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外伝6「銀の占い師」

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2.ラヴィア夫人

 その女性が突然ユギルの部屋へやってきたのは二日後のことでした。

 黒っぽいドレスを着た痩せた老婆でした。つやのない白い髪を頭の上で小さくまとめ、しわだらけの顔に丸い眼鏡をかけています。とても年を取っていますが、背中も腰も曲がってはいません。杖は手にしていますが、足取りもしっかりしています。机の前に座って占盤に向かっていたユギルに向かって、つかつかと歩み寄ってくると、遠慮のない目で少年を眺めます。

「あんた、誰だよ?」

 占いを邪魔されてユギルが不機嫌になると、老婆が口を開きました。

「あんたじゃありません! 誰だ、でもありませんよ! あなたはどなたですか、です。言い直しなさい!」

 老いた姿からは想像もつかないほど、張りのある強い声です。ユギルは目を丸くしました。怒るより先に、呆気にとられてしまいます。

 すると、老婆の後を追いかけてくるように、部屋にリーンズ宰相も入ってきました。ユギルに向かって言います。

「こちらはラヴィア夫人。今日からユギル殿の礼儀作法の先生です」

 少年はさらに目を丸くしました。その顔が、みるみる怒りに紅く染まっていきます。

「――礼儀作法だぁ!? なんでそんなことしなくちゃいけないんだよ! 俺は貴族なんかじゃない! 占い師だぞ!」

 けれども、老婆は少しも動じませんでした。手に持っていた杖で、ぴしりとユギルの胸元を差して言います。

「そう。あなたは陛下のお抱え占い師です。陛下のおそばにいて恥ずかしくないだけの礼儀とことばづかいを身につけなくちゃなりません。まず、一人称は『俺』ではなくて『わたくし』です。言ってごらんなさい!」

 ユギルはますます憤りました。顔を真っ赤にして立ち上がり、突きつけられた杖を力任せに押し下げます。

「このババア、いい気になってんじゃねえぞ。痛い目に遭いたいのか」

 ユギルは一年足らず前まで貧民街で不良少年たちのリーダーをしてきました。こんなふうに凄むのはお手のものです。

 ところが、老婆は素早く杖をユギルの手の中から引き抜くと、それでぽかりと少年の頭をたたきました。輝くような美しい銀髪の頭です。

「あなたこそ痛い目に遭いたくなかったら、さっさとそのことばづかいを改めなさい。ババアではなく、あなたの先生です。私を呼ぶときは、先生かラヴィア夫人。よく覚えておきなさい」

 しわくちゃな老婆とは思えない強い口調で少年を叱りつけます。ユギルがすさまじい形相になって本当に拳を握りしめたので、宰相ははらはらしましたが、すぐに少年は音高く椅子を蹴倒すと、ものも言わずに部屋を出て行きました。

 

 宰相は思わず溜息をつきました。

「相当手強いですな……。生まれてからずっと最下層で暮らしてきた子どものようです。さすがのラヴィア夫人にも、今回はちょっと酷なお願いをしたでしょうか」

「まあ、最初はあんなものでしょうね」

 とラヴィア夫人は答えました。丸い眼鏡の奥から、少年が飛び出していった扉を眺めます。

「それに、あなたに礼儀作法を教えるのも、なかなか苦労しましたよ、リーンズ宰相。身に染みついた習慣を大人になってから改めさせるのは、それはそれは大変なのです」

 宰相は思わず首をすくめ、自分の昔の先生を眺めました。そう、この人物もまた、国王から力を認められて城の外から王宮に連れてこられた経歴の持ち主なのです。一応貴族の身分はありましたが、家は平民よりも貧しくて、王と出会ったときにはディーラの裏町で居酒屋の呼び込みをしていました。

「あの子どもはものになりますでしょうか?」

 と宰相は尋ねました。

「すでに宮廷ではあの子の噂で持ちきりです。あれほどの容姿です。よからぬ噂もずいぶん流れております。陛下のお話によれば、ザカラスの王宮で二度、こちらへ戻ってくる道中で三度、陛下を狙った襲撃を予知して、未然に防いだそうです。占い師としては本物の力を持っている子です。底意地の悪い者たちの慰みものにされたくはないのですが」

「それはあの子ども次第ですね」

 とラヴィア夫人は答えてから、自分の杖に目を向けてました。その顔に、ごくかすかに、ほほえむような表情が浮かびました。

「ですが、あの子は実際には私に手を出しませんでした。ちゃんと私が自分より弱いことを承知していたのです。根は優しい子なのでしょう」

 宰相と老婦人は開け放たれた扉をまた眺めました。どこまで逃げていってしまったのか、少年が戻ってくる気配はありませでした。

 

 その日から毎日、ラヴィア夫人は決まった時間にユギルの部屋を訪れ、宮廷の礼儀作法やことばづかいを教えようとしました。どんなにユギルがどなっても拒絶しても、老婦人は平気です。ユギルが部屋を逃げ出していっても、稽古の時間の間中ずっと部屋に居座っていて、終わりの時間になると出て行きます。その間、ユギルは自分の部屋に戻れなくて、城内をうろうろしていました。

 城内の貴族たちは暇をもてあましています。ユギルを見つけると、すぐに話しかけて正体を探り出そうとするので、ユギルの方でも人を見かけるとすぐに逃げるようになりました。部屋にラヴィア夫人がいる間、ユギルがもっぱら時間を過ごしたのは、城の中庭の、それもめったに人が来ない奥まった場所でした。そういう場所だからこそ、こっそりやってくる貴族や貴婦人たちもいましたが、そんな時には黙ってすぐに場所を変えました。

 とにかく、ユギルは自分の姿を人に見られるのが苦痛だったのです。目立つ銀髪と色違いの目を、灰色の衣のフードの陰にいつも隠しているようになりました。

 

 そうして、季節は移り変わりました。ユギルが城にやってきたのは秋でしたが、いつの間にか、降りしきる落ち葉が雪に変わります。

 年が明けた一月、ロムド王とザカラスのメノア王女の結婚式がロムド城で執り行われました。雪の降り積もる寒い日でしたが、国内だけでなく、国外からも重要な人物を迎えての盛大な式典になりました。

 その間、ユギルは連日占盤に向かっていました。客人の中には、ロムド王や他の要人の命を狙う危険分子が必ず混じります。ユギルはそれを見つけ出し、宰相を通じて知らせ、一人残らず逮捕していったのです。特に、まだ幼い皇太子の命を狙う動きは多く、とても守りきれないと占盤に出たので、皇太子は結婚式に参列させない方がよい、とユギルは進言しました。

 王はユギルの占いの結果には全面的な信頼を置いていて、どんな内容であれ、ユギルの言うとおりに実行させました。結婚式の後には、暗殺の危険を避けて、皇太子を辺境部隊に入隊させる話にもなっていました。

 

 その間、ラヴィア夫人は一度もユギルの部屋にやってきませんでした。やれやれ、やっとあきらめたか、とユギルは安堵しましたが、参列客が全員無事に自分の故郷や国に戻り、城の中が平常に戻ると、礼儀作法の稽古のためにまたいつもの時間に訪ねてくるようになりました。

 逃げて隠れるにも、雪が降りしきる中庭に潜むのはいいかげんつらくなっていました。行き場のなくなったユギルは、ラヴィア夫人に向かってかみつきました。

「いいかげんにしてくれ! 礼儀作法なんか覚えなくたって、陛下は俺の言うことをちゃんと信用してくれるんだ! 俺は陛下の専属占い師だ。陛下さえ信じてくれるなら、他の奴らからどう思われたってかまわないんだよ。俺はこのままでいいんだ! もうほっといてくれ!」

 すると、ラヴィア夫人が言いました。いつもは叱るような言い方をする彼女が、この時は、意外なほど静かな口調でした。

「そうはいきませんよ、ユギル。あなたは陛下の専属占い師です。だからこそ、陛下のために他の者を説得しなくてはならない場面が、必ず出てくるのです。……人は見た目や態度で相手を判断するものです。今のあなたの態度では、あなたを信じる人は誰もいないでしょう。それがどんなに正しい占いの結果であったとしても、です」

 ユギルは老婦人をにらみつけました。どなり飛ばしたいと思いましたが、何故だか声が出ません。今のあなたを信じる人は誰もいないでしょう、ということばが胸に突き刺さります。少年は唇をかみしめると、黙って部屋を出て行ってしまいました。

 それを見送って、ラヴィア夫人は溜息をつきました。ユギルは今にも泣き出しそうな顔をしていました。本当に傷つきおびえた捨て猫のような少年です。人の差し伸べる手を絶対に信じないで、逆にその手をひっかき返します。寛大な国王だけは信頼するようになっていましたが、他の者たちにはかたくなに心を閉じ続けているのです。

 夫人は椅子に座りました。部屋に椅子はその一脚しかありません。客が自分の部屋を訪ねてくることなど、少年はまったく考えていないのです。夫人は待ちました。いつ部屋に戻るかもわからない少年を、ずっと待ち続けました――。

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