? うぅん。一番効果があるのは、領主たちに借金相殺(そうさい)を持ちかけることだろうな。これまでの借金を全部清算してやるから、代わりに街道の整備に協力しろ、って言うんだ。ただ、おおっぴらにそんなことを言えば、体面を気にする奴ほど突っぱねてくるから、あらかじめ領主の借金額を調べておいて、それに近い金額を協力の報奨金として言ってやればいいだろう」
それを聞いて、テリーは非常に感心した顔になりました。
「なるほどね。じゃあ、街道整備の資金に関してはどうすればいいと思う? それも国王が出してやるべきだと思うか?」
「三分の一か、半分程度はね。でも、全額出してやる必要はないな」
「どうして?」
「そんなことをすると、資金をごまかして自分のものにする連中が出てくるからだよ。だから、全額出す代わりに、街道から上がる通行税の領主の取り分を多くしてやるんだ。街道が良くなって交通量が多くなれば、それだけ通行税もたくさん入るようになる。自分の懐が温かくなるっていうなら、領主だって本気で街道整備に取り組むだろう」
「なるほど。それは有効だ」
とテリーはますます感心します。
ちょっと得意そうに笑ってから、リーンズはすぐにまた溜息をつきました。どんなにすばらしい政策を思いついたところで、それが実現するなんてことはありえないのです。通りいっぱいに広がる大きな水溜まりを眺めながら、ぼやいてしまいます。
「国王陛下や大臣たちがここまで来て、自分の足でこの道を歩いてみればいいんだ。そうすりゃ、何をしなくちゃいけないのか、すぐにわかるのに。いつも馬車に乗って綺麗な大通りを走っているから、こういう下々の生活の大変さが理解できないんだぞ」
すると、テリーは少しの間沈黙してから、静かに言いました。
「確かにそういう奴らは多い。でも、全部がそうってわけでもないさ。国民の様子をちゃんと見ている奴だっている」
「そんな立派な大貴族がいったいどこにいるって言うんだよ?」
とリーンズはあきれて聞き返しましたが、テリーは何も答えませんでした――。