その日から、ユギルはマグノリアに逆らうのをやめました。言われたことには素直に従い、できるだけそばにいて、彼女のすることを観察しました。特に、彼女が占盤で占う時には、絶対に近くにいるようにしました。
そんなユギルに、まもなくマグノリアが言いました。
「どうやら、やっと本気で占いを学ぶ気になったみたいだね。いいだろ、あたしと一緒に占ってごらん。占盤の見方をあんたに教えてあげるから」
占盤には場所があり、時があるのだ、とマグノリアは教えてくれました。盤に現れる象徴が、どこの方向へ向かうか、いつの方向へ動いていくかで、占いの意味合いが変わってくるのです。
過去や現在は、占う力と場の強さで見える精度が変わりますが、誰が占っても、出来事は変わりません。けれども、未来を表す映像は、時間の変化と共に、刻々と変化していきます。こうと読んだはずの未来が、別の場所で起こった出来事の影響を受けて変わっていくのです。それはまるで、玉突きの玉が次々に新しい玉にぶつかり、思いがけない動きをしながら、予想もしなかった場所に飛んでいく様子に似ていました。
「だからね、どんなに正確に読んだつもりでも、未来の占いだけには『絶対』ってことばは使えないんだよ」
とマグノリアはユギルに言いました。
「どれほど詳しく読み解いても、思いがけないことは起こりうるんだ。だから、あたしはいつも、あらゆる可能性をたどって、その中で一番起こりそうな道筋を人に示すよ。未来が読みと違ってきたら、またすぐに占い直す。そうやって、人の一手先、二手先を読み解くことが、占いってものの本当の姿なのさ」
「象徴ってのは、その人の本質そのものだよ」
ともマグノリアは言いました。
「どんなにうわべを取り繕っていても、あたしたち占い師には、その人間の本質が見えちまう。人をよく見極めな、ユギル。あんたはこれまで本当にろくでもない大人ばかり見てきちまってるけどね、世界にいるのは、そんな奴らばかりじゃない。尊敬できるような大人だって、この世にはちゃんといるんだからね」
このあたしみたいにさ、と自画自賛して、マグノリアはからからと笑いました。しょってらぁ、とユギルは肩をすくめます。彼女は確かに良い人間でした。今まで会ってきた中で、一番信頼できる大人です。けれども、他の大人たちが、彼女と同じように信用できるとは、ユギルにはとても思えなかったのです。
「占うときには決して油断をしないこと」
と厳しく言い渡されたこともありました。
「結果が出ても、それがゴールというわけじゃないんだ。時間はどこまでも続いていくからね。その先に、また別の本当のゴールがあることも、ゴールが新しいスタートになることもあるんだよ」
あんたの一番の課題はそれさ、ユギル、ともマグノリアは言いました。
「あんたは自信過剰だ。それがあんたの占いを曇らせる。運命ってのは深く巧妙なものだよ。いくつもくぐり戸を準備して、人に運命の扉をくぐらせようとするんだ。慢心は占い師の最大の敵だと覚えておいで。自分の占いを信じすぎたとき、占い師は、必ず自分自身の占いに裏をかかれる。それが、占い師の一番冒しやすい過ちなんだよ」
ちぇ、わかったよ、とユギルは答えました。もう、あんなドジは二度と踏むもんか、と失ってしまった仲間たちを思い浮かべながらつぶやきます。
けれども、ユギルは知りませんでした。そう思うことさえも、実際には慢心の表れだったということを――。
マグノリアは、外出の時には、よくユギルをお伴に連れて行きました。ユギルは、銀髪に色違いの目の自分の姿を大勢の前にさらすのは苦痛でしたが、彼女はまったく意に介しません。珍しい容姿の少年を人々が振り返るのを楽しんでいる節さえありました。
「あんたのその姿は決して損にはならないんだよ」
憮然とする少年に、マグノリアは言いました。
「確かに、あんたの外見はあんたの本質を隠してしまってただろう。でもね、あんたが一人前の占い師として押しも押されもしない存在になったとき、今度は、その姿があんたを助けるんだよ。心弱い人間は多いもんさ。占いの結果を告げても、なお疑うような相手に、その顔を向けてじっと見つめておやり。きっと、何も言えなくなって、あんたの言うことを信じるようになるから」
「そんなの、占いじゃなくて脅迫じゃないか」
とユギルは反論しました。自分では気がつきませんでしたが、いかにも年相応の少年らしい、潔癖な言い方になっていました。
マグノリアは笑いました。
「なぁに。そういう芝居っ気も占い師には必要なのさ。相手に信じさせてなんぼってのが、あたしたちの商売だ。いくら正確に占ったって、相手が信じようとしなかったら何にもならないんだからね」
「俺の言うことなんか、誰も信じないよ」
とユギルは目をそらしました。裏切られすぎた少年は、どうしても他人に期待することができません。マグノリアはまた笑いました。今度は優しい笑いでした。
「そんなことはないさ。あたしには見えているからね。……あんたはやがて、世界から必要とされる重要な占い師になっていくのさ。あんたのことばには、一国の王さえ従うようになる。でも、それにはあんた自身がまず、人を信じるようにならなくちゃね。他人を信じてない人間のことばを信じる人間はいないんだから」
「なんだよ、それ。そんなこと、起こるわけないだろう」
とユギルは答えました。――自分自身の未来を占ってみることもありましたが、ユギルにはどうしてもそれが見えなかったのです。いつもそうなのです。すぐ先に起きる出来事ならば読めるのに、遠い将来の自分の姿だけは、どうしても見通すことができないのでした。
その時、通りかかった人がマグノリアに声をかけてきました。
「やあ、マギー。一緒にいるのは息子さんかい?」
マグノリアもユギルも、南大陸の種族の血を引く浅黒い肌をしています。肌の色だけを見れば、確かによく似た二人でした。
マグノリアは言い返しました。
「やめとくれよ。あたしゃまだ若いんだ。こんなでかい息子がいてたまるかい」
ユギルは思わず目を丸くしました。マグノリアは三十七歳です。一方ユギルは間もなく十五になります。歳で考えれば、ユギルくらいの子どもがいても、少しも不自然ではありません。
すると、その表情を見てマグノリアが言いました。
「なんだい、あんたもあたしの息子が良かったのかい? 結婚したこともないのに息子がいるだなんて、あんまりぞっとしないんだけどねぇ」
そういう意味じゃないよ! とあわててユギルは反論しましたが、マグノリアは勝手に考え続けていました。
「そうだねぇ、あんたもずいぶん素直になってきたし、この際、あんたの母親になってやるってのも悪くはないかもしれないけどねぇ。でもねぇ」
「誰もそんなこと言ってないってば!」
ユギルは思わず叫びました。自分自身でも気がつかないうちに、その顔は真っ赤になっていました――。
すると、急にマグノリアが顔を上げて、道に面した家の庭先を指さしました。
「見てごらん、ユギル」
指さす先を見ると、そこに白い花をつけた大きな木がありました。春の初めの季節でした。まだ葉を出さないむき出しの枝で、白く輝きながら咲く花は、まるで灯火のような形をしていました。
ユギルは思わずまた目を丸くしました。その花は見たことがあります。
「あんたの象徴じゃないか」
「おや。あんたの占いの中じゃ、あたしはあの花かい?」
と女は嬉しそうに笑いました。
「あの花がね、マグノリアなんだよ。……あたしゃ、自分がどこの国で生まれたのか、両親が誰なのか、少しも知らないんだ。まだ赤ん坊の頃に孤児院の前に捨てられていたからね。マグノリアの花が咲く季節だった。だから、名前はマグノリア。あんたは初めて会ったとき、あたしの名前は本名じゃない、と言い当てた。でもね、親がつけた本当の名前が何なのかは、あたしにだってわからないんだよ」
ユギルは何も言えなくなりました。女は遠い目で笑っていました。
「占い師なんて、実際には不便ばかりだよねぇ。他人のことは占えても、自分が本当に知りたいことは、いくら占っても見えなかったりする。あたしが南大陸の生まれだということだって、あんたが占ってくれて、初めてわかったことだったのさ。嬉しかったけどね」
そして、マグノリアはユギルを見つめました。
「確かにあんたのここまでの人生はつらかっただろう。でもね、つらい想いをしてきたのは、決してあんた一人じゃないのさ。そして、程度の差こそあっても、人が生きるってことは、必ず痛みとつらさを伴うものなんだ。先が見えない不安に苦しみながらね。あたしたち占い師にだって、確かな未来が見えるわけじゃない。でも、一手先二手先を読むことで、人々の不安が少しでも軽減できるなら、それがあたしたち占い師の使命なんだと、あたしは思うんだよ」
ユギルはさらに何も言えなくなりました。
すると、マグノリアは笑いながら、ぽんと少年の肩を叩きました。
「息子にするってのは冗談だよ。あんたは本当に世界へ出ていく占い師なんだ。あたしの息子なんかにして、あたしのそばに引き留めておくわけにはいかないさ」
ふと、その笑顔の中に淋しいものが漂ったような気がして、思わずマグノリアを見つめ返してしまったユギルでした――。