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外伝12「金葉樹の城」

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6.完璧

 誰もがメイの王女に見とれている会場に、いつの間にか白の魔法使いが立っていました。王女と一緒に大広間に入ってきたのですが、周囲に魔法を張り巡らしていたので、誰にも見えなかったのです。仲間の四大魔法使いたちだけが気がついて、口々に心話で話しかけてきました。

「いやはや、これは驚きましたな。実に見事な王女ぶりだ」

「男の格好をしていても中身が女らしいことは見えとったが、それにしても大した変身ぶりじゃな。これなら誰にも文句のつけようがないのう」

「スガ、ラヴィア」

「いや、そうではない。ラヴィア夫人はセシル様に礼儀の稽古をしておられないのだ」

 と白の魔法使いが答えました。とまどうような表情をしています。稽古をしていない? と仲間たちはいっせいに聞き返しました。

「そうだ……。毎日セシル様と部屋で話をしているだけで、身のふるまい方の稽古もことばづかいの練習も、なにもなさらなかったのだ。これでどうなるのだろう、と心配していたのだが、当日になってみたら、こうだ。ラヴィア夫人こそ本当は魔法使いだったのではないか、とさっきから疑っていたところだ」

「それはありえんわい」

「そう。ラヴィア夫人は普通のご婦人だ」

「ダ?」

 魔法使いたちが驚きながらセシルを見つめます。メイの王女は、このうえなく上品な様子で、ロムド国王に挨拶を述べています。

「未来の父君様、このたびはわたくしたちのためにこのように盛大な宴を開いてくださって、本当にありがとうございます。これほどたくさんの皆様方に祝福していただけて、わたくしは本当に嬉しゅうございます――」

 ことばづかいも完璧な女性口調です。かたわらに立つオリバンが、そんなセシルを目を丸くして見ていました。

 

 大広間の片隅で、灰色の長衣を着てフードをまぶかにかぶった男が、隣の老婦人に話しかけていました。

「さすがは先生でいらっしゃいます。セシル様は完璧な皇太子妃になられましたね」

 占者のユギルとラヴィア夫人です。

 すると、夫人が答えました。

「私は何もしていませんよ、ユギル。ただ、毎日セシル様にロムドについて話して差しあげただけです。ロムドがどんな歴史を経て今のロムド国になったのか、今の国王陛下が何を目ざしておられるのか、そのためにどんな出来事が国の内外で起きたのか……。あの方は、もともと王女として育てられてきた方です。ただ軍人という役割と、祖国に疎まれていた反発から、男のようにふるまっていただけなのですよ。だから、私が改めてお教えするような礼儀作法は何もありませんでした。私がお教えしたのは、ロムド式のお辞儀のしかただけです。あとは踊りの先生を呼んでロムドのダンスをお教えしましたが、それもあっという間に覚えてしまわれました」

 ユギルは驚いて思わず絶句しました。

「さすがの一番占者にもセシル様の正体は見抜けませんでしたか? まだまだですね」

 とラヴィア夫人は笑い、フードの陰で少年のように口を尖らせたユギルへ、穏やかに続けました。

「セシル様は大変賢い方です。まだ若いのに、さまざまな苦労もしてこられている。皇太子殿下が幼少から命を狙われて辺境部隊に身を寄せていた話をすると、とても驚いて、たちまち自分のするべきことに気がつかれましたよ。未来のロムド王妃らしくすることが、自分のためだけでなく、皇太子殿下や国王陛下にとってもロムド国にとっても、非常に重要なのだということにね。だから、ああして、完璧な皇太子妃としてふるまっているのです」

 そして、夫人はセシルへ目を向けました。未来の皇太子妃は、信じられないほど美しく上品に見えています。

 ユギルは丁寧に頭を下げました。

「やはり先生は一流の教師であられます。先生にセシル様をお預けして正解でした」

「あなたの占いがそれを告げたのでしょう、ユギル。あなたの先読みの力のおかげですよ。とはいえ――」

 夫人はごく静かな声で話していましたが、急にいっそう低い声になりました。

「セシル様の態度は完璧すぎる気がしますね。皇太子妃であろうとするあまり、ご自分らしさをすっかりなくしているようにも見えます」

 自分らしさ? とユギルは聞き返しました。ラヴィア夫人は、丸い眼鏡の奥から気がかりそうに王女を見つめていました……。

 

 国王の挨拶が終わると、宮廷楽士たちの演奏が始まりました。舞踏会の開始です。貴族と貴婦人が二人一組になっていきます。

 オリバンもセシルの手を取って大広間の中央に進み出ました。ロムドの舞曲に合わせて踊り始めます。ターンをするたびにセシルの薄絹とオリバンのマントがひるがえり、銀の刺繍や緑の宝石が光ります。その見事な眺めに、また会場中の人々が見とれます。

 踊りながらオリバンがセシルに話しかけました。

「大したものだな。あなたにここまで完璧な王女ができるとは思っていなかったぞ」

「よく化けたものだ、と言いたいのだろう?」

 とセシルが軽くにらみ返しました。そんな表情や口調は、いつものセシルと変わりません。オリバンは笑いました。

「いや、とても美しい。だが、男の姿もあなたらしくて良いと思う。そのことばづかいもな。なんだかほっとするぞ」

「馬鹿なことを言うな。后が男の格好をして男のようにふるまっていたら、皆から笑われてしまうのだぞ。皇室そのものが国民の笑いものにされてしまう。だから、今後私はもう男の格好をしないことに決めたのだ」

 会場には軽快な音楽が流れているので、彼女が男言葉で話しているのを聞きつける人はいません。オリバンは驚き、少し考えてから言いました。

「何故それではいかんのだ? こういう公式の場ではともかく、普段まで無理に女の格好をしている必要はないだろう。男の格好をしていようが、女の格好をしていようが、あなたはあなただ。その中身も価値も、外見で変わることはない」

 その生真面目な口調に、セシルは思わず苦笑いしました。白い羽根のように薄絹をひるがえしてターンをし、すぐに反対側へまたターンをしてから話し続けます。

「男の格好をした皇太子妃が王宮を闊歩(かっぽ)するというのか? 腰に剣を下げて? そんな話は聞いたこともない。いくらロムド城が自由な気風でも、それはありえないことだ」

「そうだろうか? 父上たちは気にせんような気がするが」

 オリバンはどこまでも真面目に言い続けます。セシルがそれに答えようとしたとき、曲が終わりました。踊り終わった人々が会場の端の方へ戻っていきます。セシルもオリバンと戻りながら言いました。

「咽が渇きました。飲み物を持ってきてくださいません?」

 また完璧な女口調になっています。オリバンはなんとも言えない表情になると、黙ったまま、飲み物の盆を持つ家臣のほうへと歩いていきました。

 

 すると、それと入れ替わりのように、数人の貴族たちがやってきました。セシルへ話しかけてきます。

「これは麗しのメイの王女様。ようこそおいでくださいました。ロムドはいかがでしょうか。小国メイとは違いますでしょうな――」

 礼儀正しく聞こえることばの陰から、相手の国を馬鹿にする気持ちがのぞきます。セシルはドレスの裾を引き寄せ、自分を取り囲む貴族たちを見回しました。警戒と不快感が顔に出ないように注意しながら答えます。

「ええ、初めての場所ですので、いろいろなものを大変興味深く拝見していますわ」

 ゴーリスがそんな様子に気がついていました。セシルに話しかけているのは、例のケールカ侯爵とその一派です。セシルが皇太子妃にふさわしくないことを証明しようと、セシルの揚げ足取りに来たのです。そっと玉座の王に尋ねます。

「いかがなさいますか、陛下?」

「トウガリが向かった。様子を見よう」

 と、見て見ぬふりをしながら王が答えます。

 ケールカ侯爵がセシルに話しかけ続けていました。うわべだけはにこやかに、こんなことを聞いてきます。

「ときに、未来の皇太子妃殿下はお芝居はお好きでしょうか? 音楽は? このディーラでは一流の芝居や演奏会が毎日のように開かれているので、ぜひ感想をお聞きしたいところです。今話題のグラップの『騎士の涙』などは、未来の妃殿下もきっとご覧になっていますでしょうね」

 彼らの周囲にはいつの間にか人垣ができていました。貴族や貴婦人たちが、この美しい王女を品定めに来たのです。彼女がなんと答えるのか興味津々でいます。

「グラップの『騎士の涙』ですか……?」

 とセシルが繰り返しました。とまどった顔をしています。ケールカ侯爵たちは、獲物が網にかかったのを感じて、にやりとしました。小国メイにはろくな文化がないと踏んで、わざと最新の芸術の話題をふっかけたのです。

 そこへ道化がやって来ました。大げさな身振りと声で話しかけてきます。

「これはこれは貴族の皆様方、セシル様を大歓迎でございますね。ですが、その質問は姫様にはあまりに失礼でございましょう。姫様は今日のご準備でずっと忙しくなさっていて、芝居見物にも行くことはできませんでした。『騎士の涙』ならばこのトウガリめもつい先日観劇しましたが、あれは――」

「黙らないか、道化!」

 とケールカ侯爵がぴしゃりと言いました。

「私は未来の妃殿下に聞いているのだ。卑しいもののくせに口をはさむな! わきまえろ!」

 高慢な口調と共に怒りが伝わってきます。逆らえば騒ぎになると感じて、トウガリは急いでお辞儀をして引き下がりました。心配そうに王女を見守りますが、どうすることもできません。

「『騎士の涙』……」

 とセシルはまだ困惑していました。ケールカ侯爵がまた言います。

「どうなさいましたか、王女様? まさか中央大陸に知れ渡った名作をご存じないとでも?」

 そこへ、飲み物を手にオリバンが戻ってきました。何が起きているのかすぐに察しますが、オリバンも芝居などはまったく知りません。助け船を出せなくて困惑します。

 

 すると、セシルが丁寧な口調で言いました。

「申し訳ありません。わたくしはグラップの『騎士の涙』という作品を存じ上げませんわ。グルップの『騎士の涙』ならば知っていますが。それとも、ロムドではグルップはグラップと呼ばれているのでしょうか?」

 や、と侯爵はことばに詰まりました。国による発音の違いではありません。覚え違いをしていたのです。たちまち赤くなって、汗をかきながら言い続けます。

「ちょ、ちょっと言い間違えてしまったようですな……。そのグルップは見たことがおありでしたか?」

「ええ、メイの王都のジュカで。騎士と貴婦人の悲しい恋物語で、グルップの代表作と言われていますわね。ですが、わたくしはグルップの晩年の作品の『しだれ柳』のほうが気に入っております。何があっても王に忠誠を示し続ける騎士の姿に胸を打たれました」

 ケールカ侯爵たちは何も言えなくなりました。その作品はロムドではまだ上演されたことがなかったのです。

 すると、別の貴族が話しかけてきました。

「で――では、音楽はいかがでしょう? ロムドでは貴族の子女は誰もが音楽をたしなみます。未来の皇太子妃も何か楽器をお弾きになりますか?」

「リュートを少し。いたずらでクラブサンを弾くこともありますわ。ミュワロスの小品集は特に好きです」

 とたんに、集まった貴族たちの間から驚嘆の声が上がりました。ミュワロスのリュート小品集は演奏がとても難しいことで有名だったのです。

 王女の答えは完璧でした。ケールカ侯爵たちは王女に恥をかかせるどころか、自分たちのほうが恥をかく形になって、すごすごと引き下がりました。それきりもう王女には近寄りません。

 

 オリバンは人から離れた場所へセシルを連れ出すと、飲み物を手渡して言いました。

「驚いたな。あなたがあれほど芝居や音楽に詳しいとは思わなかった。私にはさっぱりわからない話ばかりだ」

 セシルはにっこりしました。芸術に疎いオリバンを馬鹿にすることもなく言います。

「あなたはずっと辺境部隊にいたからだ。私は王都に近いナージャにいて、しょっちゅう王都と行き来をしていたし、なんと言っても、母上の趣味につき合わされたからな。母上の話し相手をしていれば、嫌でもこういうことには詳しくなる」

「大したものだ」

 とオリバンがまた感心します。

 玉座ではロムド王がうなずき、四大魔法使いやトウガリも、それぞれの場所で安堵していました。もうメイの王女に難癖をつけようとする者はありません。

 

 ところがその時、突然大きな声が広間中に響き渡りました。

「皆様、お逃げください! 敵です――!」

 背の高い男が叫びながら灰色のフードをはずしていました。とたんに銀の髪の輝きが人々の目を打ちます。占者ユギルです。

 彼が指さす先を見て、人々は息を飲みました。大広間の中央に、何かが姿を現していました。たちまちふくれあがって、天井から下がるシャンデリアに届くほど巨大になります。

 それは蛇のような鼻と長い牙の、醜い象の怪物でした――。

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