それからまた数日後、白の魔法使いが守る南の塔に、青の魔法使いが現れて言いました。
「妙な報告が入ってきましたぞ、白。東の街道のレコル付近で、大きな怪物が目撃されたらしいのですが――」
「東の街道で? 黒い闇の霧がロムドをおおった時をのぞけば、あのあたりに怪物が出現したことはなかったはずだぞ」
と白の魔法使いが驚くと、青の魔法使いは意味ありげにうなずきました。
「しかも、レコルに派遣されている私の部下が、そんな怪物は気配も感じなかったと言っているのです。決して魔力の弱い者ではない。どうも奇妙に思えましてな」
女神官の魔法使いは、指を唇に当てて考え込みました。
「確かに妙だな……。どんな怪物だ? 誰が見かけた」
「大きな醜い牛のようだったと。レコルの住人が四、五人見ています」
女神官はたちまち眉をひそめました。
「闇の怪物か? あんな場所に? 東の街道はロムドとエスタを結ぶ交通の要所だ。一刻も早く確認して対処しなくてはならないぞ」
「ユギル殿はゴーラントス卿の家族とシルを出発されたが、城に戻るにはまだ数日かかります。アリアンに透視してもらうのが良いのではないかと思うのですが」
武僧の提案に、女神官はうなずきました。
「深緑を呼んで、一緒に確認させよう。赤、我々はしばらく塔の守りから抜ける。後を頼むぞ」
「カイ、セロ」
と西の塔から赤の魔法使いの了解が聞こえてきました。白と青の二人の魔法使いは、空間を飛び越えて、アリアンの部屋へ向かいました――。
「こりゃぁ、牛鬼(ぎゅうき)じゃな。海や川に現れる闇の怪物じゃ。東の街道に出てくるようなヤツじゃありゃせんぞ」
アリアンの鏡に映った怪物を見たとたん、深緑の魔法使いがそう言いました。丸い大きな鏡の中では、牛の怪物がうごめいていました。頭は牛ですが、体は巨大な蜘蛛の形をしています。
アリアンが言いました。
「誰かがこの怪物に気配を消す闇魔法をかけています。聖なる目に見えなかったのは、そのせいです。私は闇の民なので見ることができますが……」
「闇魔法か。では、このあたりに、こいつを送り込んだ魔法使いがいるということだな。見つけられるか?」
と白の魔法使いが尋ねると、アリアンは答えました。
「時間がかかるかもしれませんが……探してみます」
アリアンが真剣に見つめ始めた鏡の中で、景色がめまぐるしく変わり始めます。
青の魔法使いが白の魔法使いに言いました。
「私が現場に向かいましょう。どうも、こいつには嫌な予感がする。被害が出ないうちに、早く退治した方が良さそうだ」
「そうじゃな。牛鬼は人を食う怪物じゃ。しかも人に化けると言われとる。わしも同行したほうが良いじゃろう」
と深緑の魔法使いも言います。
白の魔法使いは少し考えてからうなずきました。
「よし、ではレコルに飛べ、青、深緑。アリアンが牛鬼を操る敵を見つけたら、すぐに心話で伝える」
「了解」
「承知じゃ」
と言って、二人の魔法使いが消えていきました。後には女性二人が残ります。
鏡で敵を探し続けるアリアンへ、白の魔法使いは言いました。
「あなたがロムド城に来てくれて良かった。ユギル殿が不在でも、敵に遅れをとらずにすみそうだ」
けれども、アリアンは返事をしませんでした。鏡で透視をするのに夢中で、話が耳に入っていないのです。椅子の背に停まった鷹のグーリーだけが、ちょっと首をかしげます。
女神官は微笑して言いました。
「私はまた南の塔へ戻る。彼女をしっかり守れよ」
キァァ、と鷹のグーリーは返事をしました……。
同じ頃、キースは城一角にある厨房の裏口で、中年の女性を相手におしゃべりをしていました。そこは城にいくつもある厨房のひとつで、城の牢獄にいる囚人へ出す食事を作るための、特別な場所でした。女性はそこのまかない、つまり調理人です。
「へえ、じゃあ、この城にはあまり囚人はいないんだ。それでこんな小さな厨房でも大丈夫なんだね。とはいえ、おばさんたちは大変だろうね。朝は早いんだろう?」
とキースが人なつこく尋ねると、まかないの女性は機嫌よく答えました。
「早いねぇ。毎朝四時には竈(かまど)に火を入れるよ。そうしないと、朝食の時間に間に合わないからね。でも、もっと大変なのは、囚人の体調に合わせた食事を作らなくちゃいけないことさ。年寄りも病気持ちもいるから、医者が、食べさせていいもの、悪い物を教えてくれるんだよ。こんなに囚人に親切な牢獄は他にはないだろう、って言われてるよ」
女は、大変だと言いながらも、その仕事に誇らしそうな顔をしています。
「本当だ、すごいね」
とキースは答えました。ロムド城の公正さに、本気で感心してしまいます――。
キースは一昨日から話をする相手を変えていました。美しい貴族の娘たちではなく、城で働く侍女や掃除婦、まかないなどを捕まえては、雑談していたのです。ゾとヨに触発されて、自分も城の役に立たなくてはいけないような気がしたのですが、何をすれば良いのかわからないので、とりあえず城の様子を聞いて回っているのでした。
容姿は美しいのですが、同時に何とも言えない愛嬌があるキースなので、女性たちは年齢に関係なく、キースに親切に答えてくれました。今話しているまかないの女性も、キースにこんなことを言ってきます。
「あんたは本当にいい男だねぇ。それに、今時珍しいくらい素直な若者じゃないか。どうだい。あたしには二十六になる娘がいるんだ。ちょっと年上かもしれないけど、あんた、娘と結婚して、うちの婿にならないかい?」
キースは笑顔を浮かべると、やんわりそれを断りました。
「そんなにぼくを気に入ってもらえて嬉しいな。でも、悪いけれど、ぼくにはもう好きな娘がいるんだよ。ぼくの片想いなんだけどさ。おばさんの娘さんにはよろしく言っておいてよ」
「あれまぁ。こんな美男子に片想いさせるだなんて、どんなお嬢さんなんだろうねぇ? がんばらなくちゃダメだよ、あんた。男なら、どんと当たって砕けるくらいの気迫で行かなきゃ」
「いや、砕けちゃまずいから、こうして片想いでいるわけでさ……」
キースはそつなく雑談を続けていきます。
そこへ、厨房の裏口から別のまかないの女性が顔を出しました。
「ちょっと、ライラ、牢から昼の食器が返ってきたよ。洗いものに戻ってきなよ」
「ごめんごめん。今行くよ」
ライラと呼ばれた女性は笑って答え、急に何かを思い出す顔になって尋ねました。
「そういや、あの囚人の食器はどうだった? 残してたかい?」
仲間のまかないは首を振りました。
「綺麗に平らげてたよ。どういうことだろうね? あれだけ贅沢ばかり抜かして、食事を残していたヤツがさ。あの牢の中では魔法は使えないはずなのに」
「とうとう根負けしたかねぇ? 魔法使いだって、腹は減るだろうからね」
「そんな殊勝なヤツかい。四ヶ月も食事ごとに文句ばかり言ってたってのにさ。どこかに食事を捨ててるんじゃないかと、あたしはにらんでるよ」
「なんでそんなことしなくちゃいけないのさ。必要ないだろう――」
二人のまかないの話に、キースは口をはさみました。
「ごめん、おばさんたち。それって誰の話なの?」
「サータマンの魔法使いさ。サータマン軍がディーラに攻めてきたときに、四大魔法使いに敗れて捕まったんだけれどね、これがえらくわがままなヤツで、肉はクアロー産の牛の最上級品でなくちゃダメだとか、ワインはエスタの何とか地方の何年物をよこせとか、そんなのばっかりでさ。食事のたびに当てつけがましく料理を残していたんだけれど、ここ三日ばかり、急に残さなくなったんで、どういうことだろう、ってみんなで不思議がってるんだよ」
とライラが教えてくれます。
へぇ? とキースも首をひねりました。まかないたちが厨房に戻り始めたので、礼を言って裏口を離れます。
ロムド城の上には夏の空が広がっていました。雲は多いのですが、その間からのぞく空が青く輝いています。日差しが適当にさえぎられるので、むしろ爽やかに感じられる日です。
さて、次はどこに話を聞きに行こうか、とキースが考えていると、背後で人の気配がしました。さっと裏庭を横切っていって、振り向いたときにはもう姿が見えません。
キースはたちまち緊張して身構えました。剣を抜いて、素早く周囲へ目を配ります。誰かが裏庭に潜んで、こちらの様子をうかがっているのです……。
すると、突然木立の陰からキースめがけて何かが飛んできました。細いナイフです。キースは剣でナイフをたたき落として木へ走りました。
「誰だ!?」
と木陰に飛び込みますが、そこには誰もいませんでした。驚いて立ち止まってしまいます。
そこへ、木の上から背後に人が降ってきました。剣を持ったキースの手を強く後ろへ引き、もう一方の手に握ったナイフをキースの咽元に突きつけます。
身動きできなくなったキースは、後ろへ目をやって、また驚きました。彼を捕まえてナイフを突きつけていたのは、赤と青の派手な服を着て、顔に奇妙な化粧をした、背の高い道化だったのです――。