町外れの古い建物にジャックとペックたちは集団で入っていきました。昔の羊毛の集積場で、今はもう老朽化して使われなくなった場所です。ところどころで石積みの壁や天井が崩れていて、入口には立ち入り禁止の札が立っていましたが、もちろん、少年たちはそんなものは無視していました。
「なんだ、ペック。俺に見せたいものってのは」
ジャックが先頭を行く少年に声をかけました。最近、何かというと自分に反抗的な様子を見せるペックです。腹に一物ありそうだと感じてはいましたが、一度きっちり話をつける必要があると思って、あえて誘われるままに一緒に来たのです。
ペックは建物の奥の部屋の跡に入ると、そこで立ち止まって振り返りました。すぐにその両脇や後ろに、何人かの少年たちが並びます。それは、二年あまり前のジャックの姿と同じでした。あの頃は、ジャックを守るようにペックや他の少年たちが従っていたのです。今ではジャックのそばに立とうという者はいません。使いっ走りの小さな少年たちさえ、ジャックから距離を置いて立っています。
ふん、とジャックは鼻を鳴らしました。ペックをじろりと見下ろします。
「どうやら、見せたいものがあるってのはただの口実だったみたいだな。何の用だ、ペック。言いたいことがあるんなら、はっきり言えよ」
低い声ですが、そこに込められた迫力に、居合わせた少年たちは思わず後ずさりそうになりました。リーダーの座を追われつつあっても、やっぱりジャックには少年たちを服従させる威圧感があります。
そんな中、ペックだけは少しもひるまず、ジャックを見返しました。
「最近のあんたはなっていない、って話をしたいんだよ。どうしちまったんだ、ジャック。教科書抱えて真面目にお勉強か? 優等生に転向だなんて、フルートに感化されちまったみたいだな」
ジャックはつまらなそうな目でペックを見ていました。二年あまり前、魔の森へ魔法の金の石を取りに行ったとき、最後まで自分に同行していた子分ですが、森を包む恐怖の魔法にとらわれて、ジャックを突き飛ばして逃げ去ったのです。あの時から、ペックの反抗はすでに始まっていたのかもしれません。今さらそれに腹を立てる気にもなりませんでした。
ジャックがまったく取り合わないので、ペックの口調が、揶揄(やゆ)の響きを強めました。
「なんだ、ジャック。図星で反論できないのかよ。ホントに最近のあんたは見てらんねぇよな。フルートなんかとつるみやがるしよ。さてはジャック、あんた、あのお嬢ちゃんに惚れたんだろう。そうに違いねえや」
お嬢ちゃん、というのは、彼らがフルートをからかうときの呼び名です。たちまち仲間の少年たちがわざとらしい驚きの声を上げ、ヒューヒューと口笛を吹き鳴らしました。ジャック、あんたそういう趣味だったか! とあざ笑う少年もいます。
ジャックは腕組みをしました。
彼らが何故自分にこうまで反感を強めたのか、ジャックにはわかっていました。彼らがフルートに「思い知らせよう」とするたびに、ジャックがそれを止めるからです。ジャックがフルートに味方しているように見えるのです。
この阿呆どもめ、とジャックは心の中で苦くつぶやきました。誰が誰を守っているのか、この子分たちはまったくわかっていないのです。
「用はそれだけか? 俺はこれから隣町まで行かなくちゃならねえんだ。そんなくだらねえ話を聞かせるのが目的なら、俺は行くからな」
話を打ち切って立ち去ろうとすると、ペックが鋭く言いました。
「待てよ、ジャック! 怖くて逃げるのかよ?」
あざ笑う口調です。ジャックは、たちまち振り向きました。右の手をすでに拳に握っています。
「誰が誰を怖がってるだと!? 寝言抜かしてると、土手っ腹に一発食らわすぞ――!」
とたんに、ジャックの視界が暗くなって、何も見えなくなりました。頭の上から突然大きな布をかぶせられたのです。二人の少年がいつの間にか建物の上の階に上がり、崩れた天井の穴から布を持ってジャックの上に飛び下りてきたのでした。
驚いて布をはねのけようとするところを、さらに別の少年たちが駆け寄ってきて、太いロープでがんじがらめにしてしまいます。布の上から縛り上げられ、両足までロープに絡みつかれて、ついにジャックの体が倒れました。灰色のイモムシのような格好で床の上に転がります。
それを力一杯蹴って、ペックが笑いました。
「いい格好だな、ジャック! きさまみたいな裏切り者にはぴったりの格好だぜ! おい、みんな! ジャックはもう動けねえ! 存分にやっちまえ!」
ジャックが野牛のようにうなりましたが、布とロープはどんなにもがいてもふりほどけません。床の上を本当に巨大なイモムシのようにのたうつしかありませんでした。その様子に少年たちはいっせいに笑いました。手に手に崩れた石壁のかけらや太い鉄の棒を握り、残酷な笑みを浮かべながら、それをイモムシの上に振り下ろそうとします――。
その時、激しく吠えながら一匹の犬が飛び込んできました。倒れているジャックの前に立ち、少年たちに向かってワンワンワン……! と吠えたてます。少年たちは思わずぎょっと身をひき、次の瞬間、それが小さな白い子犬なのに気がついて目を丸くしました。
すると、それを追うように、高い少年の声が響き渡りました。
「馬鹿な真似はやめろ、ペック、みんな――!!」
小柄な金髪の少年が崩れかけた部屋の中に飛び込んできて、ジャックと子犬の前で両手を広げました。
少年たちはさらに呆気にとられました。ジャックを守るように立ちふさがる少年は、まるで少女のように優しげな顔をしています。フルートでした。
ペックが、にやりと笑いました。
「これはこれはお嬢ちゃん。正義の味方の登場かい? ジャックと一緒にやられたいらしいなぁ」
他の少年たちが、また石や鉄棒を握り直します。目の前にいるのは、身動きすることもできなくなっているジャックと、ちっぽけな子犬と、女の子のような顔をした少年だけです。しかも、フルートは何も武器を持っていません。これこそ、思う存分「思い知らせる」絶好の機会でした。じりっと少年たちが間合いを詰めてきます。
けれども、フルートは落ちついた声でポチに言いました。
「ジャックを自由にしてやって。こっちは心配いらないよ」
「ワン、わかりました」
即座にポチがジャックに飛びついて、絡みついているロープをくわえてほどきにかかります。
「大口たたくなぁ、フルート! これだけの人数、どうやって素手で相手するってんだよ!?」
言いながら、鉄棒を握った少年が飛びかかってきました。フルートの金髪の頭を横殴りにしようとします。
が、それより早くフルートは頭を下げてやり過ごすと、勢い余ってよろめいた少年に一瞬で駆け寄り、その手元に鋭く手刀を振り下ろしました。少年が悲鳴を上げて取り落とした鉄棒を、素早く足の先で受け止め、宙に放り上げて右手に握ります。そのまま、くるりと鉄棒を回転させて、びしりと構えれば、鉄の棒はもう、フルートの扱い慣れている長剣と同じ存在になっていました。
ちょっとでも動けばフルートから鉄棒で殴られそうで、少年たちは身動きできなくなりました。本当に、まったく隙がありません。それでも無鉄砲な少年が飛び出してきましたが、振り上げた岩のかけらを鉄棒の先でドン、と突かれ、粉々になったかけらを頭からかぶって、悲鳴を上げて飛びのきました。ほんの一瞬の出来事でした。
やっと腕が自由になったジャックが、懸命に残りのロープをほどき、頭からかぶせられた布を払いのけました。自分の前で守るように鉄の棒を構えているフルートを見て目を見張り、すぐに苦い顔つきに変わりました。
「おい、俺は助けてくれなんて言ってねえぞ」
「だって、ほっとけないよ」
とフルートは答えました。ちょっとほほえむような表情でジャックを振り向きます。
とたんに、それを隙と見て、また別の少年が襲いかかってきました。手にフルートと同じような鉄の棒を握っています。
フルートは鋭く振り向くと、手にした棒で相手の棒を受け止めました。ガギン、と鋭い音が響いたと思うと、相手の少年がよろめきました。そこへフルートが飛び込んできて、鉄棒を振り下ろします。再び鋭い音が響いて、鉄棒が少年の手から床の上へ落ちました。力任せにたたき落とされた衝撃で、両手がしびれてしまっています――。
ジャックはまた顔をしかめました。
「こら、手加減しやがれ、フルート。こいつらに怪我をさせるな」
「じゃあ、彼らを引かせてよ。こっちだって戦いたいわけじゃないんだから」
とフルートが答え、改めて少年たちを見据えました。いつの間にか、少女のようなその顔が厳しく鋭い表情に変わっていました。百戦錬磨の戦士の顔つきです。少年たちの背筋を、ぞおっと冷たいものが走り抜けていきました。手に手に石を握ったまま、思わず後ずさっていきます――。
その時、ペックが叫びました。
「石だ! 石をぶつけてやれ!」
その声に少年たちがはっとしました。自分たちが握っている石を見て、フルートやジャックたちに投げつけ始めます。大人の拳や、赤ん坊の頭ほどの大きさもある石ばかりです。
「ワン、危ない!」
ポチが即座に風の犬に変身しました。ごうっとうなりをあげながら渦を巻き、石をすべて風の体に巻き込んで、遠くはね飛ばしてしまいます。
少年たちはポチが風の犬になったところを見たのは初めてでした。ちっぽけな子犬が爆発するようにふくれあがり、異国の竜のような巨大な生き物に変身したので、肝を潰して悲鳴を上げ、我先にそこから逃げだそうとします。
その後を追い立てるように、ウォン!! とポチが風の声で吠えると、少年たちはさらに悲鳴を上げ、転がるように駆け出しました。
「こら待て、みんな!! 逃げるな――!!」
ペックが金切り声を上げて仲間を呼び止めようとしていました。けれども、恐怖に駆られて逃げていく子分たちを引き留めることはできません。
ジャックは何も言えなくなっていました。それは本当に、二年あまり前、魔の森に入ったときの自分自身の姿でした。あの時も、自分に忠実だったはずの子分たちは一人残らず自分を置いて逃げ去ったのです……。
「馬鹿が」
と思わずつぶやいたジャックの声が、ペックの耳に届きました。ペックは歯ぎしりをすると、額に青筋を立てて叫びました。
「腰抜け! 卑怯者! どいつもこいつも、みんな俺を裏切りやがって! きさまらなんか、全員、この建物に押しつぶされちまえ――!!」
フルートとポチは、同時に、はっとしました。彼らの頭上で、何か黒い影が動いた気がしたのです。目をこらしても見えません。ただ、半ば崩れた建物の天井と、その向こうの白い空が見えるだけです。空からは雪が降り続けています。
と、再び、空を影が走りました。それは四枚の翼を広げた、巨大な竜のように見えました。
「デビルドラゴン――!?」
フルートとポチは同時に叫びました。影はまた消えてしまっています。まるで、この世ではない場所から、ちらちらとこちらの世界に姿を現しているようです。
とたんに、建物全体が地響きを立てて揺れ始めました。そこここで石積みの壁や、天井が崩れ始めます。どうっと出口の向こうで壁が崩れる音がして、少年たちの悲鳴が上がりました。すぐに、真っ青な顔で全員が駆け戻ってきます。
「つ、通路がふさがれた! 閉じこめられちまったよ!!」
と少年たちが叫びます。彼らのいる部屋に、そこ以外の出口はありません。そんな彼らの周囲で、部屋の壁も天井も、ゆらゆらと大きく揺れ始めているのでした。
フルートは鉄の棒を投げ捨てました。首にかけていた鎖をつかんで引っ張ると、金のペンダントが出てきます。その先端では、花と草の透かし彫りに囲まれて、小さな石が金色に輝いていました。
「やっぱり目覚めてた!」
とフルートは叫びました。そのまま金の石を握って、空にかざします。
「立ち去れ、デビルドラゴン!! おまえなんかにみんなを狙わせるもんか!!」
石から金の光が空へほとばしりました。雪の降りしきる空に見え隠れする影を、澄んだ輝きで包みます。たちまち、空で金の火花が散り、耳には聞こえない咆哮があたりを揺るがしたような気がしました。
とたんに、部屋の天井が崩れ落ちました。立ちすくむ少年たちの上に大小の石が降りかかってきます。
「ワン!」
風の犬のポチが一声吠えて舞い上がりました。彼らの頭上で渦を巻き、岩を吹き飛ばしていきます。その風の渦の中央から、金の光が天に差し続けています。四枚翼の竜が、一瞬濃くはっきりと姿を現し、また、霧が消えていくように薄れていきます――
すると、少年の金切り声が響きました。
「よくも、フルート! きさまなんか、きさまなんか――!!」
どこから取りだしたのか、ペックが両手にナイフを握りしめていました。ぎょっとしたように立ちすくむ仲間の少年たちを尻目に、フルートに向かってわめき立てます。
「きさまなんか、金の石の勇者なんかであるもんか! きさまみたいなヤツが強いはずがない! フルートのくせに生意気なんだよ! 絶対に生意気なんだよ――!!」
フルートは金の石を天に差し伸べたまま、驚いたようにペックを見ました。ペックは本物の殺気を放っています。危険だ、と瞬時に感じましたが、石はまだ光を放ち続けています。デビルドラゴンの影はほとんど薄れていますが、まだわずかに空に見えかくれしていたのです。フルートは動けません。
「ワン、フルート! よけて!」
とポチが叫びました。ポチは崩れ落ちる建物から皆を守っているので、フルートを助けにいけません。
ペックが握ったナイフを突き出して、フルートに向かって駆け出しました。うなるような声を上げながら、フルートに体当たりし、その小柄な体に刃先を突き立てようとします。
が、それより一瞬早く、ペックの肩がむんずとつかまれました。勢いよく引き戻されて反転した体に、大きな拳が飛んできます。ペックは顔をまともに殴られ、吹き飛んで倒れました。その拍子にナイフが手から離れて、遠くへ飛んでいきます。
金の光が空の彼方へ吸い込まれて消えていきました。空にはもう、四枚翼の竜の影はありません。デビルドラゴンは別の場所へと逃げ去ったのです――。
フルートは金の石を下ろして振り向きました。倒れて気絶しているペックと、そのかたわらで拳を握っているジャックを見ます。空からポチも舞い下りてきて、フルートの足下でまた子犬の姿に戻りました。
ほほえむように自分を見るフルートとポチに向かって、ジャックは渋い顔でどなりました。
「おまえを助けたんじゃねえぞ! こいつを人殺しにしたくなかっただけだ。誤解するんじゃねえ!」
「誤解はしないよ」
とフルートは答えて、小さく、くすりと笑いました。