ザカラス城のバルコニーで、メノア王妃は兄のアイル王と共に外を見ていました。どちらの顔も不安と心配で青ざめています。メーレーン王女はどこにも見つからないのです。兵士たちまで動員して探しているのに、城の中にも外にも、どこにも見つかりません。水に落ちた可能性を考えて、城の周囲の水路の水が抜かれていきます。とどろく水音が、見守るものたちの不安を否応なしにかきたてます。
トウガリが王妃の元へ戻ってきました。派手で楽しげな化粧をした道化の顔ですが、その下で厳しい真剣な表情をしているのがわかります。メノア王妃はそれに飛びつくようにして尋ねました。
「トウガリ! メーレーンはまだ見つからないのですか!?」
トウガリはただ首を振りました。何か言って主人を安心させなくては、と思うのですが、トウガリ自身がどうしようもなくあせって、ことばが出てきません。王女は本当にどこにもいないのです。まるで魔法で姿を消されてしまったようでした。
すると、そこへザカラス城の家臣が駆けつけてきました。王妃ではなく、アイル王の方へ報告します。
「陛下、先ほどからトーマ王子のお姿が見当たりません。お探ししているのですが、どこにもいらっしゃらないのです」
「お、王子も?」
とアイル王は驚きました。大勢が探し回っている城の前庭へまた目を向けます。
「ひょ、ひょっとして、お、王子がメーレーン王女を連れ出しているのか?」
トウガリはまた首を振りました。
「それは違うと存じます。トーマ殿下は先ほどご自分の部屋にいらっしゃいました。おそらく殿下も王女を捜しに行かれたのでしょう」
とはいえ、とトウガリは考え込みました。王女のみならず、王子までが探しても見つからないというのは妙なことでした。これだけの人間が城内を動き回っているのです。どこにいたとしても、王子を見かけた者がありそうなものです。
すると、バルコニーに面した窓の端に、ちらりと人影が映りました。すぐにまた見えなくなります。トウガリはそれに気がつくと、ちょっと失礼いたします、と主人たちに断って、人影が見えた方へ急ぎました。
物陰の人目につかない場所で、ザカラスの間者のルマニが待っていました。トウガリが近づくと、低い声で言います。
「メイの下男が捕まったぞ。やはり刺客だったようだ」
「メーレーン様は!?」
とトウガリは思わず声を上げました。ルマニは苦い顔をしています。
「わからん。問い詰めようとしたら、隠し持っていた毒で自害されてしまった……。王女はまだ死んでいないが、おまえらには永久に見つけられん、というのが、最後のことばだ」
トウガリは唇を震わせました。しばらく立ちつくして考え込むと、きびすを返して、またメノア王妃とアイル王のいるバルコニーへ戻り、王に一礼してから言いました。
「この城の中には、誰にも知られていないような場所はございましょうか? 入り込んだら出られなくなってしまうような……」
我ながら馬鹿なことを聞いている、とトウガリは苦々しく考えました。誰も知らない場所を王が知っているはずはないのです。王と王妃がとまどったように顔を見合わせます。
ところが、やがて、二人はそれぞれに表情を変えました。アイル王が何かに思い当たった顔になり、メノア王妃も目を見張って頬に両手を当てます。そして、二人はうなずき合いました。
「お、おまえも思い出したのか、メノア」
「ええ、兄上……あそこかもしれませんわ」
トウガリは驚きました。それはどこです!? と思わず尋ねてしまいます。
「わ、我々以外には、ぜ、絶対に見つけられない場所だ。つ、ついてきなさい」
アイル王はそう言うと、王のマントをひるがえし、先に立って歩き出しました。
「こ、この城には、大昔から、ひ、秘密の通路がいたるところに作られてきた」
とアイル王が話していました。歩いているのは、本当に、そういう秘密の通路のひとつです。王の部屋の暖炉の陰に入り口が隠されていて、長い階段と通路で城内のいろいろな場所とつながっています。
その後についていくのは、メノア王妃とトウガリでした。王妃もザカラスの王族です。秘密の通路のことはよく知っていたし、実際に通ったこともありました。落ち着いた足取りで兄の後を歩いていきます。
「つ、通路は、お、王族以外の者は知らない場所だが、は、入って出られなくなるということはない。か、必ず出口につながっている。だ、だが、城の奥の庭には、い、今はもう使われていない、古い秘密の通路が残されているのだ。お、王家の血を引く者でなければ、見つけることも入ることもできない場所だ――」
「私は子どもの頃、そこに入り込んで出られなくなってしまったことがあるのですわ」
とメノア王妃が兄の話を引き継ぎました。
「初夏の季節でした。古い寺院の壁に蔓バラが這っていて、それは綺麗に咲いていました。私はそれを眺めていて、壁に古い扉があることに気づいたのです。好奇心で触れてみたら、扉はすぐに開きました。中には荒れ果てた通路が広がっていました。なんだか秘密の場所に入り込んでしまった気がして、どきどきしながら進んでいたら――私は本当に小さかったのですわ。たしか、六つか七つの歳だったと思います。足下で床が崩れて、下に落ちてしまったのですわ。呼んでも叫んでも、誰も助けに来てくれませんでした。本当に、誰も知らない場所だったのです。もうこのままここで死んでしまうのではないかと、それは不安になって泣いていました――」
「そ、その通路は、あまりに古くて、ち、父上でさえご存じなかったのだ」
とアイル王がまた続けました。
「し、城の中で知っていたのは、た、たった一人。我々の祖父の代から仕えていた、い、引退した門番だけだった。もう半分ぼけていて、お、おとぎ話のように、ひとりごとで言い続けていたのだ。し、城の奥の庭の寺院跡には、ひ、秘密の入り口がある、とな。わ、私はちょうど、今のトーマくらいの歳だった。ち、父上から城の秘密の通路のことを教えられたばかりで、き、きっと、それも秘密の通路だろうと考えて、こっそり探しに行って場所を確かめていたのだ。つ、蔓バラや植物に隠されていて、たとえ王族であっても、通りかかってもまず気がつかないような入り口だった」
「だから、私がその場所に入り込んで出られなくなっていても、誰も私の居場所はわからずにいたのです。兄上が助けてくださらなかったら、永遠にあそこから出られませんでしたわ。あのままあそこで死んでしまっていたことでしょう」
「ま、魔法の通路だったからな……。ま、魔法使いにも占い師にも見つけられない術がかけられていて、そ、それがまだ生きていたのだ。本当に、だ、誰にも見つけられない場所だったのだ」
「でも、兄上は来てくださった」
メノア王妃はそう言って、にっこりと兄に笑いかけました。
「とても頼もしゅうございましたわ。穴の中の私をのぞき込んでくださった兄上の顔が、まるで天のお使いのように見えました。それに、兄上は、私が父上たちから叱られないように、こっそり助け出して城に連れ戻してくださいました。この秘密の通路を通って――。それも本当に嬉しゅうございましたわ」
代わるがわる思い出話をする兄妹を、トウガリは半ば驚き、感心しながら眺めていました。なるほど、きょうだいというのはこういうものか、とも考えます。いつもは本当に頼りなく見えるアイル王なのに、ランプに照らされたその顔は、不思議なくらい兄らしく、頼もしく見えていたのです。
そのアイル王が笑いました。
「わ、私自身が、メノアを探しに出たなどと言ったら、ち、父上から叱られるところだったからな。て、哲学の講義をすっぽかしていたのだ。ち、父上にはとうとう、最後までお教えしなかった――」
兄と妹は顔を見合わせ、くすくすと笑い合いました。親に共通の秘密を持った子ども同士の笑いです。おやおや、とトウガリはまた思いました。なんだか本当に幼いきょうだいを目の前にしているような気がしてきます。
けれども、アイル王はまたすぐに真剣な表情に戻りました。行く手に目を向け直して言います。
「あ、あの通路は本当に古びている。す、すぐに床が崩れて危険なのだ。メ、メーレーン姫が怪我などしていなければよいのだが……」
「トーマ王子もそこにいらっしゃるのでしょうか?」
とトウガリは尋ねました。
「そ、そうかもしれん……。わ、私はあの場所を教えたことがあるのだ。ず、ずいぶん前のことだが、そ、それを覚えていたのかもしれない」
考え込みながらアイル王が言い、一同はそれ以上は無駄話をせずに、隠し通路を先へと急ぎました。