フルートとジャックとポチは、崩れた建物を抜け出して、鍵のかかっていなかった近所の納屋に潜り込んでいました。大人たちが建物の周りに集まって大騒ぎしているのが聞こえます。誰か中にいるのか、と呼びかけている声も聞こえてきます。もう、中には誰も残っていないはずです。少年たちはてんでに逃げ去り、気を失ったペックも、ジャックが抱きかかえて、同じ納屋の中にいます。ペックはまだ目を覚ましていませんでした。
ふん、とジャックが鼻を鳴らしました。納屋の床に座って片膝を抱え込んでいます。
「一応、ありがとうと言っておくべきなんだろうな。助けてもらったんだからな」
「それなら、ぼくも同じだ。助けてくれてありがとう」
と言って、フルートは笑いました。やっぱり納屋の床に座りこんで、干し草の束に寄りかかっています。にこりとした顔は、また少女のように優しい表情に戻っていました。
それを見て、ジャックは顔をしかめました。
「まったく、本当にやな野郎だよな、おまえは……。普段からもうちょっとそれらしくしてろよ。そんなふうだからこの馬鹿どもが勘違いするんだぞ。もっと勇者らしくしてやがれ」
フルートは目を丸くしました。そんなこと言われても、と困ったような表情をする少年は、本当に、どこをどう見ても、世界を闇から守る勇者には見えません。
ふん、とジャックはまたそっぽを向きました。そのまま沈黙になります。
やがて、ポチが口を開きました。
「ワン、ペックや他の子分たちはどうするんですか、ジャック?」
「後でとっくり説教してやるよ。今度はこいつらも思い知っただろうからな」
とジャックが渋い顔のまま答えて、気を失っているペックを見下ろしました。
フルートは、今度はあいまいにほほえむと、そっと胸元のペンダントを手に取りました。金の透かし彫りの中で、石は灰色に変わっていました。金の石はまた眠りに戻ったのです。
それを見て、ジャックが言いました。
「金の石を持っていたんだな……いつもそうやって持ち歩いてんのか?」
フルートは何故だか、ほほえんだ顔のまま目を伏せました。
「最近はね。そうしたほうがいい、って金の石が言うから……」
デビルドラゴンが新しい宿主を探しているよ。どこに魔王が出現してくるかわからないから、いつも用心していた方がいい――。夢の中で金の石の精霊にそう言われてから、フルートはずっとペンダントを肌身離さず身につけているのでした。そこに今回の出来事です。精霊の言うことは正しかったのでした。
ジャックが、納屋の戸の隙間から外を見ました。雪が降り続ける空を見て言います。
「あの時、空に何かいたんだな?」
フルートとポチは驚きました。
「ジャックには見えなかったの?」
「何も。ただ、おまえのペンダントが光って空の雲を照らしたのが見えただけだ。だが、おまえは金の石の勇者だもんな。あそこに闇の敵がいたんだろう?」
フルートは黙ってうなずきました。ジャックも、やっぱりな、と言っただけで、後はまた黙ってしまいました。
雪は降り続いていました。地面が次第に雪におおわれ、空も景色も薄暗い夕暮れの色に染まっていきます。
ちっ、とジャックがふいに舌打ちしました。
「今日は稽古にいけなかったな」
「稽古?」
とフルートは聞き返しました。ジャックが何か習い事をしているというのは初耳です。すると、ジャックは言いました。
「隣町の道場で剣を習ってるんだよ。俺は来年の夏には卒業だからな。そうしたら、軍の入隊試験を受けるんだ」
「ジャック、軍人になるの?」
フルートはいっそう目を丸くしました。――ジャックの祖父は軍人でした。ロムド正規軍の隊長までしたのだと、以前ジャックが自慢していたことがあります。そんな祖父をジャックが尊敬していたのは知っていたのですが、なんとなく、ジャック自身が軍人になるとは想像もしていなかったのです。
すると、ジャックが吐き出すように言いました。
「じいさんはじいさん、俺は俺だ。じいさんが偉い軍人でも、俺が同じように偉くなれるとは限らねえもんな。偉くなりたかったら、俺だって、ちっとはがんばんなくちゃならねえってことだ。ただそれだけのことさ」
ぶっきらぼうな口調は、どこか照れ隠しをしているようにも聞こえました。
フルートは、またにっこりしました。
「すごいや。偉いね、ジャック」
ジャックはたちまち、ものすごいしかめっ面になりました。
「おまえな、皮肉にしか聞こえねえぞ。金の石の勇者がなに感心してやがる」
すると、フルートはほほえんだまま言いました。
「本気で言ってるんだよ。……だって、ぼくは軍人にはとてもなれないんだもの」
はぁ? という顔でジャックは見返してきましたが、フルートはそれ以上は何も言いませんでした。フルートが抱える矛盾とつらさは、他の人にはまず理解できないと自分でわかっていたのです。
フルートは立ち上がりました。
「ぼくはもう行くね。あまり遅くなると、お母さんが心配するから……。ジャックはどうするの?」
「こいつが目を覚ますまでここにいるぜ。誰がリーダーか、じっくりと話して聞かせてやらぁ」
とペックを見ながら、ぽきぽきと指を鳴らします。一見物騒ですが、実際には手荒な真似はしないだろうとフルートは考えました。なかなか目を覚まさないペックを、ジャックが密かに心配していたからです。
すると、そのペックがうなり声を上げました。ようやく正気に返り始めたのです。ジャックが一瞬ほっとした雰囲気を漂わせ、すぐにフルートとポチが見ているのに気がついて顔をしかめてきました。
「そら、行けよ。夜になっちまうぞ」
フルートはほほえんでうなずくと、ポチを連れて納屋を出ました。
「やっぱりおまえは、やな野郎だぜ――」
ひとりごとのようなジャックの声が追いかけてきました。
薄暗くなってきた町の中を家に向かって急ぎながら、ポチがフルートに言いました。
「ワン、でも意外ですね。あのジャックがあんなふうに変わっちゃうなんて」
「そうかな?」
とフルートは答えました。その顔は微笑を浮かべ続けています。
「ジャックは本当はけっこういい奴なんだよ。それは最初に魔の森に行ったときからわかっていたんだ。それに、ぼくたちは、ずっとそのままなんてことは絶対にないんだよ。変わろうと思ったら、きっと変わっていけるんだ……」
そう言って雪の空に向けたまなざしは、たった今まで一緒にいたジャックを思っているようにも、はるか遠い場所にいる仲間たちを思っているようにも見えました。
けれども、すぐにフルートはまたポチを振り返ると、笑顔で言いました。
「さあ、走って帰ろう。本当に、お母さんが心配してるからね」
「ワン、そうですね」
そこで、少年と子犬は通りを家に向かって駆け出しました。雪は夕暮れの空から、後から後から降り続きます。やがて、通りは真っ白になり、夜がその景色を包み込んでいきました――。
The End
(2007年3月28日初稿/2020年3月19日最終修正)