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外伝9「薔薇の使節団」

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2.アイル王

 メノア王妃とメーレーン王女の一行がザカラスの首都ザカリアに到着したのは、一月も末のことでした。

 半月近くも馬車に揺られる長旅でしたが、メノア王妃は疲れも見せずにアイル王の元へ行くと、にこやかにほほえみかけました。

「ご即位、おめでとうございます、兄上。新しいザカラスの幕開けを心よりお祝い申し上げる、と陛下もおっしゃっておいででした」

 とロムド王からの伝言を伝えます。

 

 そこはザカラス城の謁見の間でした。首都ザカリアの北の、切り立った山の中腹に建っている城で、赤い石で造られているために暁城(あかつきじょう)とも呼ばれます。先の薔薇色の姫君の戦いでは闇と光の戦いの場となり、魔法の力で崩壊寸前の状態になった城でした。

 その場面を見ていた道化のトウガリが、アイル王の前で大げさにお辞儀をしてから、口上を始めました。

「これはこれは賢くもお優しいアイル王、ザカラスの新王誕生を不承このトウガリめも心よりお祝い申し上げさせていただきます。先のザカラス王であるギゾン王も名君ではあられましたが、アイル王の治世にあられては、ますます国は栄え平和な時代が訪れるものと確信してございます。そして――トウガリめは正直驚いております。先だって私めがここを離れた際には、ザカラス城は天井や壁が崩れ、美しい彫刻や柱は倒れ、見るも無惨な姿を不思議な植物の蔓(つる)に支えられて、かろうじて完全崩落をまぬがれておりました。あれからたかだか一ヶ月あまりでございます。城を直すにしてもあまりにも時間は少ないことと思われるのですが、こうして来てみれば、ザカラス城は元の通り、麗しの暁城として堂々とそびえております。どのようにして王はこれほど短期間に、完璧に城を元通りにされたのでしょうか?」

 道化は驚くほどたくさんのことを、一気に話し続けていました。非常な早口なのですが、流れるような話し方で、不思議なくらいはっきりと言っていることを聞き取ることができます。

 ザカラスの新王のアイルは、青年と呼ぶには少しとうが立った人物で、痩せた体に立派な王の服を着込んで、緊張した面持ちをしていました。トウガリの質問に、にこりともせずに答えます。

「ま、魔法使いの仕事だ……。わ、我がザカラスは多くの魔法使いや、ま、魔法の民を抱えているからな。直接雇っていなくても、王室に恩恵を持つものも、お、大勢いる。そ、その者たちを総動員して、城を復旧したのだ」

 

 なぁるほど、とトウガリは心の中でうなずきました。アイル王は、王の最初の仕事として、まずザカラス城再建に取りかかったのです。

 ザカラス城は中央大陸でも三本の指に入る大きな城で、それを修復するのは、いくら魔法を使っても、決して簡単なことではありません。

 けれども、城は国のシンボルとして国の内外に示されるもので、国民にとっては心の拠り所になる大切な存在です。それが今にも崩れそうな無惨な姿でいては、ザカラス国の脆弱を外国に示すことになるし、国民にも非常に大きな衝撃と不安を与えてしまいます。ザカラス城を一刻も早く再建することは大切なことでした。

 一方、歴代のザカラス王は、代々魔法の民とつながりを持っていて、もっぱら自分や国に敵対する邪魔者を消すために、ひそかに利用してきました。言ってみれば、王室のとっておきの「切り札」です。アイル王は、この切り札を惜しげもなく使って、驚くほど短期間に城を復元したのでした。

 アイル王は、決して無能ではありません。むしろ逆で、実際には非常に頭の良い、思慮深い人物です。ただ、幼い頃から父である先のザカラス王にずっと抑圧されてきたために、すっかり自信を失って、力を発揮できずにいたのです。周囲の者たちも、彼のそんな優れた部分には少しも気づいていません。それほどに、先のザカラス王は圧倒的な威光を周囲に放っていたのです。

 

 さてさて、この新しい王は今度こそ自分らしい生き方ができるようになるんだろうか、とトウガリは考えました。お辞儀をした姿勢から見上げるアイル王は、相変わらずとても神経質そうで、おどおどした様子をしています。もとから話すことはあまり得意ではないのですが、緊張するとことばにつまずいてしまって、それが相手にいっそう頼りない印象を与えてしまいます。そして、何より、ひどく暗い目をしていました。トウガリがザカラスを離れたときよりも、ずっと沈んだ顔つきです。何かを思い悩んでいるような、深い何かをじっとのぞき込んでいるような、そんな印象を受けます。

 ザカラスに誕生した新しい王がこの様子では、家臣たちの気持ちも盛り上がるはずがありませんでした。城は完璧に再建され、戴冠式も明後日に迫っているというのに、ザカラス城にはまるで葬式でも執り行われるような沈んだ雰囲気が漂っていました。城全体が、死んだ先のザカラス王の喪に服しているようです。

 

 けれども、そんな暗い雰囲気の中で、メノア王妃だけは輝くような笑顔で兄のアイル王にほほえみかけていました。見るものに、不安や心配事を思わず忘れさせてしまうような、優しく美しい笑顔です。

「ザカラス城が闇に心奪われた魔道師によって壊されてしまったと聞いて、私はそれは心痛めておりました。私が生まれ育った懐かしいお城です。それがどんなふうになってしまったのだろうと、道中ずっと心配でいたのに、ザカリアに到着してみれば、城はこうして元通り、輝く姿でそびえていました。それがどれほど嬉しいことだったか、ご想像になれますか、兄上? 私は本当に、もう少しで嬉し泣きするところでしたわ。もちろん、父上が突然亡くなられてしまったことは、とても悲しゅうございます。でも、ザカラスが変わらずこうして美しく立派な様子でいるのを見られて、私は本当に幸せに思っております。これはすべて兄上のお力ですわ。兄上は昔から、本当に賢くて立派なお方でしたもの。きっと、父上の後を継いで、これからもザカラスを守り続けてくださいますわね」

 

 おや――とトウガリは思わず自分の主人を盗み見ました。

 ザカラスにいた時代には、天使の笑顔の姫と呼ばれ、国民から愛されてきた王妃です。決して人を悪く言わない、心優しい人物ですが、意外なほど的確に自分の兄の長所を見抜いていたのです。おそらく意図的にしていることではないのでしょう。メノア王妃は相手の良いところを本能的に見抜いて、それに向かってほほえむことができる女性なのです。

 そう、トウガリに対してもそうでした。奇抜な服装と化粧をして、軽薄にも聞こえる口上をまくし立てる道化だったのに、まだ王女だったメノアはトウガリの忠誠を即座に見抜いて受け入れてくれました。そして、言ったのです。

「トウガリ。トウガリは私と一緒にロムドへ行ってくれますよね? ずっと、私と一緒にいてくれますね?」

 その時、メノアが見せてくれたほほえみは、今も大切にトウガリの胸にしまってあります。死ぬまで誰にも渡さず、死んでからも手放さず、あの世まで持っていくための宝物です……。

 

 けれども、アイル王は、妹の素直な賞賛にもあいまいな笑顔を返しただけでした。いかにも自信のなさそうな表情が浮かんでいます。妹がお世辞など言っていないことはわかっているのですが、どうしても自分をそんな優れたものとは思えないのです。あわてたように、話題を変えます。

「お、おまえの育った城だ、メノア。た、戴冠式が終わった後まで、ゆ、ゆっくりしていくといい……。そ、そ、そう言えば、メ、メーレーン王女も一緒に来るという話ではなかったか? お、王女はどうされたのだ?」

 謁見の間に来ているのはメノアと道化のトウガリ、そしてロムド城からついてきた数名の家臣だけで、メーレーン王女の小柄な姿はどこにもなかったのです。

 とたんに、メノア王妃は困り顔になりました。

「お城までは来ておりますの。でも、馬車から降りたとたん、ザカラス城で仲よくしていた犬が駆け寄ってきたのに喜んで、そのまま中庭に散歩に行ってしまったのですわ。ずっとそこで遊んできたから、勝手はよくわかっている、と言って……。なんと言ったらよろしいんでしょう。最近のあの子はますます……その……活発になってしまったというか、母の言うことをますます聞かなくなってしまって……」

 手袋をはめた手を頬に当てて思い悩むメノア王妃は、天使から母親の表情に変わっています。そんな主人に、トウガリは優しく話しかけました。

「ご心配めされますな、メノア様。子どもというのはいつの時代にもそのようなものでございます。小さい頃こそ親の言いつけに素直でいても、次第次第に自分のやりたいことが出てきて、親の言うことに逆らって、自分の意志を貫こうとし始めるものです。それは決して反抗ではなく、大人になってきたという証拠、親から独り立ちしていくめでたいしるしでございます。親から独立してこそ一人前です。メーレーン様は立派な大人になりつつございますよ」

 そう言われても王妃は心配顔のままでしたが、アイル王が意外なほど真面目な顔で答えました。

「そ、その通りだ。だが、わ、私にはその経験がないのだ……。わ、私は今でも、ち、父上から独立できずにいるのだろう……」

 トウガリは思わずアイル王を見ました。王は相変わらず深く思い悩む顔をしていて、控える家臣たちが困ったような表情をしていることにも、まったく気づかずにいます。家臣たちは、本当に頼りない王だ、これでザカラスは大丈夫なのだろうか、と考えているのです。

 さてさて、とトウガリはまた心でつぶやきました。

 アイル王が死んだ先王にまったく逆らったことがないかと言えば、決してそうではないはずなのですが、王はその事実を思い出せずにいるようでした――。

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