明日また来ると約束したのに、翌日、テリーという青年はやってきませんでした。二日たっても三日たっても姿を現さないので、リーンズはひどく不安になりました。後を追いかけていった人影を思い出し、何か事件に巻き込まれたのではないかと心配しますが、テリーの居場所がわからないので、確かめることができません。
ところが、四日目の夜になって、ひょっこりとまたテリーがやってきました。前と同じように通りの石段に腰を下ろして頬杖をつき、彼と目が合うと、やあ、と言います。リーンズはその前へ飛んでいきました。
「どうしていたんだよ!? 来ると言ってたのにちっとも来ないから、心配していたんだぞ!」
「ごめん。ちょっと野暮用でね。やっとまた自由の身になれたんだよ」
とテリーは言って、やれやれ、と言うように両手を広げてみせました。その手のひらに包帯が巻かれていたので、リーンズは驚きました。
「どうしたんだい? 怪我でもしたのか?」
テリーの後を追っていった人影をまた思い出します。
青年は肩をすくめました。
「すりむいただけだよ。ちょっとね、高い窓から抜け出したりしたもんだから」
「窓から? 何故?」
「外出禁止令をくらったのさ。そんなもの聞いていられるもんか。カーテンをロープ代わりにして抜け出してきたのさ」
「危ないなぁ、無茶するなよ。こんな場所に来るなと言われたんだろう? あんたは、どう見ても、いいところのご子息だもんな。こんな裏通りを夜中にうろついていたら危険だと、俺も思うぞ」
「大丈夫さ。それに、ぼくにはこの都を隅々までしっかり見なくちゃいけない務めがあるんだ――」
「務めってどんな?」
テリーの口調がいやに真剣だったので、彼はあきれて尋ねました。なんだか大げさに感じられたのです。テリーはそれには答えずに、包帯を巻いた手を振って言いました。
「いいから仕事に戻れよ、リーンズ。お客さんを逃がしてしまうぞ。話は君の仕事が終わってからゆっくりしよう」
あっ、そうだった、と彼は飛び上がり、あわててまた通りに戻っていきました。通行人の中に客になりそうな人物を見つけ出しては、声をかけます。そんなリーンズを、テリーは微笑を浮かべて眺めていました。
その夜、客引きの仕事が終わってから、彼らはまた長い時間、話をしました。大半はその日、リーンズが店に案内した客の話でしたが、客にならなかった人物のことも話題に上がりました。
「あの時、えらく立派な恰好をした男が通っていったじゃないか。ふんぞり返って、ヒョウ皮のコートをはおっていた奴だよ。あれが誰か、君にはわかるのかい?」
とテリーに聞かれて、リーンズは笑いました。
「わかるもなにも。ディーラの住人なら知らない人はいない有名人だぞ。あれは高利貸しのマードン。ディーラ中に何軒も店を構えていて、貴族から平民まで幅広く相手にしているんだ。でも、金に困っても、絶対に彼からは借りちゃだめだぞ」
「へぇ、彼がマードンか。名前は聞いていたよ。でも、どうして彼から借りちゃいけないんだ?」
「マードンは誰にでも金を貸すし、返済が大変になれば、また別口で金を貸してくれる。そうやってどんどん借金を大きくさせていって、最終期限がきたら、借金のかたに全財産を奪っていくんだ。もう少し待ってくれ、と客がどんなに泣いて懇願したってだめさ。家でも畑でも病人の布団でも、情け容赦なく取り上げるし、娘がいたら娘を売春宿に売って金を作らせる。あいつに破滅させられた人間は大勢いるんだ」
「そんなのは法律違反じゃないか! どうして警察や城に訴えないんだ?」
とテリーが言いました。驚き憤慨している声です。
リーンズは苦笑しました。
「ほんとに、あんたはいいところに育っているんだなぁ……。そんなところに行ったって、訴えが通るはずがないじゃないか。警察にも城にも、マードンから金を借りている奴は大勢いるんだぞ。みんなマードンに弱みを握られているから、マードンを裁判にかけて罰するなんてことができるはずはない。訴えたほうの奴が、役人の貴族たちからこっぴどく叱られるだけさ」
テリーはいっそう驚いた顔になりました。ことばに詰まったようにしばらく黙り込み、何かを考えてから言います。
「ああ、確かに借金に困っている貴族は多いな……。それも、古くからの貴族ほど莫大な借金を抱えていて、どうしようもなくなっている」
「だろう。俺の家も貧乏だけれど、幸い、どうにか借金だけはしないですんでいる。徹底的に倹約してるからな。でも、大貴族はそうじゃない。金も財産もないくせに、体面にこだわって、派手な催し事をしょっちゅう開いているから、そのたびに借金がかさんでふくれあがっていくんだ。大貴族たちの財政状況は深刻だぞ。慣例で、大貴族は願い出れば国王陛下に国庫で借金の肩代わりをしていただけることになっているけど、実際には、連中の借金は、公表している額の何十倍って規模なんだからな」
「そんなに――? 君には、どの家がどのくらいの借金を抱えているか、わかっているのか?」
とテリーが聞き返したので、リーンズはまた笑って見せました。
「前に言っただろう? 俺はディーラ中の貴族の台所事情を把握しているんだって。酒場での噂話と、その家の召使いが主人の食事用にどのくらいの酒を買っていくのかを見れば、だいたい見当はつくんだよ」
なるほど、とテリーは言いました。また何かを考え込んでしまいます。
その様子があまり真剣だったので、リーンズは冷やかしました。
「どうした? あんたの家も借金で首が回らなくなっているっていうのか?」
すると、テリーはなおも考えながら言いました。
「なあ、リーンズ。国王の肩代わりでは借金が返しきれなかったとき、彼らはどうしようとすると思う?」
「どうしようと……? まあ、普通だったら、家や土地財産を売り払って、借金を返そうとするだろうな。でも、大貴族がそんなことをしたって話は聞かないな」
「それができない法律になっているからだよ。土地は国王から家臣に授けられるものだから、家臣はそれをきちんと管理する義務がある。そこから国に税を納めなくちゃいけないしな。国王の許可なしに自分の領地を売り払うことはできないんだ」
「ふぅん。俺たちは土地も屋敷もない貧乏貴族だから、そんな法律とは無縁だったな。じゃあ、屋敷にある先祖伝来の宝を売り払うとか」
「それをする貴族なら、まだいい。大半の者は『外』に財を求めようとするんだよ――戦争を考えるんだ」
「エスタ侵攻か。なるほど」
とリーンズは肩をすくめました。このロムド国は、東隣のエスタ国と何百年にも渡って戦争を繰り返しています。国境の豊かな土地を少しでも多く自国のものにしようとして、奪い合っているのです。戦いに勝って土地が手に入れば、それは手柄のあった貴族の領地として国王から認められます。新しく増えた土地から手に入る金で、借金を返済しようという理屈です。
「この国は今、徐々に開戦の方向へ向かっている。借金に悩む貴族たちが後押ししているんだ。エスタと戦争になるのは、もうそんなに遠い話じゃない」
とテリーは言って、深刻な表情になりました。リーンズも思わず溜息をつきます。
「戦争かぁ――。戦場で活躍できる戦士たちはいいさ。確かに命がけだが、うまくすれば出世できるし、勇敢に戦えばご褒美だってもらえるわけだからな。でも、そこに一般兵としてかり出される連中には、たまったものじゃないぞ。街からも村からも、若者や働き盛りの男たちが連れていかれるんだからな。通りからは職人がいなくなるし、市場は活気をなくすし、街の外の畑は働き手がいなくなって荒れ放題になる。戦いがこっちの方へやってくれば、畑だった場所が戦場になって、せっかくの麦や作物は灰になってしまう。そうなったら、大飢饉だぞ。それに、戦争になればものの値段がどんどん上がるから、パンを買うのに銀貨が必要になったりする。そんな生活になったら、みんな仕事帰りにワインで一杯、なんてことを考える余裕はなくなる。冗談じゃない、こっちは商売あがったりだ!」
一気にそれだけをまくし立てると、リーンズは試飲用のワインをコップについで、ぐいと呑み干しました。興奮して咽が渇いてしまったのです。
テリーは相変わらず何かを考える顔をしていました。深夜にも燃え続けている街角のかがり火を眺めて、ひとりごとのように言います。
「そんなことはさせないさ……絶対に」
「どうやって!? 戦争を止めることなんか、俺たちにできるわけがないだろう!」
とリーンズは投げやりに言いましたが、銀髪の青年は、それには答えませんでした。賢そうな灰色の目は、かがり火の向こうに、じっと何かを見つめ続けていました――。