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外伝10「ユリスナイ」

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8.地上

 ある日、天空城へキータライトがやって来ました。眼鏡をかけた優しい顔が、いつになく嬉しそうに輝いていたので、ユリスナイは目を丸くしました。

「いいことでもあったの? いやにご機嫌じゃない」

「やっと念願のものが作れたのさ! そら、これだ!」

 とキータライトが前に引き出したのは、一匹の犬でした。綺麗な長い茶色の毛並みに銀毛が混じっています。ユリスナイはとまどいました。

「犬を作ったの? ……でも、これ、ケルキーのところの牧羊犬でしょう?」

「左様です、天空王様」

 そう答えたのはキータライトではなく、茶色の毛並みの犬でした。人間の男の声で話しています。驚くユリスナイたちに、キータライトはにやにやしながら言いました。

「そう、人のことばを話す、もの言う犬だよ。魔法で知性を伸ばしたんだ。ぼくたちを手伝ってくれる、頼もしいパートナーさ」

「素敵ね」

 とユリスナイは言い、深々と頭を下げている犬にかがみ込みました。

「この国には助けを欲しがっている人たちが大勢いるわ。あたしたちと一緒に、その人たちを助けてあげてちょうだいね」

 

 すると、犬は頭を上げ、賢そうな目でユリスナイを見ながら言いました。

「私はこの天空の国の人だけでなく、地上の世界の人々まで助けることができます、天空王様。その力をキータライト様が与えてくれました。ご覧ください」

 次の瞬間、シュン、と鋭い風の音が響き、猛烈な風が巻き起こりました。窓のない城の部屋だったので一同が驚いていると、その目の前に巨大な生き物が舞い下りてきました。全長が十メートルもある大蛇のような姿をしていますが、よく見ると、その頭と前足は犬の形をしていました。全身幻のような白い色をしていて、霧のようなものが体の中を絶えず流れています。激しい風は、その生き物が巻き起こしているのでした。

「風の犬、と名前をつけたよ。首に巻いている魔法の首輪で風の獣に変身できるんだ」

 とキータライトが得意そうに言いました。

「これに乗れば、天空の国から地上に下りていくことができる。地上は今、魔法戦争の影響で荒れ果てているけれど、この犬は空中に留まることができるから、安全な場所から地上に魔法をかけることができるんだ。――地上を癒しに行くことができるんだよ、ユリスナイ!」

「地上を癒す」

 とユリスナイは繰り返しました。信じられないように見張った瞳が、みるみる明るなっていきます。昔のように顔を輝かせて、彼女は聞き返しました。

「本当に、キータライト? 本当に、あたしたちは地上を助けに行くことができるの――!?」

 学者の青年は眼鏡の奥で目を細めてうなずきました。

「風の犬は、これの他にもう十頭いる。来月までにはあと七頭揃うよ。とりあえずそれだけいれば、みんなで行けるだろう」

 ユリスナイは手をたたきました。その場に居合わせた他の仲間たちも歓声を上げます。

「行きましょう、みんな! 地上を助けに!」

 そう呼びかけるユリスナイの目には、嬉し涙が浮かんでいました。

 

 ユリスナイたちが風の犬で天空の国から下りて地上を癒していく様を、リグトは魔法使いの目でずっと眺め続けていました。

 大陸は魔法の暴走で引き裂かれ、広い海に散りぢりになり、噴火や津波に襲われた痕を至るところに残していました。荒れ果てた大地が黒々と広がるばかりです。ところが、ユリスナイたちがそこに下りていくと、地表が緑におおわれ、花が咲き、木々が萌え出しました。血の色に染まった川が澄み、闇を呑み込んでどろりとした海が青い輝きを取り戻します。緑になった大地には命が戻り始めました。鳥が飛び獣が走り、そして、人々が姿を現し始めます――。

 

 ある日、ヒールドムが言いました。

「今日、面白い連中に会ったぞ。やたらと小さな人間なんだが、地面を掘るのが得意でな、俺が石の名前を教えてやったら大喜びするんだ。連中には鍛冶のやり方を教えてやろうと思うんだ。きっとうまいことやるぞ」

「私は森の中に隠れていた人たちを見つけたわよ」

 と言ったのはスピアでした。

「戦火を免れた花や木を大切に守っていたわ。嬉しくてね、花の魔法を教えてきちゃったわ」

 そう言うスピアの髪は、木々の梢のような緑色をしています。

 キータライトは嬉しそうにこんなことを話しました。

「ぼくは、ぼくらによく似た人々を見つけたんだ。ぼくたちよりほんの少し背が低いくらいで、本当にぼくらによく似ているよ。まだ文字やことばを持っていなかったんだけれど、ちょっと教えただけで、すぐに覚えるんだ。人間だ、と言ったら、たちまちそれを自分たちの呼び名にしたよ。とても頭がいい。これからも、彼らにはいろいろ教えてやろうと思うんだ」

 

 彼らが地上に下りるたびに、地上はどんどん回復していきました。緑が広がり、命があふれ、そこに歌声と笑い声が湧き起こります。

 ソルとキットの双子の兄弟が、叔父のボンカルと一緒に地上から戻ってきて言いました。

「地上に四季が戻ったよ。ぼくたちで季節を直してきた。これで地上でも農業ができるよ」

「ほい、わしの出番じゃな」

 と張り切ったのは牧童のケルキーでした。

「地上の連中にも、畑の作り方や家畜の飼い方を教えてやろう。こんな老いぼれでも役に立つとわかったからな。まだまだ若いもんには負けちゃおれんわい」

「そうやって作物がたくさん穫れるようになれば、今度は余分な収穫物の売り買いが始まる。そうなったら、今度はぼくの出番だね。彼らの商売のしかたを教えてあげよう」

 と言ったのは行商人のレートでした。すでに天空の国の人々に教えて成功させているので、その声も自信に満ちています。

 

 そんな彼らの話を聞きながら、そういうことか、とリグトは考えていました。

 ユリスナイの仲間たちは、それぞれの得意分野で地上の人々を助けています。魔法戦争で傷つき、自分たちの国も文化も失っていた人々にとって、それは神の使いか、神自身のように見えたことでしょう。それがやがて本当に神として崇められるようになり、地上にユリスナイの十二神が誕生したのです。

 地質学に詳しいヒールドムは大地の神に、花や植物を愛するスピアは春の女神に、人々に知恵を教えるキータライトは学問の神に、地上に四季を回復させたソルとキット、そしてボンカルは、それぞれ夏や秋、冬の神に。ケルキーは豊饒と牧畜の神、つまり農業の神に、レートは商売と旅の神に……。他の仲間たちがユリスナイ十二神の名前と一致していたのも、そういうわけだったのです。

 

 さらに半年あまりが過ぎた頃、海を癒しに行っていたルクァという仲間が戻ってきて、ユリスナイたちに言いました。

「俺は天空の国を下りて海へ行くよ――。海には戦火を逃れた連中がいて、魔法で自分たちの体を作り変えて、海の中で暮らしているんだ。そこの連中が、俺にぜひ王様になってくれって言っているんだよ。俺もそこの連中が大好きだ。彼らと一緒に暮らしたいんだよ」

 それを聞いて、ユリスナイはほほえみました。

「あたしは天空王と呼ばれるけど、あなたは海の王様だから、海王になるのね。思うようにしていいわ、ルクァ。空と海に別れ別れになってしまうけれど、あたしたちはずっと友だちよ。困ったときにはあたしたちを呼んで。いつでも、天空の国は海を助けに駆けつけるから」

「この世界に空と海がある限り、我々は友だちであり続ける。これは世界が続く限り守られる約束だな」

 とルクァも笑い、手を振って海へと去っていきました。ルクァが消えていった海は、ひときわ青く美しく輝きました。

 リグトはそれを眺めて、彼が海王の始まりだったんだ、と考えました。ルクァというのは、ユリスナイ十二神の海の神の名前でもあります。海王になった青年は、人間の間では海の神と崇められるようになったのです――。

 

 彼ら自身の間でめでたいこともありました。ダイダの弟のカイタが、仲間のセリヌという女性と結婚したのです。仲間たちは幸せな二人を盛大に祝い、リグトはまた、一人でうなずいていました。セリヌというのは、十二神の中の愛と結婚の女神で、本当に武神カイタの妻だと言われていたのです。

 淡い金髪を結って花を飾った花嫁は、それは愛らしく美しく見えました。それをとろけそうな目で眺めるカイタを、兄のダイダが冷やかします。

「まったく。おまえら、いつの間にこういう関係になってたんだよ? 俺はてっきりおまえもユリスナイを好きだとばかり思っていたのに」

「ユリスナイには兄貴がいるからな」

 とカイタは笑い、花嫁を抱き寄せて言いました。

「兄貴たちこそ、早くこうなれよ。いい加減まとまってもいい頃だと思うぞ」

 弟から逆襲されてダイダは返事に詰まり、ユリスナイは真っ赤になりました。そんな二人を見て、仲間たちが口笛を吹いて冷やかします。

 

 ほんとにダイダとユリスナイが結婚するといいのになぁ、とリグトは考えました。

 リグトにとって、二人は兄や姉のような存在です。お互いに好き合っているのも、見ていればわかります。早く二人に結婚して幸せになってほしい、とリグトはずっと思っていました。

 誰が幸福でも不幸でも、淡々としていて少しも感情を動かされなかった少年が、変われば変わるものでした――。

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