闇の客人がロムド城に到着して二日後、武僧の青の魔法使いは、城の中の彼らの部屋を訪ねました。
城の静かな片隅にロムド王が準備した部屋は、広く立派で、プライベートな居間を挟むようにして、キースとアリアンの部屋があります。今は、アリアンとグーリーだけが居間にいて、壁の鏡をのぞき込んでいました。アリアンは若草色のドレスの人間の姿、グーリーも黒い羽根の鷹に化けています。
「お邪魔しますよ」
と青の魔法使いが言うと、アリアンはうなずいて魔法使いを椅子に案内しました。鷹に化けたグーリーが、向かいの椅子の背に停まり、アリアンも同じ椅子に座ります。
「どうですか? 何か困ったことなどありませんか? 白があなた方を心配して、様子を見に私をよこしたのですが」
と青の魔法使いが尋ねると、アリアンは首を振りました。
「ありません……。お城の方々には、とても良くしていただいています」
闇の少女だというのに、アリアンの口調はとても控えめです。
「来客が多くて迷惑だということは? 城の貴族たちは、あなた方に興味津々でしたからな」
「それも……。陛下やオリバン殿下がご配慮くださって、この部屋には人を近づけないようにしてくださっていますから」
「それは良かった」
青の魔法使いはほっとすると、改めて部屋の中を見回しました。
「キースは出かけているのですか? ゾとヨも見当たらないようだが」
すると、アリアンはちょっとほほえみました。
「キースは貴族のお嬢さんと散歩に出かけています。ゾとヨはお城の中を探検しているようです」
やや、と青の魔法使いは声を上げました。
「キースはデートですか? あなたという女性がいるというのに。いけませんな。言って聞かせましょう」
すると、アリアンは微笑したまま首を振りました。
「私はキースの恋人ではありませんから……。闇の親衛隊に捕まったところを助けてもらって、いきがかりでここまで一緒にいるだけです。このお城では、私はキースの妹ということになっています」
「妹ですか? それはまずいでしょう」
と青の魔法使いは心配しましたが、少女はほほえんだまま、何も言いませんでした。まるで、それでいいんです、と言うような態度ですが、笑顔はどこか淋しげです。
ふむ、と武僧の魔法使いは太い腕を組みました。少し考えてから、話題を変えます。
「この城には、中央大陸随一の占者のユギル殿がいらっしゃるのですが、勇者殿の故郷を訪問中で、かれこれ一ヵ月も不在です。占者殿がいないと、いろいろと知りたいことがわからなくて不便でしてな。例えば、勇者殿たちは、今どこでどうしているのだろう、とか……。あなたは大変優れた千里眼をお持ちだと聞いています。それで勇者殿たちの様子を知ることはできませんかな?」
神の都の戦いでフルートたちに同行して以来、青の魔法使いと白の魔法使いは、勇者の一行をいつも気にかけていました。アリアンならば彼らのことがわかるかもしれない、と思いついて、様子見がてら聞きに来たのでした。
アリアンはうなずいて、壁にかかった鏡を示しました。
「それならば、ずっと眺めています。フルートたちが闇の国へ引き返して行ってから、ずっと……。彼らは闇王の魔法で地上へ送り返されて、この国の南にいます。今朝、オリバン殿下に正確な場所をお教えしたら、白い石の丘と呼ばれる場所だとわかりました。聖なる力で守られているので、私には中の様子はわからないのですが、そこならば絶対に安心だ、とオリバン殿下がおっしゃっていました」
「白い石の丘ですか! 賢者のエルフが住む――」
と青の魔法使いは驚きました。フルートたちが意外なほど近い場所へ戻っていたことにも驚きますが、すぐに苦笑しました。
「あそこは、賢者に招かれた者しか入れない聖域です。勇者殿たちは行くことができても、我々にはたどり着けない、近くて遠い場所だ。だが、その場所ならば、確かに勇者殿たちも安全でしょう」
いかつい顔が、苦笑から本当の笑顔に変わりました。フルートたちの無事を知って安心したのです。
そんな青の魔法使いを少しの間見つめてから、アリアンが言いました。
「あの……よろしければ、お城や王都の周辺も見て差しあげましょうか……? 一番占者様がお戻りになるまでの間、この国に悪さをする敵がいないかどうか、見張れますが」
ややや、と青の魔法使いはまた声を上げました。
「見張ると言っても、ロムド国は広大ですぞ! そんなことができるのですかな?」
「一度に全方向は無理ですが、特に気になる方角があれば、そちらを探ることはできます。敵の姿や様子が予想できるのであれば、それを探すこともできます」
武僧の魔法使いは感心して、ふぅむ、とうなりました。
「白と、国王陛下に相談してみましょう。ユギル殿の留守が長くなって、守備に弱さが出始めたところです。その申し出は、我々にとって非常にありがたい」
率直なことばで感謝をされて、アリアンはまたほほえみました。今度は心底嬉しそうな笑顔が広がります。
それを見て武僧はうなずき、よろしく頼みますぞ、とアリアンの肩をたたきました――。
その頃、中庭に面したバルコニーでは、キースが着飾った貴族の令嬢と甘い会話の真っ最中でした。
「あそこに美しいあなたが通りかかってくださって本当に助かりました。連れにはぐれてしまったので、あのままでは城内で迷子になって、戻れなくなるところでした」
ちなみに、今キースが一緒にいるのは、先ほどアリアンが青の魔法使いに話していたのとは、また別の令嬢です。先の女性とのデートをさっさとすませて、また別の女性に声をかけていたのでした。
「あら、そんな大層なことをしたわけじゃございませんわ、キース様。このお城はとても広くて、来たばかりの方がまごつくのは当然ですもの」
と令嬢が答えました。その瞳は、端正なキースの顔をうっとりと見つめたままです。そんな彼女に、キースはいっそう美しく笑って見せました。
「いいえ、本当に助かりました。戻り道が見つからなくて心細くなっていたところへ、あなたが声をかけてくれた。ぼくには、あなたが天から遣わされた天使のように見えましたよ」
まったく歯の浮くような台詞なのですが、キースが言うと、何故だかそれが様になってしまいます。令嬢は、まあそんな、と嬉しそうに頬を染めました。
そんな彼女の手を取って、キースは誘いました。
「どこか静かな場所に行きたいですね。ここは人が通りかかるから、どうも落ち着かない。二人きりになれるような場所はありますか?」
「え――ええ、ありますけど――でも――」
真っ赤になって恥じらいながら、それでも期待するように目を輝かせる令嬢に、どこ? とキースはまたほほえみかけました。
「こちらですわ。いらして」
令嬢が上気した顔のままキースの手を引いて歩き出します――。
とたんに、がしゃーんという、すさまじい音が響き渡りました。大きな物が砕けた音です。キースと令嬢は飛び上がって驚き、同じ階にいた人々も仰天して駆けつけてきました。
バルコニーのすぐ近くのホールで、天井から下がったシャンデリアのひとつが、床の上で粉々になっていました。飛び散った蝋燭(ろうそく)が絨毯を焦がしているので、水だ! 消火隊を呼べ! と人々が騒ぎ出します。
その中を赤い小さな影が駆け抜けていくのを見て、キースはまた驚きました。二匹の生き物が逃げるようにホールから飛び出していったのです。
キースはあわてて令嬢に言いました。
「申し訳ない、急用を思い出してしまったんだ。後で必ず連絡を差し上げますから、今はこれで!」
「キ、キース様……!?」
あっけにとられる令嬢をその場に残して、キースは駆け出しました。ホールから走り去った生き物を追いかけ、まもなく通路の隅で追いつきます。案の定、それは小猿になったゾとヨでした。通路の行き止まりに突き当たって、キィキィ飛び跳ねています。
キースはどなりました。
「こら、おまえたち! いったい何をしたんだ!?」
ゾとヨは縮み上がり、壁に背を押し当ててキースを振り向きました。
「オオオ、オレたち何もしてないゾ! 悪さするつもりなんて、なかったんだゾ!」
「そそそ、そうだヨ! ただ、蝋燭が一本消えてたから、火をつけ直そうとして登っただけだったんだヨ!」
キースは思わず頭を抱えました。
「二匹でシャンデリアの上に登ったのか? 落ちるに決まってるじゃないか! そんなのは、城の蝋燭係がやるから、放っておいていいんだよ!」
もうちょっとで令嬢を口説き落とせるところを邪魔されたので、キースは腹を立てていました。ゾとヨに対する口調がきつくなっています。
二匹の小猿はいっそう縮み上がると、めそめそ泣き出しました。
「オ、オレたち、城の役に立ちたかったんだゾ」
「そうだヨ――ロムドの王様のトモダチになりたかったんだヨ」
キースは絶句しました。それ以上怒ることができなくなって、猿に化けたゴブリンたちを見つめます。二匹は頼りなく震えながら泣きべそをかいています。
キースは二匹にかがみ込むと、頭をなでてやりました。
「役に立ちたいなら、他のことをするんだ。もうシャンデリアには登るなよ。危ないから」
言いながら、ふと、自分は何かここの人々の役に立てるんだろうか、と考えてしまったキースでした……。