オシラの家は天狗の山の隣山にありました。風の犬で空を飛びながら、フルートは天狗と話し続けました。
「あなたたちはエルフの仲間なんですか? ぼくたちはエルフとも会ったことがあるし、天空の民や海の民も、元を正せばエルフだったと聞いているんですが――こんなことを言っては失礼なのかもしれないけど、天狗さんはずいぶん姿が違うような気がします」
「これから向かうオシラの家にいる、もう一人のオシラもそうじゃ」
と天狗が笑って答えました。気を悪くした様子はありません。
「わしはもう三百年以上この山に住んでいるが、住み着いたばかりの頃は、他のエルフと同様、普通の人のような姿をしておったよ。だが、さっきも話したように、人間たちは山を非常に恐れている。自分たちの罪の意識が山を恐ろしく見せているんだな。同時に、山はさまざまな恵みも与えてくれるから、人間は山を敬ってもいる。その気持ちが山に宿って、そこに住むわしらを変えていったんじゃ――。山には恐ろしくも神々しい山神がいる、と人間たちが思うとるから、わしらもこんな姿になったのよ」
天狗は赤い顔にぎょろりとした大きな目玉、異様に長い鼻をしています。翼を広げた体は大きくて、いかにも強そうです。
ゼンが眉をひそめました。
「人間の想いってのは、そんなにも強烈なものなのかよ? まるで魔法じゃねえか」
「まさしくその通りだな」
と天狗は答えました。
「この世界には魔法の力が宿っていて、人の想いが形になって表れやすい。想いはすぐに寄り集まって形をとるし、物に影響を与える。勇者が持つ金の石もそうじゃ。それは純粋な守りの想いが寄り集まって、石の形になったものだからな。一つ目小僧たちを生むのも、人の恐れの心じゃ」
「ったく。人間ってヤツはよ」
とゼンがぼやき続けると、天狗がまた笑いました。
「わしらはおまえたちドワーフも人間のうちに数えておるぞ。天空の民も海の民もノームも、わしらエルフだって、広い目で見れば、やはり人間の仲間じゃ。ただ、わしらエルフは他の種族より魔力が強い。その分、理(ことわり)によって、この世に関わることを制限されているんじゃ。……意味がわからんか?」
ゼンの顔を見て天狗が言いました。ゼンは鳩が豆鉄砲を食ったような表情をしていたのです。
「説明しねえでいい。後でフルートに聞くから」
憮然としながらゼンが言います――。
その時、一行の前を飛んでいた女性が、行く手の山中を指さしました。
「着きました。あそこです」
山の森の中に、ぽつんと小さな家が建っていました。女性が白い着物の袖と裾をひらめかせながら下りていきます。天狗やフルートたちは、その後についていきました。薄暗い森の中に降り立ちます。
女の人が家の戸をからりと開けると、中に人が座っていました。全身白い服を着た男の人で、人の体の上に大きな白馬の頭が載っています。怪物のような異形ですが、フルートたちはとりたて驚くこともなく頭を下げました。
「この二人がオシラじゃ。人間たちからは、生活を守る夫婦(めおと)の神と崇められておる」
と天狗が説明すると、馬頭の男がたしなめるように言いました。
「わしらは隠れ里のエルフだ。ただ少し魔法と占いができるだけに過ぎん」
天狗はうなずきました。
「無論、人間がそう思っている、というだけのことじゃ。だが、この勇者たちはそんな人間たちとも違うぞ。まだ子どもだが、世界をずいぶん見聞してきている。こんな恐ろしげな天狗の話も、しっかり聞いてくれるわい」
「それはずいぶん前から、わしの占いにも出ていた。金の石の勇者たちは、わしらを妖怪人間のへだてなく助けてくれるだろう、とな。さっそく海岸の連中が救われたようだな」
馬頭の男の前には、細い棒を何本も束ねたものや、切り抜いた紙のようなものが置かれていました。占いの道具です。それでフルートたちの様子を見ていたのに違いありませんでした。
フルートは言いました。
「ぼくたちはさっき、ここに到着したばかりで、ヒムカシの国のことを何も知りません。ただ、とても貧しくて悲しい人たちが大勢いるということは聞きました。ぼくたちに、その人たちを助けることはできますか?」
フルートにとって、国の違いなどは、まったく関係ありません。人であろうと動物であろうと、妖怪と呼ばれる怪物であろうと、そこに苦しんでいるものがあれば、助けてあげたい、と考えてしまうのです。理屈ではなく、心の底から湧き上がってくる強い想いでした。
そのまっすぐなまなざしを見て、馬頭のオシラは静かにうなずきました。
「もちろん救える――。この国は今、二つの勢力に別れて戦乱の最中なのだ。それぞれに帝(みかど)をたて、こちらこそが正当な統治者だと言い張って、国中で戦を繰り広げている。直接戦場になった場所は焼け野原になるが、戦から遠く離れたこのあたりでも、男たちは兵として連れていかれるし、米は兵糧や戦の資金に根こそぎ持って行かれる。後に残るのは力の足りない女子どもと年寄りばかり、しかも、食い物もないとなれば、村人が飢えるのは当然のことなのだ。飢饉は天候によって引き起こされるが、戦がそれを悪化させているのだ」
それを聞いて、メールが、もう! と声を上げました。
「またそういう話!? どうして人間はすぐにそうやって争うわけ!? 戦いで国の連中がどれくらい酷い目に遭うか、考えたことないのかい!?」
クーン、とポチが鼻を鳴らしました。
「他人が自分たちのために尽くすのは当然と考えている権力者は多いですからね。そういう人たちは、人々の気持ちなんか考えないし、自分が誰かの下になるのにも我慢できないんだ」
「ったく。いい加減にしやがれ!」
吐き出すようにゼンも言います。
すると、馬頭のオシラは目の前から細い棒の束を取り上げました。それを手の中で鳴らしながら話し続けます。
「問題はそれだけではない。戦はもう本当に長い間続いているのだが、そこへ最近になって、新しい力が加わるようになったのだ。何が荷担しているのか、それはわしの占いでもわからん。だが、南の方の妖怪たちが正気を失って、人間の戦いに加わるようになった、と向こうの仲間たちが伝えてきている。このままではますます戦が広がり、やがてこのあたりも戦場になるだろう。そうなれば、多くの田畑や村が焼かれ、飢饉の時よりもっと大勢の人間が死ぬことになる……。わしらエルフは人間の生き様には直接は関わらん。だが、わしらを山神と思って崇める人間の声は、わしらの耳に届く。これ以上、人間たちを悲しい目に遭わせたくないと、わしらも天狗も、どうしても思ってしまうのだ」
オシラの話に、フルートはためらうことなくうなずきました。
「わかりました。すぐに南へ向かいます。そして、全力で戦いを止めます」
すると、メールがまた言いました。
「怪しいよね、その、戦いに荷担してる新しい力ってヤツ。戦争をあおって大きくするなんて、闇の力みたいじゃないさ」
「ワン、時期から考えれば充分ありえますよね」
「あいつったら、こんなところへ逃げてきていたわけね――」
と二匹の犬たちも口々に言ったので、天狗は目を丸くしました。
「おまえたちは力の正体に心当たりがあるのか?」
ゼンがそれにうなずき返しました。
「ありすぎだぜ。きっとそいつはデビルドラゴンだ!」
デビルドラゴン! と馬頭のオシラは驚きました。
「世界を滅ぼす闇の竜だな。そんな奴がこのヒムカシの国にやってきていたのか? わしの占いにはまったく現れていなかったのだが」
「オシラさんが光の一族だからだと思います……。光の魔力の占いには、闇は姿をあらわさないんです」
とポポロが説明しました。引っ込み思案のポポロですが、こういう話には口を出します。
ふぅむ、と天狗がうなりました。顎ひげを撫でながらオシラに言います。
「なんとも容易ならんことだな。闇の竜が関わっていては、とても太刀打ちできんだろう。いくら金の石の勇者といっても、たった四人と二匹じゃ。しかも全員子どもだぞ」
「彼らにできなければ、他の誰にも戦は止められない、と占いには出ている」
と馬頭のエルフが答えます。
「止めてみせます」
とフルートは繰り返しました。何ものにも動かされない、あの強い口調になっていました。
「デビルドラゴンがそこにいようと、何がいようと――それでみんなが飢えなくなって、子どもたちが山に捨てられなくなるなら、ぼくらは全力で戦争を止めてみせます」
山の中を風が吹き抜けて、小さな家を揺らしていきました。ガタガタと鳴る戸の向こうで、風の音が子どもの泣き声のように響いています……。
天狗が大きくうなずきました。
「わかった。では、わしがおまえたちを戦の起きている場所まで案内してやろう」
馬頭のオシラのほうは、すまなそうに頭を下げました。
「わしらはここを離れることができん。わしらは人間たちから暮らしの守り神と信じられているから、その想いに囲われて、この地から動けんのだ。代わりに、天狗の留守中、一つ目小僧たちの面倒をみていてやろう。安心して行ってくるがいい」
「おお、恩に着る」
と天狗が嬉しそうに言います。
すると、それまで黙っていた女のオシラが、すっと立ち上がり、隣の部屋から何かを持ってきました。美しい薄絹の布です。それをポポロに渡して言います。
「これは私が織ったもの……。エルフの魔法の技で作り上げた肩掛けよ。あなたならば、これの使い方がわかるでしょう? 持って行きなさい」
ポポロは驚いて女の人を見上げました。その手の中で白い長い布がきらきらと輝いています。日の光を折り込んだような、美しい布です。
「家内は機織りの名人なのだ。おまえたちが来るときに合わせて、それを作っていた。きっと役に立つだろう」
と馬頭のオシラも言います。ポポロは素直に肩掛けを受けとりました。ふわりと柔らかい手応えで、まるで空気を抱いているような軽さです。
ところが、メールは女のオシラのほうを見ていました。
「ねえさぁ、旦那さんは馬の怪物みたいな姿になってるくせに、どうして奥さんはそんなに綺麗なの? それとも、奥さんも本当は怪物みたいな恰好になってて、人の姿に変身してるだけなのかい?」
いつものことですが、怖いほど単刀直入に尋ねるメールです。
天狗が苦笑いしました。
「いいや、姫神は元の姿のままじゃ。馬神(うまがみ)が人間たちの想いを一手に引き受けとるからな。その分、馬神はわしらより醜く姿が変わってしまった」
姫神というのは女のオシラ、馬神というのは男のオシラの呼び名に違いありません。
「女房が怪物になって嬉しい男はおらん。それだけのことだ」
と馬神が答えました。馬の頭の怪物の姿でも、その声は低く穏やかです。
フルートは仲間たちへ黙ってうなずき、仲間たちもいっせいにうなずき返しました。人間たちから勝手に恐れられ崇められ、異形の姿に変えられても、それでも人間たちを心配する優しいエルフたち。彼らのためにも必ず戦いを止めよう、と彼らは心に誓ったのでした――。