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外伝9「薔薇の使節団」

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9.式典

 翌日、アイル王の戴冠式が城の大広間で執り行われました。前日のメーレーン王女の失踪騒ぎで段取りが大幅に狂ったのですが、家臣たちが徹夜で準備をして、どうにか式典に間に合わせることができたのです。

 大勢の貴族や家臣、外国からの賓客の見守る中、司祭長がアイル王に王冠をかぶせ、権威のしるしである錫(しゃく)を渡します。

 王冠は、これまでの冠がザカラス城崩落の際に失われたので、新たにアイル王に合わせて作られたものでした。金に輝く見事な冠ですが、なにぶん時間がなかったために、先の宝冠より小さくて見劣りがするのはどうしようもないところでした。王の服を着て王のマントをはおったアイル王自身もそうでした。痩せて神経質そうな新王は、冷ややかな威圧感でザカラスに君臨していた先王とは比べものになりません。

 人々は新王の誕生を拍手で祝いましたが、心の内では誰もが先のザカラス王を思い出し、新しいザカラス王の隣に並べて、ひそかに頭を振っていたのです。これでザカラスの栄華も終わった、これからは混乱と混沌の時代がやってくるのに違いない、と。見るからに頼りなさそうな新王に、広大なザカラスを統治できるだけの力があるとは、誰にも想像できなかったのでした。

 

 うわべだけはめでたく式典は進行し、祝いの角笛が高らかに鳴らされる中、新王は一段高い場所にある玉座へと上りました。

 実際には、アイル王はもうザカラス王としての政務に就いています。この戴冠式は王に王位を与えるためのものではなく、国の内外に正式に新王の誕生を知らせるためのものだったのです。玉座の前に立って王が言うことばが、ザカラス王としての初めての公式の発言でした。

 角笛の響きがやむと、新しいザカラス王は口を開きました。甲高い響きの声で話し始めます。

「わ、私は今日から、せ、正式なザ、ザ、ザカラスの王として、こ、この玉座に座る――」

 やっぱりそのことばは何度もつまずきます。これ以上ないと言うほど王が緊張しているのが、表情からはっきり伝わってきます。参列した人々から苦笑がもれました。明らかに失望した顔で頭を振る者さえ出てきます。王は必死で話しています。その真剣ぶりが、逆に聞く者たちを落ち着かない気持ちにするのです。

 王は錫を手の中で何度も握ったり離したりしていました。いかにも落ちつきなく見えるのですが、公式の場でそれを注意するわけにもいかなくて、大臣たちがひそかにやきもきとしていました。

 王は話し続けました。

「わ、わたしには、ち、父ギゾン王のような、きょ、強大な指導力はない。そ、それは自分でも承知している――」

 あまりに素直な王のことばが、また参列者の苦笑いを招きます。亡くなったギゾン王であれば、そのような無礼者には即座に処刑を命じたところですが、この新王はそんなことはしません。笑われても、馬鹿にする目で見られても、ただ必死で話し続けます。

「こ、この国を、わ、私一人で治めていくことは不可能だ。だ、だから、皆の力を借りたいと思っている。か、家臣や国民のザカラスへの愛国心、こ、この国を隣人と思ってくれる諸外国の友情、そ、それらを信じて、これからもこの国を守り、は、繁栄に導いていきたいと思っている――」

 まあ、言っていることはそこそこまともだな、と参列者たちは考えました。自分では何もできないことが明らかな王です。人の助けを借りなくてはならないことを、聞こえのいいことばでまとめたのです。

 控える大臣たちも、ほっとした顔をしていました。王は予定通りの発言をすることができました。大きな失態をさらすこともなく、式典をなんとか無事に終えることができたのです――。

 

 再び角笛が鳴らされました。王が広間を退出するのです。これで本当に戴冠式は終了でした。人々が拍手で王を見送ろうとします。

 ところが、王は動きませんでした。玉座の前に立ったまま、錫を神経質にもてあそび続けています。人々はけげんな顔をしました。重臣たちが、あせって王を促します。陛下、ご退出を……。

 すると、アイル王がぴたりと手を止めました。錫を握り直し、顔を上げて目の前の人々を見渡します。

「わ、私はもう一つ、皆に告げたいことがある――」

 家臣たちは仰天しました。予定にはなかった王の発言です。いった何を言い出すのだ、と考え、あわてて王を止めようとしました。絶対に何かまずいことが起きると思ったのです。

 ところが、王は家臣たちを無視して話し続けました。

「きょ、今日この席では、わ、我が国と親愛なる隣国ロムドが、わ、和平を取り結ぶことにもなっていた。ロ、ロムドの皇太子に急な公務が入ってしまったために、延期と言うことになっていたが、そ、それを予定通り行おうと思う」

 家臣たちは本当にびっくり仰天しました。聞いていません。この戴冠式でロムドとの和平条約の調印式を行うとは、彼らは王からまったく聞かされていなかったのです。準備など、何一つしていませんでした。

 陛下、急にそのようなことを言われても――と悲鳴を上げた宰相に、アイル王は顔を向けました。驚いたことに、王は笑っていました。痩せた顔、神経質そうな顔つき、それは相変わらずなのに、なぜだか余裕のある表情で言います。

「ちょ、調印のための書状はすでに準備してある。わ、私の執務室の机の上だ。そ、それを持ってまいれ」

「ですが、陛下! 和平団がいらっしゃらなければ、条約を結ぶことは――!」

 と宰相は言い続けました。ロムドの和平団の代表であるオリバンは、自国にいて、この戴冠式には出席していないのです。すると、アイル王はまた笑いました。目を細めながら、参列者の最前列に座る者たちを眺めます。

「わ、和平団ならそこにいるではないか。ロ、ロムドの王妃と王女だ。これほど麗しく優しい和平団は、例を見ないぞ」

 まあ、とメノア王妃が驚きました。メーレーン王女も目を丸くします。二人も、アイル王からこんな話はまったく聞かされていなかったのです。

「メ、メノア王妃は我が国の王女であった。ロ、ロムドとザカラスの平和を誓ってサインをする役目は、ロムドの王女に頼みたいと思うのだが――引き受けていただけるかな、メーレーン姫?」

 まあ、とメーレーン王女も母そっくりに言いました。両手を頬に押し当てて、とまどったように母や、その後ろに控えるトウガリを振り向きました。

「どういたしましょう、母上、トウガリ? メーレーンなどが、そんな大役をお引き受けしてよろしいのでしょうか?」

 

 トウガリも王のこの突然の申し出には驚いていましたが、ここにきて、なぁるほど、と心でうなずいていました。王はまるで思いつきで言っているように見えますが、実際には非常にうまい運びだったのです。

 メイをはじめとする国々は、ロムドとザカラスが和平を結ぶのを警戒し続けています。メーレーン王女たちが狙われることはもうないかもしれませんが、和平条約の時までに、また何らかの妨害を起こすことは充分に考えられました。ただ、それもこの戴冠式が終わってからのことです。その油断の隙を突いて、アイル王は今この場で和平条約を取り結ぼうとしているのでした。

 とまどい続けるメーレーン王女に、トウガリは穏やかに言いました。

「お引き受けください、姫様。姫様は本当にこの国へ平和と和解をもたらされたのです。和平条約の調印をするには、一番ふさわしいと存じますよ」

 メーレーン王女は曖昧に首をかしげました。自分がザカラスに平和と和解をもたらした、と言われても、いつどうやってそんなことをしたのか、さっぱり思い当たらなかったのです。

 すると、メノア王妃がにっこりほほえみました。優しく娘に話しかけます。

「兄上のおっしゃる通りになさい、メーレーン。兄上があなたを適任だとおっしゃっているのですから、間違いはないのでしょう。兄上のお考えは、いつだって深淵で正しいのですからね」

 母からもそう言われて、メーレーン王女はうなずきました。席から立ち上がり、玉座のアイル王に向かって優雅にお辞儀をして見せます。

「承知いたしました、陛下。メーレーンは、喜んでお引き受けさせていただきますわ」

 

 アイル王は笑顔でうなずきました。今度は自分のすぐ下の席に座っている息子へ声をかけます。

「わ、我が国の代表は、そ、そなただ、トーマ王子。両国の平和と協力は、これから末永く続かなくてはならない。み、未来へ続く架け橋に、そなたとメーレーン姫とが調印をするのだ」

 トーマ王子はびっくりしました。父王を見上げたまま、声を出すことができません。そんな重大な役目を父から任されるとは想像してもいなかったのです。

 けれども、式典に参列していた人々は大いに納得していました。突然の和平調印式には驚きましたが、それがかわいらしい王子と王女によって取り結ばれるというのは、いかにもめでたい席にふさわしいことに思えたのです。未来を担っていくのは少年少女たちです。両国の未来の平和を約束するには本当に適任と言えました。

 まだ驚いて立ちすくんでいるトーマ王子に、メーレーン王女がほほえみました。バラ色の手袋をはめた手を差し伸べて呼びかけます。

「まいりましょう、トーマ王子」

 王子は真っ赤になりました。緊張しながら、ぎくしゃくと進み出てきて、王女の手を取ります。そんな王子の様子が参列者の笑顔を誘いました。なんだ、冷酷で意地悪な王子だというもっぱらの噂だったけれど、本当は子どもらしい、かわいい王子じゃないか――。そんな好意的なほほえみです。

 少年と少女は、家臣たちが大あわてで準備したテーブルへと進み出ていきました。そこにはザカラスとロムドの末長い和平を約束する、アイル王直筆の証書が載っていました。二人の前にアイル王が下りてきて、二人がサインをする場所を自ら教え、二人がペンを動かしていく様子を見守ります。

 ほほえましいその光景に、参列客はいっそう笑顔になりました。中には、その場面を苦々しく見ていた国の代表もあったのかもしれません。けれども、それは大きな笑顔の波の中に呑み込まれてしまっていました。

 

 メノア王妃は客席の最前列で子どもたちを見守っていました。輝くほほえみは天使の笑顔です。自分の後ろに控えている道化へ話しかけます。

「ザカラスとロムドは、これからもずっと良い隣人でいることができますね。両国に危険が迫ったときにも、きっと協力し合うことができますわ。……それもこれも、あなたの働きのおかげです、トウガリ」

 トウガリはびっくりしました。あわててこう答えます。

「メ、メノア様、トウガリめは何もしてはおりません。和平をお決めになったのはアイル陛下とロムド国王陛下ですし、調印しているのはメーレーン様とトーマ殿下です。トウガリはただの道化。ちょろちょろとメノア様方のお目の端を横切っているだけの存在で――」

「トウガリはいつも、私やメーレーンを守って助けてくれます。今回もそうでした。トウガリがいなければ、メーレーンもトーマ王子も助かりませんでした。この和平も結ばれなかったことでしょう。感謝していますわ、トウガリ――ありがとう」

 メノア王妃は振り向いてトウガリを見つめました。輝くほほえみをトウガリに向けます。

 トウガリは思わず真っ赤になりました。厚化粧が顔色や表情を隠してくれるのが幸いでした。深々と王妃に頭を下げ、片手を胸に当てて答えます。

「これはこれは……まことに身に余るおことばでございます。トウガリめはもう、メノア様からごほうびをいただいておりましたのに。メノア様は、あの通路の入り口をくぐれなかったこのトウガリめに、御手を差し出して、このトウガリの手を取って通路に導いてくださいました。あれほどの幸せは、トウガリの人生にはございません。その上、直々に感謝のことばまでいただけるとは、感激至極でトウガリはもう――」

 これ以上何も言えません、と言うように、トウガリはことばを切りました。もしかしたらトウガリは本当に、感激のあまり声が出なくなってしまったのかもしれません。

 メノア王妃のかたわらで、片膝をつき、胸に手を当てて頭を下げる道化の姿は、なぜだか高貴な騎士のようにも見えました。メノア王妃が美しく優しい笑顔でそれを見つめ続けています――。

 

 和平条約の書状にサインを終えて、メーレーン王女とトーマ王子が顔を見合わせました。誇らしさで頬を染めながら、うふふっと笑い合います。

 王女が王子に話しかけました。

「今度はトーマ王子がロムドにおいでくださいませね。お城をご案内しますわ。オリバンお兄様にもお引き合わせします。ぜひ来てくださいね」

「うん、きっと……。その時にはルーピーも一緒に連れていくからね」

 とトーマ王子は答えて、いっそう顔を赤くしました。嬉しそうに笑うメーレーン王女を見て、つられてまた一緒に笑い出します。

 そんな子どもたちから目を上げて、アイル王は参列する人々に言いました。

「ザ、ザカラスとロムドの両国は、穏やかなるときも困難に襲われたときにも、永久に助け合える友人となることを誓う。そ、そして我らは世界の平和と秩序を守っていこう……。こ、この場に居合わせる方々が、その証人だ。あ、新しいザカラスとロムドの友情を、末長く見守ってくださるように」

 相変わらず、つまずきながらの王のことばです。先王のような威厳も、相手を従わせるような迫力もありません。けれども、アイル王のことばは、聞く人々の胸に染み入りました。自然に拍手がわき起こります。

 次第に大きくなっていく拍手を聞きながら、トーマ王子は目を輝かせて父王を見上げました。メーレーン王女もまた笑顔になります。アイル王はうなずくと、黙って子どもたちを引き寄せました。三人で人々の拍手の中に立ちます。

 拍手はますます高まり、やがて、割れんばかりの大拍手になりました。歓声が広間を揺るがします。ザカラス万歳! ロムド万歳! ザカラス新王万歳! とその歓声は言っていました――。

The End

(2008年4月19日初稿/2020年3月22日最終修正)

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