ポチが町の通りを一人で歩いていると、空から白いものが降ってきました。ふわりふわりと舞うように落ちてきて、石畳の道に触れると、たちまち見えなくなってしまいます。鳥の羽毛のように大きな雪でした。
ポチは頭を上げました。空は一面白く輝く雲におおわれていて、そこから雪がどんどん降ってきます。雪のひらは輝く空の中では無数の暗い影になって、まるで上空に群れる小鳥か虫のように見えます。それが目の前まで落ちてくると、真っ白い羽根のような雪の姿に変わるのです。
白い息を吐きながら、ポチは雪の中を歩き続けました。とても寒い日で、人も馬車も先を急ぐように進んでいます。早く目的地について、暖かい火のそばでほっとしたいのでしょう。でも、ポチは犬なので寒いのは平気でした。暑い日よりも快適なので、ご機嫌で通りを歩き続けます。
大通りから裏道に曲がると、行く手に教会の鐘楼と、その手前の二階建ての建物が見えてきました。フルートが通う学校です。間もなく授業が終わるので、ポチはフルートの迎えにやってきたのでした。
ところが、空き地の前を通りかかったとき、ポチはふいに耳をぴくりと動かして、あわてて近くの塀の陰に隠れました。少年たちの声が聞こえてきたからです。
「だからよ、呼び出して目隠ししちまえば……」
「うまく行くかな?」
「なぁに、みんなでかかればうまくいくさ」
「でも、あいつは強いぞ」
「目隠しした上で縛り上げれば大丈夫だ。いくらあいつだって抵抗できねえさ」
「そうだ。みんなで思い知らせてやろうぜ」
ポチは、そっと塀の陰から頭をのぞかせました。空き地の奥の方で、数人の少年たちがひそひそと相談しあっています。通りかかった人がその声を聞き取るのは不可能ですが、ポチの犬の耳には、話の内容まではっきり聞こえてくるのでした。
そこにいるのは町の不良たちのグループでした。フルートと同じ年頃の少年たちですが、授業がまだ終わっていないのにここにいるということは、学校をさぼったのにちがいありません。彼らのリーダーはジャックですが、そこにジャックの姿は見あたりませんでした。最近、ジャックはめったにグループに顔を出さないのです。その代わり、副リーダーだったペックが、昔からの仲間だけでなく、新しくグループに入ってきた少年たちまで束ねて、新しいリーダーに台頭してきていました。
ペックは今でもフルートを毛嫌いしています。金の石の勇者と皆から賞賛されるフルートが、目障りでしかたないのです。普段フルートがあまり穏やかなので、勇者という話をただのデマだと思っている節もありました。ことあるごとにフルートにいちゃもんをつけては、痛い目にあわせようと狙い続けています。
大変だ、とポチは考えました。彼らはフルートを罠にはめようとしているのです。
もちろん、普通に考えれば、フルートが彼らに負けるようなことはありえません。どんなに優しく穏やかに見えたって、フルートは紛れもなく金の石の勇者なのですから。ただ、フルートは人と争うのが嫌いです。戦う相手を傷つけたくないばかりに、自分自身が窮地に追い込まれることがよくあるのでした。
ポチはそっと空き地の入口から離れると、人の通れないような建物の隙間を走り抜けて学校へ急ぎました。フルートは学校の帰りに必ず空き地の前を通ります。それより先にフルートにペックたちの企みを教えなくてはなりませんでした。
ポチが学校の門についたとき、ちょうど終業の鐘が鳴りました。待ちかねたように、学校の中から子どもたちが飛び出してきます。手に手に教科書を抱え、友だちとしゃべったり、ふざけたりしながら帰っていきます。降ってくる雪に歓声を上げる子どもたちもいます。
その中に、大柄なジャックの姿がありました。他の子どもたちと同じように教科書の束を小脇に抱え、おもしろくもなさそうな顔で一人で学校から出てきます。校門のわきにたたずむポチに気がつくと、じろりと一瞥を投げてきましたが、そのまま何も言わずに通り過ぎていきました。どうやら、ジャックは子分たちの計画を何も知らないようでした。
そのまま五分ほど待っていると、ようやくフルートのクラスの子どもたちが出てきました。授業が少し長引いたようです。その中でもさらに終わり近くになって、やっとフルートが姿を現しました。いつものように一人きりで、ゆっくりと学校から出てきます。とても穏やかな表情をしていますが、ポチの姿を見つけると、すぐに嬉しそうに顔を輝かせて駆け寄ってきました。
「お待たせ、ポチ。雪が降ってきたね。寒くなかった?」
ポチは素早くあたりに目をやりました。もう子どもたちの姿は少なくなっていましたが、それでも念のために人の通らない方へフルートを引っ張っていきます。
「ワン、ペックたちがフルートを待ち伏せしてますよ。目隠しして縛り上げる、なんて言ってます。口先だけじゃない感じでした。危ないですよ」
「ペックたちが?」
フルートは眉をひそめました。
前回ペックたちに呼び止められて手を出されそうになったのは、確か半年ほど前のことです。いつもは受け流すだけのフルートなのですが、ポチを殴られそうになって思わず反撃してしまい、あわや乱闘というところを、通りかかったジャックに仲裁してもらいました。以来、彼らはフルートの実力に一目置くようにはなったのですが、その分、機会を狙ってたたきのめそうとする動きもいっそう強まっていました。小柄で女のような顔をしたフルートが自分たちより強いということを、彼らはどうしても認めたくなかったのです。
ふぅ、とフルートは思わず溜息をつきました。反撃して逆に彼らをたたきのめすのは簡単なのです。でも、フルートはどうしてもそれはやりたくありませんでした。自分の敵は闇であり、闇の象徴のデビルドラゴンです。同じ町に住む子どもたちなどではないのです……。
「無視するしかないね。呼び止められそうになったら、走って逃げよう」
「追いかけてくるんじゃないですか? 今日こそ絶対に思い知らせる、っていう感じでしたよ」
「大通りに走ろう。人目のあるところでは、さすがに手は出してこないさ」
「ワン、フルートも苦労しますよねぇ」
つい先日までは、ロムド王国の王位継承権に絡む騒動に巻き込まれていたフルートです。ポチは思わずしみじみとつぶやいてしまいました。
けれども、フルートとポチが用心しながら空き地の前を通りかかった時、そこにはもう少年たちの姿はありませんでした。
「ワン、フルートが遅かったから、待ちきれなくて行っちゃったのかな?」
そうあってほしいという期待を込めてポチが言います。
フルートは黙ったまま、空き地の入口の地面を見つめていました。雪が溶けて濡れた地面の上には、数人の少年たちが集まって出ていった足跡が残されています。
ふと、フルートは顔を上げてポチを見ました。
「ジャックはこのことを知ってるの?」
「ワン、ジャックならさっき前を通っていきましたけど、全然知らないみたいでした。たぶん、ペックたちが勝手に計画したんだと思いますよ」
フルートはさらに考え込みましたが、やがて通りの向こうへ目をやると、急に、そうか、とつぶやきました。その表情がみるみる真剣になっていきます。
「ペックたちが待ち伏せしてたのはぼくじゃない。ジャックだ――」
ポチは目を丸くしました。
「ワン、だってジャックはペックたちのリーダーですよ?」
「ジャックは最近、ペックたちと全然一緒に行動してない。ペックたちはそれが不満だったんだよ。ジャックが自分たちを裏切ったように感じたんだ。そうだ……ジャックは、ぼくとペックが喧嘩になりそうなのを止めたりしたし。あの時、ペックはジャックにすごく腹を立てていたもの」
「ワン、じゃ、ペックたちは――」
「うん。ジャックをリンチにかけるつもりなんだ!」
フルートは必死であたりを見回しました。このまま放っておくわけにはいきません。けれども、彼らはもう何分も前にそこを立ち去ったようで、どこにも姿が見あたりませんでした。
すると、ポチが道に鼻を押しつけながら呼びました。
「ワン、こっちです、フルート! ジャックとペックたちの匂いがします」
「よし!」
フルートはポチと一緒に匂いをたどって急いで歩き出しました。