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外伝9「薔薇の使節団」

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8.雪

 灰色の空から雪が降り出しました。

 白い大きな雪のひらが雲から湧き出して、地上に向かって落ちてきます。見上げると、まるで無数の鳥か虫が空一面に浮いているようです。すぐ近くまで落ちてきて、ようやくそれが雪だとわかります。

 崩れた通路の穴の底に座り込んで、トーマ王子は空を見上げ続けていました。まずいな、と考えます。メーレーン王女を助けに来て、一緒に穴に落ちてしまった王子です。幸い怪我はありませんでしたが、這い上がることができなくて、王女と一緒に座り込んでいるしかありませんでした。雪は穴の中にも後から後から降ってきます。たちまち肩や膝や頭の上が白くなっていきます――。

 メーレーン王女が、ぶるっと大きく身震いしました。王女はドレスの上にコートを着ていましたが、寒さが布地をしみ通ってきたのです。

 トーマ王子は横目でそれを見ました。王子自身はあわてて部屋を出てきたので、マントさえはおっていません。雪は王子の体も冷やしていきます。

 けれども、王女のプラチナブロンドが小刻みに震え続けているのを見て、王子は立ち上がりました。自分が着ていた丈の長い上着を脱いで、王女のコートの上から着せかけます。メーレーン王女はびっくりしました。

「いけませんわ、トーマ王子! 風邪をひいてしまいます!」

「大丈夫だよ。ぼくは寒さには強いんだ」

 歯が鳴りそうになるのを必死でこらえながら、王子は笑って見せました。冷たい外気は薄いシャツを通して肌に突き刺さってくるようです。それでも王女を安心させようと、わざと話題を変えます。

「そう言えば、メーレーン姫はどうしてこんなところに入り込んだの? さっき、ルーピーを探しに来たって言ってたよね。でも、ルーピーは通路の入り口で君を待っていたんだよ」

 王女は首をかしげました。

「お城の下男から教えられたのですわ。王女様の犬が奥の壁の入り口から中に入って出られなくなっています、って――。ルーピーが見当たらなかったので、メーレーンはてっきり本当にここにいるのだと思ったのですわ。ルーピーが無事で良かったですけれど」

 そう言って子犬をしっかり抱き直した王女を、王子は黙って見つめました。どうやら誰かにはめられたらしいな、と考えます。きっと、その人物はこの危険な通路のことを知っていたのでしょう。邪魔者の王女をそこに閉じこめれば、自然と穴に落ちて脱出できなくなるとわかっていたのです。ロムドの王女を目障りに思う人間は、この世に大勢いるに違いありません。

 けれども、王子はそれを口にはしませんでした。そんなことを話して聞かせれば、寒さに震える少女をいっそう不安がらせるだけです。

 雪はますます強くなってきます。早くここから脱出しなければ、遅かれ早かれ二人とも凍死してしまいます。どうしよう、どうしたらいいんだろう、と王子は考え続けました。良い考えは何も浮かびません――。

 

 すると、今度は王女の方が話しかけてきました。

「メーレーンは、穴に落ちてたった一人で、このまま死んでしまうのではないかと思っていました。怖くて怖くて、泣きそうになっていたら、トーマ王子が助けに来てくださいました。メーレーンは本当に嬉しかったですわ」

 降りつのる雪の中、寒さに震えているのに、少女はにっこりと笑いかけてきました。暖かい信頼のまなざしです。王子は思わず真っ赤になると、目をそらして口を歪めました。

「でも、ぼくまでこうして出られなくなってる。君を助けてあげられないんだよ。非力で情けない奴さ」

「いいえ、いいえ」

 メーレーンは一生懸命頭を振りました。

「トーマ王子はメーレーンのいる場所をご存じでした。まるで占者のようですわ。どうしておわかりになったのでしょう。素晴らしいと思いますわ」

「昔、父上から言われたことがあったんだ。寺院跡には秘密の通路の入り口があって、入ったら誰にも見つけてもらえなくなるから気をつけろ、って――」

 ふっと、王子は口をつぐみました。父にそう教えられたのは、もう何年も前のことです。いつもおどおどして、祖父の先王を恐れてばかりいた父でした。父親らしいことなど何もしてくれなかったのに、その時には、なんのはずみか、そんなふうに息子を心配してくれたのです。とても珍しいことでした。だから、王子は今でも覚えていたのです。珍しくて――とても嬉しいことだったから――。

「入ったら誰にも見つけてもらえなくなる?」

 とメーレーン王女が目を見張っていました。みるみるうちに、その顔が不安に曇っていきます。

「誰にもここはわからないのですか? 誰も探しには来てくださらないの? メーレーンたちは助からないのですか?」

 大きな瞳が泣き出しそうにうるみ始めたのを見て、王子は、しまった、と思いました。あわてて言います。

「父上がいるよ――! 父上だけは、この場所をご存じだ。きっと、ぼくらがここにいると気がついて、探しに来てくれるよ――」

 本当に? と少年は胸の内でつぶやきました。神経質で、すぐに逃げ腰になる父親です。息子の自分のことさえ、死んだ祖父に対するように恐れています。祖父に似ている自分を嫌っているのだと、トーマ王子は気がついていました。そんな父が、本当に自分たちを探しに来てくれるでしょうか? メーレーン王女はともかく、自分のことは、行方不明になったのを幸いと探さずにいて、そのままやっかい払いしてしまうかもしれません……。

 少年は、ぎゅっと唇をかみました。

 

 雪は降り続けます。少年の肩にも、少女の背中にも、どんどん降り積もっていきます。コートと上着をはおっているのに、少女がまた大きく震えました。寒さはますます厳しくなっています。少女の華奢な体はすっかり冷え切っていたのでした。腕の中の子犬にぬくもりを求めて、いっそう体を丸くします。

 トーマ王子はメーレーン王女の体を抱きました。まだ少年の王子です。体もそんなに大きくはありません。それでも、少しでも王女を雪や寒さから守ろうと、必死で抱きしめ続けます。腕の中で少女は震え続けていました。歯の根が合わなくて、もう何も言うことができないようです。

 王子は押し寄せるように雪が降ってくる空を見上げました。雪と寒さに王子の体もすっかり凍えていて、どんなに叫びたくても、もう声が出せません。

 王子は心の中で叫びました。

 父上! お願いだ、父上! 助けに来て――! このままじゃメーレーン姫が死んでしまうよ!

 やっぱり声にはなりません――。

 

 すると、突然王女の腕の中で子犬が頭を上げました。暴れながら外に抜け出し、空に向かってほえ始めます。

 ワンワンワンワンワン……!!!

 とたんに、上の方で足音が聞こえてきました。誰かが駆け寄ってきます。瓦礫を踏み、砂をこする音が響いた後、穴の縁から顔をのぞかせたのはアイル王でした。底で抱き合ったまま動けなくなっている少年と少女を見ると、甲高い声を上げます。

「トーマ! メーレーン姫!」

 歓声でした。

 ぽかん、とトーマ王子はそれを見上げていました。自分の目と耳が信じられません。父は本当に自分たちを探しに来たのです。

 続いて顔をのぞかせたのは道化のトウガリでした。化粧をした顔が大きく歪みます。安堵の笑顔です。少し遅れて、メノア王妃もおそるおそる穴をのぞき込んできました。子どもたちの無事な姿に、たちまち輝く笑顔になります。お母様、とメーレーン王女がつぶやきました。凍えた咽はかすれ声しか出せなかったのです。代わりに王女は大粒の涙をこぼし始めました。ワンワンワン……と犬が元気にほえ続けます。

「お待ちを、お二人とも。今すぐ引き上げて差し上げます」

 そう言って、道化がロープと共に穴の中へ下りてきました――。

 

 穴の底から助け出された二人は、それぞれの親の前に立っていました。メノア王妃がメーレーン王女を抱きしめて嬉し泣きします。王女の方でも母にすがりついて泣きじゃくっています。トーマ王子はアイル王を見上げました。

「父上……」

 それ以上は声になりませんでした。

 父は相変わらず、とても神経質そうでした。おびえたような、心配そうな表情も相変わらずです。それなのに、なんだかいつもと違ったものが、父の顔の中にあるような気がしました。

 すると、アイル王が目を細めました。王子にほほえみかけたのです。

「よ、よくぞメーレーン姫を守った。え、偉かったぞ」

 いつものようにつまずきながら、それでも、はっきりと、父は息子を誉めました。トーマ王子はびっくりして、さらに何も言えなくなりました。目を見張って父を見つめてしまいます。

 そんな王子が上着もない薄着姿でいるのを見て、アイル王は自分のマントを外しました。王子にふわりと着せかけます。王子はあわてました。それは王だけが着るマントで、他の誰も身につけてはならないものだったのです。

 けれども、王は言いました。

「い、いいから着ていなさい――か、風邪をひいては大変だ」

 トーマ王子はもう少しで泣き出しそうになりました。たった今まで王がはおっていたマントからは、父のぬくもりと匂いが伝わってきます……。

 すると、メノア王妃が泣き笑いの顔でトーマ王子に言いました。

「メーレーンを助けてくださって本当にありがとう、王子。穴の中でメーレーンを守ってくださっている姿は、なんだか、昔の兄上と私を見ているみたいでしたよ。本当に王子は兄上にそっくりですわ」

 最後のことばは、王子だけなく、兄のアイル王にも言ったものでした。妹にほほえまれて、王はちょっと笑い返しました。

「そ、そうだな……私もそう思ったぞ。さ、さすがは――私の息子だ」

 そう言って、照れくささと誇らしさが入り混じった顔をするアイル王に、トウガリが言いました。

「王子は陛下によく似てらっしゃいますよ。賢くて頭の切れるところなどは、本当にそっくりであられる」

 これには父と息子が揃って照れたような顔をしました。

 そして、アイル王は息子を抱き寄せて言いました。

「さ、さあ、城に戻ろう。み、皆に叱られては大変だから、ひ、秘密の通路から、こっそりとな――」

 意味がわからなくてきょとんとする子どもたちの前で、三人の大人たちは声を上げて笑い出しました。

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