ロムド国の王都ディーラは、丘の上に広がる大きな街でした。ぐるりを石壁に守られた中へ東西南北から太い街道が集まってきています。
街道の終点には、堀と城壁に囲まれたロムド城があります。高い塔がいくつもそびえる大きな城です。先代の王の治世には、城は明け方まで真昼のように照らされ、夜を忘れた貴族たちで一晩中賑わっていました。今はさすがにそこまでの華やかさはありませんが、それでも相変わらず大勢の貴族が出入りし、たくさんの灯りと花で飾られる、美しい城でした。
その日、城内は特に浮き立っていました。隣国ザカラスを訪問していた国王が、三週間ぶりで城に戻ってくるからです。国王は、三年前に亡くした王妃に代わって、ザカラスの王女を新しい王妃に迎えることになっています。その挨拶の儀式のために、王女の元を訪ねていたのでした。
城壁の前の大通りから大勢の歓声と拍手が聞こえてきました。人々が熱狂的な声を上げています。ロムド国王は国民から絶大な人気があります。王が城下町を通るときには、必ずこんなふうに市民の大歓迎を受けるのでした。
その騒ぎを先触れに大勢の貴族や貴婦人たちが城の入口に並ぶと、やがて、その前に馬に乗った衛兵たちが行進してきました。それに続いて立派な馬車が滑るように城門をくぐり、城の正面階段の前でぴたりと停まります。王の乗った馬車です。貴族たちはいっせいに手を胸に当てて頭を下げ、貴婦人たちはドレスの裾をつまんで膝を曲げました。馬車から降りてくる王をうやうやしく出迎えます。
馬車の扉が開いて、中から男が出てきました。国王ではなく、がっしりした体つきの黒っぽい男です。黒い髪とひげをしていて、全身黒ずくめの服を着ています。腰の大剣に手をかけながら、鋭い目で出迎えの人々をねめまわします。
とたんに、貴族たちの中に密かに顔をしかめた者たちが続出しました。男はゴーラントス卿です。大貴族ですが、非常に粗野な人物で、宮廷の鼻つまみ者にされています。ただ、剣士としての腕前だけは確かなので、今回、王の護衛役として抜擢され、ザカラスまで同行していたのでした。貴族たちは不愉快な表情を浮かべた顔を伏せ、じっと王を待ち続けました。
ゴーラントス卿が剣から手を離して呼びかけると、馬車の中からロムド王が下りてきました。王は今年五十三歳ですが、とてもそうは見えない若々しい人物です。軽い足取りで城の前に降り立つと、いっせいに深く頭を下げた家臣たちにうなずき返しました。
居並ぶ者たちの中から一人の中年の貴族が進み出てきました。ロムド国の宰相です。王より少し年下なのですが、王が若々しいので、こちらのほうが逆に年上に見えてしまいます。
「陛下、お帰りなさいませ。ご無事なお帰りを臣下一同心からお喜び申し上げます――」
と型どおりの出迎えの挨拶を言う声が、ふいにとぎれました。驚いたように目を見張って、王の後ろを見つめます。
城の前に並んだ貴族や貴婦人たちも、目を丸くして馬車を見ていました。そこから、もう一人の人物が降りてきたからです。銀の輝きが人々の目を打ちます。それは、灰色のマントを着た細身の少年でした。浅黒い肌のとても整った顔立ちをしていて、右が青、左が金の不思議な色合いの瞳をしています。短い銀髪が鮮やかに輝いています。人々の目を奪ったのは、その髪の色でした。
少年は黙ったまま居並ぶ貴族たちを見回し、かすかに顔をしかめたようでした。王のすぐわきに近寄っていくと、他の者には聞こえない声で一言二言何か話しかけます。王が同じくらい低い声で何か答えます。
宰相は面食らいながら王に話しかけました。
「陛下、そちらの少年は……? ザカラスで小姓をお見つけになられたのですか?」
彼らの王は風変わりな人物です。城外に出かけた際に、思いがけない人間を雇って連れ帰ってくることが時々あります。それらの人々は、貴族の身分を持たないこともしょっちゅうですが、決まって非常に有能な人材で、王やロムド国のために多いに役に立ってくれるのでした。
が、そんな王も子どもを連れてきたのは初めてでした。それも、とても変わった色合いの美しい少年です。宰相が小姓だと思いこんだのも無理のないことでした。
とたんに、銀髪の少年が思いきり顔をしかめました。どうやら礼儀作法をあまりわきまえていないようです。王が宰相に答えました。
「そうではない。占い師のユギル殿だ。わしのお抱え占者に雇った。彼の部屋をわしの部屋の近くに準備するように」
それだけを言うと、近づいてくる別の貴族の方へ歩いていって、まったく別の話を始めます。そちらはロムド国の大蔵大臣でした。大臣は少年のことなど気にする様子もなく、報告と相談を始めます。王が不在の間も国政は休むことなく行われています。早急に王の指示を仰がなくてはならないことが山積みになっていたのでした。
宰相はとまどいながら少年を見つめました。年の頃は十五、六というところでしょうか。背は高い方ですが、とても痩せていて、その年代に特有の、ふてくされたような表情をしています。あるいは、小姓と間違われたことを本当に不愉快に思い続けているのかもしれません。――宰相は、とまどった顔をかたわらの黒い剣士へ向けました。
「どういうことなのでございましょうか、ゴーラントス卿?」
黒ずくめの男は、これまた礼儀作法を無視して、あからさまに肩をすくめて見せました。
「陛下のおっしゃったとおりだ。彼はユギル、占い師だ。ザカラスで出会った」
それから、ゴーラントスはぐっと声を低めて、宰相だけに聞こえる声でささやきました。
「子どもだが一流の占者だ。ザカラスで陛下が暗殺されるのを防いだ」
宰相が一瞬で真顔になりました。真剣な目で少年を見直すと、すぐにうなずき返します。
「承知いたしました。陛下のご命令のとおりにいたしましょう。ではユギル殿、こちらへ」
立派な身なりの大臣から「ユギル殿」と呼ばれて、少年は面食らったようでした。そんな少年を連れて、宰相は歩き出しました。国王はすでに大蔵大臣や他の重臣たちと城の中に入ってしまい、後には貴族や貴婦人たちが残っているだけです。三々五々散っていこうとしながら、彼らはあからさまな好奇の目を少年に向けていました。王が連れてきたこの珍しい容姿の少年は何者だろう、と誰もが考え、ひそひそ話をしています。あまり好意的とも言えない笑いまでひらめいています。このまま少年をこの場に長く置いてはならない、と宰相は判断したのでした。
すると、貴族の中でも特に噂好きで遠慮のない者が二、三人、彼らを追いかけてきました。呼び止めて、少年の正体を尋ねようとします。
そこへ、いきなり黒ずくめの男が割って入りました。貴族たちを無視して銀髪の少年に話しかけます。
「おまえの占盤は後で部屋に届けさせてやる。他に入り用なものがあれば、人を通じて、このリーンズ宰相に言えば揃えてもらえるぞ」
追いすがって質問しようとしていた貴族たちは、黒衣の剣士にさえぎられて、憮然とした顔で立ち止まりました。黒い男は、少年のすぐ後ろを歩き続けながら、少年を守るように背中で彼らを拒否しています。先を行く宰相は、ちらっとそんなゴーラントスを振り返り、感謝のまなざしを向けました。
宰相と少年と黒衣の剣士は、階段と廊下をいくつも通って城の一室に入りました。最後の最後まで追いかけてきた野次馬を遠目に見ながら扉を閉じると、ゴーラントスは首を振りました。
「やれやれ。城の貴族どもは鬱陶しくてかなわんな」
自分自身が城で王に仕える大貴族なのに、そんなことを言います。
「ここは陛下の御部屋の二つ隣の部屋です。本当に、お入り用なものがあれば、なんでもおっしゃってください」
とリーンズ宰相がユギルに向かって言いました。子ども相手に非常に丁寧な口調です。
とたんにユギルは答えました。
「ほしいものなんてあるもんか! こんなうざったい部屋はまっぴらだぜ!」
非常に美しい少年の口から、思いがけないほど乱暴なことばが飛び出してきたので、宰相は目をむきました。
ゴーラントスが笑い出しました。
「うざったいか? 特に大切な客人しか泊まれん、城の中でも特別上等な部屋だぞ」
「知るかよ! こんなごてごて飾り立てた部屋じゃ占いに集中できないんだ。全部もってってくれ! 机と椅子さえあれば、俺は充分なんだ!」
相手が自分の倍ほどの年の大人でも、まったく遠慮なくそんなことをどなっています。ゴーラントスは面白そうな顔をしているだけですが、他の貴族たちならば間違いなく烈火のごとく怒り出すことでしょう。
この少年には宮廷の礼儀作法とことばづかいを教えなくては……と宰相は頭を抱えながら考えていました。