ロムド国の皇太子のオリバンは、婚約者のセシルや一番占者のユギルと共に、テト城の貴賓室にいました。机に向かって書き物をしていて、時折顔を上げては、セシルやユギルの意見を聞いています。
「……以上のような理由から、我々は東方へ向かい、ユラサイの皇帝に協力を要請することにした。国や城をいましばらく留守にするので、後のことはよろしく頼む。――どうだ、この文面で良いと思うか?」
とオリバンが尋ねると、セシルが首をひねりました。男の服を着て腰に剣を下げた、長身の美女です。
「陛下はそれで納得されても、キースやアリアンは承知してくれないかもしれないな。なにしろ、あなたやユギル殿の代役をさせられて、もう一ヵ月にもなるんだ。いい加減にしろ、と腹を立てるかもしれない」
彼らはこの後、国には戻らずに東方のユラサイ国を訪問することにしていたので、その旨をロムド城へ伝える手紙を書いていたのです。
オリバンは憮然としました。
「それを言うなら、あなただってそうではないか、セシル。ユギルが言うには、白の魔法使いがあなたの代役を務めているらしい。彼女こそ、あまり長くなれば立腹するかもしれないだろう」
セシルはたちまち、かっと顔を赤くしました。
「私にだけロムドに戻れと言うのか!? 冗談ではない! 私も絶対にユラサイへ行くぞ!」
「あなたを置いていくとは言っていない。ユギルは、我々三人が共にユラサイへ行く、と言ったのだ。ユギルの占いは、いつだってその通りになっていく。ただ、どうやったらキースたちがへそを曲げずにいてくれるか、そこに悩んでいるのだ」
オリバンは渋い顔のままです。
すると、ユギルが静かに口をはさんできました。
「キース殿たちにどのように思われたとしても、わたくしたちは東へ行かなくてはなりません。この後、世界はますます大きく動き出し、世界各国を巻き込んでの戦いに突入してまいります。東方と連合を結ぶことは急務でございます」
「もちろん、それは承知している――。しかたがない、書状はこの文面で送ることにしよう。キースは文句の多い奴だから、帰国したらさんざん叱られそうだな」
とオリバンは溜息をつきました。若い王のような貫禄を持つオリバンですが、故国の友人たちを思うときには、ごく普通の青年の顔になっています。
そこへ、扉をノックしてゼンとメールとポチが入ってきました。よう、とゼンが片手を上げます。
「取り込み中だったのか? ちょっとユギルさんに見てほしいことがあったんだけどよ」
「なんでございましょう?」
とユギルは答えました。占者はいつもの灰色の長衣姿ですが、フードをはずしているので、長い銀髪が衣の上で輝いています。整った浅黒い顔といい、青と金の色違いの瞳といい、本当に見目麗しい青年です。
けれども、ゼンたちはそんな占者の外見には頓着していませんでした。無造作に近づきながら言い続けます。
「フルートを探してもらいたいんだよ。どうも最近あいつの様子がおかしくてよ。今も、城中探してるのに、どこにも見当たらねえんだ」
フルートが? とオリバンとセシルは眉をひそめました。
「そういえば、フルートは食事の席でもほとんど話をしなかったな。何か考えているように見えたが」
「だが、それはポポロも同じだろう。彼女のほうは、食事さえほとんどとらなかった。ずっと涙ぐんでいて、元気がなかったんだ」
とオリバンとセシルが言ったので、メールは肩をすくめ返しました。
「ポポロのほうの理由は、だいたいわかるのさ。ほら、ポポロはオリバンやゼンたちを助けるために、ずいぶん魔法を使っただろ? ガウス川から水魔の大群を消したり、オファの町からテト川を逆流させて都まで駆けつけたり。おかげでこっちが勝利を収めたわけだけどさ、その代わりに、ガウス軍の兵士たちが大勢死んでるんだよ。二つの川の川下で、合わせて二千以上も水死体が上がったってさ。それを聞いてからなんだよね、ポポロが落ち込んじゃったのは」
「馬鹿な。あれは戦闘だぞ! 戦いで敵を倒すのは当然のことだ。それを何故悲しまねばならん!」
とオリバンが憤然と言いました。ガウス川でもテト川でも、オリバンはポポロの魔法のおかげで救われたのです。もし彼らが敵を撃退しなれば、オリバンたちだけでなく、このテトや他の国々の人たちまでが、大勢命を落としたのに違いありませんでした。
ポチは困ったように首をかしげました。
「ワン、それはそうなんですが……でも、ポポロにはやっぱり、つらいことなんですよ。ポポロはずっと自分の魔力に振り回されてきたし、それで誰かを傷つけることも、すごく怖がっていたから。ただ、フルートのほうは――」
「いつもなら、ポポロが落ち込んでれば、絶対にあいつが慰めるはずなんだよな。それなのに、今回は全然そうしようとしねえで、考え込んでばかりいる。やっぱりおかしいぜ」
とゼンが言います。
ユギルはいつの間にか部屋のテーブルの前に立っていました。そこに載った石の占盤を見つめながら、厳かな声で言います。
「勇者殿は城内にはいらっしゃいません……。都の北西の城壁においでのようです」
「町外れの城壁か? なんでそんなところにいるんだよ?」
とゼンが驚くと、ユギルは静かに言い続けました。
「あいにくと、何故、という質問に占盤は答えることができません。ですが、勇者殿の象徴の光は、たいそう悲しい色に彩られています。何かを思いつめていらっしゃる様子も見えます」
それを聞いて、仲間たちは顔色を変えました。ゼンが大声を上げます。
「さては、またろくでもねえことを考えてやがるな! あのすっとこどっこい! どうしていつもそうなるんだよ!?」
「ポチ、風の犬だよ! フルートを止めなくっちゃ!」
とメールもいい、ポチが変身して窓から飛び出そうとします。
すると、ユギルがまた言いました。
「ポポロ様を一緒にお連れください。占盤がそう告げております」
「ポポロはどこなのだ!?」
とオリバンが尋ねました。こちらも椅子から立ち上がって、今にも駆け出しそうにしています。
「ルル様とご一緒に、城の裏庭においでです」
とユギルが答えたとたん、ゼンが部屋の天井に向かってどなりました。
「ポポロ、都の北西の城壁に来い! フルートのヤツがやばいぞ! 急げ!」
まるで彼女がそこにいるような口ぶりです。すると、ポチも、ワン、とほえて言いました。
「そうです! ぼくたちもすぐ行きますから、ポポロはルルと一緒に来てください!」
ポポロは、どこにいても仲間の少年少女や犬たちの声を聞き取り、話しかけることができます。ゼンたちは、はるかな距離を越えて彼女とことばを交わすと、すぐに窓へ駆け出しました。風の犬に変身したポチにゼンとメールが飛び乗り、北西の方角へ飛んでいきます。
置いてきぼりを食らったオリバンたちも、急いで部屋から飛び出し、通路を駆け出しました。走りながらオリバンがセシルに言います。
「こちらは管狐(くだぎつね)だ! 彼らに追いつくぞ!」
「わかった!」
とセシルは言って、腰で揺れる銀の笛のような筒に呼びかけました。
「私たちを運んでくれ! 大急ぎだ!」
ケンケーン、と声がして、五匹の小狐が筒から姿を現しました。ひとつに溶け合って見上げるような灰色狐に変わり、セシルとオリバンとユギルを背中に乗せて通路を走り出します。驚きあわてふためく城の人々を器用に避けながら通路を駆け抜け、階段を駆け下りて城の外に飛び出していきます。
城を囲む壁を飛び越えていく狐の背中で、オリバンはうなるように言いました。
「馬鹿者。願い石は絶対に使わせんぞ、フルート……!」
彼らの行く手には王都マヴィカレの城下町が広がっていました。