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外伝6「銀の占い師」

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3.春

 ロムドに春が訪れました。

 中庭に積もった雪も溶け、地面がうっすらと緑におおわれていきます。木々が薄緑の芽を吹き出し、早咲きの花が揺れ始めます。池のほとりでは水仙が群れ咲き、水面に映った自分の姿をのぞき込んでいます。

 今日もまたユギルは礼儀作法の稽古から逃げ出していました。いつものように中庭に来ると、一本の木の下に立ち止まります。その木は中庭の手前の方に生えていて、城の回廊からよく見える場所にあるのですが、いつもなら奥庭に行くユギルが、この時だけは人目も避けずに木の下にたたずんでいました。見上げる枝では、白い炎のような形の花が満開になっています。マグノリアの花でした。

 そこへゴーラントスが通りかかりました。なんとなく、ぽつんと淋しげに見える少年の姿をしばらく眺めていましたが、おもむろに中庭へ降りていくと、少年に声をかけました。

「どうした。また部屋を逃げ出しているのか?」

 ユギルは振り返りました。青と金の色違いの瞳が、黒い剣士の姿を見て、皮肉っぽく笑います。

「しつこくてさ、あの婆さん。まだ俺を仕込めると思ってるんだぜ。いいかげん、あきらめろってんだよな」

 その口調も生意気そうな態度も、半年前に出会ったときとほとんど変わっていません。ゴーラントスは思わず笑ってしまいました。

「そういうおまえも相当しぶといと思うがな。ラヴィア夫人相手に、そこまで頑固に抵抗してるのはおまえぐらいなものだろう。なにしろ、あのリーンズ宰相や国王陛下の作法の先生だった方だ。ああ見えてプロ中のプロなんだぞ」

「陛下にも?」

 とユギルは思わず聞き返しました。リーンズ宰相の先生だった話は、以前、何かの際に聞いたことがあったのですが、国王にまで教えていたというのは初耳でした。

「陛下は十二歳で即位するまで、王族として周囲からまるで顧みられなかった方だ。王としてのありかたを、即位してから学ばれたと聞いている。さまざまな先生についたようだが、礼儀作法を教えたのが、あのラヴィア夫人だ。もうとっくに引退の年なのだが、こんなふうに必要に迫られて、ちょくちょくまた王宮に呼び出されているんだな」

 ゴーラントスは大貴族ですが、態度も口調も庶民的で、偉ぶったところが少しもありません。貴族が苦手なユギルも、この黒衣の剣士とだけは苦もなく話すことができました。

「ちぇ、余計なお世話なんだよなぁ」

 とユギルは口をとがらせました。ゴーラントスがまた声を上げて笑います。いつもは無愛想な剣士が今日はいやに上機嫌です。ユギルは思わずその顔を見ました。

「ゴーラントス卿、なんかいいことあったのかい? 嬉しそうだよ」

 とたんに剣士は笑いを引っ込めました。苦虫をかみつぶしたような、何とも言えない表情に変わります。

「そんなはずはない。俺はいつもと変わらんぞ」

 と言いますが、その口調がまた、何かを隠そうとしているように聞こえます。ユギルはゴーラントスの顔をじっと見つめました。その向こう側に象徴を読み出そうとします。

 とたんに、剣士は不機嫌になりました。

「勝手に占うな。俺はおまえの客じゃない」

 そのまま背を向けて城へと戻っていってしまいます。

 ユギルは首をかしげました。ゴーラントスを怒らせたことは別に何とも感じません。ただ、いつもの彼らしくない態度が不思議でした――。

 頭上の枝では白いマグノリアの花が風に揺れていました。

 

 それから間もなく、ユギルは国王に呼ばれました。新しい王妃を迎えてから、公だけでなく私生活でもなにかと忙しくなってしまった王です。ユギルが王とまともに話をするのは久しぶりのことでした。

 王の部屋に行くと、若い王妃がそばにいました。メノア王妃は今年二十二歳、王とは三十以上も年が離れています。一緒にいても、夫婦ではなく父娘のように見えてしまいます。

 それでも若い王妃はまるで屈託なく、王のかたわらのクッションに座って、王の椅子にもたれかかっていました。ユギルが入っていくと、目を輝かせて起き上がり、手をたたいて喜びます。

「まあ、おまえがユギルね! 噂通り、本当に綺麗だこと! これで占いまで一流だなんて、天の神様はずいぶん贅沢な贈り物をなさるのねぇ!」

 あまりに無邪気なその口ぶりに、なんだこの女は、とユギルは思いました。見た目の美しさなど、いつも鬱陶しいばかりで、嬉しいと思ったことなど一度もありません。占いの力を認められるのは不愉快ではありませんが、贅沢な贈り物とうらやましがられるほど、気楽で幸せな能力でもないのです。大きすぎる能力は、常に計り知れない危険と隣り合わせです。占う結果が重大であればあるほど、その正確さや確実さを、細心の注意で占わなければならないのです。

 すると、王が王妃に言いました。

「わしは彼と少し話すことがある。そなたは自分の部屋に戻っていなさい」

「はい、陛下」

 王妃は素直に立ち上がりました。同じ部屋の中にいた侍女たちを引きつれて王の前から退きます。

 その時、通りしなに侍女たちがこっそり意味ありげな視線をユギルに投げてきました。疑うような、うかがうような目つきです。王の部屋に呼ばれてきたのは、輝く銀の髪に浅黒い肌、色違いの瞳の、整った顔立ちの少年です。王に男色趣味がないことは承知でしたが、それでも思わず疑いたくなるほど少年は美しかったのです……。

 ただ、当の王妃だけが、少しも疑うことなく素直に部屋を出て行きました。人を疑うと言うことを知らない女性でした。

 

「ずいぶんおめでたい王妃様だね」

 王妃と侍女たちがいなくなると、ユギルは率直に言いました。王が穏やかに笑います。

「何も苦労することなく育った人だ。心の中にやましいことも醜いものも、何も持っていない。一緒にいて心休まるぞ」

 ふぅん? とユギルは国王を見ました。ロムド国王とは天と地ほどの身分の差があるというのに、ユギルはじろじろと王を眺め、遠慮もなく言います。

「ま、陛下がそれで幸せだって言うんならいいけどさ。――王妃様、妊娠してるぜ」

 王は目を丸くしました。誰も、当の王妃自身でさえも気がついていない事実でした。けれども、王は「本当か」とは聞き返さず、代わりにこう尋ねました。

「予定日は? 生まれてくるのは王子と王女のどちらだ?」

 王にはすでに六歳になる皇太子がいます。新しい王子の誕生は、王位継承権を巡る争いを引き起こす可能性があります。

 ユギルは肩をすくめました。

「王女だよ。女の子さ。生まれてくるのは十二月だね」

 このくらいのことなら、占盤がなくても簡単に占えるユギルでした。

 そうか、と王は安心したようにうなずくと、改めてユギルの顔を見上げました。城に来てから半年の間に、少年はまた背が伸びました。今では王と同じくらいの身長があります。間もなく王が追い越されるでしょう。ただ、その顔は相変わらず、生意気そうにふてくされた少年の表情のままでした。

 王は微笑しました。

「ラヴィア夫人を手こずらせているようだな。宰相が嘆いておったぞ」

 ユギルはまた肩をすくめました。

「お説教なら俺は帰るぜ」

「そうではない。おまえに会わせたい者がいるのだ。ついてまいれ」

「会わせたい人?」

 ユギルはけげんな顔をしました。王を見つめて、その向こう側に象徴を読み出そうとしましたが、あまりうまく行きません。どうやら、王が会わせようとしているのは、ユギルが初めて出会う人物のようです。会ったことのない人、見たことのないものについては、ユギルはあまり正確に象徴を読み解くことができないのです。

 ただ、危険がないことだけは、はっきり見えていました。しかたなく、ユギルは王の後についていきました――。

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