「おっかしいな。どこ行きやがったんだ、あいつ?」
川の中州に建つテト城の中で、ゼンがひとりごとを言っていました。城の外周の長い通路を、足早に歩いていきます。
そこはいかにも異国らしい城でした。建物の内壁は一面青い模様タイルでおおわれ、大理石の床には色の違う石を組み合わせた幾何学模様がはめ込まれています。外に面した壁は美しい石のアーチになっていて、広い中庭を望むことができます。もう正午近い時間なので、木々や花には日差しがまぶしく降りそそいでいます。
けれども、ゼンは庭にはまったく目を向けませんでした。通路の外れまで行くと、大きな扉を開けて中をのぞき込みます。
そこは下士官たちの食堂でした。非番になった兵士たちがテーブルを囲んで食事をしていましたが、ゼンを見ると、口々に声をかけてきました。
「やあ、ドワーフの勇者! こっちに来て混ざれよ!」
「ちょうど川エビの唐揚げが来たところだ! 一緒に食わないか?」
「うまい酒もあるぞ!」
テトの国をグルール・ガウスや闇の敵から守った英雄は、どのテーブルからも大人気です。
ゼンは笑い返しました。
「悪ぃな、今はちょっと忙しいんだ。それに俺はまだ子どもだから酒は飲めねえぞ。それより、どこかでフルートを見かけなかったか?」
「金の石の勇者殿か? いいや、今日は見ていないな」
「俺たちもだ。どうかしたのか?」
「いや、別にどうもしねえ。邪魔したな」
とゼンはすぐに食堂を出ました。扉を閉じると、笑顔を引っ込めて長い通路を振り返ります。
「ったく。どこに行っちまったんだよ、フルートのヤツ……」
見回しても、あたりに親友の姿は見当たりません。ゼンは大きな溜息をつきました。
フルートたちがアキリー女王と共にテトの救援に駆けつけ、激戦の末に勝利を収めた「賢者たちの戦い」から、五日ほどの時がたっていました。
戦いが国に残した爪痕は深く、特に王都を囲むテト川の北岸やガウス山の麓は、元通りになるまでにどのくらいの時間がかかるものか、まるで見当がつかない状態でした。グルール・ガウスに荷担した諸侯たちの裁判も、まだこれからです。
それでも、テトの人々は徐々に落ちつきと明るさを取り戻していました。国を二分した戦いは、長引けば、国民の生活をめちゃくちゃにするところでした。村や町は破壊され、畑や牧場は荒れ果てて、大勢の死者が出たに違いないのです。畑を耕し牛や羊たちの冬支度を整えながら、あるいは町で商売にいそしみながら、人々は平和のありがたさを改めてかみしめていました。
すべては良い方向へ向かっているように見えていたのですが――。
ゼンがフルートを探して通路を歩いていると、向こうから白い小犬がやってきました。ポチです。
「ワン、こんなところにいたんだ! ずいぶん捜しましたよ」
とゼンに駆け寄ってきます。
「俺をか。なんだよ?」
「ワン、フルートを見かけませんでしたか? オリバンたちのところにいなかったから、ゼンと一緒なのかと思っていたんだけど」
「いや、俺もあいつを捜していたんだ」
とゼンは答え、腕組みして続けました。
「よう、ここんとこ、あいつの様子が変だと思わねえか? なんか、いつも考え込んでて上の空でよ。元気がねえし」
「ワン、だから心配でフルートを探してたんです。戦いが終わってからずっとですよね。何か考え続けているんだけど、それを話してくれないから、何を悩んでいるのかわからなくて」
とポチは尻尾をしょんぼり垂らしました。フルートはいつも自分の考えや感情を外に出さないので、人の感情を匂いでかぎわける小犬にも、内心を読み取ることが困難だったのです。
「あいつには前例があるからな。放っておいて、手遅れになったら大ごとだ」
とゼンが真剣な顔で言ったので、ポチはいっそう心配そうな様子になります。
すると、後ろからゼンの肩をちょんちょんとつつくものがありました。ゼンが振り向くと、一輪のバラが空に浮いていて、細い茎の先でゼンの肩をたたいています。ゼンは目を丸くすると、すぐに中庭へ目を移しました。
「メール、どこだ!?」
「ここだよ!」
返事と共に、一本の木から、ざっと少女が姿を現しました。太い枝に逆さまにぶら下がって、こちらを見ています。海の王と森の姫の娘のメールでした。気の強そうな顔立ちの美人ですが、垂れ下がった長い髪は、木の葉と同じ鮮やかな緑色です。
「何やってんだ、そんなところで」
とゼンがあきれると、メールが木から飛び下りてきました。猫のような身軽さで半回転して、ゼンやポチのすぐ近くに着地します。
「もちろん、木や花としゃべっていたのに決まってるだろ。石でできた城の中は息が詰まりそうなんだもん。ゼンたちこそ何を話してたのさ。そんな深刻そうな顔しちゃって」
と言いながら、肩に飛び戻ってきたバラの花を、よしよし、と小鳥のようになでます。
ゼンは腕組みしたままメールを見上げました。ドワーフの血を引くゼンは、メールよりずっと背が低いのです。
「フルートを捜しているんだ。元気がなくて気になるからよ。見かけなかったか?」
「ううん。朝食には来てたよね。オリバンやセシルやユギルさんと一緒にさ。その後は会ってないなぁ」
とメールは答え、すぐに表情を変えて続けました。
「だけどさ、ポポロもずっといないんだよ。フルートはポポロと一緒にいるんじゃないのかい? だとしたら、捜すのは野暮ってものだと思うんだけど?」
と、意味ありげに、にやっと笑って見せます。フルートとポポロは恋人同士なのです。
ポチはすぐに首を振りました。
「ワン、それは違うと思いますよ。ぼく、ポポロにはさっき会ったから。ルルと一緒に散歩してました。ポポロはポポロで、ずっと元気がないんだけど、まあ、あっちにはルルがいますからね」
「そうなんだよな。ポポロもずっと落ち込んでやがる。まあ、ポポロのほうは、どうしてなのか見当はつくんだけどよ。ったく」
ゼンは、ばりばりと頭をかきました。フルートがなかなか見つからないので、どうにも落ち着かない気がします。
ふぅん、とメールは考え込み、すぐに言いました。
「じゃあさぁ、ユギルさんに捜してもらおうよ。ユギルさんなら、オリバンたちと一緒にいるはずだもん。あてもなく捜すより、そのほうが絶対早いって」
「そうだな。そうするか」
ゼンは溜息まじりで言うと、メールやポチと連れだって、城の中へ続く通路の角を曲がっていきました――。