次にユギルが目を覚ましたのは、明るい部屋の中のベッドの上でした。上等の羽布団にくるまれて眠っていたのです。驚いて跳ね起きたところへ、ドアを開けて大柄な女が入ってきました。マグノリアです。その絶妙なタイミングは、確かに占い師に特有なものでした。
「どこだ、ここ!?」
とユギルはどなりました。気を失っている間に遠い場所まで連れてこられた感覚があります。
マグノリアが笑いました。
「なんだろね、起きた早々喧嘩腰かい? ここはジャウルだよ。あたしの家さ」
「ジャウル!」
ユギルは思わず絶句しました。ユギルがいたボーチェナと同じ南方諸国に属する国ですが、五十キロ以上も北に離れたところにあるのです。すると、女が言いました。
「あんたをあのままあそこに置いておけば、絶対にまた早まると思ったからね。それにしても、あんた栄養不足だよ。まともに食べてないんだろ。そんなにがりがりに痩せてさ。そら、そっちに食事を準備しておいたからね、朝ごはんにおしよ。育ち盛りに食べなかったら、大きくなれないよ」
女は百七十センチを越す長身で、肩幅は広く胸板も厚くて、筋肉質な体格をしています。その彼女から大きくなれない、と言われると、なんだか妙に説得力があるような気がしました。
ユギルはまだ用心しながらもベッドから滑り降り、部屋の隅のテーブルへ近づいていきました。パンやハムや卵やチーズ、野菜や果物や飲み物が、テーブルの上にところせましと並べられています。ユギルの腹の虫がぐうっと盛大な音を立てました。確かに、仲間たちをやられて以来、彼はまともに食事をしていなかったのです。かれこれ一週間にもなるでしょうか。憎い男の顔が、激しい怒りと共に浮かんできます――。
けれども、ユギルのナイフは部屋のどこにも見あたりませんでした。腹の虫はうるさく鳴き続けています。今はそちらを鎮める方が先決でした。
ユギルは色違いの目ですばやく食べ物を眺め、おかしなものが混ぜられていないことを確かめると、手を伸ばしました。椅子に座るのもそこそこに、夢中で食べ始めます……。
一週間分の飲み食いをして、ようやく人心地がついた少年は、椅子にもたれて改めてまわりを見回しました。上等な部屋です。ベッドとテーブルと椅子があるだけで、余計な飾り物はほとんどありませんが、大きなガラス窓の向こうに緑の濃い庭が見えています。家の中は不思議なくらい静まりかえっていて、どこからも物音が聞こえてきませんでした。
すると、マグノリアが言いました。
「この家に住んでるのはあたし一人なのさ。今日は占いの客も来てないからね、そんな時には静かなもんなのさ」
占い、ということばがユギルの気持ちを惹きつけました。そう、ユギル自身も占いができるのです。彼がこうだと思った未来は、大抵その通りになっていきます。十四年間の人生を生きのびてこられたのは、ひとえにその占いの能力のおかげでした。
ユギルはマグノリアを見つめました。その姿の向こうに、彼女を表す象徴を見いだそうとします。それは、白い美しい花でした。小さな炎の形の花びらをわずかに開き、灯火(ともしび)のように輝いています。あまりに意外な象徴にユギルが思わずあきれていると、マグノリアがまた笑いました。
「あたしを占ってるのかい? 何かわかったかい?」
試すような口調に、ユギルはむっとしました。改めて女を見つめると、やがて言いました。
「あんたの名前は本名じゃない。生まれはここからずっと南の、南大陸のどこか。ここに来るまでの間に、何度か人に裏切られてる。家族はいない。男にも裏切られて今は天涯孤独だ。このジャウルでは有名な占い師だけど、その分、商売敵から恨みも買ってる。えらくお節介焼きな性格だ」
すると、マグノリアは目を丸くして、やがて、あっはっは、と声を上げて笑い出しました。
「媒介もなしにそこまで読んだかい! あんた、本物の資質を持ってるね。上出来だよ! それじゃ、あたしがあんたに何をしたがっているか、それも読んでごらん。当てられたら、飯代と宿代はチャラにしてあげるよ」
なんだよ、そっちが勝手に連れてきたんじゃないか、と文句を言いながらも、ユギルはさらに念を込めて相手を見ました。占い師としての力を試されているのはわかっています。けれども、それが不愉快ではなかったのです。
ユギルは自分の力に、密かに自信を持っていました。それなのに、周囲の人間はユギルの人目を惹く外見ばかりを見ていて、彼の持つ能力には少しも目を向けようとしないのです。ずっとそのことに悔しい思いをし続けてきたので、こんなふうに占い師として試されることは、むしろ快感でさえありました。
と、ユギルはとまどったような表情に変わりました。女の顔を、確かめるように見つめます。
女はまた笑いました。
「どうだい? あたしはよからぬことを企んでいるかい?」 少年は首を横に振りました。企みはまったく感じられません。今まで彼に近づいてきた大人たちは、男も女も、必ず何かしら汚い下心を持っていたのに、この大柄な中年女からは、そういうものがまったく伝わってこないのです。ただ、一つの強い想いだけが、象徴で表される占いの場に浮かび上がっていました。
「俺を助けたい……? なんでだよ」
とユギルは尋ねました。思い切り疑う声になっています。
マグノリアは苦笑いをしました。
「やれやれ、なんでだよ、と来たかい。ほんとに素直じゃない子だねぇ。まわりにろくな大人がいなかったんだろ。――あたしの通称は『援助者のマギー』。お節介焼きのマギーっても言われるけどね。助けを呼ぶ声を聞くと、駆けつけないではいられないのさ。あんたは助けを求めてた。それが聞こえたから、はるばるボーチェナまで行ってやったんだよ」
「助けを求めてた?」
ユギルは思わず聞き返しました。目をまん丸にしています。
「俺が?」
すると、マグノリアは静かに言いました。
「それさえも自分でわからなくなってるのかい。本当に不憫な子だね。まあ、あんたは占い師として、あたしに近いところにいるようだから、それで波長が合って、なおさらあたしにあんたの声が聞こえてきたんだろうけどね。――あたし一人じゃ、この屋敷は広すぎて手が回らなかったんだ。下働きとして使ってあげるから、ここにおいで。食事と寝床くらいは補償してあげるよ」「な……なんでそうなるんだよ!?」
ユギルは驚いて叫びました。憎い裏切り者を殺しにボーチェナへ戻ろうと考えていたのです。それだけがユギルの望みでした。
「言ったろう。あんたみたいな優秀な占者は見殺しにできないんだよ。世界の損失になりかねないからね。それに、あんたには見えていないのかい? あんたが憎むあの男が、やがてどんな結末をたどるのか」
ユギルはまたとまどいました。自分があの男を殺した後、どうなるのかは見えていました。マグノリアが言うとおり、自分は憲兵につかまり、他の仲間たちの後を追うことになるのです。それでもかまわないと考えていましたが、「そうしなかった時に」どうなるのかは、占ってみたことがありませんでした。
マグノリアは声を立てて笑いました。
「まだまだだねぇ。占い師はあらゆる可能性を未来に見通さなくちゃならないのさ。ここにいるんだね。気が向いたら、あんたにも占いの奥義ってのを教えてあげるよ」
ユギルの心がまた大きく動きました。占いの奥義ということばに惹かれます。この女は本当にお節介ですが、確かに、ユギルを上回る占いの力を持っていました。
「……わかった。いてやるよ」
とユギルは答えました。口をへの字に曲げて、面白くなさそうな表情をします。
とたんに、マグノリアの大きなげんこつが飛んできました。遠慮もなく、ユギルの銀髪の頭を殴りつけます。
「なんだい、その口の利き方は! 今日からあたしはあんたの師匠だよ。師匠にはそれなりの尊敬を払って、もっと丁寧な話し方をおし!」
それまでの人の良さそうな笑顔とも違った表情で、威圧的に言い放ちます。
ユギルは頭を抱えていっそう口をとがらせました。
「いってぇ……! なんでそうなるんだよ、本当に!? 師匠だなんて――」
けれども、女がまた拳を握ったので、ユギルはあわてて口をつぐみました。男顔負けの大女です。痩せこけた少年が力でかなうはずはありませんでした。
「さあ、さっそく家のまわりの掃除! それがすんだら庭の草むしりだよ! 働かざる者食うべからず。とっとと仕事にかかりな!」
反論の余地はありません。何か言えば、またげんこつが飛んできそうです。ユギルは不満な顔をしながらも、言われたとおり、家の外にすっ飛んでいきました――。