背の高い道化に後ろからいきなり襲われ、ナイフを突きつけられて、キースは叫びました。
「誰だ!? 何をする――!?」
ナイフはキースの咽元に横一文字に押し当てられていました。キースが少しでもおかしな動きをすれば、研ぎ澄まされた刃が咽を切り裂きます。
すると、道化が低い声で答えました。
「それはこちらの台詞だ。おまえは何者だ。なんのために城内を探っている?」
明らかに城を警護する者のことばです。キースはあわてて言いました。
「ぼくはロムド王と皇太子の客人だ! 怪しい者じゃない!」
とたんに、道化の声がいっそう厳しくなりました。
「怪しい者じゃない!? 闇の民が怪しくないと言うのか! おまえの本当の目的を白状しろ!」
相手が自分の正体を知っていたので、キースは驚き、すぐに気がつきました。
「そうか……君もロムド王の重臣の一人なんだな。信じてくれ、ぼくは本当に敵なんかじゃない。ただ、この城のことを早く知りたいと思って、あちこちで話を聞いていただけなんだ」
道化は返事をしませんでした。ナイフは相変わらずキースの咽に突きつけられたままです。刃が今にも咽に食い込みそうで、キースは焦って言い続けました。
「本当だよ! 陛下やオリバンに聞いてくれ! このナイフをどけてくれよ!」
すると、道化がまた口を開きました。
「闇の民は不死身のはずだ。どうしてナイフを恐れる」
キースはうんざりしたように顔を歪めました。
「あいにくと、ぼくは闇の民と人間の両方の血を引いていてね……。純粋な闇の民ほど回復力はないんだ。切られたら君たちと同じように死んでしまうんだから、危険な真似はやめてくれないかな」
相手はまた黙りました。道化のくせに、妙に口数が少ない男です。と、その膝がふいに上がって、剣を握るキースの右手を強く蹴りました。キースが思わず剣を取り落とすと、その隙にナイフを引いて安全な距離まで飛び下がります。
「ひどいな」
とキースはしびれる手をさすり、剣を拾い上げて鞘に収めました。それを見て、道化が尋ねてきます。
「何故魔法で反撃せん。やはり半分人間だから魔法が使えないのか?」
「ロムド王の忠臣を攻撃するわけにはいかないだろう」
とキースは両手を広げて見せると、改めて道化に尋ねました。
「君は誰だ? 見たところ、ただの道化じゃないよね。覆面警察って奴かい?」
道化は答えません。
キースは溜息をつきました。
「まあね。誰もがロムド王やオリバンやフルートたちのように、ぼくらを信用してくれるとは思っていなかったさ。とにかく、ぼくは君たちの敵じゃ――」
とたんに道化は顔つきを変えました。いえ、厚化粧をしているので、表情はよくわかりませんが、確かに驚いたように身じろぎをしたのです。
「おまえはフルートを知っているのか?」
と聞かれて、今度はキースが驚きます。
「そう言うからには、君も彼らを知ってるんだな? ぼくはフルートたちの友だちだ。彼らに闇の国から助け出されてきたんだよ」
たちまち道化は警戒を解きました。ずっと握っていたナイフを収めて、痩せた肩をすくめます。
「悪かったな。フルートたちの友だちだと言うなら、確かにおまえは信用できそうだ。俺はトウガリ。道化をしながら王妃様たちを守っている間者だ」
ぶっきらぼうなもの言いでしたが、今までよりずっと親しみのある調子でそう名乗ります。
「信用してもらえて嬉しいよ……。フルートたちに感謝しなくちゃな」
とキースは、ちょっと笑いました。離れてしまった今も、彼らに助けられている自分を感じます――。
「それで? 厨房のまかないから何か面白い話は聞けたか?」
とトウガリがキースに尋ねました。
「いや、特には――」
と言いかけて、キースはまかないたちが最後に言っていたことを思い出しました。
「そういえば、牢にいるサータマンの魔法使いが最近食事を残さなくなった、と不思議がっていたな。今までは食事に文句ばかりつけて残していたのに、ってね。こんな話でも参考になるかい?」
「サータマンの魔法使いというと、イール・ダリか。王都防衛戦の時に闇の杖を使って攻めてきて、あの白の魔法使いを殺しそうになった男だ。サータマンとの戦後交渉が難航しているので、城に留め置かれているんだが、牢の中でもわがまま放題を言っている。そいつが食事を残さなくなったって? 確かに妙だな」
トウガリはしばらく考え込み、やがてキースに手招きしました。
「一緒に来い。俺はこの恰好だからな。牢番の気を引いてやるから、その隙に中に入り込んで、牢を確かめてくれ」
「間者の助手をしろと言うわけかい?」
「嫌なら頼まん。少し手間はかかるが、俺一人で確かめる」
「冗談だよ。手伝うさ……いや、手伝わせてください、だな。どうも、ただ客でいるのは肩身が狭くてね。ぼくにできることがあるなら、やらせてくれ」
それを聞いて、トウガリは道化の顔でにやりとしました。無言で頭を動かして、来い、と伝えます。
キースはトウガリの後に従って、城の牢へと向かっていきました――。
ゴブリンのゾとヨは、赤毛の猿に化けて、ロムド城の探検を続けていました。相変わらず、何かロムド王の役に立てることはないかと探していたのですが、小さな彼らにできそうなことはなかなか見つかりません。それでも、あきらめることなく城内を飛び回ります。通りかかった人が彼らを見て驚くことはありましたが、なでたり餌をくれたりする人も多いので、ゾとヨはこの猿の恰好がかなり気に入っていました。
二匹が長い廊下を壁の燭台伝いに飛び渡っていると、廊下を人が通っていきました。頭上にいるゾとヨには気がつかなかったのでしょう。目も向けずに、足早に通り過ぎていきます。それを見送っていたゾが、おや、というように首をかしげました。
「今の人間、匂ったゾ」
「うん、匂った。闇の匂いだったヨ」
とヨも答えます。
この城に来てから、闇の匂いをかいだことはありませんでした。自分たちも、キースの魔法で猿にしてもらっているので、闇の匂いはさせていません。今のは誰なんだろう、と見つめていると、その姿が廊下の途中で急に消えました。どこにも見えなくなります。
ゾとヨは燭台にしがみついたまま、顔を見合わせました。
「……ロムド王に知らせたほうがいい気がするゾ」
「うん、オレもそう思うヨ。行こう」
二匹は廊下に飛び下りると、王の執務室目ざして大急ぎで駆け出しました。
執務室の前には衛兵が何人も立っていて、王の部屋を守っていました。ゾとヨが近づいていくと、こら、あっちへいけ! と追い払われてしまいます。ゾとヨがキィキィと猿の声で抗議しますが、どうしても中に入れてもらえません。
すると、そこへキースが派手な恰好の道化と一緒にやってきました。
「ゾ、ヨ、どうしたんだ、こんなところで?」
とキースが驚きます。
道化は衛兵たちへ大きく体を曲げて、滑稽な道化のお辞儀をしました。流れるような口上を始めます。
「これはこれは陛下の信頼厚い親衛隊の皆様方、お暑い日々が続く中、毎日お仕事ご苦労さまでございます。私めトウガリ、先ほど裏庭を歩いておりましたところ、このお客さまが迷子になっているのを発見いたしました。お客さまを陛下に送り届けにまいりましたので、なにとぞ陛下にお取り次ぎ願えますでしょうか――」
衛兵たちは疑うこともなくその話を聞き、すぐに室内の王へ伺いを立てました。
「陛下がお会いになるそうだ。中へ入れ」
とキースとトウガリを執務室に入れてくれます。ゾとヨも、キースの肩にしがみついて、ちゃっかり中に入りました。
室内にはロムド王とリーンズ宰相と警備兵がいました。
「我らがロムドの太陽である偉大な国王陛下。本日もご機嫌麗しいご様子、我々臣下の心は喜びにうち震えております――」
とトウガリがまた口上を述べる間に、宰相が警備兵を部屋から下がらせます。
部屋から兵がいなくなったとたん、トウガリはがらりと口調を変えました。
「陛下、一大事です。サータマンの魔法使いのイール・ダリが脱獄しました」
脱獄!? と驚く王と宰相に、キースも言いました。
「厨房のまかないたちの話が気になったので、トウガリと二人で牢を確かめに行ったんです。牢の中に魔法使いはいました。ところが、それは闇の魔法でイール・ダリの姿に変えられた豚だったんです。ぼくが解除の魔法を使ったら、すぐに元の姿に戻りました」
「イール・ダリの行方はわかりません。奴は闇魔法を使うし、自分を打ち負かしたこのロムドを憎んでいるので、非常に危険です。大変失礼でしたが、急ぎ陛下にお知らせに上がりました」
とトウガリが話し続けます。
王は真剣な顔になりました。
「ユギルの留守の隙を突かれたか……。奴がどこへ行ったか、足取りはつかめんのか?」
「脱獄したのは三日ほど前のことのようです。これから足取りは追いますが、すでにこの王都を離れている可能性が――」
トウガリがそこまで話したとき、キースの肩の上から猿たちが急に口をはさみました。
「その魔法使いって、もしかして、黒髪で黒い口ひげを生やした男かヨ?」
「それなら、オレたち、さっき廊下で見かけたゾ。オレたちの目の前で、姿を消していったゾ」
なんだって!? と一同は驚きました。
「奴はまだこの城にいるのか……。いったい何が目的なのだ?」
と王は言いましたが、とっさにそれに答えられる者はありませんでした――。